ちいさいおうち


ばーじにあ・りー・ばーとん,いしい ももこ


(2006.01.09作成)



正月に実家に帰ったときに持って帰ってきた。
この本もそうだったけど、記憶の中の本と実物との
ギャップに驚く。


あざやかなエメラルドグリーンだった表紙は
退色しているし、ところどころ茶色いシミがある。
小口もベージュに変色している。


昭和29年4月15日第1刷発行
昭和44年10月10日第14刷発行
定価 \180
最初の出版からもう50年以上経っている。



大好きで何度も読んだ。
覚えていないけれど、きっと何度も何度も
読んでもらったのだろう。



ちいさいおうちの絵が好きで、家の絵を描く時は必ず、
玄関のドアを正面にして、その両側に窓をつけて、
ちいさいおうちのような「顔」になるようにしていた。
ちいさいおうちが「家」の標準フォーマット
みたいなものだった。


大学の講義で「児童青少年資料」というのがあり、
この授業の中で「優れた図書」として教室の中で
回覧された、何十冊かの絵本の中に
「ちいさいおうち」もあった。
(ただし英語版)



「優れた図書」の中に私の知っている絵本が何冊もあったので、
(ちいさなおうち以外に何があったのかは忘れてしまったが)
母親に
「どうやって絵本を選んだの?」
と聞いたことがある。


彼女の答えは
「お母さんが読んでみて面白かったから」
だった。


だから、何か流行りモノっぽいカラフルな絵本は
家にはなかった。
どちらかというと落ち着いた雰囲気の絵本が多かった。



ちいさいおうち。
実家から持ってきて自分で読み返す前に
息子が見つけて、「ヨンデー」と持ってきた。
読み始めて「こんなにたくさん文字があったんだっけ?」と驚いた。
息子が飽きて、別の本を持ってくるかと思ったが、
熱心にページを見て、お話に聞き入っていた。



このお話の挿絵は定点観測のようだ。
小さな丘の上に建っているちいさいおうち。
朝と夜、春、夏、秋、冬…
時間と季節の変化。
それに合わせてちいさいおうちのまわりの景色も変わる。



しかし、時間の流れとともに、時代は移り、
ちいさいおうちのまわりはどんどん変化していく。


車の往来が始まり、大きな工作機械がやってきて
広い道路を作り始めた。


交通量はどんどん増えていき、
ちいさいおうちのまわりにも沢山の家が建ち始めた。
学校やアパートなども作られ、
ちいさいおうちのまわりを
4階建てくらい建物が
ぐるっと囲むようになってしまった。



そして、ちいさいおうちに住む人もいなくなってしまった。



夜になっても街灯が輝き、静けさは消えてしまった。
ちいさいおうちの前を電車が通るようになった。


「だれも かれも とても いそがしそうに、
 おおいそぎで あるいて いました」



次に高架線がちいさいおうちの上を通るようになる。
季節感は全くなくなってしまい、
一年中がいつも同じようになってしまう。



その次にちいさいおうちの下には地下鉄が開通する。
地面が震えるようになる。


「ひとびとは まえよりも 
 もっといそがしそうに いったり きたりして、
 とんで あるくように なりました」


ちいさいおうちの両隣には高層ビルが建つ。
こうなってしまうと、ちいさいおうちが
お日さまを見られるのはお昼だけ。



夜はネオンサインが煌々としていて、
お月さまもお星さまも見えない。



だれもちいさいおうちに気にかけなくなり、
ちいさいおうちの外観はみすぼらしくなってしまう。



ある日、ちいさいおうちを建てた人の
子孫にあたる女性がこの家に目を止める。


彼女はちいさいおうちを移転させることにした。
ちいさいおうちは、また昔のような
りんごの木のある丘にすわることになる。



ペンキが塗り替えられ、窓も修理され、
またちいさいおうちに人が住み始める。



ちいさいおうちは、
お日さまやお月さま、お星さまが見える生活、
四季の移り変わりがはっきりわかる環境に
戻れたことを喜ぶ。



>ちいさい おうちは
>もう 二どと
>まちへ いきたいとは おもいませんでした。
>ちいさい おうちの うえで
>ほしが きらきら またたきます。
>みかづきも でました。
>いまは はるです…
>いなかは たいへん しずかでした…


こんな文章でお話は終わる。
長い長い時間の流れの中の出来事。


ちいさいおうちのまわりの環境は、
まるで別の国になってしまったかのように
大きく変化する。


ちいさいおうちが建っていた田舎は、
道路ができ、鉄道が開通し、
車と人が押し寄せ、
高層建築が立ち並び、全く違う場所になる。



ちいさいおうちは
ビルや電車や人の中に埋没してしまう。



ちいさいおうちがビルの谷間に取り残され
高架線の下で縮こまっているような挿絵を見て、
息子は真剣な顔で
「ちいさいおうちは?」
と聞いてきた。
「ここだよ」
と、教えると
「ちいさいおうち、あったー よかったー」
と安心していた。



彼は「同じ場所の大きな変化」として
捉えているのだろうか?


お話を真剣に聞いているけれど、
どれだけわかっているんだろう?


通行人の描写として二つの文章がある。
「だれも かれも とても いそがしそうに、
おおいそぎで あるいて いました」

「ひとびとは まえよりも 
もっといそがしそうに いったり きたりして、
とんで あるくように なりました」


これは、ラッシュアワーの人々の様子と一致する。
自分もそうだけど、一体、何にせかされているんだろう?
時間?
仕事?
とんで歩かなければならないほど、
急ぐような大事なことって??


このお話はちいさいおうちが見ていた時代の変化や
環境の変化のことが書かれているけれど、
今回読み返してみて、
「子供から大人への変化」とも考えられるなと感じた。


のんびりした時間が流れる「いなか」は子供時代。
せかせかした時間がながれる「まち」は大人の時代。


溢れるくらいたくさんある情報。
複雑な人間関係。
沢山ありすぎるモノ。
便利だけど使い切れない電子機器。
とぶように流れる時間。
気をつけないと、どんどん夜型へ
シフトしていく生活…



子供の頃、長かった一日は
一瞬で終わり、
あれほど感じられた自然の変化や
季節の移ろいも、
特別な行事でもない限り
全く感じられない。



今の生活の中では、
保育園のお迎えがなければ、
月を見上げることも
金星を見つけることも
なかっただろう。



今年の長い休みには、
「しろい ひなぎくや りんごの 木が、
 お月さまの ひかりの なかで 
おどって いました」
という風景が見られる場所に行きたい。



ちいさいおうちが、田舎の生活に戻れたように、
大人になってからだって
季節や時間の流れをしっかり感じられる、
ゆったりした生活に戻れるはず。



一体、何に追い立てられているのか、
「忙しい」と感じるのはどうしてなのか、
じっくり考えてみたい。



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