プロフィール

今村ちほこプロフィール  
文章を書くことに強い興味を持つようになったのは、小学5年生の時、社会科見学で行った「ブリジストンサイクル」の作文がきっかけです。
担任の先生からとても褒められたことから、書くことが大好きになりました。
 
自転車の製造工程がとても面白くて、自分が見た通りを書きました。耐久テストだったのでしょうか、サドルに振動を与える試験については特に興味深かったので、自分の感想を交えながら詳細に書いたのです。
 
小学生の社会科見学の作文というのは、たいてい「○○が面白かったです」「△△は、すごいなぁと思いました」と一文で済ませることが多いのですが、自分が見たものをできるだけ詳細に表現し、さらにそれに対して、自分はこう思うと書いたのが、先生の目にはとても新鮮に映ったのかもしれません。
 
「自分が書いた文章に感動してくれる人がいる」というのは、当時の私にとっては非常に大きな喜びでした。もっと文章を書きたくて、文通を始めました。小学校5年から大学2年まで、だいたい週に1通のペースで手紙を書き続けました。
 
文通を始めたばかりの頃、もらった手紙は状差しに入れていました。しかし、すぐいっぱいになったので、クッキーの詰め合わせが入っていた大きめの箱に入れました。でも、それもまたすぐにいっぱいになってしまいました。
そこで、みかんのダンボールに移しましたが、それが2箱になった時、さすがに全部取っておくのは無理だと悟りました。返事が来ると出すというパターンだったので、相手も同じくらいの量の手紙を受け取っていたはずですが、どうやって取っておいたのでしょうね。
 
大学に入って親元を離れる時に、残っていた手紙は、新しいのを何通か残して処分しました。
アパート暮らしの間にも手紙は増え続け、またみかん箱いっぱいになりましたが、文通を終わりにした時、すべて処分してしまいました。


この写真は夫がなぜかしぶとく保存していた、私からの手紙です。携帯電話もメールもない時代でしたので、話したいことは、みんな手紙に書いていました。電話で話すこともありましたが、長電話をすれば親に怒られますし、部屋に電話機を持ち込むこともできなかったので、手紙が一番でした。長年の文通のおかげで、手紙を書くことは、面倒に感じるどころか、大きな喜びでした。
もっとも、受け取る方にしてみれば「これだけ手紙が来たら、返事を書かなきゃいけないのかな?」というプレッシャーが、多少はあったかもしれませんね(苦笑)
この手紙の束は押入れの奥に入れてあり、読み返すことなどまずないから、本当は捨てて欲しいのですが、「記念に取っておきたいからダメ」とのこと。記念なのか、老後のネタにしたいのかよくわかりませんが・・・
 
こんな感じで、本当にたくさんの文章を書いてきました。手紙だけでもかなりの量だと思います。いくらでも書けたのは、ただただ文章を書くのが楽しかったからだと思います。
 
中学、高校時代には、当時流行していた、不思議な世界の物語を大学ノートに書いていました。伏線を張りすぎたり、大風呂敷を広げすぎたりして、収拾がつかなくなることも度々ありました。(*´▽`*)。
そして、大学に入ると、文章を好きなだけ書けて、それを読んでもらえる文芸部に入部し、3年の後半から部長になりました。
 
このように私の人生のかなりの時間は、文章をノートに書いたり、パソコンに打ち込んだりすることに費やされたと思います。でも、それはとても楽しい時間でした。
  
「Dream Writer」という名前は、心の奥底や頭の中に眠っている「夢」を引き出して、文章という目に見える形にしていきたい・・・こんな想いから考えました。
 
いろいろなカタチの夢を、コトバにして行きたいと思います。
 
 
 
 
ISIS編集学校 22守 卒門(活元帯電教室)
ISIS編集学校 22破 突破(まれびとフラクタル教室)
 
Anela Helianthus公認  エンジェルカードプラクティショナー
http://www.m2-dream.net/?p=1375
 
 
 
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