2021年 2月 21日

强词夺理

カテゴリー: 子どものこと

2月4日から息子はずっと家にいる。
高校入試のため、学校は登校禁止になっているからだ。
18日から期末テストだというのに、毎日パソコンでゲームをやっている。
ずっと遊んでいるので「勉強しなくていいの?」と言うと、
息子はすごく怒る。

「パソコンを使っているのは、検索しようと思ったからで、
 ゲームをしようと思ったからじゃない」

「スマホを見てるのは、試験範囲を確認しようと思ったからで、
 動画を見ようとしたわけじゃない」

2月17日は早起きして、美術の作品作りと宿題をやっていた。
「やることがそんなにたくさんあるのに、なんで早くやらないの?」
と彼に言ったら、
「さぼっていたわけじゃない、計画通りに行動しているだけ」
という返事。
本当に屁理屈ばっかり!


从二月四号起,我儿子一直在家里。
因为入学考试,学校不让去学校。
从二月十八号起到二十二号,有期末考试。
他每天一直玩儿网络游戏。
我问他”为什么你不学习?”
他非常生气地说:
”我使用电脑不是因为想玩游戏,是因为想检索”
”我使用手机不是因为想看Youtube,是因为想确认考试范围”

二月十七号,他起得很早,开始做艺术课的作品和其它的作业。
我对他说”要做的事情那么多,为什么不早点着手?”
他非常生气地说”我不是想偷懒,是想按计划行动”
他真是一个劲地强词夺理!

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2021年 2月 14日

撒娇

カテゴリー: 生活一般



子どもの頃から甘えるのが下手でずいぶん損してきたと思う。
男性に何かを頼むのがとても苦手だ。
男性は女性に頼られたいと思ってるとかいう人がいるが、
それは人によって違うと思う。
男性に頼るくらいなら自分でやる。
女性が甘い言葉でお願いすると、男性は喜ぶとかいう人もいる。
甘えるって私には絶対無理。
夫からは「言い方。それはお願いじゃなくて命令」と言われる。
それは正しい。
夫に対しては常々「自分のモノ、片づけて」
「お風呂掃除して」と言っているから。
でも「宝石買って、ブランドバッグ買って」などと
言ったことは一度もない。
彼に頼むくらいなら自分で買う。
と言っても、今のところ、着飾ってお出かけする機会なんてないけど。


我从小孩子的时候起就不擅长撒娇,觉得很吃亏。
我不喜欢请男性帮忙。
有人说男性想被女性依靠,可是我想那是因人而异的。
与其依靠男性,不如自己干。
有人说女性撒娇地拜托的话,男性会很高兴。
我怎么也不会撒娇。
我老公说‟你的口气不是拜托而是命令”
他说得对。
我常常对他说‟把你的东西收拾了”,‟把浴室打扫了”
但是我对他没说过‟给我买个珠宝首饰、品牌包吧。”
与其求他,不如自己买。
虽然现在没有机会穿上盛装打扮出门。

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2020年 11月 15日

匂いの記憶

カテゴリー: 生活一般



匂いの記憶というのは、長期間残るものらしい。
言語化されないので、意識することはほとんどないが、
同じ香りに出会ったときに、すっかり忘れていたことを思い出す。


海の匂いは、子供の頃の海水浴の思い出につながる。
ちょっとだけ生臭いような潮の香りは、
遠い夏の記憶を呼び起こす。


雨の匂いは、最近感じることが少なくなった。
数年前、地下鉄を降りたときに雨の匂いを感じて
「雨が降ってるかもしれない」
と夫に言ったら笑われたが、地上に出たら雨が降っていた。


雪の匂いも、感じなくなった。
子供の頃の冬の朝、布団の中で、
冷たくて尖った匂いを感じた日は雪が積もっていた。


「カエルの匂い」も子供の頃の記憶だ。
これは、父の実家の周辺にある水田の匂いのことだが、
そこにはカエルがたくさんいたので、
「カエルの匂い」と呼んでいた。


香港に行くと「香港の匂い」がする。
八角の香りが混ざった少し油っぽい匂いを感じると、
香港にいることを実感する。


韓国の扶余の古いバスターミナルの待合室は、
とても不思議な匂いがした。
それは、化学薬品のような、植物のような、
何とも言えない匂いだった。


花火のにおいは夏の定番だ。
毎年、8月下旬に実家の庭で花火大会をやっていた。
しめくくりはいつも線香花火だ。
金色の火花と火薬のにおいが夏の終わりの象徴だった。
今年の花火大会はできなかったが、
来年は夏の終わりの匂いをしっかり味わいたい。




气味的记忆似乎会长期残留。
一般不会被语言化,所以几乎没有意识到,
但是在遇到同样的气味的时候,
会想起完全忘记了的事情。

大海的气味能让我想起小时候的海水浴。
稍微有点儿腥味的海水气味,
唤起了遥远夏的天的记忆。

最近很少感觉到雨的气味了。
几年前下地铁的时候,我感觉到了雨的气味。
我对我老公说“现在可能在下雨。”
他听了后笑了,但是一出车站外面就在下雨。

雪的气味也感觉不到了。
小时候冬天的早上,
在被子里感受到又冷又冲鼻子的气味的日子,
院子里总是积着雪。

“青蛙的气味”也是小时候的记忆。
这是我父亲老家附近的水田的气味。
那里有很多青蛙,所以我叫它“青蛙的气味”。

香港有“香港的气味”。
一闻到混合了八角香和油腻的气味,
我就感觉到我正在香港。

韩国扶余的旧巴士候车室里有一股不可思议的气味。
那是像化学药品一样,像植物一样,无法形容的气味。

烟花的气味是夏天的必备品。
每年八月下旬都会在老家的庭院里放烟花。
烟花总是昙花一现。
金色的火花和火药的气味是夏天结束的象征。
今年没能放烟花。
我希望闻到明年夏天结束的气味。


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2020年 11月 08日

庭の虫たち

カテゴリー: 子どものこと

子供の頃、庭には、たくさんの種類の植物があった。
梅、金木犀、柿、桃、木蓮、山椒、紫陽花、薔薇、梔子、沈丁花、
芝桜、鈴蘭、小菊、菖蒲、百合・・・


植物が多かったせいか、爬虫類や昆虫も庭にいた。
トカゲはしょっちゅう見かけた。
出窓の下には蟻地獄の住処があった。
モンシロチョウもよく飛んできた。
紫陽花の葉の上には大きなカタツムリがいた。


トカゲのしっぽを押さえつけて、しっぽを切らせたり、
アリジゴクに蟻を落としたりして遊んでいた。
蟻はいつも逃げ出していたので、アリジゴクは、
一体何を食べているんだろうと思っていた。


ある日、庭に大きくて美しいアゲハチョウが飛んできた。
私は虫取り網をもってきて、花にとまるのを待った。
花にとまって蜜を吸い始めたのを見届けると、
後ろから静かに近づいて網をかぶせた。
そして、虫取り網の中で暴れているアゲハチョウの
翅の付け根を押さえようとした。
アゲハチョウは予想よりずっと強い力で暴れた。
私はびっくりして、急に怖くなり、逃がしてしまった。
空高く飛んでいくアゲハチョウを見送りながら、
ホッとしたのを覚えている。
それ以降、虫を捕まえることは少なくなった。


息子は小さい頃、虫を怖がって泣いた。
小学生くらいになると、カブトムシが好きになったが、
私のように、自分で虫を捕まえることはなかったようだ。


高校で生物部に入った彼は、時々、昆虫の写真を撮ってくる。
学校の中に狸が住んでいる森があるので、
いろいろな昆虫がいるそうだ。
この間、彼はタマムシの写真を見せてくれた。
教室に入ってきたのを捕まえて、写真を撮って、
森に逃がしたと言っていた。
彼にとっての「虫捕り」は、スマホで撮ることらしい。


小时候,院子里有各种各样的植物。
梅树、金桂、柿子、葡萄、桃树、紫玉兰、
花椒、绣球、玫瑰、栀子、瑞香、
芝樱、铃兰、小菊、菖蒲、百合、等等。


因为植物很多,院子里也有很多爬虫类和昆虫。
经常能看见蜥蜴。
凸窗下面有蚁狮的窝。
常常有白粉蝶飞来。
绣球的叶子上有很多很大的蜗牛。


有时候我按住蜥蜴的尾巴,故意让它自己断掉尾巴。
有时候把蚂蚁扔到蚁狮上。
因为蚂蚁总是在逃避,所以我好奇蚁狮到底吃什么呢?


有一天,院子里飞来了一只美丽的大凤蝶。
我拿着捕虫网,等着凤蝶停在花上。
当我看到它停在花上开始吸蜜的时候,
我悄悄地从后面靠近,扣上了网。
然后,我想要按住在捕虫网中扑腾的凤蝶翅膀根儿。
凤蝶的力量比预想的大得多。
我吓了一跳,突然害怕起来,把它放跑了。
我记得一边目送着飞上天空的凤蝶,一边松了一口气。
从那以后,我很少捉虫子了。


我儿子小时候经常被虫子吓哭。
上小学后,他喜欢上了独角仙,
但是他没有跟我一样自己捉虫子。


他在高中加入了生物部,有时会拍昆虫的照片。
他们的学校里一片狸生息的树林,
据说那里有各种各样的昆虫。
前几天,他给我看了玉虫的照片。
说是在教室里抓住的,拍了照片,把它放了。
对他来说,“捉虫子”好像就是用手机拍个照。

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2020年 10月 25日

カテゴリー: 生活一般

子供の頃、庭に柿の木があった。
柿と言っても渋柿である。
その実は筆の先のような形で、
「筆柿」という種類に似ていたが、
「筆柿」よりはるかに巨大だった。
自重に耐えられず、色づく前に落ちてしまうことも多かった。

柿の実がオレンジ色になると、
父は柿の木に梯子をかけてのぼり、実をとった。
取った柿の実は渋抜きする。
まず、乾いた布で拭いて汚れを落とす。
次に柿と焼酎を厚手のビニール袋に入れる。
それをプラスチックの容器に入れる。
その容器を2週間ほど物置に置いておく。
渋みが抜けて甘くなり、柿は柔らかいゼリー状になる。

鮮やかなオレンジ色の甘い柿を
スプーンですくって食べるのが好きだった。
一度だけ、渋味が抜け切っていなかったことがあった。
口に入れた途端、口内が砂で一杯になったような感じがした。

長野県に住んでいた伯父もこの柔らかい柿が好きだった。
彼は毎年野菜や味噌を父に送ってくれるので、
父はお礼として、この柿を送っていた。

12年前に実家を建て替えた時、柿の木は切ってしまった。
伯父は他界してしまった。

柿の季節になると、スプーンですくって食べた、
あの柿の味が恋しくなる。




小时候,院子里有两棵柿子树。
说是柿子,其实是涩柿子。
  ※日本的柿子大多是甜柿子。
形状跟笔尖一样的,和“笔柿”的种类相似,
可是比“笔柿”大得多。

无法承受自重,往往会在上色前就掉下去。
当柿子的果实变成橙色的时候,
我父亲把梯子搭在柿子树上,摘下果实。

摘下的柿子要去涩。
最初用干布擦去污垢。 
然后把柿子和烧酒放进一个厚塑料袋里。
再把那个放进一个塑料容器里。
那个容器放在小仓库里两周左右。
涩味就消失了,变得很甜,柿子变成柔软的果冻状。
我喜欢用勺子舀着鲜橙色的甜柿子吃。
只有一次,涩味没完全去掉。
刚一放进嘴里,就觉得嘴里好像满是沙子。

住在长野县的大伯也喜欢那种软柿子。
因为他每年都会给我父亲寄蔬菜和大酱,
所以我父亲为了答谢他,每次都回赠那种柿子。

12年前老家重新盖房子的时候,两棵柿子树被砍掉了。
大伯也去世了。
一到柿子的季节,就怀念用勺子舀着吃的那种柿子的味道。

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2016年 12月 30日

2016夏 台湾旅行 その3

カテゴリー: 旅行


20160724

朝イチで寿山公園へ。
ここは昭和天皇が皇太子の時代に訪れた場所。
寿山という名前になっているが、高さは360mで、山というよりは丘。
といっても、高雄港や町の景色が一望できる。
若者のデートスポットだそうで、マックのテイクアウトのゴミとか、
プラスチックの飲み物の容器が放置されていた。


おそろいの青いTシャツを着た学生のグループが階段を上ってきた。
そして、おしゃべりしたり、笑ったりしながら、
リラックスした雰囲気で、せっせとゴミを集め始めた。
肩肘張ったところはなく、ごくごく自然な動作だったので、
ここの掃除は、日課というか、日常的な作業になっている感じだった。


Tシャツの背中には、日本語で
「努力はうそをつかない
 負けて泣くより勝って泣け」
と書いてあった。


青いTシャツは部活のユニフォームなのかな?
バスケ部とかバレー部という感じではなかった。
卓球部かな?


ツアーの参加者たちも彼らのゴミ拾いを見ていて、
作業が終わる頃に拍手していた。
学生たちは「ええっ??」と戸惑っていたようだったが、
<言葉の通じないおじさん・おばさんが
 自分たちのゴミ拾いに感心している>
というのはわかったようで、ちょっと照れくさそうにしていた。



続いて日月潭湖畔へ。
もともとは日潭と月潭という二つの潭があったそうだ。
日本統治時代にくっつけて、日月潭にしたとのこと。
水力発電に適した場所なんだとか。
日月潭の深さは平均30メートル。

1999年9月21日に台湾中部の南投県集集鎮付近を震源とする、
M7を超える地震の際、湖畔の文武廟も日月潭のリゾートホテルも
大きな被害を受けた。

台湾の西側は地震は少ないそうだが、地震が起こった場合は、
規模の大きな地震になるそうだ。


なお、南投県は台湾唯一の「海ナシ県」。
平地には主に漢民族が住み、山地には少数民族が住んでいるという
説明があった。


日月潭の少数民族がもっとも人数が少なく283名だけ。
人数が多いのが花蓮のアミ族。
29万人いて、16ある少数民族の半数以上がアミ族らしい。


ガイドさんの話によると、少数民族は、歌やスポーツの分野では
秀でた人が多いそうだ。

台湾のプロ野球の選手のうち、漢民族と高砂族の比率は半々。
少数民族は文字通り「少数」なのだから、
野球という分野だけでも、スポーツが得意というのは納得できる。

日本のプロ野球で活躍した郭 源治、郭 泰源、日ハムの陽 岱鋼は
少数民族らしい。

特に高砂族は歌が上手なんだとか。
ガイドさんは「生まれつき上手い」と言っていた。



文武廟へ。
門の入り口の数によってランクが決まるそうだ。
5つ:社長クラス、3つ:部長クラス、1つ:係長クラス。

龍の指の数もランクと関係している。
皇帝の御物の龍は、指が5本ある。
神様関係の龍は4本、王様レベルだと3本。
皇帝の方が神様より偉いのか・・・!!


道教の廟では、お供え物はお参りの後に持ち帰る。
神様のパワーがつくらしい。


おみくじは横浜中華街の関帝廟と同じ。
http://www.m2-dream.net/?p=2129


「神筈」(しんばえ:三日月型の神具)を投げて、
質問してもいいかどうかを神様にお尋ねすることからスタートする。
質問してもOKとなれば、くじを引く。


日本の場合、神社でおみくじを引くと、
結果が書かれた紙を境内の木に結び付けて置いてきてしまうが、
道教のおみくじは、その内容に沿って行動する必要があるため、
結果の紙は、必ず持ち帰る。



この後、バスで台北へ移動。
最終日の食事は、オプショナルツアーの位置づけ。
ガイドさんと一緒におススメのレストランに行ってもいいし、
自分たちでいろいろ歩き回って、よさそうなお店に入ってもいい。

我々はオプショナルツアーには参加せず、
街歩きをすることにした。

三創生活というショッピングセンターに入ると、
なんと!


東離剣遊記/サンダーボルトファンタジーの展示をやっていた!
霹靂社の人形劇には固定ファンがいるせいなのかもしれないが、
結構大勢の若者が来て、特設ショップで買い物したり、
人形の展示の写真を撮ったりしていた。
夫もなんだかやたら熱心に写真撮影していた。


夕食はちょっとひなびた感じの小さいフードコート。
超プチプライス・・・おいしかったけど。




20160725

ついに最終日。

まずは、龍山寺。
こちらに祭られているのは本尊は観世音菩薩。
しかし、道教の神様も祭られている


台湾では、仏教と道教が習合しているらしい。
日清戦争での清の敗北により、台湾は1895年に日本に割譲された。
日本統治下では仏教はOKだったが、
中国の教えとされる道教はNGだったそうだ。
しかし、長い間の信仰が簡単に消えるわけがなく、
仏教を隠れ蓑にしたのか、習合していったとのこと。
かなり融合が進んでいるので、
多くの台湾が仏教の教えと思っているものが
実は道教の教えだったりするらしい。


ここに祭られている関羽将軍は経営の神様。
軍隊の経営(運営?)が上手だから、という理由。


文昌帝君は学問の神様。
昔は受験シーズンには実に大勢の学生がお参りに来ていたそうだ。
受験票を置いて祈願するんだとか。
でも、「神頼み」じゃだめ。
自力で頑張って勉強して、いい点数を取らないといけない。
「もし、同じ点数のライバルがいたら私を合格させてください」
というお願いなら聞いてもらえるらしい。


息子にお守りをねだられたが、
中国の神様は厳しいんだ、努力しないヤツを助けたりしない!
お守り買ったらOKなんて気持ちじゃ、ご利益はないぞ!
と強く言ったら、あっさり引き下がった。

ガイドさんの話、全く聞いてなかったのか・・・


日本と台湾のお寺の違いとして説明されたのは、
台湾のお寺には若い人が大勢来るということ。

台湾人は小さい頃から、お寺に連れて行かれるという。
両親や祖父母など身近な大人が連れて行くのだろう。
小さい子どもはお寺の壁の絵にまつわるお話などを
大人に教えてもらう。
そういうこともあって、自分の家の近所のお寺に
なついているそうだ。

困ったことがあれば、親よりも神様に相談するんだとか。
お年頃になれば、親には言えない相談事も当然出てくるだろう。
言えないというか、言いたくないんだろうけど。
そういうときに、神様にご相談できるというのはいいなぁ。

自力で大きくなったようなナマイキな年頃の若者が、
自分から神様に聞いてみようという気持ちになるとは、すばらしい。



<台湾の文明時代>(と、ガイドさん言っていた)の建物は
オランダ統治時代(1662年 – 1683年)のものから始まる。
龍山寺は創建から300年くらい。

どの時代の建物も大切だから保存する。
「ここが韓国と違うところです。
 あのひとたちは<なかったことにしたい>と考えてるみたいなので」
という、ガイドさんのコメントが印象的だった。


日本の統治下では、内地人(日本人)、本島人(台湾の漢民族)などの
差別はあったそうだが、統治者が清や国民党のままだったら、
近代化はムリだったと考える人が多いそうで、
そのせいか、基本的に親日の人が多いとのこと。




忠烈祠で衛兵交代を見た。
こちらは屋外なので、移動距離が長く、炎天下では大変そう。

ガイドさんのお話によると
初日に見た中世紀念堂で衛兵交代をやっていたのが空軍。
こちらは建物の中なので所要時間は10分。

忠烈祠は海軍。
入り口の門からスタートして長い広場を横切って奥の建物まで行って
戻ってくるので、所要時間は20分。

炎天下のパフォーマンスも、
交代の時間になるまで微動だにせず人形のように立っているのも、
軍隊でやることの中では「ラク」だとのこと。
いったい何をやってるんだろう・・・??


衛兵交代の担当者はルックスで選ばれるとのことで、
基本的にイケメン揃いだという。
イケメンというより、涼やかな目元の好青年って感じ。
・・・というのはオバサンの感想。


1911年は中華民国元年。
なので、2016年は中華民国年暦では105年。
この105年という表記が正式・公式。
台湾の人はすぐに換算できるんだろうなぁ。
昭和までは、西暦換算がすぐにできたけど、
平成になってからは、基本は西暦で、
必要があれば平成に直してしている感じ。





続いて九イ分観光。


九イ分という名前の由来は、
この地には9家族しか住んでいなかったから。
生活に必要なものは、基隆まで代表者(?)が買いに行っていた。
地名がないと不便だということで「九イ分」になったとのこと。

清の時代に九イ分で金脈がみつかったため、
ゴールドラッシュが起こった。

台北よりもにぎやかだった時期もあったという。
台湾の北部の最初の映画館は九イ分に作られたそうだ。


九イ分観光を楽しみに強いたけれど、
観光名所なだけあって、人人人人・・・・
狭い階段いっぱいに人人人人人・・・・

昼食を取ったレストランは眺めがよくてすばらしかった。
お料理は田舎の親戚に遊びに行ったときに出される料理
という感じだった。


人ごみの中を歩くのが疲れたので、脇道に逸れて、
日本とは違う雰囲気の住宅地を歩き回った。

暑くて疲れてきたのでバスへ引き返すことにした。
階段を降りきって少し歩いたところにある小さな売店で
棒アイスを買った。
カッチンカッチンに凍っていて、
アイスというよりは氷みたいだった・・・
味はよかったけど、なかなか溶けないので食べるのが
ちょっと大変だった。


楽しかった観光もコレでおしまい。
バスは空港へ向かった。


CI222で羽田へ。
外は真っ暗。
クルマで帰宅。


長いようで短い旅だった。





・・・と、思う。
旅の記録は感動や記憶が鮮明なうちに文字にしないと
すぐに忘れてしまう。

旅行中に書いたメモは残っているけれど、
どういう気持ちで書いたのかは、
あっさり忘れてしまう。


楽しかった、また行きたいという気持ちだけ残れば
いいのかもしれないけれど。

    
    
    
    
    

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2016年 11月 28日

2016夏 台湾旅行 その2

カテゴリー: 旅行

20160723
8時出発。



太魯閣渓谷観光。

以下、ガイドさんのお話。

台湾はかなりの地震国。
震度4~5は普通にあるので、
震度5以下は「地球のひっくり返し」と言ってるらしい。
地球の中には牛かいて、大地を支えているが、
たまに背中が痒くなると、
ひっくり返って背中を地面にあてて痒みを解消する。
その時に地震が起きるという話による。


太魯閣は少数民族の名前。
台湾の東は少数民族が多い。

台湾は東西で全然違う。
面積は九州より小さいが、人口は2300万人で、九州の倍以上。
国土の約半分が山。
東部はほとんどが山。
3000メートルを超える山が268ある。


少数民族は16族あり、55万人。
国民全体の約2%。
日月潭の近くの少数民族は一番数が少ない。


太魯閣は、昔は、観光地ではなかった。
国民党と共産党との内戦で負けたので、蒋介石は台湾に来たが、
長くいるつもりはなく、3年以内に戻るつもりだった。

しかし、なかなか帰れない。

台湾に連れてきた軍隊も歳をとっていく。
当時は総人口800万人。
そこに50万人の軍隊。
ずっと戦闘をしていたため、他の技術を持っていない。
だから、一般社会に入れるのは難しい。
ムリに社会に溶け込ませようとすると混乱する可能性がある。

そこで蒋介石の息子の蒋経国は、
東西横貫道路の工事を軍隊にやらせることにした。
(この道は現在はほとんど使われていない)


太魯閣渓谷は東西横貫道路の入り口。
この工事では212名の犠牲者が出た。
ガイドさんの説明もJTBのサイトでもこの数だが、
現地に設置してある説明板の数字は225だった。
中国語の説明がちゃんと理解できたわけではないので、
255は違う意味の数字なのかもしれない。

軍隊は中国から連れてきているので、家族は台湾にいない。
工事でなくなった方々は、国が祀る必要があり、長春祠が作られた。



太魯閣渓谷では大理石が産出する。
台湾の大理石は世界第二位。
大理石はセメントの材料になる。
大きなセメント工場が花蓮の北には何カ所かある。


台湾の建物の上には、たいてい貯水タンクがある。
春と夏には雨季があるが、冬はほとんど雨が降らない。

昔はダムが少なかったので、水不足になりやすかった。
清の時代から貯水の習慣がある。

タンクの水は、2,3日は持つ。
計画停水のようなものがあるので、建物の貯水タンクは必須とのこと。

水道水は、飲めると言われているし、
政治家も水道水を飲むパフォーマンスをしてみせるが、
台湾人は、基本的に水道水は沸かして飲む。



台湾の文化は、もともとは漢民族ではない。
文化はオランダ人から始まる。
東の少数民族には、キリスト教徒が多い。
だから、「西のお寺・東の教会」という表現があるらしい。


少数民族では、オトナになった印として顔に刺青を入れる。
オトナになったとするのは、年齢ではなく、能力で判断される。
男性は山の中で、自力で何か食料を手に入れられること。
女性は布を自力で織り上げられること。

いつ発生したのかよくわからなかったが、
落石事故があったそうで、
長春祠までは行けなかった。




ちょうどこの旅行時に、台湾ではバスの火災事故があった。
ガイドさんは、
「商売の為、安く作ったからかもしれない。一瞬で燃えたから」
と話していた。


太魯閣の近くには日本時代のダムがあり、
このダムを作るための道が既にできていた。
この道を伸ばして東西横貫道路は作られた。


「パッテンライ~八田來了」というアニメをバスのテレビで見た。
八田與一技師の台湾での活動を描いた物語。
日本では、八田技師の名前はあまり知られていない気がするが、
台湾では小学校で彼のことを教わるらしい。

高雄から北へ1時間で台南。
嘉義は最大の平地だったが、水がなかったため、
農作物はできなかった。
八田技師は、台南と嘉義の平地がもったいないと考えて、
ダムの建設を当時の総統府に提案した。

ダムが完成すると、台湾バナナやマンゴーなどが収穫できるようになった。
台湾バナナは浜田さんという日本人が品種改良したもの。
それまでの台湾バナナは、フィリピンバナナと変わらなかった。

こういうことがあったので、
東北大地震の際には台湾は多額の支援をした。
日本時代の恩返しの気持ちがあったとガイドさんは言っていた。





続いて、本日の予定の説明。

昼食は駅弁。
本日高雄へ向かう列車は、鈍行なので、沢山の駅に停まるとのこと。

台湾は週休二日制。
会社員の中には、金曜日を半休にして小旅行する人も多い。
土曜は出かける人がさらに多くなるので、
指定席は取ってあるが、電車が混むのでは?というお話だった。


ガイドさんが台湾のヒトだからかもしれないが、
中華料理の説明もなかなか興味深かった。

中華料理について、世界では、香港を一番という人が多いが、
日本人に限っては、台湾の味の方がいいという人が多いんだとか。

日本時代の影響で、日本人が好む味の中華になっているのかもしれない、と
いうのは、ガイドさんのお考え。


ガイドさんは、台湾のコンビニの話もしてくれた。
一万店近くあるらしい。
一番多いのが、セブンイレブンで、次がファミマ、
その次が、ローカルコンビニ。





バスを降りて大理石工場見学。
おそらくそれなりの役職をお持ちなのではと思われる雰囲気の
スーツ姿の男性が、ハンドマイクを持って日本語で案内してくださった。

この工場は、1963年創業だという。
工場の敷地の広さは80ヘクタール。
何もないところにどーんと建てたか、
最初は細々やってて、成功してどんどん大きくなっていったかどっちかだろう。


工場併設のお土産ショップがすごかった
大勢の店員さんが待ち構えていてくれたけど、
買えそうなものはほとんどなく・・・

息子は友達のお土産にしたいと、
ヒスイのついたキーホルダーみたいなものを欲しがった。
お手ごろ価格だったのでご希望通り二つ買ってあげたが、
そのうちひとつは女子へのプレゼント。
かなり渋いデザインだけど、喜んでもらえるといいねぇ。




一通り観光が終わったところでバスを降り、
ガイドさんを先頭に駅に向かってぞろぞろ歩く。
高雄まで約5時間32分の列車の旅。


指定席はいちばん後方の車両だった。
通路に立つヒトも、通路を横切るヒトもいなかった。

乗車してすぐにガイドさんが手配したお弁当が配られた。
見た目は素朴だったけど、味はとてもよかった。


夫は・・・なんと、駅弁を二個食べた!
配られたお弁当をぺろりと平らげた後、

池上という駅の次の駅で「関山弁當」を買って
こちらもぺろりと平らげた。

関山弁當は、今回の旅行の食事の中でも、
トップレベルの美味しさだったらしい。





長い長い電車の旅を終えると、
高雄市内観光。
台湾の四大港町は東西南北にあり、高雄はその一つ。
(花蓮、高雄、台中、基隆)


用意されたバスに乗り込んで、「蓮池潭」へ。

潭とは「池より大きく、湖より小さいもの」という説明があった。

蓮池潭は、名前の通り、昔は蓮の花がたくさん咲いていた。
2009年にスポーツイベントが開催され、その際、街全体をキレイにすることになり、
蓮池潭の池の水も全部出して掃除した。
その結果、昔のようには蓮の花が咲かなくなってしまったという。
最近になって少しずつまた咲くようになってきたそうだ。


蓮池潭には中国らしいハデハデの建物(?)がある。
虎っぽいのと龍っぽいのがセットになってたっている。

その手前にはくねくねした橋のような道が続いている。
このクネクネの角で悪いものが落ちるんだとか。
(悪魔とか魔物とか? まっすぐしか進めないらしい)

二つの塔のうち、龍の口から入って、虎の口から出てくるのがお約束。
悪霊を取ってくれるんだとか。

などという説明を受けて期待が高まっていたのだが、なんと!
既に入り口は閉ざされていた・・・ガッカリ!




移動中、檳榔の木に興味を持った人がいたので、
ガイドさんが少しだけ説明してくれた。

台湾の冬の寒さは3週間程度なので、
基本的には暖房器具は入れずに我慢するのが普通らしい。

しかし、台湾は湿度が高いため、
寒さは骨身にしみるものになる。
こういうときに檳榔をかじると暖かく感じられるという。
(兵役のときに檳榔の効果を知る人が多いとか)


檳榔の長期摂取は癌のモトになるといわれていて、
政府は摂取をやめるように伝えているが、
檳榔の栽培は立派な産業になっており、利権が絡んでいるため
なくなることはなさそう、とのことだった。



この日の宿泊は、國賓大飯店。
1995年か96年に出張で泊まったホテルなのだが、
到着したときが夜だったせいか、真っ暗という印象しか残っていない。

このホテルの売店でクマのハンガーフックを買ってきてくださいと
部長に頼まれたんだっけ。
(部長が出張で言ったときに、お嬢さんへのお土産に一つだけ買ったらしいが、
 もう一つ欲しいといわれたらしい・・・笑)



ホテルの横には「愛河」という河が流れている。
ここは一昔前は悪臭を放つドブ川だった。
周囲は匂いがキツいので、人が住む環境ではないといわれていた。
よほど困窮した人でない限り、誰も住間ない場所だった。

高雄市の市長は長年国民党の人だったが、
選挙で民進党が勝ち、市長が変わった。
その後6年間で川も変わった。
水をきれいにし、川岸を公園のように整備した。
その結果、愛河の周辺は高級住宅地になっていったそうだ。
    
    
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2016年 9月 19日

2016夏 台湾旅行

カテゴリー: 旅行

20160722

午前2時40分起床。

身仕度、乾燥機の洗濯物畳み、ゴミ捨て。
3時半クルマで出発。
4時半過ぎに羽田空港到着。
今回は久々の団体旅行なので、
やたらと早く空港に行かなければならない。

係員の説明を受けて、チェックイン手続きして、
出国しても、搭乗時間まで1時間以上ある。

免税店には、縁がないし。


201608P1020369

CI223 羽田空港→台湾 松山空港


何だか一瞬で着いた。
団体旅行なので、現地係員が待機していて、バスまでご案内。


ガイドさんが台湾の地図を正面のモニターに張って日程を説明。

今回の旅行は台湾一周するので、
温帯・亜熱帯・熱帯という、三つの気候を体験できるとのこと。


まずは市内観光。
といっても、総統府は車窓から眺めただけだったが。
201608P1020378


総統府に向かって右側の建物が台湾銀行本部。
日本統治時代は、日本帝国銀行だった。
「華麗なる一族」のロケで使われたとか。



続いて中正紀念堂。
こちらはバスを降りて中に入った。
「中正」というのは蒋介石の本名。

201608R5260501


1980年完成。
高さは76メートルあるが、4階建。
この高さなら普通は20階建くらいになるらしい。


衛兵交代式を見学することになっていた。
台の上に立っている人は完全にお人形状態で、
交代の時間になって、動き出す前は、
生きている感じがなかった。

201608R5260507


交代の一連の儀式は五人でやっていたが、
本当に「一糸乱れず」という感じ。
動き自体、かなり不自然であるし、
片足に大きな負荷がかかることも多かった。

身体の軸がぶれることなくこなすのだから、
日頃の鍛錬は相当厳しいものに違いない。
交代の人が台に上がると、黒っぽい服の人が近づいて来て、
制服や銀色の帽子を整えていた。
台の上の人は全く動かない。
交代前の人と同じように生きている感じがないので、
マネキンの服を整えているみたいだった。
1時間で交代するそうだが、
生きている感じを完全に消し去る静止状態は、
一種の修行みたいなものなのかもしれない。


蒋介石は、中国大陸に帰りたがっていたそうで、
台湾にはお墓を作っていない。

ガイドさんの説明によると、
巨大な蒋介石の像が見つめているのは、
総統府ではなく、海を隔てた中国大陸で、
中正紀念堂の扉が朝9時に開くと、
望郷の念が溢れ出してくるとのこと。
本当だろうか??


201608R5260506

「この建物の白いところは大理石、黒いところは蒋介石」
というガイドさんのとっておきのギャグは
関西の人にはウケるが、
関東の人はなかなか笑ってくれないという。


大理石には「白」のイメージがあるが、
白い大理石は古くないらしい。
古い大理石は色が濃いそうだ。



中正紀念堂の大理石は太魯閣渓谷から運んだそうだ。
翌日、太魯閣渓谷へ向う途中でも、大理石の話が出た。
1980年代に中正紀念堂が完成すると、
台湾では大理石ブームが起こった。
家の内装に大理石が使われた。
しかし、冬が終わると、大理石の使用をやめる人が多かった。
理由は寒すぎるから。


台湾はかなり湿度が高く、平均80%。
このため、夏の体感温度は、実際にはプラス5℃。
冬場の気温は10°C前後だが、湿度のせいで、
体感温度は、温度計が示す数字のマイナス5℃。
冬場でも除湿が必要になる。
湿度が高くて気温が低い時の寒さは骨身にしみるそうだ。
なので、大理石の内装の家は、寒すぎて住めないらしい。




4階から降りる外階段の段数が蒋介石の年齢だという説明があった。
ホール(なのかな?)を出たところに短い階段があったので、
これも段数に含めるのかどうか、
息子はいつの間にやらガイドさんに質問していた。
ガイドさんにとっては、この反応が新鮮だったらしく、
バスに全員が戻ってきたところで、
この一件をツアー参加者に報告していた。
若い人はさすが!という感じで。
(息子以外の参加者は30代半ばから70代後半くらい)


蒋介石は89歳で亡くなった。
階段は90段あるそうだ。





中正紀念堂を出発してすぐに立法院があった。
台湾の国会議員は、喧嘩が強くて、激しい喧嘩はお約束。
昨日もやっていたそうだ。



ランチは金品茶樓。
ここのオーナーシェフは、テイタイフォンのメインシェフだった人。
テイタイフォンで小籠包の襞の数は17~19であればOKだが、
金品茶樓では、18に統一しているそうだ。


お店に入ると、蒸篭が次々に運ばれて来た。
野菜炒めや炒飯も出てきた。
最後に宋美齢さんが好きだという小豆のパンケーキが出てきた。
パンケーキというよりは、粘度のあるマーラーカオっぽい感じだった。
料理は美味しくて、あっという間に食べ終わった。



続いて故宮博物院。
201608P1020400
「自由にご覧下さい」かと思ったが、ガイドさんの説明付きだった。


まず「玉」について。
最高級は翡翠だか、玉=翡翠ではないとのこと。


ガイドさんがツアー参加者を案内したのは、
古代の宗教行事のような‭儀式を行った際に
使われた道具らしきものの展示。

天を表すものは丸くて、地を表すものは四角。
天への捧げ物、天を祀るものは丸い。

宗教という具体的な形ができる前は、
人間にとっては、「天」が一番恐ろしかったという。




続いて、実際に触れる玉が置いてあるコーナーへ。

玉は育てるものだという。
玉不琢不成器という文字が説明文の見出し(?)になっていたが、
ネットで調べてみたら、 「玉不琢不成器,人不磨不成道」が
完成形らしい。
「玉は磨かなければ器にならず、人は鍛えなければ道を成せない」
という意味だとのこと。


玉は磨いて使って綺麗になる。
磨き込まれ、使い込まれて、
滑らかになったつるつるの玉は、日本人好み。
あまり使われていなくて、ざらざらの玉は、中華圏の人に好まれる。
値段が安いし、自分が使って磨いていけば、高くなる。


光沢のあるつややかな翡翠の腕輪は、
代々姑から嫁へと譲られてきたもの。
姑から譲られたところで、
「何々家の嫁」として、認められたことになるという。



楊貴妃の像は、後ろから鑑賞。
重要なのは、お尻。
大勢の子どもが産めるかどうか。
自分たちの子孫を残したいし、
家を継がせるには男子が絶対に必要だった。


日本人に人気の白菜は本当は大したことないという。
(ホントかなぁ??)
多産の象徴のコオロギがのっているので、
その縁起の良さが重要らしい。



故宮の所蔵品には、日本と関係のあるものもある。
たとえば翡翠の屏風と花瓶。

蒋介石のライバル 汪兆銘が
昭和天皇に屏風と花瓶を贈った。

屏風の「屏」と花瓶の「瓶」と
平安の「平」が同じ音なので、

  天皇様が長生き
  皇后様も長生き
  私も平安

みたいな意味を込めているんだとか。



「オロンスム文書データベース」の文章より
> 一番著名な「接収文物」は、
> 汪兆銘から昭和天皇へ贈呈された、
> 玉を嵌め込んだ屏風であり、
> 現在は台北の国立故宮博物院に所蔵されている。
> 「接収」といっても、学術調査資料の場合、
> すべてを押収した訳ではなく、
> おなじものが複数以上あるときは、
> 1点は研究参考資料として、被「接収」機関のもとへ残され、
> あまりに片々とした遺物も除外された、
> と関係者から聞いている。

http://www.eurasia.city.yokohama.jp/olonsume/excavation.html

屏風も花瓶も戦後、返還された。

> 中國歷代玉器 汪精衛贈日天皇 《碧玉屏風》在故宮
(Yahoo台湾 2011.2.9の見出し)
> 二次大戰間,汪精衛在南京成立臨時政權,
> 一九四一年汪精衛訪日時,
> 曾將這座大屏風獻贈給日本天皇,
> 另還贈送日本皇后一對《翡翠雕花鳥瓶》。



続いて唐三彩の説明。
唐三彩は、その昔、中国へ短期留学した時に
小さな置物をお土産に買ってきたので
多少はなじみがあったが、
「色は鮮やかだが、コントロールができない」
「このため、人の顔や手などの肌の部分には彩色しない」
という説明は初耳だった。


帰国してから故宮博物院の本を図書館で借りたり、
自分で買って読んだりしたが、
写真が掲載されている所蔵品は、
超技巧みたいな言葉がぴったりなものばかりだった。


ガイドさんの言葉:
「故宮博物院の所蔵品は皇帝への捧げ物です。
 だから、龍の指は基本的に5本あります」
(5本指は最高ランクの龍の印)





その後、特急列車で花蓮へ。

201608P1020406

宿泊は煙波大飯店。

夕食は広東料理。
お高い食材は使われていないようだったが、
日本人の好みに合わせてあるそうで、
食べやすくて、おいしかった。


テレビ小僧と化した息子をおいて、
近所のセブンイレブンへ
ビールの買い出し。


その後、夫は「少数民族のお祭り」を見に行くと
言ってでかけてしまった。

すごくにぎやかで、こういう感じだったらしい。
201608P1020464


テレビのチャンネルを適当に変えていたら、
霹靂チャンネルに遭遇。
『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』のCMをやっていた。


台湾ではどのくらい話題になってるのかなぁ~??
(その後、まさにこのイベントに出くわすのだが、
 この時点では、そんなことは全く想像していなかった)
    
     
    
    
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2016年 6月 25日

日光と秘境系カフェ

カテゴリー: 旅行






2016年5月10日  旅行最終日



5時過ぎに目が覚めたが、布団が気持よかったので二度寝した。

6時起床。
支度して朝の散歩に行こうとしたが、雨。
残念だったが、部屋に戻ってのんびりした。


7時朝食。
昨日の夕食と同じ場所。
旅館らしいメニューだった。
(ごはん、味噌汁、鮭、納豆、海苔、漬物)

朝食後、雨が上がっていたので少し散歩した。

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8時半頃出発。


夫は、日光経由で帰るという。


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湯西川温泉駅で休憩。
道の駅だとばっかり思っていたが、
野岩鉄道会津鬼怒川線という鉄道の駅だった。
夫は列車が通るのを見たらしい。



11時 日光臨時駐車場
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11:08シャトルバス発車

東照宮見学
平成の大修理のため、無料エリアのみ・・・
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それでも人が多い!


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12:00すぎに駐車場に戻る



1時半に清流園でランチ。
まさに秘境系カフェ。

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一日10食限定のゆば丼。

空腹MAXだった息子は超高速でゆば丼を平らげていた。


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なぜここにこれが?という雰囲気が満載だったので、
帰ってきて検索したら、このお店のオーナーも、
再訪を繰り返しているお客様方もなかなか個性的&魅力的な方々だった。


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そのまままっすぐ帰ると思いきや、
ずーっと運転していた夫は疲れたのか、
古峯神社へ寄って行くという。


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個人のブログには
「見開きで天狗の絵付き御朱印を頂ける御朱印巡り界の大御所神社」
との紹介があった。


「永久保存版 御朱印アートブック」という本の帯(?)の画像は
古峯神社の御朱印になっている。




5時20分。
イオン佐野新都心店のサンマルクで休憩。



一休みして加須から東北道に乗ったが渋滞は解消していたようで、
19時半頃には自宅に着いた。


免許証を持って行ったが、結局一度も運転しなかった。
毎晩、夫が高鼾で寝ていたから、運転手は疲れるんだろうけど。


それにしても、旅行って楽しいなぁ。
また行きたい!







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2016年 6月 20日

疎水と地熱とからむしと

カテゴリー: 旅行


2016年5月4日 旅行二日目


6時前に起床。
あいにくの雨模様。
朝風呂に行ったところ、3人くらいしかいなくてラッキー!
ただし、お湯の温度はめちゃくちゃ高かった・・・


かき混ぜ棒が壁面に立てかけてあるのに気がついたので、
せっせとかき混ぜていたら、
「ああ、それでかき混ぜればよかったのねぇ」
と先輩マダムに話しかけられた。



7時に朝食。
会場は昨日と同じ場所。
ビジネスホテルの朝食バイキングみたいな内容。
ただし、すべて「プレートにセット済み」。
御味噌汁とごはんは食べ放題だった。


8時半頃ホテルを出発して福島県立博物館へ。
開館が9時半だったので、20分くらい外で待った。
寒いので温かい飲み物が欲しかったが、
入口付近の自販機で売っていたのは「冷た~い」だけだった。


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博物館は面白かった。

撮影禁止の掲示がある場所以外は写真撮影OKなのだが、
博物館でのカメラはNGという刷り込みがあるので、
最初はちょっと躊躇した。


個人的には明治以降の展示が面白いと思った。

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「安積疏水」についての展示発見!(あるのが当然だけど)
オランダ人技師ファン・ドールン氏のお写真!

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この展示の傍にクイズみたいな問題が・・・
   (安積疏水について) なぜ、すぐ近くを流れる阿武隈川から引かず、
   猪苗代湖から水を引いたのでしょうか?


正解は、学芸員の方に聞いてみてくださいということになっていたが、
近くにはそれらしい人がいない。


なんでなんで??と思いながら帰ってきてネットで検索。


東北農政局のサイトに「大いなる遺産 安積疏水」という記事があり、
下記の文章が答えではないかと思った。
   > 明治のはじめ郡山周辺は、水に恵まれず奥州街道のさびしい寒村でした。
   > 年間雨量は1,200mmあまり、阿武隈川支流の各河川は流域が小さく、
   > しかも低地を流れているため用水として利用するにはあまりにも小さく、
   >毎年のように干害をうけていました。


博物館を堪能してから、近くにある鶴ヶ城へ移動。
雨天にも関わらず、入場券を買う人の長い行列が。
並ぶ気にはなれなかったので、写真だけ撮ってクルマに戻った。

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wikiの鶴ヶ城の記事を見たところ、
関連項目に「荒城の月」があったのでなんでかな?と思って
荒城の月の記事を見たら、以下の文章があった。
  > 土井晩翠が詞を構想したとされる宮城県仙台市の青葉城址、
  > 同じく福島県会津若松市の鶴ヶ城址、
  > また、当時、リンゴ狩りに訪れた際に立ち寄った岩手県二戸市の九戸城址、
  > そして瀧廉太郎が曲を構想したとされる大分県竹田市の岡城址、
  > 同じく富山県富山市富山城西側にそれぞれ歌碑が設置されている。
歌碑はどこにあったんだろう?



ランチは『Café & marché Hattando』
夫が事前に探しておいた店なのだが、
UFOふれあい館の再訪を熱烈に希望する脳味噌と
このお店を選択する脳味噌が同じっていうのが不思議だ。



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あとでネットで調べたら、
「会津美里町・新鶴地区ぶどう畑を見下ろす丘の上のカフェ」
という紹介の文章が・・・・ぶどう畑だったっけ??
人間の記憶って本当にアテにならないなぁ。



個人のブログの記事によると、Hattandoというのは、
漢字で書くと「八反道」だそうで、
<会津盆地の西部山麓を南北に縦走するとても古い道の名前>なのだとか。

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ロコモコ丼はとってもおいしかった。




満腹になったところで、お次は「柳津西山地熱発電所」。

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地熱発電の仕組みはとっても壮大だった。
地下の対流はどうやって見つけるんだろう??

タービンを回して発電するのは、
原子力も水力も火力も風力も地熱も同じなんだよな・・・

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白洲次郎氏が!
東北電力の会長だったとは知らなかった・・・


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加古里子先生の絵本「だるまちゃんとかみなりちゃん」に出てくる、
雲の上の「カミナリ・シティ(?)」みたいに
雷の電力を活用できればいいのになぁ。


かみなりちゃんちのテレビは薄型テレビだった。
1968年の本なのに・・・加古先生はスゴイ!


発電所の建物って、カッコいいなぁ。

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1時半過ぎに地熱発電所を出発。
次に向かったのは「からむし工芸博物館」。

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織物の博物館だと聞いていたので、
からむしというのは蚕の別称みたいなものかな?と
勝手に思い込んでいた。


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からむし工芸博物館がある昭和村のサイトによると・・・
> からむしは、イラクサ科の多年草で、苧麻(ちょま)とも言われます。
> 繊維を青苧(あおそ)と呼んでいます。
> からむしを原料とする上布の生産地では、
> 越後(越後上布・小千谷縮布)や宮古(宮古上布)、
> 石垣(八重山上布)などがあり、
> 昭和村は本州における唯一、上布原料の産地となっています。


このページで紹介されている内容をビデオで見た。

http://www.vill.showa.fukushima.jp/making.stm

からむしの畑を垣で囲い、人も獣も入れない状態にして
ひっそりと(?)生育させるというのが、意外だった。
手間暇かけて育てるんじゃないかと思っていたので。

その代わり、収穫後の作業にはものすごく手間がかかっている。



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からむし工芸博物館の向かいにある織姫交流館では
からむし織のシャツが売っていた。
もう少しリーズナブルで女性用Sサイズがあったら
試してみたかったけど・・・
(天然素材の中で一番涼しいんだとか)





宿に行くまでにお茶していこうということになり、
からむし工芸博物館と同じ昭和村内の「大芦家」へ。

201605R5260425



ご主人は早期退職してカフェを始めたそうだ。
コーヒーとチーズケーキをいただいた。

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3時半くらいに出発。
途中の小さな駐車場にクルマを止めて
伊南川という河原で写真撮影。

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駐車場から河原へ下りる階段の近くに
小さな池(?)のようなものがあった。

真黒なオタマジャクシがわらわらと水底の石の上に漂っていた。
全部カエルになるとしたら、気が遠くなりそうだ。





本日の宿は「民宿 北の家」。

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元気のいい大女将と、若女将だと思っていたら、
大女将いわく、自分は引退した身なんだとか。
そういう感じには見えなかったけど。
二人でうまく仕事を分担しあって頑張っている雰囲気だった。


宿にもお風呂があるが、せっかくなので温泉に行くことにした。
「弘法の湯」というのが、シャワーがあって混浴ではないからオススメとの
お話だったので、そこに行くことにした。


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入口は広く、男女に分かれていて、シンプルな脱衣所があり、
シンプルなお風呂があった。

余計なものが見事になくて、
お風呂屋さんの原点みたいだった。



夕食は、道路に面した離れのお座敷。

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部屋毎に座卓が用意してあり、
我々の席は囲炉裏の近くだった。

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山菜料理も囲炉裏で焼いた岩魚も
山菜天ぷらもとってもおいしかった。


宿で打っている十割蕎麦もものすごくおいしくて
おかわりをいただいた。


夕食後は部屋でのんびり。
息子は階段横の本棚から『Dr.コトー診療所』を借りてきて
むさぼるように読んでいた。
旅行に来てまでマンガとは・・・


8時半近くに外へ出たら、強い輝きの星がたくさん見えた。
<満天の星空>とはだいぶ違うが、
星の輝きは関東よりもずっと強かった。


夫は、クルマの屋根を三脚代わりにして
結構長い時間をかけて星空を撮影していた。


撮った写真を拡大してみると、
肉眼では見えない星まで映っていたので
かなり興奮していた。



10時前に部屋の電気を消したとたん、すぐに眠ってしまった。





(最終日に続く)
http://www.m2-dream.net/?p=11872

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