2005年12月作成


きょうだいトロルのぼうけん


ガンヒルド・セーリン (著), 小野寺 百合子 (翻訳) 1971/01


「字の本」が面白くなってきた初期に読んだ本だと思う。


この本を手に取ったとき、母が移動図書館で借りてきたのが
「最初の出会い」だったということを思い出した。
面白くて何度も何度も借りて、結局、母が古本屋で同じものを買ってきたんだった…


裏表紙を開くと、「五十嵐書店 550」というピンク色の紙が貼ってあった。
どうしてこういう些細なことでも思い出せるんだろう?
というより、こういうものすごく些細なことでもしっかり記憶されていることのほうが
驚きかもしれない。

当人にとってもさして重要なことではないのに。
忘れたら困ること、覚えておきたいことは1週間もたたないうちに
跡形もなくなるのに。
記憶って一体どういうカタチで脳の中に存在しているんだろう???



「きょうだいトロルのぼうけん」は、古い石橋の中に住んでいる、
人間の指くらいの大きさのトロルの家族の物語。
スウェーデンの童話だったとは…知らなかった。


ローラ・インガルス・ワイルダーの物語もそうだが、小学生くらいから
日常生活のこまごました描写が大好きだった。
お人形さんごっこが好きだった延長かもしれない。
お人形の服だけでなく、こまごました食器やカトラリー、
鍋なども集めたし、家具類も集めた。
(片付けなさいと何度言われても片付けなくて、怒った母は掃除機で吸い込んでしまった…)

それをお人形の家に並べるだけで楽しかった。
お人形に食器を使わせて遊ぶよりも、自分が並べている時間の方が
はるかに長かった気がする。



この物語で最初に惹かれたのは「コケモモ」。
文字通り、コケにモモみたいな実がついているのを想像していた。
実家の裏庭にはゼニゴケが生えていてたので、こういうコケに
小さなモモみたいな実がついているのだと信じていた。


検索してみたら、
>高山帯のハイマツの下などに見られる高さ10センチほどの背の低い低木
>秋には直径5-8ミリほどの真っ赤な実をつけ、完熟したその実は甘酸っぱく、
>生食やジャム、ゼリー、羊羹、果実酒、塩漬けなどにして利用されている。
という解説とともに写真があった。
今は何でも簡単に調べられるけど、童話や物語に登場するモノに対する
子供らしい「思い込み」は、すぐに「正しい知識」に置き換えなくても
いいかもしれない。
ちょっとくらいはそのままにしておいてあげてもいいかもしれない。
「このことをこんな風に信じてたんだよな」
「こういう風に思い込んでたんだよな」
というのは、当時の自分を知る大きなてがかりになる。
それに、「思い込み」と「正しい知識」のギャップが大きければ大きいほど、
正しい知識の印象が強烈に心に刻まれるから。


次に惹かれたのが床のやわらかいコケ。
>おばあさんがわかいころ、床いちめんにコケをうえたらいいというかんがえが、
>ふっとうかびました。
>おじいさんは、はじめはわらっていましたが、コケが暗い家の中でよくそだち、
>どこのうちをさがしもないような、やわらかくてあたたかいきれいな
>じゅうたんになったのを見ると、だまってしまいました。
>それでいまでは、どのトロルのうちにもみんな、コケじゅうたんを
>しくようになったのです。



実家の庭には緑色のきれいなコケも生えていた。
これが、床一面にあったらきれいだろうなと思ったし、
何よりもこの説明が好きだった。

台所のかまどは、
「ツバメから巣づくりに使うセメントを買ってきて作った」
と書いてあるが、こういう「楽しい細かさ」が好きだった。

ビールの王冠のお皿、チューブのねじぶたのお茶碗…どちらもすぐに
思い浮かぶもの。
これを使って指くらいの大きさのトロルが食事をしているんだと
想像するのが楽しかった。


「ぼうけん」に出かけるのはモッサとラーバの姉妹。
弟の「おちびちゃん」が食事中に何者かにさらわれてしまったので、
彼女たちが取り戻しに行く。

おじいちゃんもおばあちゃんも体力がないし、
おとうさんは橋番を休むわけにはいかないし、
おかあさんがいなくなったら、家の中の仕事が止まってしまうから。


彼女たちを守ってくれるのが川。
おじいさんは
「川はいつでも、かならず、めざすところへ、人を連れて行ってくれる」
と言い、おばあさんは
「困ったことにぶつかったら、どうしたらいいか、川におきき。
(中略)川はいつだって、どうしたらいちばんいいか、方法をちゃんと
知っているんだからね」
と言う。


家の近くの川はドブ川みたいで、とても賢そうには見えなかった。
スウェーデンにはきっと美しくて賢そうな川があるのだろう。



姉妹が食料の入った大きな荷物を担いで出かけるのを見て、
遊び仲間は不思議に思う。
事情を説明すると、一人が
「それはきっと、いたずらステュッペのしわざだよ」
と言う。
みんな何かしら彼に盗られていたのだ。
そこへ、いたずらステュッペが現れてうさぎのフンを撒き散らし、
「おれさまの道をウロチョロするな」
と威嚇した。
「おいで!おいで!」
と川が姉妹を呼び、木の皮を用意して、彼女たちを中州へ避難させる。
そのかわり、川は、二人を追ってきたいたずらステュッペのことは
こづきまわしたり、しずませたりした。


姉妹はどうしたら、いたずらステュッペからおちびちゃんを取り返せるか、
川に尋ねた。
川は「おまえたち、三人でなければいけないよ!」と答える。


姉妹の「ぼうけん」の助っ人はなんと「いたずらステュッペ」だった。
彼は意地悪で、汚らしくて、みんなの困ることばかりしでかす
厄介者だったけれど、それには理由があった。


彼の両親は、彼が生まれてすぐに亡くなってしまった。
モッサとラーバの姉妹が属するコミュニティのトロルは、生まれるとすぐに、
両親から両方の頬にキスしてもらうことになっている。
このキスで「心の殻」がパチンと割れて、優しくて親切な暖かい心の
持ち主になれるのだ。
しかし、ステュッペはこのキスすらしてもらえなかった。
身なりが汚くて、意地悪ばかりする彼にキスしてもらえるような機会が
訪れるはずもなく、彼の心には殻がついたままだった。




モッサとラーバが川に沿って歩いていくと、泣き声が聞こえてくる。
潅木の高いところにいたずらステュッペがぶらさがっていた。


彼は川に邪魔されて逃げられてしまったモッサとラーバを
落としてやろうと落とし穴を掘っていたのだが、
あんまり怒っていたので、周りに気を配ることを忘れてしまい、
カササギのくちばしにひっかけられるまで何も気がつかなかった。

このカササギはステュッペに卵を盗まれたことを恨んでいた。
カササギがいなくなった後は、同じく彼に卵を盗まれたことがある
アリたちが木に登ってきて彼をひどくつねった。
すっかり弱っていたステュッペをモッサとラーバは助けてやる。
持っていた貴重な食料も食べさせてあげたので、ステュッペは
生まれて初めて「お腹一杯」になる。
そんなこともあって、彼は少し優しくなり、モッサたちも
ステュッペに対し遊び友達のような感情を持ち始める。


ステュッペがおちびちゃん探しの同行を申し出ると姉妹は大喜びして、
二人いっぺんに彼に抱きついて両側からほっぺたにキスをした。
ここでステュッペの心の殻が破れ、彼も姉妹と同じ
「しんせつな、おひとよしトロル」になる。
ステュッペの顔を見てラーバは
「なんていい顔になったんでしょう!」
と言う。


ステュッペの方はモッサとラーバのことを
「心からすき」になっていたのだが、
「ひとをすきになるなんて、ぜんぜんなれていなかった」ので、
落ち着かなかった。


3人の冒険が始まる。
童話によくあるパターンと言ってしまえばそれまでだが、
自分の目的達成を急ぐか、
それとも、自分の目の前で、
今、困っている誰かを助けてあげるかの選択を迫られる。

乾ききった木イチゴ、土に埋まってしまったハリネズミ。
どちらも助けるのは容易ではなかったけれど、3人は力を合わせて
彼らを助けてあげた。


3人は橋を渡っていじわるな赤トロルが住む国へ入っていく。
橋は姉妹の住んでいる橋とは大違い。
トラクターでも通ったら崩れ落ちそう。
橋のすぐそばに汚い缶詰のカンが放置してあった。
橋番の娘としてしっかり躾けられているモッサとラーバは
それを置きっ放しにしておくことはどうしてもできず、
道の脇へ転がしていこうとする。

赤トロルに見つかる危険性を考えると、
ステュッペはそんな余計なことはしたくはなかったが、
結局、姉妹を手伝って、カンを片付ける。
カンを道の脇に立てるとき、ステュッペはちょっと小細工をした。
カンの下に棒を差し込み、棒の先端を石の上に上手に置いたのだった。

「隠れ家を作ってそこを司令部にして偵察したらいい」
と、ステュッペが提案した。
それで、彼は隠れ家作りに取りかかり、
しのび足とか長い時間動かずにいることが得意なモッサが偵察に行き、
ラーバは食料を探しに出かけた。
3人はそれぞれの分担をちゃんと果たした。

偵察に行ったモッサはおちびちゃんが「山奥のむかしのトロル宝物倉」に
閉じ込められているという情報を得る。
次の日、再びモッサが偵察に行き、トロル宝物倉を見つける。
鍵のかかったいかめしい門。
耳を押し付けると微かに泣き声が聞こえてくる。
モッサがキノコを生やしたコケになりすましたところで、
赤トロルたちが宝物倉にやってくる。
おちびちゃんにおかゆをあげようとするのだが、自分たちで
閉じ込めたくせに、鍵を開けられない。
彼らが持っている二つの鍵は明らかに宝物倉の門の鍵穴とは違っていた。
でも、彼らは懲りずに二つの鍵を交互に使ってあけようとしていた。
そのうち諦めてみんないなくなる。


モッサはステュッペとラーバを呼んできて必死に鍵を探すが見つからない。
夢中になって探しているうちに、赤トロルたちは戻ってきてしまうし、
夜も明けてしまう。
彼らは必死で隠れ家に戻った。

三人は川の助けを借りることにした。
彼らが助けを求めた時、川は三人に別々のメッセージを送った。
ラーバには「ただ信じるだけだ。信じるだけだ、それで見つかる!」
ラーバは川底に沈んでいる鍵を見つけた。

鍵は宝物倉の鉄の門の鍵穴にぴったり合って、
自然にぐるっと回り、門が開いた。
するとまたべつの門が立っていた。しかも鍵穴ひとつない。
ステュッペは川の言った言葉を思い出した。
「りこうになれ、りこうになれ。そしたらわかる!」
彼は扉の隅っこに鍵穴を見つけた。
赤トロルが置いていった鍵のうち、小さいほうを差し込むと扉は開いた。
するとまた別の扉があった。
扉には丸い穴があいていて、そこから蛇の大きな頭が出ていた。
その扉の鍵穴はなんと大きな蛇の口の中。
モッサは川のメッセージを思い出した。
「勇気をだしなさい。勇気をだしなさい。やってごらん!」
モッサは鍵を開けるのに成功する。
そしてモッサとラーバはおちびちゃんに再会して大喜び。
トロル宝物倉の中の財宝には目もくれず、迫ってくる危険も忘れて大はしゃぎ。
ステュッペだけが冷静で、姉妹に外へ出るように怒鳴ったけれど、
大喜びの二人の耳には入らない。
ついにステュッペはおちびちゃんをひったくって外へ飛び出した。


二人はやっと赤トロルが近くに来ていることに気がつき走り出した。
橋の近くまで来た時に、追っ手に追いつかれそうになったが、
ステュッペは仕掛けておいた缶からまで走り、棒を押して缶を飛ばす。
缶は先頭の一団の上にうまいぐあいにかぶさった。
中に閉じ込められた仲間を助け出そうと赤トロルがてこずっている間に、
ステュッペたちは遠くへ逃げたが、赤ちゃんを抱いたステュッペと
二人の女の子が、全力で走る大人のトロル達から逃げられるわけもなく、
だんだん距離が縮まってくる。

もう少しでつかまりそうになった時、ハリネズミが現れた。
土砂に埋まっているところを3人が助けてあげたハリネズミだ。
彼は子供たちと赤トロルの間に入ってきて、たくさんの赤トロルたちを
針でつきさした。
残りの赤トロルたちは回り道を強いられた。
それでもまた赤トロルたちは子供たちに追いついてきた。


今度は木イチゴが助けてくれた。
赤トロルを一人ずつ枝に縛りこんでくれたのだった。

子供たちは無事にモッサとラーバの住む石橋の近くまで戻ってきた。
ステュッペは「さよなら!」と言って、石橋まで来ようとはしなかった。
モッサとラーバは彼の助けなしにはおちびちゃんを取り戻せなかったことは
よくわかっていたし、両親からも彼にお礼を言って欲しかった。
どうしても来ようとしないステュッペに「エプロンが落ちそう」と
嘘をついて、おちびちゃんを渡し、橋の方へ全力で歩き出す。
ステュッペは後を追いかけるが、モッサは受け取ろうとしない。
ステュッペが怒って「受け取らないと川へなげこむぞ」と言ったので、
おちびちゃんも怒り出し、ものすごい声で泣き出したので、大騒ぎになった。


みんなが出てきて、子供たちを迎えた。
ステュッペはそれでも帰ろうとしたけれど、
おじいさんが彼にもたれかかるので、みんなについていくしかなかった。
おばあさんがおいしいごちそうを作ってくれた。
そして、ステュッペにも一生懸命に「さあ、おたべ!」と勧めてくれたので、
ステュッペはお腹がはれつするくらい食べた。


食事が終わると、おじいさんが、モッサに
「さあ、お話してごらん。モッサちゃんや、おまえはりこうなむすめだよ。」
と言ったので、モッサは話を始めた。
橋の欄干に村のみんながならんで彼女の話に聞き入った。
話が終わる頃、空が明るくなり始め、家に帰る時間になった。
ステュッペもごちそうのお礼とさようならを言って立ち去ろうとした。
するとおじいさんが
「なにをいうんだ! おまえは、うちの家族のひとりだよ。
 おまえが、うちのちびをつれもどしてくれたからには、おまえは
 見張り番の手伝いができるだろ。ぶっそうな時代がきそうだし、
 このうえ、また人さらいの話がもちあがらないようにしたいのだ。
 どうだ、ねがったり、かなったりの話じゃないか。」
と声をかける。


モッサとラーバは大喜びするが、
ステュッペは真っ赤になって間が悪そうにしていた。
そして、彼の新しい家族はステュッペのことを
「いたずらステュッペ」ではなく、「つよいステュッペ」と呼ぶことに決めた。




「つよいステュッペ。」
すこしたってから、小声でいって、川を見下ろしました。
「橋にすむ、つよいステュッペか。」
川は、ステュッペにささやきました。
「つよいステュッペ、橋番のつよいステュッペさんや。」
                         (おわり)



ところどころに楽しい挿絵があるものの、200ページ近い、ほとんどが字の本。
ハードカバーで厚みもある。


読みきったとき、「字がたくさんの厚い本を読めた」と、とても嬉しかったし、
お話自体、とても面白いので、何度も繰り返し読んだ。
いたずらステュッペが親切なステュッペに変わる場面も好きだったし、
いつも助けてくれる川の描写も好きだった。
おちびちゃんを連れて赤トロルから逃げる部分は特に好きだった。


今回は「あとがき」まで読んだ。(今まで一度も読んでなかった)
著者のガンヒルト=セーリンは小さい頃から森や原っぱを散歩するのが大好きで、
小学校の先生になってからも学校のこどもたちをつれて、
自然の景色が美しい場所をよく歩きまわっていた。
こどもたちにお話をつくりながら話してあげるのも好きだった。


「きょうだいトロルのぼうけん」は彼女が毎日通っていた自宅近くの
古い橋をヒントにして書かれたそうだ。
小さな写真に写っている石橋は、本当に小さいトロルが住んでいそうな感じがする。


実際には目に見えない存在を創造 / 想像する力はどこからくるのだろう?
確かに美しい自然や歴史を感じさせる建物には何か不思議なものが
隠れていそうな感じがするが、ごくごく身近な世界にも、小さい頃には
「なんか違う感覚」があった。

庭にいくつもあいていた丸い小さな穴とか、
(アレはなんだったんだろう、ヘンな虫が時々顔を出していたが)
天井の木目、柱のコブも何か不思議なモノに通じる感じがしていた。


この感じは熱を出すと増幅されて、恐怖に近い感情になった。
(熱を出すとよく泣いたのはたぶん、そのせいだったのだろう)
隙間風の音も、土砂降りの雨の音も、音というより「声」のように感じていた。
雷がこわかったのは、あの大きな音がものすごいエネルギーの
怒鳴り声として感じたからだろう。


昔、父親が枯葉を集めて庭で燃やしていたが、その白い煙を眺めていると
踊らずにはいられなかった。


立ち上る煙に誘われている感じがしたのだろうか?
子供たち全員そろって煙の周りで自作の歌を歌いながら踊っていた。
母はその様子をよく覚えているという。


こどもはみんな想像する力(自分が理解できるレベルに変換した思い込み?)を
持っていて、それをある程度成長してから「イメージする力」とか
「想像力」として自己認識しているのだろうか?


小さい頃は、ぬいぐるみでも人形でも、顔のない一般的なモノであっても、
感覚と感情を持っている気がしてならなかった。
たぶん、そういう風に考えることが、自分と自分が所有しているモノとの
関係を考える上で都合がよかったのだろう。


本気でおばけを怖がったり、影をなくすお語を聞いて、自分の影に不安を
感じたりしていて、自分の想像と現実の境界がひどく曖昧だったような気がする。


息子が楽しそうにしている時は、本当に「この世の春」という感じで、
悲しくなるときは本当に「この世の終わり」という感じになる。
自分と世界の境界が曖昧だから、「自分が笑えば世界も笑う」になるのだろう。
著者のガンヒルト=セーリンは理性的な大人の世界と、
自分と世界が融合しているこどもの世界の両方を
しっかり持っていたに違いない。
彼女のようにこどもが夢中になるお話を書ける人は
自分の中のこどもの部分をずっと失わずにいられたのだろう。


息子のつたない言葉からは、「彼の世界」の様子は
断片的にしかわからないけれど、
もう少し話してくれるようになったら、彼の認識している世界の様子は
もっとわかるようになるだろう。
話を聞くのが楽しみだ。



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