とき
谷川俊太郎 ぶん / 太田大八 え
月間予約・科学絵本「かがくのとも」通巻51号


(2006.04.05作成)




非常に印象が強かった本。
谷川俊太郎さんの文章だったのか。
やっぱり彼の文章は凄い。


先日、実家に集まったときに
この本のことが話題になった。
姉も妹もこの絵本のことははっきり覚えていた。


短い文章も、版画のような絵も、
「とき」について考えたことも、
とてもよく覚えている。


Amazonで探してみたが出てこなかった。
小さい子が「とき」についての<感じ>を
つかむのにとてもいい本だと思うのだが。


30年くらい前の本なので、今にあてはめると、
文中の「おとうさん・おかあさん」は
「おじいさん・おばあさん」になるだろう。
「わたし」は「おかあさん」になるだろう。



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「いつ?」
という問いかけと、
一つの星が生まれようとしている絵。


「おおむかしの そのまた おおむかし」
恐竜が歩き回っている。


「おおむかしの もっと むかし」
原始人が鹿を捕まえている。


「おおむかし」
弥生時代だろうか?
家があり、道具を使っている人がいる。


「むかし むかし そのむかしの 
 そのまた むかし」
貴族の屋敷とその前を通っていく牛車。


「むかし むかし そのむかし」
にぎやかな町の様子。


「むかし むかし」
江戸時代?
交通の要所なのだろうか、人が大勢いる
川岸の様子。


「むかし」
明治時代。
洋風の建物と和風の建物。
洋装の女性と和装の女性。


「おとうさんがこどものころ」
サーチライトに照らされる敵機。
燃えあがる炎。
逃げる人々。


「おとうさんと おかあさんの けっこんしき」
金屏風の前に並んでいる
燕尾服のおとうさんと打掛のおかあさん。


「わたしの うまれるまえ」
家を建てている様子。


「わたしが うまれた!」
おとうさんが庭で赤ちゃんを抱っこしている。
それをおかあさんとおばあちゃんが見ている。
おかあさんは家の中から。
おばあちゃんはテラスのイスから。


「おととしおばあちゃんがなくなった」
家の中から「わたし」が、
おばあちゃんが座っていたテラスのイスを
眺めている。


「3つきまえ おとうとが うまれた」
おとうさんが帰宅したところ。
おかあさんは授乳中。
「わたし」はそれを見ている。


「きのう」
黄色い傘をさし、黄色い長靴を履いた「わたし」が
家の前の道の水たまりに映る自分を見ている。
おかあさんはおとうとをだっこしてそれを見ている。


「けさ」
出勤するおとうさんを「わたし」とおかあさんが
見送っている。


「6じかんまえ」
郵便やさんがきたところ。


「さっき」
おかあさんが買い物からかえってきたところ。
「わたし」とおとうとはお留守番。


「1びょうまえ」
「わたし」はスプーンでスープをすくったところ。
おとうさんは湯呑みに手をかけたところ。
おかあさんは自分の湯呑みに
お茶を淹れているところ。


「いま」
「わたし」はスプーンを口に入れたところ。
おとうさんは湯呑みに持ち上げたところ。
おかあさんは傾けた急須を戻したところ。


「ねむっているあいだにも ときは すぎてゆく」


「ときは けっして あともどりしない」
「だれも ときを とめることは できない」


見開きの黒いページに白い文字。
ページの左下にベッドで眠っている女の子の絵。
右上にお月様(三日月)が自転車をこいで走っていく絵。



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「1びょうまえ」
「いま」
の部分と、一番最後のページの
「だれも ときを とめることは できない」
が強烈に焼きついている。


遠い遠い昔から、どんどん「いま」に近づいてくる。


「いま」のページを通り過ぎると

「ねむっているあいだにも ときは すぎてゆく」
「ときは けっして あともどりしない」
「だれも ときを とめることは できない」


という文章がでてくる。


不思議で、すこし怖い感じがした。


いまが、
一秒前になって、
さっきになって、
6じかんまえになって
きのうになる。


今がどんどん「むかし」になるという事実が、
すごくヘンな感じに思えたのが懐かしい。


今回読み返してみて、なんだか感動してしまった。


そして、
「人生は瞬間の積み重ね」
という、どこかで読んだ言葉の重みをしみじみ感じた。




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