2012年 1月 22日
カフェと図書館

2012年1月21日。
とってもとっても寒かったが、お気に入りのカフェへ。
今年初の訪問。
2012年第一回目の滋味ランチ。

おいしいなぁ。

食後にはフェアトレードコーヒー。

息子は滋味ランチの美味しさがわからないので、
家で昼ご飯を食べさせ、
ここではデザートとしてチーズケーキ。
(このお店のチーズケーキは大好物らしい)
その後、ネロくんと遊んでいた。



寒い中、外出したそもそもの理由は図書館での調べ物。
(とっても寒いので滋味ランチという「オマケ」を付けないと
外に出る気になれなかった・・・)
息子は児童書のコーナーに座らせておけば
読みたい本を持ってきて勝手に読んでいてくれる。
彼にとっても図書館はパラダイス。
マンガに餓えているので、「マンガも載っている本」を
見つけるのが得意のようだ。
(社会や理科など、文章とマンガと両方で説明している本)
息子が「読書」している間、
私は今やっている講座の課題に使うために、
素敵な歌や句を釣り上げなければならない・・・
詩歌のコーナーへ行ったが、うーむ・・・
こんなにたくさんあるのかぁ・・・
詩句採集用のノートを作り、
目と手を使って書き写す作業をすると
詩句力アップに大きな効果があるとのことなので、
ヤル気はあるのだが、ずらりと並んだ本を前にすると、
どの本を手に取っていいのやら・・・・
寺田寅彦氏に興味を持ち始めたので、
まずは岩波少年文庫の
「科学と科学者のはなし 寺田寅彦エッセイ集」
を読んでみたのが、これがなかなか面白く、
この中に夏目漱石の句がいくつか載っていた。
今の時期では全然実感がないけれど、
水盤に雲呼ぶ石の影涼し
というのがいいなぁと思ったので、
『夏目漱石句集』から見てみることにした。
廻廊の柱の影や海の月
いいなぁ、コレと思って書き写したのだが、
どうしてこの寒い中、夏っぽい句に惹かれるのか??
寒いから「暑さ」を求めているのかなぁ???
漱石句集からいくつかノートに書き写し、再び書架へ。
「ジャケ買い」という言葉があるが、それと同じで、
見た目だけで句集を選び、
閲覧コーナーへ持ってきてパラパラめくった。
句集の場合、1ページに二つか三つ、多くて四つなので、
パラパラめくるような感じでも、
とりあえずは目を通すことができる。
豊かな感性の持ち主なら、
文字だけ追って素通りするようなことはしないで、
一つの句に重厚な曼荼羅を見たり
壮大な宇宙を感じたりするんだろうなぁ・・・
「二十世紀名句手帖5 星と月のシンフォニー」を
パラパラめくっていたら、手と目が止まった。
銀河より降りくるものを待ちゐたり (嶋田麻紀)
なんだかシーンとしてしまった・・・
図書館だから、もともと静かなんだけど
「なんかいいものないかなぁ」
と跳ねまわっていた心が、ピタッと止まって静かになった感じ。
一体何が降りてくるんだろう??
でも「何かが降りてきそうな感じ」は、すごくわかる気がする。
17文字だけで表現されている世界。
作者のイメージとはかけ離れたものかもしれないけれど、
イメージがどんどん膨らんで(暴走?)
しばし幻想の世界へ・・・
俳句ってすごいなあ・・・

今、実家から「私の俳句修行」を借りてきている。
(アビゲール・フリードマン著)
この本のカバーの見返しに書かれた紹介文によると・・・
> 在日時にふとしたきっかけで俳句の面白さに目覚めた米国の外交官が
> 激務の間の体験を振り返りながらまとめ上げたユニークな俳句エッセイ。
著者はスーパーウーマンなんだけど、
この本の最初の「日本の読者のみなさんへ」には、
とても優しくて素敵な文章があった。
> 子どもは未知なるものに思いをはせ、
> その意味をつかまえようとし、
> 物語をつくりあげては想像力をひろげてゆきます。
> 私にとって未来は神秘的で、考えるだけで胸がときめきました。
> しかし年齢を重ねるにつれ未来を想像することは減り、
> やがて仕事や家族、現在を忙しく生きる日がつづきました。
> そんなある日、私はひょんなことから俳句に出会いました。
> 本文に書いたように、はじめは、ただの趣味だと思っていました。
> でも自分で俳句をつくり、
> 黒田杏子から俳句へのとりくみ方を学ぶうちに、
> 何か「特別のもの」を発見しました。
> 今おこっている出来事や、
> その日、私が心動かされたものや状況について俳句をつくる。
> そんなとき私は、子どものころ未来について夢見たのと
> 同じ畏れと神秘さを味わったのです!
> 年越しそばについての句をつくっているとき、
> 「生きている」すばらしさを実感しました。
現在受講中の講座の課題でヒーヒー言っている時は、
畏敬の念や神秘的なものは、
どっかへすっ飛んでしまっていることが多いけれど、
仲間が作ったすばらしい句が披露されると、
日々のべったりざわざわした現実の中にも、
こういう爽やかなもの・透き通った美しいものが
内包されてるんだなぁと思う。
師匠によると、俳句や短歌のような定型詩は
タイムカプセルのようなもので、
その時代の香りをそのまま閉じ込めているから
それを開けば、今の時代の香りと合わせることができるそうだ。
このタイムカプセルの話を伺って
ひょっこり思い出したのが
「本の遠近法」(高階秀爾著)に載っていたエピソード。
著者は、ある会合でドナルド・キーン氏が語った言葉に
強い印象を受けたという。
> その時、キーン氏が語ったのは、古事記や日本書紀など、
> 日本の古い文献に述べられているさまざまの出来事が
> 果たして実際にあったことかどうか、大いに議論の余地はあるが、
> しかしそこに記された歌だけは絶対に疑うことができないという
> 主旨のものであった。
本当にタイムカプセルのように、
「その歌を詠んだ時」「詠んだ人の思い」が
閉じ込められているのかなと思った。
だとしたら、やっぱり疑うことはできないだろう。

「二十世紀名句手帖5 星と月のシンフォニー」は、
図書館から借りてきたのだが、ひょいと開いたら、
すごい言葉に出会った。
この本には4人の方が書いた「俳句随想」というコーナーが
句のページの間に挟まっているのだが、
三善晃氏(作曲家)のタイトルに釘づけになった。
《一切の時空が十七文字に》
あるいは《時空一切を孕む窖(あな)》
俳句の17文字はそういうものなのか。
しかし、私にとって五七五の17文字では短すぎ、
七七を足した31文字では長すぎるのであった・・・


























































































































