だるまちゃんとうさぎちゃん

加古 里子 さく/え

(2005.11.19作成)


加古里子(かこさとし)氏の絵本第二弾。
この絵本も本当に大好きだった。



雪がたくさん降って、だるまちゃんとだるまこちゃんは大喜び。


そう、小さいときは雪が降るとすごく嬉しかった。
今でも、「しなければならないこと」「日常生活への影響」を考えなければ、
雪が降ると嬉しい。
朝起きて、カーテンが閉まっていて外が見えなくても、
雪の気配というか匂いを感じる。


カーテンを開けるとやっぱり雪が降っていて、世界は真っ白になっている。
ごちゃごちゃしたものが白い雪ですっかり覆われてしまうと、
別の国の風景みたいだ。
「今日は一日おうちにこもっていよう」
「ちょっと陽が出てきたら、雪を触りに行ってもいいな…」
と思えれば最高なのだが、
「ああああ…どうやって会社に行こう…長靴履いて行かないと
 靴がヘタルか自分がシモヤケになりそうだ。
 でも長靴だったら何を着る???服がないよーーーー」
というのがここ数年のパターン。


姪が少しずつおしゃべりを始めた頃。
雪が降った翌日、彼女を抱っこして車の上に積もった雪を触りに行った。
「ほら、雪だよ」
「ドコカラ・キタ?」
空から…と言いかけて、もっと違う答えの方がいいなぁと思った。
彼女にしてみれば、とても不思議なモノなのだ。
辺り一面を覆いつくしていて、真っ白で冷たくて。
降り積もったものじゃなくて、このままの状態で、どこか遠くから、
モコモコしながらやってきたモノだと思ってるんじゃないのかなぁと感じた。


雪との出会いの記憶はないけれど、雪の結晶の写真を初めてみた時は感動した。
一緒に感動した友達と、結晶を見ようと頑張った。

黒い手袋の上に雪を落として、虫眼鏡で覗いて見たけれど、
そんな倍率では結晶が見えるはずもなく、
水分を多く含んだべたべたした雪だったせいもあって、
手袋の上ですぐに丸い水滴になってしまい、がっかりしたのを覚えている。
あれは何歳くらいだったんだろう???



だるまちゃんとだるまこちゃんは大きな雪だるまをつくり、
目のところにリンゴをつけようとする。
リンゴが目になるくらいだから、相当大きな雪だるまだ。
だるまちゃんの手からリンゴが滑り落ち、坂を転げて、
雪だるまになって下の方へ落ちていってしまう。


雪の斜面で遊んでいたうさぎちゃんに当たってリンゴは止まるのだが…
うさぎちゃん、相当痛かったはずだ。
だるまちゃんが
「どうもありがとう、このりんごがなくなったら たんげさぜんの 
 ゆきだるまに なっちゃうところだった」
とお礼を言う。
「たんげさぜんって なあに?」と聞くうさぎちゃんに
「たんげさぜんは かため かたうでの つよい おさむらいの なまえだよ」
とだるまちゃんは答えるのだが、「たんげさぜん」という奇妙な名前だけが
印象に残っていた。


後に何かで丹下作善という名前を知った時に、すぐにこの絵本のことを思い出した。
「だるまちゃん、物知り!!」と感心してしまった。
しかし、
「どうして りんごがなくなると ゆきだるまがたんげさぜんになっちゃうの?」
という、うさぎちゃんの質問に答えられなかっただるまちゃんは、
うさぎちゃんとうさぎこちゃんを坂の上に誘い、
ゆきだるまを見せ、たんげさぜんのマネをする。

だるまちゃんは雪だるまにスキーの板を立てて
「うさぎのゆきだるま」に変身させ、
うさぎちゃんたちを喜ばせる。


だるまこちゃんはおぼんに小さな雪の山をつくり、
南天の実と葉っぱでかわいいゆきうさぎちゃんを作った。
このゆきうさぎちゃんがとっても可愛くて、大好きだった。


家の庭に南天の木があったから、雪が降ると必ず作っていた。
母親に「ゆきうさぎちゃんを作るからお盆貸して」と頼みに行くと、
必ず「荒川法人会」とかかれた銀色のお盆を出してきた。
何かの記念品だったのだろう。


今でもこのお盆の柄ははっきり思い出せる。
先日、母にゆきうさぎちゃんのお盆の話をしたら、
「あれねー、さすがに処分したわよ。何十年使ったかしら。」
と言っていた。



だるまちゃんは手袋で作った「うさぎにんぎょう」で
うさぎ踊りをやってみせ、うさぎちゃんたちを喜ばせる。
この手袋のうさぎにんぎょうもよく作って遊んだ。
3人姉妹で作って遊んだのだが、妹が作るうさぎの顔はいつもなんだか
妙に大きかった。



だるまちゃんのお母さんが「さあ おやつの じかんですよ」と呼びに来る。
このおやつの場面も大好きだった。
かみなりちゃんちの食事の場面ほどの豪華さはないけれど、
これが日常の「おやつ」だとしたら、やっぱり超豪華。
体重が心配になるくらいの豪華さだ。

立派な丸いケーキ(この絵で「ケーキサーバー」の存在を知ったのかもしれない)、
おせんべい、厚みのあるすごくおいしそうなクッキー、いろいろな種類の
キャンディ、キャラメル、チョコレート、お団子まである。
だるまちゃんがナプキンをうさぎのカタチにおってあげる。


これもやりたくて仕方なかったけれど、「ナプキン」なんてものは家にはなかった。
ちり紙(ティッシュではなくて厚手の「ちりがみ」)で折ったけれど、
ごわごわしてるし、だるまちゃんちのナプキンみたいにフチに青いフリフリが
ついているわけでもなく、出来上がりは全然可愛くなくてがっかりした。
サインペンでうさぎの目を書いたら、ものすごく滲んじゃったし…


だるまちゃんのおかあさんはリンゴを持ってきて、うさぎのカタチにきったり、
だるまのカタチにきったりしてみんなを喜ばせてくれる。


母はうさぎリンゴは作ってくれたけど、
だるまリンゴは作ってくれなかった。

一つのだるまを作るのに、リンゴを半分使うせいだったのかな?
娘3人にだるまリンゴを要求されたら一度のおやつでリンゴが
1.5個なくなってしまう。
しかも、半分を全部食べきれるわけでもないんだし。
今考えると母の気持ちはよくわかる。
でもその時はだるまリンゴが食べたくて仕方なかった。

おやつが済んだ後で、だるまちゃんはスプーンとフォーク、ナイフ、
ティーカップ、ソーサーを使ってうさぎの形を作る。
これもすっごくやりたかったのにやらせてもらえなかった。
まぁ、陶磁器を幼稚園児に触らせたくない気持ちは今ならわかる。
ティーカップとソーサーのセットだったら尚更だ。


今みたいに100円で買えるような安物が出回っていたわけでもないだろうし、
遊び道具にできるようなモノではなかったのだろう。


不思議なもので、
「どうしてダメなの?」
という当時の気持ちはしっかり残っているのに、
「食器をオモチャにさせたくない。
 まだ陶磁器を割らずに扱える年齢じゃない」
と感じている自分もいる。


最後にだるまちゃんとだるまこちゃんは
お土産に新聞紙でうさぎのぼうしを作ってあげる。
これは父に折ってもらった。
できあがった帽子に父が茶色いクレヨンで目と鼻を書き入れているのを
じーーーっと見つめていたのを思い出した。
出来上がった帽子をかぶせてもらって、とても嬉しかった。


考えてみると、小さい子って親にすごいことを要求しているわけじゃない。
絵本と同じことをやりたがった時に、
その希望を叶えてもらっただけで、
ものすごく嬉しいし、大喜びするんだよな。
(逆にダメって言われた時は四半世紀以上経っても覚えていたりするのだが…)


それにしてもこの絵本は
「同じことをやりたい!!」って思わせることが
たくさん書いてある。

読み返してみて、絵本と同じように自分でもできたこと、
親にやってもらえたこと、
うまくできなかったこと、
やらせてもらえなかったことなどを
ずいぶんと鮮明に思い出した。
がっかりした記憶も今ではいい思い出。


この絵本、息子にせがまれて何度か読んであげた。
現時点では絵を見ているだけで満足しているようだが、
この絵本を2年後くらいに読んだら、
だるまちゃんたちと同じことをやりたがるかな?
私は、母と同じ理由で「だるまリンゴ」と
「ティーカップを使ったうさぎの形作り」
は拒絶するのかな??



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