2017年 3月 18日

スペシャルランチ

カテゴリー: 生活一般

3月恒例の夫のお誕生日ランチ。

夫婦でお気に入りのワンオペフレンチへ。


昼間のワインはものすごく酔っぱらうけど、
お祝いなので、赤ワインをグラスで注文。

201703IMG_1529



ホタルイカと菜の花の炒め物。
塩加減が絶妙。
白いご飯がほしくなる味だった。
201703IMG_1530


生ハムとサーモン。
柑橘類とよく合う。
このくらいなら家でもできそうだけど、
生ハムもサーモンもお安くはないので・・・
201703IMG_1531


白子のポタージュ。
我々より後から来たおしゃれなご夫婦のダンナさんが
シェフに作り方を聞いていた。

201703IMG_1533

シンプルなお料理だから、シェフも
「ご自宅でも作れますよ」
みたいなことを言っていたが、ダンナさんは
「こういうのが作れたら、僕だって店を出せますよ~」
と笑っていた。
シンプルなだけに、味付けのセンスが重要なんだろうなぁ。



子羊のロースト。
このお店の売りはポークなんだけど、
メインのお肉の選択肢がほかにもあると
どうしてもそちらを選んでしまう。
201703IMG_1534




お楽しみのデザート。
飴細工の地球の中には、
甘くておいしいものが一杯!
201703IMG_1535


手作りチョコ。
男性客にはブタくん、女性客にはブタちゃん。
かわいくて食べるのがもったいないというか
かわいそうなんだけど、毎回一口でおいしくいただいている。
201703IMG_1537


去年のお誕生日ランチからあっという間に1年たってしまった。
1年前には小学生だった息子は中学生になり、
来月には中学2年生になる。

すでに中二病を発症しているが、
ますます重篤になるのかと思うと気が重い。

27センチの靴が二人分、玄関にゴロゴロしている日が来るのは
それほど遠い未来ではなさそうだ。


コメントは受け付けていません。

2017年 2月 04日

隠れ家カフェ

カテゴリー: 生活一般

我が家の男組が昼食時に不在だった週末、
久々に隠れ家カフェへ。


看板猫のネロくんは不在だったが、
居心地のいい雰囲気は変わらなかった。

常連さんが来ていて、マダムとおしゃべりしていた。
家族ぐるみに近いおつきあいをしているらしい。


201701IMG_1510


常連さんのご家族の方が、時間をかけて野菜を細かく刻んで
スープを作ってくれたという。
味はとても美味しいけど、如何せん量が多くて、
そろそろ飽きてきた・・・みたいな話をすると
マダムは、即座に野菜スープを使った料理のアイデアを
語り始めた。

1種類じゃなくて、パパッと3,4種類くらい。
キッチンの奥に引っ込んで何か作業をして出てくると
また3,4種類くらい作り方を説明する。


常連さんは
「まあ!それはいいわねぇ!」
「そういうのは、考えもしなかったわ」
と感心していた。



「私は単なる食いしん坊なんだと思ってたんだけど、
 ○○さんが言うには、江戸時代から
 旅籠屋みたいなところで働いてたんですって」
○○さんというのは、前世がわかる人らしい。
昔から、ガイダンスみたいな声がどこからか聞こえてくるというマダムは
不思議な世界にアクセスしている人とご縁ができやすいようだ。


マダムからご紹介いただいたすばらしい鍼の先生も
そういう特技をお持ちだった。

新しい職場に異動したばかりの頃、
肩や腕が鍼が刺さらないほどガチガチになったが、
そのときに、職場の人の名前を聞かれ、
直接関係ある人の名前を答えると、
「Aさんは、こういうタイプだから、こうするとうまくいくと思いますよ」
みたいなアドバイスをいただいた。
・・・当たっていたのでビックリ。
どうしてわかるんだろう。


美味しいランチをいただいて、
静かな時間を満喫して、
エネルギーチャージ(?)が済んだところで
帰宅してすぐにお掃除開始。
他の家事も、続けて終わらせた。


エネルギーが満たされていると進みが違うなぁ。
腹が減っては戦はできぬっていうのは、
確かにその通りだと思った。






コメントは受け付けていません。

2017年 1月 29日

成長

カテゴリー: 子どものこと



息子が中学生になったと思ったら、もう3学期。
来月末から期末テスト期間に入る。



ヤツの身長はぐんぐん伸び、あっという間に追い越され、
見下ろされるようになってしまった。


剣道部に入って、「センパイ」という特殊な存在を知ることとなったが、
たった1歳の違いで、敬語を使わなければいけないという不条理は
気にならないらしい。


3歳上の従姉は、息子にとっては、
「大センパイ」という位置づけになるらしく、
中学に入ってからは、従姉に対して「です・ます」で話すようになった。
従姉は、高校生になったとたんに、急にオトナっぽくなって、
完全に「イマドキの女子高生」になってしまったので、
容易に近づけない存在になったのだろう。


4月から小学生になった甥っ子は
息子に対しては「にぃに、あそぼ!」と
保育園時代と代わらない対応を続けているが。


息子の食欲は身長とともに上昇中。
あればあるだけ食べるという感じ。
ご飯もおかずも息子には多めによそっているのだが、
文字通り「ペロリ」と平らげる。


それなりに時間をかけて作ったおかずを
数十秒で完食されると、「なんだかなぁ」という気分になる。
嫌そうにチビチビ食べられるよりは
ずっとマシだけど、それにしても、数十秒というのは・・・


部活は剣道部だが、練習はそれほど厳しくない。
でも、おなかと背中がくっつく程度には空腹になるらしく、
夕食の支度をしていると
「何か食べるものをください」
と、昔の旅人のような台詞を吐く。


魚肉ソーセージとマヨネーズをレタスで巻いたものを
与えると、しばらくはおとなしくなるが、
それでも満腹とは程遠い状態らしい。


夕食になると、飢えた獣のようにガツガツ食べる。
常時Very飢えるの状態だが、
「ごちそうさま」をして数十分間だけは
“Very飢える”から開放されるらしい。


いくら食べても太らないという、授乳期のような状態。
牛馬のように食べているのにもかかわらず、
体重は一向に増えない。
背が伸びているので、印象としては、ヒョロヒョロ系。
(身長は私より10センチ以上高いが、
 体重はほとんど変わらないという・・・汗)


中学2年の夏が終わる頃には、
多少は身体に厚みが出てくるといいんだけど。
さらに身体も態度も大きくなるだろうから、
ますますアルバムを見る機会が増えるかもしれないなぁ。


アルバムは息子のためだと思っていたが、
「こんなにカワイイ時期もあったんだ」と
自分が再確認するために必要だったことがよくわかった。


デジカメ時代になっても、手間を惜しまずに現像して、
アルバムに貼り続けた自分を褒めてあげたい(笑)。




コメントは受け付けていません。

2017年 1月 18日

頭痛

カテゴリー: 生活一般


日曜日にお馬鹿な理由で頭をぶつけた。
目から火花が飛ぶくらい痛かった。

その後、一旦は痛みが引いたものの、
翌日の月曜日に昼過ぎくらいから再び頭が痛くなってきた。


頭をぶつけたせいなのか、
単なる頭痛なのか。


多田かおるという漫画家の先生が、
引越し前の掃除中(?)、テーブルで頭を強打し、
脳内出血亡くなったという昔のニュースを
なんとなく覚えていたので、
頭痛がひどくなるにつれて
ものすごく心配になってきた。


最寄り駅の近くに脳神経外科があったことを思い出した。
「ずっとウツウツしているよりは、ちゃんと検査したほうがいい!」
スマホで病院のサイトを見てみると、
<たんこぶなどでも気軽にどうぞ>
との文章が。


これなら行っても大丈夫。
保険証もあるし、銀行でお金下ろしたから
お財布の中は心配ないし。




帰りの電車の中で、頭痛はさらにひどくなっていった。
検査して問題があったらどうしよう・・・


脳神経外科は、年に一度の視野検査のために行っている眼科と
同じビルの中にあり、何度もドアの前を通ったことはあったが、
中に入るのは初めてだった。
すりガラスの自動ドアの向こう側は、
明かりを落とした落ち着いた内装の待合室。
病院というよりは、隠れ家ホテルのフロントみたいだった。


待合室のソファーに座っている人はいなかった。
問診票を渡された。
記入して受付の女性に渡してソファーに座ろうとしたら、
「1番の診察室に入ってください」とのアナウンスが流れた。


荷物とコートを持って診察室に入ると、
体格のいい短髪の先生が問診表を見て
「ぶつけたんならMRIで調べてみましょう。
 今、ちょうどキカイは空いてますし」


看護師さんの案内で、廊下を隔てた反対側の部屋へ移動。
白っぽい広い部屋だった。

入って右側に小さなロッカー室があった。
「ロッカーの中に検査着があるので、それに着替えてください。
 荷物はロッカーに入れてください」
と言われたので、それに従う。


着替えて出てくると、「こちらへどうぞ」


ロッカー室と向かいあう位置に
上半分が透明な仕切りで区切られた部屋があり、
そこに巨大な装置があった。


「ココに寝てください」といわれた場所に寝ると、
プラスチックの枠みたいなものが頭の上に出てきた。

「カチッ」という音がしたところ見ると、
看護師さんが、何をどうやったか知らないが、
差し込むとか引っ掛けて留めるとかやったのだろう。
(頭がガッチリ固定されたわけではない)


「15分ほどの検査になります」

寝てくださいといわれた台(?)が
ウィィィン・・・と動いた。
さっき見た「巨大な装置」の下に入ったのだろう。

プラスチックの枠みたいなものがカチッという音を立ててからずっと
目を閉じていたので、どういう状況になっていたのかは不明。


カッカッカッという音がした。
検査が始まったらしい。
Magnetic Resonance Imaging
「磁気共鳴という物理現象を応用して、
 頭蓋内の断面を画像化する検査」
をやっているのだろうけど、俎板の鯉状態。


15分がとても長く感じられた。


ロッカー室に戻り、着替えて出てくると
看護師さんから待合室で待つようにと言われた。
しかし、廊下に出ると、1番の診察室から先生が顔を出し
「こちらへどうぞ」



先生の机の前にある大きなスクリーンには、
既にさっきの検査結果が表示されていた。

画面が三分割されていて、
上段左が水平方向の断面、上段右が垂直方向の断面。
下段は頭部の横向きのシルエット。

下段の画像を横切るように黄色っぽい線が表示されていて
その部分の断面が上段に示されるらしい。


先生は黄色い線を首の方から頭頂の方へと
ずらしていった。

上段の二つの画像がどんどん変わっていく。


「特に問題ないようですね。
 ・・・たいへんキレイです」

たいへんキレイ??
脳味噌の見た目がキレイってこと??
褒め言葉なんだろうか・・・


いろいろなところで目にしてきた「ザ・脳味噌」が
自分の中にもあるのは、当たり前なんだけど、
「これがあなたの頭蓋骨の中身です」という形で見せられると、
なんだか不思議な感じがする。



「後頭部を打って、気を失ったりするとあぶないんですよ。
 意識がなくなるとか、そういったことはなかったんですよね?」

「はい」

「それなら、大丈夫だと思いますよ。
 何かあったら、またきてください」


診察を終えて待合室に戻ると、
明らかに患者さんではないスーツの男性二人組が座っていた。

先生が廊下に出てくると二人は立ち上がって、
お仕事っぽい挨拶をして、先生と一緒に診察室の方へ歩いていった。


受付で名前を呼ばれたので
支払をして外に出た。


問題ないといわれてホッとしたせいか、
ひどい頭痛は跡形もなく消えてしまった。


ナショナル ジオグラフィック2016年12月号に
「信じる者は癒やされる」という記事があったが、
まさにそんな感じ。
MRIの費用は、お財布に優しい金額ではなかったけれど。


自分の単純さに呆れつつも、
<いつもどおりの日常>に戻れたことは、嬉しかった。


頭を強打するのはイヤだし、
「どうしよう、どうしよう」とクヨクヨするのもイヤだけど、
たまには<非日常>の入り口を覗き込んで、
<いつもどおり>がどれだけありがたいことか
実感することも必要なんじゃないかと思った。


普段どおり・いつもどおりにすごせるのは、
平凡な日々の繰り返しなどではなく、
実はものすごく幸せでありがたいことなんだと
心の底から納得できるから。


この感覚はすぐに消えてしまうけれど、
不意打ちを喰らって「ありがたみ」を再確認する機会が
時々あるくらいが丁度いいのかもしれない。

コメントは受け付けていません。

2017年 1月 14日

2017スタート

カテゴリー: 生活一般



2017年になったと思ったら、あっと間に2週間経過。

年末最終日に普段は2、3日かけてやる作業を
1日で終わらせてヘロヘロになって帰宅した後、
正月飾りも用意し、
それなりに大掃除を済ませ、
年賀状を書き、甥姪へのお年玉を用意し、
婚家・実家へ新年の挨拶をしに行った。


一瞬で冬休みが終わり、再び日常へ。

天皇誕生日から成人の日までたっぷり休んだ息子は
さらに巨大化した。

婚家でも実家でもヤツはとにかく食べまくった。
特別な機会だからたらふく食べたのか、
それとも普段の食事では、
絶えず「Very飢える」状態になっているのか。


部活の初稽古では、先生から「背、伸びた?」と言われたとか。
一緒に暮らしていても巨大化を感じるのだから、
間隔があけば<大きくなった感>は余計強いのかもしれない。




1月9日の成人の日には、毎年恒例の両親接待。
201701IMG_2017Jan1


ついに二人とも80歳を超えてしまった・・・!

来年も元気にフランス料理をペロリと平らげて欲しいものだ。
201701IMG_2017Jan2


去年は6月の異動の後、仕事に慣れるまでがホントに大変で、
ブログを書こうという気になれなかったが、
今年は週に1回でもいいから、とにかく書きたい。
書かないでいると書けなくなるし。

201701IMG_2017Jan3
 
   
   
   
   

コメントは受け付けていません。

2016年 12月 30日

2016夏 台湾旅行 その3

カテゴリー: 旅行


20160724

朝イチで寿山公園へ。
ここは昭和天皇が皇太子の時代に訪れた場所。
寿山という名前になっているが、高さは360mで、山というよりは丘。
といっても、高雄港や町の景色が一望できる。
若者のデートスポットだそうで、マックのテイクアウトのゴミとか、
プラスチックの飲み物の容器が放置されていた。


おそろいの青いTシャツを着た学生のグループが階段を上ってきた。
そして、おしゃべりしたり、笑ったりしながら、
リラックスした雰囲気で、せっせとゴミを集め始めた。
肩肘張ったところはなく、ごくごく自然な動作だったので、
ここの掃除は、日課というか、日常的な作業になっている感じだった。


Tシャツの背中には、日本語で
「努力はうそをつかない
 負けて泣くより勝って泣け」
と書いてあった。


青いTシャツは部活のユニフォームなのかな?
バスケ部とかバレー部という感じではなかった。
卓球部かな?


ツアーの参加者たちも彼らのゴミ拾いを見ていて、
作業が終わる頃に拍手していた。
学生たちは「ええっ??」と戸惑っていたようだったが、
<言葉の通じないおじさん・おばさんが
 自分たちのゴミ拾いに感心している>
というのはわかったようで、ちょっと照れくさそうにしていた。



続いて日月潭湖畔へ。
もともとは日潭と月潭という二つの潭があったそうだ。
日本統治時代にくっつけて、日月潭にしたとのこと。
水力発電に適した場所なんだとか。
日月潭の深さは平均30メートル。

1999年9月21日に台湾中部の南投県集集鎮付近を震源とする、
M7を超える地震の際、湖畔の文武廟も日月潭のリゾートホテルも
大きな被害を受けた。

台湾の西側は地震は少ないそうだが、地震が起こった場合は、
規模の大きな地震になるそうだ。


なお、南投県は台湾唯一の「海ナシ県」。
平地には主に漢民族が住み、山地には少数民族が住んでいるという
説明があった。


日月潭の少数民族がもっとも人数が少なく283名だけ。
人数が多いのが花蓮のアミ族。
29万人いて、16ある少数民族の半数以上がアミ族らしい。


ガイドさんの話によると、少数民族は、歌やスポーツの分野では
秀でた人が多いそうだ。

台湾のプロ野球の選手のうち、漢民族と高砂族の比率は半々。
少数民族は文字通り「少数」なのだから、
野球という分野だけでも、スポーツが得意というのは納得できる。

日本のプロ野球で活躍した郭 源治、郭 泰源、日ハムの陽 岱鋼は
少数民族らしい。

特に高砂族は歌が上手なんだとか。
ガイドさんは「生まれつき上手い」と言っていた。



文武廟へ。
門の入り口の数によってランクが決まるそうだ。
5つ:社長クラス、3つ:部長クラス、1つ:係長クラス。

龍の指の数もランクと関係している。
皇帝の御物の龍は、指が5本ある。
神様関係の龍は4本、王様レベルだと3本。
皇帝の方が神様より偉いのか・・・!!


道教の廟では、お供え物はお参りの後に持ち帰る。
神様のパワーがつくらしい。


おみくじは横浜中華街の関帝廟と同じ。
http://www.m2-dream.net/?p=2129


「神筈」(しんばえ:三日月型の神具)を投げて、
質問してもいいかどうかを神様にお尋ねすることからスタートする。
質問してもOKとなれば、くじを引く。


日本の場合、神社でおみくじを引くと、
結果が書かれた紙を境内の木に結び付けて置いてきてしまうが、
道教のおみくじは、その内容に沿って行動する必要があるため、
結果の紙は、必ず持ち帰る。



この後、バスで台北へ移動。
最終日の食事は、オプショナルツアーの位置づけ。
ガイドさんと一緒におススメのレストランに行ってもいいし、
自分たちでいろいろ歩き回って、よさそうなお店に入ってもいい。

我々はオプショナルツアーには参加せず、
街歩きをすることにした。

三創生活というショッピングセンターに入ると、
なんと!


東離剣遊記/サンダーボルトファンタジーの展示をやっていた!
霹靂社の人形劇には固定ファンがいるせいなのかもしれないが、
結構大勢の若者が来て、特設ショップで買い物したり、
人形の展示の写真を撮ったりしていた。
夫もなんだかやたら熱心に写真撮影していた。


夕食はちょっとひなびた感じの小さいフードコート。
超プチプライス・・・おいしかったけど。




20160725

ついに最終日。

まずは、龍山寺。
こちらに祭られているのは本尊は観世音菩薩。
しかし、道教の神様も祭られている


台湾では、仏教と道教が習合しているらしい。
日清戦争での清の敗北により、台湾は1895年に日本に割譲された。
日本統治下では仏教はOKだったが、
中国の教えとされる道教はNGだったそうだ。
しかし、長い間の信仰が簡単に消えるわけがなく、
仏教を隠れ蓑にしたのか、習合していったとのこと。
かなり融合が進んでいるので、
多くの台湾が仏教の教えと思っているものが
実は道教の教えだったりするらしい。


ここに祭られている関羽将軍は経営の神様。
軍隊の経営(運営?)が上手だから、という理由。


文昌帝君は学問の神様。
昔は受験シーズンには実に大勢の学生がお参りに来ていたそうだ。
受験票を置いて祈願するんだとか。
でも、「神頼み」じゃだめ。
自力で頑張って勉強して、いい点数を取らないといけない。
「もし、同じ点数のライバルがいたら私を合格させてください」
というお願いなら聞いてもらえるらしい。


息子にお守りをねだられたが、
中国の神様は厳しいんだ、努力しないヤツを助けたりしない!
お守り買ったらOKなんて気持ちじゃ、ご利益はないぞ!
と強く言ったら、あっさり引き下がった。

ガイドさんの話、全く聞いてなかったのか・・・


日本と台湾のお寺の違いとして説明されたのは、
台湾のお寺には若い人が大勢来るということ。

台湾人は小さい頃から、お寺に連れて行かれるという。
両親や祖父母など身近な大人が連れて行くのだろう。
小さい子どもはお寺の壁の絵にまつわるお話などを
大人に教えてもらう。
そういうこともあって、自分の家の近所のお寺に
なついているそうだ。

困ったことがあれば、親よりも神様に相談するんだとか。
お年頃になれば、親には言えない相談事も当然出てくるだろう。
言えないというか、言いたくないんだろうけど。
そういうときに、神様にご相談できるというのはいいなぁ。

自力で大きくなったようなナマイキな年頃の若者が、
自分から神様に聞いてみようという気持ちになるとは、すばらしい。



<台湾の文明時代>(と、ガイドさん言っていた)の建物は
オランダ統治時代(1662年 – 1683年)のものから始まる。
龍山寺は創建から300年くらい。

どの時代の建物も大切だから保存する。
「ここが韓国と違うところです。
 あのひとたちは<なかったことにしたい>と考えてるみたいなので」
という、ガイドさんのコメントが印象的だった。


日本の統治下では、内地人(日本人)、本島人(台湾の漢民族)などの
差別はあったそうだが、統治者が清や国民党のままだったら、
近代化はムリだったと考える人が多いそうで、
そのせいか、基本的に親日の人が多いとのこと。




忠烈祠で衛兵交代を見た。
こちらは屋外なので、移動距離が長く、炎天下では大変そう。

ガイドさんのお話によると
初日に見た中世紀念堂で衛兵交代をやっていたのが空軍。
こちらは建物の中なので所要時間は10分。

忠烈祠は海軍。
入り口の門からスタートして長い広場を横切って奥の建物まで行って
戻ってくるので、所要時間は20分。

炎天下のパフォーマンスも、
交代の時間になるまで微動だにせず人形のように立っているのも、
軍隊でやることの中では「ラク」だとのこと。
いったい何をやってるんだろう・・・??


衛兵交代の担当者はルックスで選ばれるとのことで、
基本的にイケメン揃いだという。
イケメンというより、涼やかな目元の好青年って感じ。
・・・というのはオバサンの感想。


1911年は中華民国元年。
なので、2016年は中華民国年暦では105年。
この105年という表記が正式・公式。
台湾の人はすぐに換算できるんだろうなぁ。
昭和までは、西暦換算がすぐにできたけど、
平成になってからは、基本は西暦で、
必要があれば平成に直してしている感じ。





続いて九イ分観光。


九イ分という名前の由来は、
この地には9家族しか住んでいなかったから。
生活に必要なものは、基隆まで代表者(?)が買いに行っていた。
地名がないと不便だということで「九イ分」になったとのこと。

清の時代に九イ分で金脈がみつかったため、
ゴールドラッシュが起こった。

台北よりもにぎやかだった時期もあったという。
台湾の北部の最初の映画館は九イ分に作られたそうだ。


九イ分観光を楽しみに強いたけれど、
観光名所なだけあって、人人人人・・・・
狭い階段いっぱいに人人人人人・・・・

昼食を取ったレストランは眺めがよくてすばらしかった。
お料理は田舎の親戚に遊びに行ったときに出される料理
という感じだった。


人ごみの中を歩くのが疲れたので、脇道に逸れて、
日本とは違う雰囲気の住宅地を歩き回った。

暑くて疲れてきたのでバスへ引き返すことにした。
階段を降りきって少し歩いたところにある小さな売店で
棒アイスを買った。
カッチンカッチンに凍っていて、
アイスというよりは氷みたいだった・・・
味はよかったけど、なかなか溶けないので食べるのが
ちょっと大変だった。


楽しかった観光もコレでおしまい。
バスは空港へ向かった。


CI222で羽田へ。
外は真っ暗。
クルマで帰宅。


長いようで短い旅だった。





・・・と、思う。
旅の記録は感動や記憶が鮮明なうちに文字にしないと
すぐに忘れてしまう。

旅行中に書いたメモは残っているけれど、
どういう気持ちで書いたのかは、
あっさり忘れてしまう。


楽しかった、また行きたいという気持ちだけ残れば
いいのかもしれないけれど。

    
    
    
    
    

コメントは受け付けていません。

2016年 11月 28日

2016夏 台湾旅行 その2

カテゴリー: 旅行

20160723
8時出発。



太魯閣渓谷観光。

以下、ガイドさんのお話。

台湾はかなりの地震国。
震度4~5は普通にあるので、
震度5以下は「地球のひっくり返し」と言ってるらしい。
地球の中には牛かいて、大地を支えているが、
たまに背中が痒くなると、
ひっくり返って背中を地面にあてて痒みを解消する。
その時に地震が起きるという話による。


太魯閣は少数民族の名前。
台湾の東は少数民族が多い。

台湾は東西で全然違う。
面積は九州より小さいが、人口は2300万人で、九州の倍以上。
国土の約半分が山。
東部はほとんどが山。
3000メートルを超える山が268ある。


少数民族は16族あり、55万人。
国民全体の約2%。
日月潭の近くの少数民族は一番数が少ない。


太魯閣は、昔は、観光地ではなかった。
国民党と共産党との内戦で負けたので、蒋介石は台湾に来たが、
長くいるつもりはなく、3年以内に戻るつもりだった。

しかし、なかなか帰れない。

台湾に連れてきた軍隊も歳をとっていく。
当時は総人口800万人。
そこに50万人の軍隊。
ずっと戦闘をしていたため、他の技術を持っていない。
だから、一般社会に入れるのは難しい。
ムリに社会に溶け込ませようとすると混乱する可能性がある。

そこで蒋介石の息子の蒋経国は、
東西横貫道路の工事を軍隊にやらせることにした。
(この道は現在はほとんど使われていない)


太魯閣渓谷は東西横貫道路の入り口。
この工事では212名の犠牲者が出た。
ガイドさんの説明もJTBのサイトでもこの数だが、
現地に設置してある説明板の数字は225だった。
中国語の説明がちゃんと理解できたわけではないので、
255は違う意味の数字なのかもしれない。

軍隊は中国から連れてきているので、家族は台湾にいない。
工事でなくなった方々は、国が祀る必要があり、長春祠が作られた。



太魯閣渓谷では大理石が産出する。
台湾の大理石は世界第二位。
大理石はセメントの材料になる。
大きなセメント工場が花蓮の北には何カ所かある。


台湾の建物の上には、たいてい貯水タンクがある。
春と夏には雨季があるが、冬はほとんど雨が降らない。

昔はダムが少なかったので、水不足になりやすかった。
清の時代から貯水の習慣がある。

タンクの水は、2,3日は持つ。
計画停水のようなものがあるので、建物の貯水タンクは必須とのこと。

水道水は、飲めると言われているし、
政治家も水道水を飲むパフォーマンスをしてみせるが、
台湾人は、基本的に水道水は沸かして飲む。



台湾の文化は、もともとは漢民族ではない。
文化はオランダ人から始まる。
東の少数民族には、キリスト教徒が多い。
だから、「西のお寺・東の教会」という表現があるらしい。


少数民族では、オトナになった印として顔に刺青を入れる。
オトナになったとするのは、年齢ではなく、能力で判断される。
男性は山の中で、自力で何か食料を手に入れられること。
女性は布を自力で織り上げられること。

いつ発生したのかよくわからなかったが、
落石事故があったそうで、
長春祠までは行けなかった。




ちょうどこの旅行時に、台湾ではバスの火災事故があった。
ガイドさんは、
「商売の為、安く作ったからかもしれない。一瞬で燃えたから」
と話していた。


太魯閣の近くには日本時代のダムがあり、
このダムを作るための道が既にできていた。
この道を伸ばして東西横貫道路は作られた。


「パッテンライ~八田來了」というアニメをバスのテレビで見た。
八田與一技師の台湾での活動を描いた物語。
日本では、八田技師の名前はあまり知られていない気がするが、
台湾では小学校で彼のことを教わるらしい。

高雄から北へ1時間で台南。
嘉義は最大の平地だったが、水がなかったため、
農作物はできなかった。
八田技師は、台南と嘉義の平地がもったいないと考えて、
ダムの建設を当時の総統府に提案した。

ダムが完成すると、台湾バナナやマンゴーなどが収穫できるようになった。
台湾バナナは浜田さんという日本人が品種改良したもの。
それまでの台湾バナナは、フィリピンバナナと変わらなかった。

こういうことがあったので、
東北大地震の際には台湾は多額の支援をした。
日本時代の恩返しの気持ちがあったとガイドさんは言っていた。





続いて、本日の予定の説明。

昼食は駅弁。
本日高雄へ向かう列車は、鈍行なので、沢山の駅に停まるとのこと。

台湾は週休二日制。
会社員の中には、金曜日を半休にして小旅行する人も多い。
土曜は出かける人がさらに多くなるので、
指定席は取ってあるが、電車が混むのでは?というお話だった。


ガイドさんが台湾のヒトだからかもしれないが、
中華料理の説明もなかなか興味深かった。

中華料理について、世界では、香港を一番という人が多いが、
日本人に限っては、台湾の味の方がいいという人が多いんだとか。

日本時代の影響で、日本人が好む味の中華になっているのかもしれない、と
いうのは、ガイドさんのお考え。


ガイドさんは、台湾のコンビニの話もしてくれた。
一万店近くあるらしい。
一番多いのが、セブンイレブンで、次がファミマ、
その次が、ローカルコンビニ。





バスを降りて大理石工場見学。
おそらくそれなりの役職をお持ちなのではと思われる雰囲気の
スーツ姿の男性が、ハンドマイクを持って日本語で案内してくださった。

この工場は、1963年創業だという。
工場の敷地の広さは80ヘクタール。
何もないところにどーんと建てたか、
最初は細々やってて、成功してどんどん大きくなっていったかどっちかだろう。


工場併設のお土産ショップがすごかった
大勢の店員さんが待ち構えていてくれたけど、
買えそうなものはほとんどなく・・・

息子は友達のお土産にしたいと、
ヒスイのついたキーホルダーみたいなものを欲しがった。
お手ごろ価格だったのでご希望通り二つ買ってあげたが、
そのうちひとつは女子へのプレゼント。
かなり渋いデザインだけど、喜んでもらえるといいねぇ。




一通り観光が終わったところでバスを降り、
ガイドさんを先頭に駅に向かってぞろぞろ歩く。
高雄まで約5時間32分の列車の旅。


指定席はいちばん後方の車両だった。
通路に立つヒトも、通路を横切るヒトもいなかった。

乗車してすぐにガイドさんが手配したお弁当が配られた。
見た目は素朴だったけど、味はとてもよかった。


夫は・・・なんと、駅弁を二個食べた!
配られたお弁当をぺろりと平らげた後、

池上という駅の次の駅で「関山弁當」を買って
こちらもぺろりと平らげた。

関山弁當は、今回の旅行の食事の中でも、
トップレベルの美味しさだったらしい。





長い長い電車の旅を終えると、
高雄市内観光。
台湾の四大港町は東西南北にあり、高雄はその一つ。
(花蓮、高雄、台中、基隆)


用意されたバスに乗り込んで、「蓮池潭」へ。

潭とは「池より大きく、湖より小さいもの」という説明があった。

蓮池潭は、名前の通り、昔は蓮の花がたくさん咲いていた。
2009年にスポーツイベントが開催され、その際、街全体をキレイにすることになり、
蓮池潭の池の水も全部出して掃除した。
その結果、昔のようには蓮の花が咲かなくなってしまったという。
最近になって少しずつまた咲くようになってきたそうだ。


蓮池潭には中国らしいハデハデの建物(?)がある。
虎っぽいのと龍っぽいのがセットになってたっている。

その手前にはくねくねした橋のような道が続いている。
このクネクネの角で悪いものが落ちるんだとか。
(悪魔とか魔物とか? まっすぐしか進めないらしい)

二つの塔のうち、龍の口から入って、虎の口から出てくるのがお約束。
悪霊を取ってくれるんだとか。

などという説明を受けて期待が高まっていたのだが、なんと!
既に入り口は閉ざされていた・・・ガッカリ!




移動中、檳榔の木に興味を持った人がいたので、
ガイドさんが少しだけ説明してくれた。

台湾の冬の寒さは3週間程度なので、
基本的には暖房器具は入れずに我慢するのが普通らしい。

しかし、台湾は湿度が高いため、
寒さは骨身にしみるものになる。
こういうときに檳榔をかじると暖かく感じられるという。
(兵役のときに檳榔の効果を知る人が多いとか)


檳榔の長期摂取は癌のモトになるといわれていて、
政府は摂取をやめるように伝えているが、
檳榔の栽培は立派な産業になっており、利権が絡んでいるため
なくなることはなさそう、とのことだった。



この日の宿泊は、國賓大飯店。
1995年か96年に出張で泊まったホテルなのだが、
到着したときが夜だったせいか、真っ暗という印象しか残っていない。

このホテルの売店でクマのハンガーフックを買ってきてくださいと
部長に頼まれたんだっけ。
(部長が出張で言ったときに、お嬢さんへのお土産に一つだけ買ったらしいが、
 もう一つ欲しいといわれたらしい・・・笑)



ホテルの横には「愛河」という河が流れている。
ここは一昔前は悪臭を放つドブ川だった。
周囲は匂いがキツいので、人が住む環境ではないといわれていた。
よほど困窮した人でない限り、誰も住間ない場所だった。

高雄市の市長は長年国民党の人だったが、
選挙で民進党が勝ち、市長が変わった。
その後6年間で川も変わった。
水をきれいにし、川岸を公園のように整備した。
その結果、愛河の周辺は高級住宅地になっていったそうだ。
    
    
つづきはこちら
http://www.m2-dream.net/?p=12047
    
    
    
    
    
    








コメントは受け付けていません。

2016年 9月 19日

2016夏 台湾旅行

カテゴリー: 旅行

20160722

午前2時40分起床。

身仕度、乾燥機の洗濯物畳み、ゴミ捨て。
3時半クルマで出発。
4時半過ぎに羽田空港到着。
今回は久々の団体旅行なので、
やたらと早く空港に行かなければならない。

係員の説明を受けて、チェックイン手続きして、
出国しても、搭乗時間まで1時間以上ある。

免税店には、縁がないし。


201608P1020369

CI223 羽田空港→台湾 松山空港


何だか一瞬で着いた。
団体旅行なので、現地係員が待機していて、バスまでご案内。


ガイドさんが台湾の地図を正面のモニターに張って日程を説明。

今回の旅行は台湾一周するので、
温帯・亜熱帯・熱帯という、三つの気候を体験できるとのこと。


まずは市内観光。
といっても、総統府は車窓から眺めただけだったが。
201608P1020378


総統府に向かって右側の建物が台湾銀行本部。
日本統治時代は、日本帝国銀行だった。
「華麗なる一族」のロケで使われたとか。



続いて中正紀念堂。
こちらはバスを降りて中に入った。
「中正」というのは蒋介石の本名。

201608R5260501


1980年完成。
高さは76メートルあるが、4階建。
この高さなら普通は20階建くらいになるらしい。


衛兵交代式を見学することになっていた。
台の上に立っている人は完全にお人形状態で、
交代の時間になって、動き出す前は、
生きている感じがなかった。

201608R5260507


交代の一連の儀式は五人でやっていたが、
本当に「一糸乱れず」という感じ。
動き自体、かなり不自然であるし、
片足に大きな負荷がかかることも多かった。

身体の軸がぶれることなくこなすのだから、
日頃の鍛錬は相当厳しいものに違いない。
交代の人が台に上がると、黒っぽい服の人が近づいて来て、
制服や銀色の帽子を整えていた。
台の上の人は全く動かない。
交代前の人と同じように生きている感じがないので、
マネキンの服を整えているみたいだった。
1時間で交代するそうだが、
生きている感じを完全に消し去る静止状態は、
一種の修行みたいなものなのかもしれない。


蒋介石は、中国大陸に帰りたがっていたそうで、
台湾にはお墓を作っていない。

ガイドさんの説明によると、
巨大な蒋介石の像が見つめているのは、
総統府ではなく、海を隔てた中国大陸で、
中正紀念堂の扉が朝9時に開くと、
望郷の念が溢れ出してくるとのこと。
本当だろうか??


201608R5260506

「この建物の白いところは大理石、黒いところは蒋介石」
というガイドさんのとっておきのギャグは
関西の人にはウケるが、
関東の人はなかなか笑ってくれないという。


大理石には「白」のイメージがあるが、
白い大理石は古くないらしい。
古い大理石は色が濃いそうだ。



中正紀念堂の大理石は太魯閣渓谷から運んだそうだ。
翌日、太魯閣渓谷へ向う途中でも、大理石の話が出た。
1980年代に中正紀念堂が完成すると、
台湾では大理石ブームが起こった。
家の内装に大理石が使われた。
しかし、冬が終わると、大理石の使用をやめる人が多かった。
理由は寒すぎるから。


台湾はかなり湿度が高く、平均80%。
このため、夏の体感温度は、実際にはプラス5℃。
冬場の気温は10°C前後だが、湿度のせいで、
体感温度は、温度計が示す数字のマイナス5℃。
冬場でも除湿が必要になる。
湿度が高くて気温が低い時の寒さは骨身にしみるそうだ。
なので、大理石の内装の家は、寒すぎて住めないらしい。




4階から降りる外階段の段数が蒋介石の年齢だという説明があった。
ホール(なのかな?)を出たところに短い階段があったので、
これも段数に含めるのかどうか、
息子はいつの間にやらガイドさんに質問していた。
ガイドさんにとっては、この反応が新鮮だったらしく、
バスに全員が戻ってきたところで、
この一件をツアー参加者に報告していた。
若い人はさすが!という感じで。
(息子以外の参加者は30代半ばから70代後半くらい)


蒋介石は89歳で亡くなった。
階段は90段あるそうだ。





中正紀念堂を出発してすぐに立法院があった。
台湾の国会議員は、喧嘩が強くて、激しい喧嘩はお約束。
昨日もやっていたそうだ。



ランチは金品茶樓。
ここのオーナーシェフは、テイタイフォンのメインシェフだった人。
テイタイフォンで小籠包の襞の数は17~19であればOKだが、
金品茶樓では、18に統一しているそうだ。


お店に入ると、蒸篭が次々に運ばれて来た。
野菜炒めや炒飯も出てきた。
最後に宋美齢さんが好きだという小豆のパンケーキが出てきた。
パンケーキというよりは、粘度のあるマーラーカオっぽい感じだった。
料理は美味しくて、あっという間に食べ終わった。



続いて故宮博物院。
201608P1020400
「自由にご覧下さい」かと思ったが、ガイドさんの説明付きだった。


まず「玉」について。
最高級は翡翠だか、玉=翡翠ではないとのこと。


ガイドさんがツアー参加者を案内したのは、
古代の宗教行事のような‭儀式を行った際に
使われた道具らしきものの展示。

天を表すものは丸くて、地を表すものは四角。
天への捧げ物、天を祀るものは丸い。

宗教という具体的な形ができる前は、
人間にとっては、「天」が一番恐ろしかったという。




続いて、実際に触れる玉が置いてあるコーナーへ。

玉は育てるものだという。
玉不琢不成器という文字が説明文の見出し(?)になっていたが、
ネットで調べてみたら、 「玉不琢不成器,人不磨不成道」が
完成形らしい。
「玉は磨かなければ器にならず、人は鍛えなければ道を成せない」
という意味だとのこと。


玉は磨いて使って綺麗になる。
磨き込まれ、使い込まれて、
滑らかになったつるつるの玉は、日本人好み。
あまり使われていなくて、ざらざらの玉は、中華圏の人に好まれる。
値段が安いし、自分が使って磨いていけば、高くなる。


光沢のあるつややかな翡翠の腕輪は、
代々姑から嫁へと譲られてきたもの。
姑から譲られたところで、
「何々家の嫁」として、認められたことになるという。



楊貴妃の像は、後ろから鑑賞。
重要なのは、お尻。
大勢の子どもが産めるかどうか。
自分たちの子孫を残したいし、
家を継がせるには男子が絶対に必要だった。


日本人に人気の白菜は本当は大したことないという。
(ホントかなぁ??)
多産の象徴のコオロギがのっているので、
その縁起の良さが重要らしい。



故宮の所蔵品には、日本と関係のあるものもある。
たとえば翡翠の屏風と花瓶。

蒋介石のライバル 汪兆銘が
昭和天皇に屏風と花瓶を贈った。

屏風の「屏」と花瓶の「瓶」と
平安の「平」が同じ音なので、

  天皇様が長生き
  皇后様も長生き
  私も平安

みたいな意味を込めているんだとか。



「オロンスム文書データベース」の文章より
> 一番著名な「接収文物」は、
> 汪兆銘から昭和天皇へ贈呈された、
> 玉を嵌め込んだ屏風であり、
> 現在は台北の国立故宮博物院に所蔵されている。
> 「接収」といっても、学術調査資料の場合、
> すべてを押収した訳ではなく、
> おなじものが複数以上あるときは、
> 1点は研究参考資料として、被「接収」機関のもとへ残され、
> あまりに片々とした遺物も除外された、
> と関係者から聞いている。

http://www.eurasia.city.yokohama.jp/olonsume/excavation.html

屏風も花瓶も戦後、返還された。

> 中國歷代玉器 汪精衛贈日天皇 《碧玉屏風》在故宮
(Yahoo台湾 2011.2.9の見出し)
> 二次大戰間,汪精衛在南京成立臨時政權,
> 一九四一年汪精衛訪日時,
> 曾將這座大屏風獻贈給日本天皇,
> 另還贈送日本皇后一對《翡翠雕花鳥瓶》。



続いて唐三彩の説明。
唐三彩は、その昔、中国へ短期留学した時に
小さな置物をお土産に買ってきたので
多少はなじみがあったが、
「色は鮮やかだが、コントロールができない」
「このため、人の顔や手などの肌の部分には彩色しない」
という説明は初耳だった。


帰国してから故宮博物院の本を図書館で借りたり、
自分で買って読んだりしたが、
写真が掲載されている所蔵品は、
超技巧みたいな言葉がぴったりなものばかりだった。


ガイドさんの言葉:
「故宮博物院の所蔵品は皇帝への捧げ物です。
 だから、龍の指は基本的に5本あります」
(5本指は最高ランクの龍の印)





その後、特急列車で花蓮へ。

201608P1020406

宿泊は煙波大飯店。

夕食は広東料理。
お高い食材は使われていないようだったが、
日本人の好みに合わせてあるそうで、
食べやすくて、おいしかった。


テレビ小僧と化した息子をおいて、
近所のセブンイレブンへ
ビールの買い出し。


その後、夫は「少数民族のお祭り」を見に行くと
言ってでかけてしまった。

すごくにぎやかで、こういう感じだったらしい。
201608P1020464


テレビのチャンネルを適当に変えていたら、
霹靂チャンネルに遭遇。
『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』のCMをやっていた。


台湾ではどのくらい話題になってるのかなぁ~??
(その後、まさにこのイベントに出くわすのだが、
 この時点では、そんなことは全く想像していなかった)
    
     
    
    
つづきはこちら
http://www.m2-dream.net/?p=12034

        
    
    
    
        
    











コメントは受け付けていません。

2016年 8月 18日

9日間のお休み

カテゴリー: 生活一般






現在会社は夏休み。
9日間というのは、長いような短いような・・・・


7月末に怒涛の月末処理を経験。
こんな心臓に悪いことを毎月やって大丈夫なんだろうか??
と思う間もなく夏休み。


怒涛の月末処理の前に家族で9年ぶりに
台湾へ行ってきた。


今回は久々のツアー。
それも「お土産物屋さん中心の連れ回され系」。

夫が新聞の旅行広告で発見したツアーだったのだが、
「このお値段でこのホテルでこの内容は超お得!
 土産物屋に連れていかれるにしても、
 行かなきゃ損損!!」
ということだったらしい。


妻の依頼事項は先延ばしがデフォルトであっても、
旅行については、何をおいても「いの一番」という夫は
早速申し込みを済ませ、保険とかも手配して、
あっという間に準備万端。
(旅行荷物のパッキングは基本的に妻に丸投げ)
(本人としてはお願いしているということらしいが)


その楽しい旅行も一瞬で終わり、
あれよあれよという間にお盆休み突入。



実家で恒例の花火大会をやって、
いただいたチケットで
「ポンピドゥーセンター傑作展」に行って、
(上野・東京都美術館)
その翌日に同じくいただきもののチケットで
「水木しげるの大妖界」に行った。
(池袋・サンシャインシティ・ワールドインポートマートビル)
お盆休みもあと少しで終わる。



台湾旅行の記録を書きたいと思った矢先に
なぜかパソコンが深刻なご病気に罹り、
出荷状態に戻すという荒療治が必要な事態に。


荒療治は夫が担当。
二日くらいかかったけど、パソコンは無事復活。


保存してあったデータは退避して作業したから
なくなったものはないのだが、
自分でやった各種の設定とか、
ブラウザのブックマークとか、
デスクトップにあったものを元に戻す作業は
自力でやらなければならない。


すぐに使うものだけ戻せばいいだろうと思ったら、
特にそういうものはなかったことが判明。
デスクトップの左側にずらっと並んでいたのは
何だったんだろう?


自分では必要と思ってても実際にはいらないものって
結構あるんだろうなぁ。


今年のお盆休みも去年同様、掃除と片づけをやった。
去年手つかずだった鬼門エリアも無事クリア。
毎年やれば、死蔵品を増やさないで済みそうだ。


休みが終わるまでに台湾旅行記を完成させたいけど
ちょっと無理そう。
時間がかかっても、
楽しかった記憶をたどりながら、
ぼちぼちやるのがいいんだろうな。



コメントは受け付けていません。

2016年 7月 07日

現実と夢

カテゴリー: かんがえごと,生活一般



6月8日に異動して、そろそろ1ヶ月。
仕事は覚えることが多すぎてなかなか慣れない。



大きな流れ全体を俯瞰できれば、
<それを形作るピース>として、個々の仕事を
捉えられるのだろうけど、
それができていないと「群盲象を評す」状態で、
何がなんだかわからない。


遠い昔、営業に配属されたときに、、
管理部門の課長さんにカミナリを落とされたり、
赤い恥を沢山かいたりして、
やっと、意味がわかったことがたくさんあったけど、
ここでも無傷じゃいられないのかもしれないなぁ。
(といっても、あの当時よりだいぶ年を取っているから
 失敗のダメージは大きいかも・・・心配だ)


仕事はともかく、通勤は慣れつつある。
乗る電車も乗る車両(ドア位置)も決めている。
一駅前で、大勢の人が下車するので、一緒に降りて、
並んでいる人々の列の一番後ろについて、最後に乗ると、
次の駅でドアが開くと、すんなり降りられる。

ドア位置もエスカレータの位置にあわせてあるので、
降りれば即、改札へ向かえる。




駅から職場までは近いようで地味に遠い。
都庁周辺のようにワンブロックが大きいためか?


人の流れに乗ってボーっと歩いていたが、
植え込みに立派な百合が咲いているのに気づいた。
立派な百合なのに、野放し・・・
きちんと整えれば1本500円以上の値がつきそうだ。


会社の入り口から自席までも何気に時間がかかる。


前の職場なら、「computer control」と表示されている、
レトロなエレベータに乗り込んで
お約束の「がったん」の後、約1分で席に着けたんだけど。


前の職場については、汗と涙の苦労話(?)があったので、
強い思い入れがあるせいか、「前の方が、ヨカッタ」という
気持ちが消えない。


異動によって得たこと、よくなったことも
多々あるのはわかっているが。


通勤時間が延びたのは、最初は苦痛だったが、
この時間が読書に充てられると気がついてからは
ちょっと楽しみになってきた。


電車に乗っている時間は25分程度。
軽い新書だったら、二日くらいで読める。


数日前から「明恵 夢を生きる」(河合隼雄著 講談社+α文庫) を
読んでいる。
購入したのはだいぶ前。

2014年に土門拳記念館に行ったときに読まなければと
思ったけれど、引き続き「つん読」状態だった。
http://www.m2-dream.net/?p=10161



通勤時間に読み始めたら面白くて、
引き込まれてしまい、
行きも帰りも一瞬で降車駅についてしまう。


夢の本を読んでいることと
関係があるかどうかわからないが、
とてもリアルな夢を見た。


私にしては珍しく、<空を飛ぶ夢>だった。


年上の友人と一緒に飛ぶ準備をしていた。
なぜか、注射器で味噌汁を首筋に入れるという・・・


高い建物のベランダみたいなところから
普通に飛び降りると、
緩やかに落下していった。


目をつぶっていると景色が見えない、とか
飛ぶ意思を持たないと飛べない、とか
そういう声が聞こえたのか、
それとも自分でそう思ったのかは定かではないが、
目を開いて、飛ばなきゃ・・・
と思ったら、身体がふわりと浮かんだ。


どちらかというと、飛んでいるというよりは、
プールで水に浮いている状態に近い感じだった。


そのせいか、地上から相当高いところにいるにもかかわらず、
怖いという感覚は全くなかった。
自分の意思で行きたい方向へ
進んで(泳いで?)いったと思う。


しばらくして(もしかしたら直後?)目が覚めた。
目覚ましが鳴る5分前。
パッと目が覚めて、全く眠くなかった。
かなり深い眠りだったらしい。


印象的な夢だったので、ネットで調べたら、
自分の意思で空を飛ぶ夢というのは、
概ね<吉兆>と言えそうだった。

何かイイコトが起きるとか??


明恵の本を読み進めたら、
また面白い夢を見られるかもしれない。




コメントは受け付けていません。

Next »