2017年 6月 23日

中2

カテゴリー: 子どものこと


数年前、中高生の息子について書かれたブログにハマって、
一時期いろいろ読みふけったことがあった。
単純に内容が面白かったからなのだが、
ウチの息子も、ブログで読んだ内容を彷彿させるような、
珍奇な発言が増えてきた。


中高生の男子というのは、
宇宙から来た珍しいイキモノのようである。
「オトコノコ」の時代から、意味不明な言動が多かったが、
それがさらに加速して、遠い星からやってきた、
まったく別の生態系に属している存在に思える。


電車の中でイケメン息子とその母が実に楽しそうに
会話しているのを見たことがあるので、
コミュニケーション可能な希少種も存在するようだが。


「男子」というだけ理解しがたいのに、
中高生男子の心は、内側から湧き上がる万能感と
現実世界に対峙したときの無力感との間で
階段の上から落としたスーパーボールの如く
激しくバウンドし続けている。


しかも、はらぺこあおむし10匹分くらいの勢いで食べ、
部活で疲れたという理由で惰眠を貪っているから、
たいていの場合、エネルギーが有り余っている状態。
(電池切れを起こしてもすぐに充電されてしまうので)


こういうイキモノは、家の中に一体いるだけでも大変!
家の中にこういうモノが複数いる状況なんて、とても想像できない。
男三兄弟のお母さんはホントにすごいと思う。


会社から帰ると、玄関には
26センチのベージュのスニーカーが転がっている。
本来は白いのだが、部活のトレーニングで
砂埃の中を走ったりしているので
すぐに薄茶色に染まる。


「靴、揃えてよ!」

「なんで!」(野太い息子の声)

「たった3文字で説明させるな!」

「だから、なんで!」

「靴の乱れは心の乱れ!
 小学校で習ったでしょ!
 小学生のときはできたのに、何でやらないの!」


息子はしぶしぶ靴を揃えに来る。
同じことを何度も繰り返しているから
そろそろ学習してもよいのではないかと思うが、
こちらとしても、やる気ゼロの動物に芸を教えるつもりで、
いろいろ工夫する必要があるのだろう。


中学入学とともにぐんぐん大きくなり、
中2になった今、母の頭頂を見下ろすサイズになっている。

<言うことを聞かないお母さん>とガチンコで戦うよりは、
「はいはい・わかったわかった・今やる今やる」で
逃げるという選択もするようになっていたが、
長期的な視点に欠けるので、自分の怒りを優先させた結果、
数十分後に
「・・・自分じゃできないから、お母さん、お願いします」
と母に頼みこむ場面が多い。
こういう時は、きっと、ものすごく悔しんだろうなぁ。


残念ながら、
「自分でできるようになって、お母さんを見返してやる!」
にならないのが、我が家の中2男子。

見ている分には面白いが、
親としての忍耐力のレベルと感情のコントロールが試される。

今後の親業は、機転と気力と語彙力と体力とを
かなりの高度なレベルで要求されるのだろう。
息子に言い負かされるのは悔しいので、精進しないといけない。






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2017年 6月 16日

裾上げ

カテゴリー: 子どものこと




「夏の制服のズボンは?」
息子に言われて、クローゼットにつるしてあったズボンを出して
はかせたところ、ツンツルテンだった。


ズボンの裾の下に足首がにゅっと出ている。
丈が長めのガウチョのようだ。



「これじゃ短い」
・・・・今日穿いていくのに、裾上げできるわけないでしょ!!



「誰も見てないから大丈夫!!」
と言い切ったものの、、やっぱりヘン。
「自分でやれ」と言ったところで、
絶対にやるわけがないので、対応することに。


しかし、制服のズボンの裾上げはやったことがなかった。


去年は買ったばっかりだったし、
大きめのサイズだったので、当面問題ないと思っていた。
通学靴の上に裾が少々かぶさるくらいだったのに。
アサガオとかヒマワリ並みに背が伸びているらしい。



入学式の直後にご近所からお古でもらったズボンは
実家に持っていって母に対応してもらった。
今年もそうしようかと思っていたけど、
「目の調子が悪くて、縫い目が見えない」
と言われてしまうと、自分でやらざるを得ない。


ズボン丈を決めるのは自信がなかったので
息子とズボン二本を実家に持っていって、
母に見てもらった。


待ち針を打ってもらえば縫えるだろうと思っていたが、
母はなんと「しつけ糸」で縫ってくれた。



「しつけ糸」を見たのは何年ぶりだろうか?
こういうものが存在していたことも、
「しつけ糸」という単語が
自分の頭の中に残っていたことも
すっかり忘れ去っていた。


あのしつけ糸は、昭和の製造に違いない。
もしかしたら、私より年上かもしれない。


私が持っている糸切鋏も、布切鋏(?)も年代ものだ。
二つとも、小学校5年の時に一斉購入した、
手鞠の絵入りのプラスチック製の「おさいほうばこ」に
セットされていたもの。


結婚祝として幼馴染からソーイングボックスをプレゼントされて、
「おさいほうばこ」は卒業したものの、
中のものなんて、そうそう入れ替えない。


鋏以外にも、恐ろしくクラッシックな形のミシン糸も
ずっと入っている。
息子が幼少時に「おばあちゃん(私の祖母)」から譲り受けた
指貫とかも入っている。


長谷川町子先生は、裁縫箱の整理を無心になってやっていると、
非常に面白いアイディアが出てくることがあったらしい。
町子先生の時代は、裁縫箱が日常的に活躍してたんだろうな。





しつけ糸がついた状態で慎重にアイロンをかけて
いよいよまつり縫い開始。


私のまつり縫いはかなりの年季が入っている。
小学生の頃から、姉のお古のスカートの裾上げを
頻繁にやっていたので。
まつり縫いの糸が見えるのはカッコ悪いという価値観(?)があって、
不器用ながらも、表側から糸がほとんど見えなくなるように努力した。


その頃に読んでいた童話だったか、何かの昔話だったか忘れたが、
どこかに奉公に出た女子が先輩から意地悪されて、
着物の袖を縫うのに、
着物の色とはまったく違う色の糸を渡されるという
場面があった。
その女子は、表側からはまったく糸の色がわからないようにして
袖を縫い上げた。
そして、ちょっとした意趣返しとして、
袖が先輩の目に留まるようにしてから
提出(?)したという話だった・・・と思う。


たぶん、この話を読んだのは、
せっせとまつり縫いをしていた時期だったのだろう。
糸が表側から見えないように縫うのはかなり難しいが、
本当にちゃんとできたらカッコイイ!とか考えていたのだろう。
だから全体の話はまったく覚えていないのに、この部分だけは
鮮明に覚えているのかもしれない。



息子の制服の色は褪せた感じの紺に、若干の深緑をあわせたという
なんどもビミョーな色。
ブレザーもなんともビミョーなデザイン(色のせいもあるけど)。

この制服に、白くてゴツイ学校指定の通学靴の組み合わせると
よっぽど垢抜けた子じゃない限り、
「泥つきじゃがいも風の素朴な中学生」になれるのは確実。
息子の中学の制服も昭和の時代から変わってないんだろうな。



なんとかまつり縫いを終え、息子に穿かせた。
足首の辺りの写真を撮り、ラインで母に送った。
(オレンジ色のTシャツを着たままで制服のズボンを穿いていたので)


“この写真で見る限りでは上出来じゃないでしょうか?”
という返事がきた。


すっかり疲れ果ててしまったので、1枚だけで作業終了。
残りは翌週に持ち越した。



冬服の時期になったらまたこの作業をやらなければならない。
来年の夏と冬も、またこれを繰り返すことになるのだが、
それが終わると、ほどなくして息子は中学を卒業する。


3年間は一瞬だ。


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2017年 6月 09日

水泳

カテゴリー: 生活一般




結局5月は1回しか更新できなかった。
6月はもう少し書けるといいのだが。



ブログは書けなくても、10年日記だけは書いている。


同じページの上の段に書かれている、去年以前の日記を読むのが
楽しいというのが、継続できている理由だと思う。
(10年日記は、例えば1月1日なら、10年間同じ「1月1日のページ」に書く)



去年の日記はバタフライについての記述が多い。
とにかく早く泳げるようになりたかったからだろう。


1年後の今、25メートルならそれなりに泳げる。
バタフライに関しては、コーチからいろいろと注意されてきたが、
最近は
「いいですね、問題ないです」
と言ってもらえるようになった。


マトモに泳げるようになったのは、
自分でも呆れるくらい、しつこく練習したから。
「しつこく」といっても、会社勤めのオバサンが基準であって、
アスリートレベルの人たちにとっては、物足りないレベルだろうけど。

自分より一回り年上の先輩方の華麗なバタフライに
ちょっとでもいいから、近づきたかった。

具体的な事柄について、「できるようになりたい!」と
強く願ったのは何年ぶりになるのだろうか・・・




何かを練習するときには、他者の存在が重要だ。
一人だったら、
「こうやればいい」というお手本がないし、
自分では気づかない点を注意されることもない。

一人だったら、ネットの動画を見たり、
図書館で水泳の本を借りて読んだりして、
自己流でアレコレやるだろうけど、
1年くらいじゃ形にならないと思う。


ずっと苦手だったドルフィンキックは、
フォームが身について、それなりに進むようになると
俄然楽しくなって、結構頻繁に練習している。


しかし、バタフライの体力が続くのは25mが限界。
私の泳ぎ方は、どちらかというと、
うねりながらゆっくり進むタイプなので、
それほど体力は消耗しないはずなのだが。


バタフライ以外の種目は50m以上泳げる。
なので、100メートルの個人メドレーだったら、
それほど疲弊せずに泳げるはずなのだが、
泳ぐ順番は、バタフライ→背泳→平泳ぎ→クロール。

最初の2種目はあまり得意ではないので、
前半だけでだいぶ消耗してしまう。
背泳は、水から顔が出ている=呼吸し放題にもかかわらず、
心拍数が上がり、呼吸も乱れてくる。
このため、50m泳ぎ終わった段階でかなり疲れる。


私の平泳ぎは、「リゾート泳ぎ」なので、ここで少し休める。
「ガンガン平泳ぎ」だったら、途中で沈んでしまうかも。
休めるといっても、心拍数の更なる上昇がないだけで、
前半の疲れが取れるわけではない。
なので、最後のクロールは結構キツイ。
疲れているから足が沈みやすくなり、進みが悪くなり、
カッコわるくなる。


バタフライ以外の種目も、呆れるほどしつこく練習する
必要があるのだろう。


あと3年しかないけれど、2020年までには
100m個人メドレーを、流れるようなきれいなフォームで、
優雅に泳げるようになりたいものだ。






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2017年 5月 19日

もうすぐ1年

カテゴリー: 生活一般


去年6月に異動してからまもなく1年。

仕事はどんどん増え続けている。
仕事がないよりはいいんだろうけど、余裕はない。


余裕がないから文章も書けない・・というか、
書こうという気にならない。


GWに旅行してきたが、
以前のように旅行記録を書きたいという
気持ちにならない。
楽しかったんだけどな。


鍼の先生のところに行くたびに
「(筋肉が)硬くなりすぎて鍼が入りません」
と、曲がった鍼を見せられた時期もあったが、
それはだいぶ減ってきた。

月末処理の直後などは、未だに鍼が曲がることもあるけど。


先日、別の部署のミスの後始末をした。
翌日に鍼に行ったら
「ストレスのツボがすごいことになってます」
と言われてしまった。


自分でもミスの山を築いてきたから、
他人のミスをあげつらう資格はない。
他部署のミスの後始末は「お互い様」だと思って
対応したつもりだった。

でも、意識下では強烈に
「なんであたしがッ」
と考えていたようだ。


自分の考えていることが、
自分の身体に大きな影響を及ぼしているんだなぁ。

病は気からというのも、嘘じゃないんだ。

息子の授乳期には食べたものがそのまま
母乳に反映されることに驚愕したんだっけ。

自分の言動が、
自分の身体とか体調全般とかに影響を与え、
痛みとか不具合みたいなものを生み出している。

それがわかってても、
イラついたり、激怒したり。

身体に悪いものが食べたいよー
って気分になったり。

頭にある理想と
実際の行動が一致していない、
きわめて人間らしい生活を送っていると
言えそうだけど、
今の私は、それが許されるお年頃でもない。


若いころと違って、
メンテナンスやリカバリーに
おそろしく時間がかかるんだから
なんとかしないと。



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2017年 3月 18日

スペシャルランチ

カテゴリー: 生活一般

3月恒例の夫のお誕生日ランチ。

夫婦でお気に入りのワンオペフレンチへ。


昼間のワインはものすごく酔っぱらうけど、
お祝いなので、赤ワインをグラスで注文。

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ホタルイカと菜の花の炒め物。
塩加減が絶妙。
白いご飯がほしくなる味だった。
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生ハムとサーモン。
柑橘類とよく合う。
このくらいなら家でもできそうだけど、
生ハムもサーモンもお安くはないので・・・
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白子のポタージュ。
我々より後から来たおしゃれなご夫婦のダンナさんが
シェフに作り方を聞いていた。

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シンプルなお料理だから、シェフも
「ご自宅でも作れますよ」
みたいなことを言っていたが、ダンナさんは
「こういうのが作れたら、僕だって店を出せますよ~」
と笑っていた。
シンプルなだけに、味付けのセンスが重要なんだろうなぁ。



子羊のロースト。
このお店の売りはポークなんだけど、
メインのお肉の選択肢がほかにもあると
どうしてもそちらを選んでしまう。
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お楽しみのデザート。
飴細工の地球の中には、
甘くておいしいものが一杯!
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手作りチョコ。
男性客にはブタくん、女性客にはブタちゃん。
かわいくて食べるのがもったいないというか
かわいそうなんだけど、毎回一口でおいしくいただいている。
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去年のお誕生日ランチからあっという間に1年たってしまった。
1年前には小学生だった息子は中学生になり、
来月には中学2年生になる。

すでに中二病を発症しているが、
ますます重篤になるのかと思うと気が重い。

27センチの靴が二人分、玄関にゴロゴロしている日が来るのは
それほど遠い未来ではなさそうだ。


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2017年 2月 04日

隠れ家カフェ

カテゴリー: 生活一般

我が家の男組が昼食時に不在だった週末、
久々に隠れ家カフェへ。


看板猫のネロくんは不在だったが、
居心地のいい雰囲気は変わらなかった。

常連さんが来ていて、マダムとおしゃべりしていた。
家族ぐるみに近いおつきあいをしているらしい。


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常連さんのご家族の方が、時間をかけて野菜を細かく刻んで
スープを作ってくれたという。
味はとても美味しいけど、如何せん量が多くて、
そろそろ飽きてきた・・・みたいな話をすると
マダムは、即座に野菜スープを使った料理のアイデアを
語り始めた。

1種類じゃなくて、パパッと3,4種類くらい。
キッチンの奥に引っ込んで何か作業をして出てくると
また3,4種類くらい作り方を説明する。


常連さんは
「まあ!それはいいわねぇ!」
「そういうのは、考えもしなかったわ」
と感心していた。



「私は単なる食いしん坊なんだと思ってたんだけど、
 ○○さんが言うには、江戸時代から
 旅籠屋みたいなところで働いてたんですって」
○○さんというのは、前世がわかる人らしい。
昔から、ガイダンスみたいな声がどこからか聞こえてくるというマダムは
不思議な世界にアクセスしている人とご縁ができやすいようだ。


マダムからご紹介いただいたすばらしい鍼の先生も
そういう特技をお持ちだった。

新しい職場に異動したばかりの頃、
肩や腕が鍼が刺さらないほどガチガチになったが、
そのときに、職場の人の名前を聞かれ、
直接関係ある人の名前を答えると、
「Aさんは、こういうタイプだから、こうするとうまくいくと思いますよ」
みたいなアドバイスをいただいた。
・・・当たっていたのでビックリ。
どうしてわかるんだろう。


美味しいランチをいただいて、
静かな時間を満喫して、
エネルギーチャージ(?)が済んだところで
帰宅してすぐにお掃除開始。
他の家事も、続けて終わらせた。


エネルギーが満たされていると進みが違うなぁ。
腹が減っては戦はできぬっていうのは、
確かにその通りだと思った。






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2017年 1月 29日

成長

カテゴリー: 子どものこと



息子が中学生になったと思ったら、もう3学期。
来月末から期末テスト期間に入る。



ヤツの身長はぐんぐん伸び、あっという間に追い越され、
見下ろされるようになってしまった。


剣道部に入って、「センパイ」という特殊な存在を知ることとなったが、
たった1歳の違いで、敬語を使わなければいけないという不条理は
気にならないらしい。


3歳上の従姉は、息子にとっては、
「大センパイ」という位置づけになるらしく、
中学に入ってからは、従姉に対して「です・ます」で話すようになった。
従姉は、高校生になったとたんに、急にオトナっぽくなって、
完全に「イマドキの女子高生」になってしまったので、
容易に近づけない存在になったのだろう。


4月から小学生になった甥っ子は
息子に対しては「にぃに、あそぼ!」と
保育園時代と代わらない対応を続けているが。


息子の食欲は身長とともに上昇中。
あればあるだけ食べるという感じ。
ご飯もおかずも息子には多めによそっているのだが、
文字通り「ペロリ」と平らげる。


それなりに時間をかけて作ったおかずを
数十秒で完食されると、「なんだかなぁ」という気分になる。
嫌そうにチビチビ食べられるよりは
ずっとマシだけど、それにしても、数十秒というのは・・・


部活は剣道部だが、練習はそれほど厳しくない。
でも、おなかと背中がくっつく程度には空腹になるらしく、
夕食の支度をしていると
「何か食べるものをください」
と、昔の旅人のような台詞を吐く。


魚肉ソーセージとマヨネーズをレタスで巻いたものを
与えると、しばらくはおとなしくなるが、
それでも満腹とは程遠い状態らしい。


夕食になると、飢えた獣のようにガツガツ食べる。
常時Very飢えるの状態だが、
「ごちそうさま」をして数十分間だけは
“Very飢える”から開放されるらしい。


いくら食べても太らないという、授乳期のような状態。
牛馬のように食べているのにもかかわらず、
体重は一向に増えない。
背が伸びているので、印象としては、ヒョロヒョロ系。
(身長は私より10センチ以上高いが、
 体重はほとんど変わらないという・・・汗)


中学2年の夏が終わる頃には、
多少は身体に厚みが出てくるといいんだけど。
さらに身体も態度も大きくなるだろうから、
ますますアルバムを見る機会が増えるかもしれないなぁ。


アルバムは息子のためだと思っていたが、
「こんなにカワイイ時期もあったんだ」と
自分が再確認するために必要だったことがよくわかった。


デジカメ時代になっても、手間を惜しまずに現像して、
アルバムに貼り続けた自分を褒めてあげたい(笑)。




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2017年 1月 18日

頭痛

カテゴリー: 生活一般


日曜日にお馬鹿な理由で頭をぶつけた。
目から火花が飛ぶくらい痛かった。

その後、一旦は痛みが引いたものの、
翌日の月曜日に昼過ぎくらいから再び頭が痛くなってきた。


頭をぶつけたせいなのか、
単なる頭痛なのか。


多田かおるという漫画家の先生が、
引越し前の掃除中(?)、テーブルで頭を強打し、
脳内出血亡くなったという昔のニュースを
なんとなく覚えていたので、
頭痛がひどくなるにつれて
ものすごく心配になってきた。


最寄り駅の近くに脳神経外科があったことを思い出した。
「ずっとウツウツしているよりは、ちゃんと検査したほうがいい!」
スマホで病院のサイトを見てみると、
<たんこぶなどでも気軽にどうぞ>
との文章が。


これなら行っても大丈夫。
保険証もあるし、銀行でお金下ろしたから
お財布の中は心配ないし。




帰りの電車の中で、頭痛はさらにひどくなっていった。
検査して問題があったらどうしよう・・・


脳神経外科は、年に一度の視野検査のために行っている眼科と
同じビルの中にあり、何度もドアの前を通ったことはあったが、
中に入るのは初めてだった。
すりガラスの自動ドアの向こう側は、
明かりを落とした落ち着いた内装の待合室。
病院というよりは、隠れ家ホテルのフロントみたいだった。


待合室のソファーに座っている人はいなかった。
問診票を渡された。
記入して受付の女性に渡してソファーに座ろうとしたら、
「1番の診察室に入ってください」とのアナウンスが流れた。


荷物とコートを持って診察室に入ると、
体格のいい短髪の先生が問診表を見て
「ぶつけたんならMRIで調べてみましょう。
 今、ちょうどキカイは空いてますし」


看護師さんの案内で、廊下を隔てた反対側の部屋へ移動。
白っぽい広い部屋だった。

入って右側に小さなロッカー室があった。
「ロッカーの中に検査着があるので、それに着替えてください。
 荷物はロッカーに入れてください」
と言われたので、それに従う。


着替えて出てくると、「こちらへどうぞ」


ロッカー室と向かいあう位置に
上半分が透明な仕切りで区切られた部屋があり、
そこに巨大な装置があった。


「ココに寝てください」といわれた場所に寝ると、
プラスチックの枠みたいなものが頭の上に出てきた。

「カチッ」という音がしたところ見ると、
看護師さんが、何をどうやったか知らないが、
差し込むとか引っ掛けて留めるとかやったのだろう。
(頭がガッチリ固定されたわけではない)


「15分ほどの検査になります」

寝てくださいといわれた台(?)が
ウィィィン・・・と動いた。
さっき見た「巨大な装置」の下に入ったのだろう。

プラスチックの枠みたいなものがカチッという音を立ててからずっと
目を閉じていたので、どういう状況になっていたのかは不明。


カッカッカッという音がした。
検査が始まったらしい。
Magnetic Resonance Imaging
「磁気共鳴という物理現象を応用して、
 頭蓋内の断面を画像化する検査」
をやっているのだろうけど、俎板の鯉状態。


15分がとても長く感じられた。


ロッカー室に戻り、着替えて出てくると
看護師さんから待合室で待つようにと言われた。
しかし、廊下に出ると、1番の診察室から先生が顔を出し
「こちらへどうぞ」



先生の机の前にある大きなスクリーンには、
既にさっきの検査結果が表示されていた。

画面が三分割されていて、
上段左が水平方向の断面、上段右が垂直方向の断面。
下段は頭部の横向きのシルエット。

下段の画像を横切るように黄色っぽい線が表示されていて
その部分の断面が上段に示されるらしい。


先生は黄色い線を首の方から頭頂の方へと
ずらしていった。

上段の二つの画像がどんどん変わっていく。


「特に問題ないようですね。
 ・・・たいへんキレイです」

たいへんキレイ??
脳味噌の見た目がキレイってこと??
褒め言葉なんだろうか・・・


いろいろなところで目にしてきた「ザ・脳味噌」が
自分の中にもあるのは、当たり前なんだけど、
「これがあなたの頭蓋骨の中身です」という形で見せられると、
なんだか不思議な感じがする。



「後頭部を打って、気を失ったりするとあぶないんですよ。
 意識がなくなるとか、そういったことはなかったんですよね?」

「はい」

「それなら、大丈夫だと思いますよ。
 何かあったら、またきてください」


診察を終えて待合室に戻ると、
明らかに患者さんではないスーツの男性二人組が座っていた。

先生が廊下に出てくると二人は立ち上がって、
お仕事っぽい挨拶をして、先生と一緒に診察室の方へ歩いていった。


受付で名前を呼ばれたので
支払をして外に出た。


問題ないといわれてホッとしたせいか、
ひどい頭痛は跡形もなく消えてしまった。


ナショナル ジオグラフィック2016年12月号に
「信じる者は癒やされる」という記事があったが、
まさにそんな感じ。
MRIの費用は、お財布に優しい金額ではなかったけれど。


自分の単純さに呆れつつも、
<いつもどおりの日常>に戻れたことは、嬉しかった。


頭を強打するのはイヤだし、
「どうしよう、どうしよう」とクヨクヨするのもイヤだけど、
たまには<非日常>の入り口を覗き込んで、
<いつもどおり>がどれだけありがたいことか
実感することも必要なんじゃないかと思った。


普段どおり・いつもどおりにすごせるのは、
平凡な日々の繰り返しなどではなく、
実はものすごく幸せでありがたいことなんだと
心の底から納得できるから。


この感覚はすぐに消えてしまうけれど、
不意打ちを喰らって「ありがたみ」を再確認する機会が
時々あるくらいが丁度いいのかもしれない。

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2017年 1月 14日

2017スタート

カテゴリー: 生活一般



2017年になったと思ったら、あっと間に2週間経過。

年末最終日に普段は2、3日かけてやる作業を
1日で終わらせてヘロヘロになって帰宅した後、
正月飾りも用意し、
それなりに大掃除を済ませ、
年賀状を書き、甥姪へのお年玉を用意し、
婚家・実家へ新年の挨拶をしに行った。


一瞬で冬休みが終わり、再び日常へ。

天皇誕生日から成人の日までたっぷり休んだ息子は
さらに巨大化した。

婚家でも実家でもヤツはとにかく食べまくった。
特別な機会だからたらふく食べたのか、
それとも普段の食事では、
絶えず「Very飢える」状態になっているのか。


部活の初稽古では、先生から「背、伸びた?」と言われたとか。
一緒に暮らしていても巨大化を感じるのだから、
間隔があけば<大きくなった感>は余計強いのかもしれない。




1月9日の成人の日には、毎年恒例の両親接待。
201701IMG_2017Jan1


ついに二人とも80歳を超えてしまった・・・!

来年も元気にフランス料理をペロリと平らげて欲しいものだ。
201701IMG_2017Jan2


去年は6月の異動の後、仕事に慣れるまでがホントに大変で、
ブログを書こうという気になれなかったが、
今年は週に1回でもいいから、とにかく書きたい。
書かないでいると書けなくなるし。

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2016年 12月 30日

2016夏 台湾旅行 その3

カテゴリー: 旅行


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朝イチで寿山公園へ。
ここは昭和天皇が皇太子の時代に訪れた場所。
寿山という名前になっているが、高さは360mで、山というよりは丘。
といっても、高雄港や町の景色が一望できる。
若者のデートスポットだそうで、マックのテイクアウトのゴミとか、
プラスチックの飲み物の容器が放置されていた。


おそろいの青いTシャツを着た学生のグループが階段を上ってきた。
そして、おしゃべりしたり、笑ったりしながら、
リラックスした雰囲気で、せっせとゴミを集め始めた。
肩肘張ったところはなく、ごくごく自然な動作だったので、
ここの掃除は、日課というか、日常的な作業になっている感じだった。


Tシャツの背中には、日本語で
「努力はうそをつかない
 負けて泣くより勝って泣け」
と書いてあった。


青いTシャツは部活のユニフォームなのかな?
バスケ部とかバレー部という感じではなかった。
卓球部かな?


ツアーの参加者たちも彼らのゴミ拾いを見ていて、
作業が終わる頃に拍手していた。
学生たちは「ええっ??」と戸惑っていたようだったが、
<言葉の通じないおじさん・おばさんが
 自分たちのゴミ拾いに感心している>
というのはわかったようで、ちょっと照れくさそうにしていた。



続いて日月潭湖畔へ。
もともとは日潭と月潭という二つの潭があったそうだ。
日本統治時代にくっつけて、日月潭にしたとのこと。
水力発電に適した場所なんだとか。
日月潭の深さは平均30メートル。

1999年9月21日に台湾中部の南投県集集鎮付近を震源とする、
M7を超える地震の際、湖畔の文武廟も日月潭のリゾートホテルも
大きな被害を受けた。

台湾の西側は地震は少ないそうだが、地震が起こった場合は、
規模の大きな地震になるそうだ。


なお、南投県は台湾唯一の「海ナシ県」。
平地には主に漢民族が住み、山地には少数民族が住んでいるという
説明があった。


日月潭の少数民族がもっとも人数が少なく283名だけ。
人数が多いのが花蓮のアミ族。
29万人いて、16ある少数民族の半数以上がアミ族らしい。


ガイドさんの話によると、少数民族は、歌やスポーツの分野では
秀でた人が多いそうだ。

台湾のプロ野球の選手のうち、漢民族と高砂族の比率は半々。
少数民族は文字通り「少数」なのだから、
野球という分野だけでも、スポーツが得意というのは納得できる。

日本のプロ野球で活躍した郭 源治、郭 泰源、日ハムの陽 岱鋼は
少数民族らしい。

特に高砂族は歌が上手なんだとか。
ガイドさんは「生まれつき上手い」と言っていた。



文武廟へ。
門の入り口の数によってランクが決まるそうだ。
5つ:社長クラス、3つ:部長クラス、1つ:係長クラス。

龍の指の数もランクと関係している。
皇帝の御物の龍は、指が5本ある。
神様関係の龍は4本、王様レベルだと3本。
皇帝の方が神様より偉いのか・・・!!


道教の廟では、お供え物はお参りの後に持ち帰る。
神様のパワーがつくらしい。


おみくじは横浜中華街の関帝廟と同じ。
http://www.m2-dream.net/?p=2129


「神筈」(しんばえ:三日月型の神具)を投げて、
質問してもいいかどうかを神様にお尋ねすることからスタートする。
質問してもOKとなれば、くじを引く。


日本の場合、神社でおみくじを引くと、
結果が書かれた紙を境内の木に結び付けて置いてきてしまうが、
道教のおみくじは、その内容に沿って行動する必要があるため、
結果の紙は、必ず持ち帰る。



この後、バスで台北へ移動。
最終日の食事は、オプショナルツアーの位置づけ。
ガイドさんと一緒におススメのレストランに行ってもいいし、
自分たちでいろいろ歩き回って、よさそうなお店に入ってもいい。

我々はオプショナルツアーには参加せず、
街歩きをすることにした。

三創生活というショッピングセンターに入ると、
なんと!


東離剣遊記/サンダーボルトファンタジーの展示をやっていた!
霹靂社の人形劇には固定ファンがいるせいなのかもしれないが、
結構大勢の若者が来て、特設ショップで買い物したり、
人形の展示の写真を撮ったりしていた。
夫もなんだかやたら熱心に写真撮影していた。


夕食はちょっとひなびた感じの小さいフードコート。
超プチプライス・・・おいしかったけど。




20160725

ついに最終日。

まずは、龍山寺。
こちらに祭られているのは本尊は観世音菩薩。
しかし、道教の神様も祭られている


台湾では、仏教と道教が習合しているらしい。
日清戦争での清の敗北により、台湾は1895年に日本に割譲された。
日本統治下では仏教はOKだったが、
中国の教えとされる道教はNGだったそうだ。
しかし、長い間の信仰が簡単に消えるわけがなく、
仏教を隠れ蓑にしたのか、習合していったとのこと。
かなり融合が進んでいるので、
多くの台湾が仏教の教えと思っているものが
実は道教の教えだったりするらしい。


ここに祭られている関羽将軍は経営の神様。
軍隊の経営(運営?)が上手だから、という理由。


文昌帝君は学問の神様。
昔は受験シーズンには実に大勢の学生がお参りに来ていたそうだ。
受験票を置いて祈願するんだとか。
でも、「神頼み」じゃだめ。
自力で頑張って勉強して、いい点数を取らないといけない。
「もし、同じ点数のライバルがいたら私を合格させてください」
というお願いなら聞いてもらえるらしい。


息子にお守りをねだられたが、
中国の神様は厳しいんだ、努力しないヤツを助けたりしない!
お守り買ったらOKなんて気持ちじゃ、ご利益はないぞ!
と強く言ったら、あっさり引き下がった。

ガイドさんの話、全く聞いてなかったのか・・・


日本と台湾のお寺の違いとして説明されたのは、
台湾のお寺には若い人が大勢来るということ。

台湾人は小さい頃から、お寺に連れて行かれるという。
両親や祖父母など身近な大人が連れて行くのだろう。
小さい子どもはお寺の壁の絵にまつわるお話などを
大人に教えてもらう。
そういうこともあって、自分の家の近所のお寺に
なついているそうだ。

困ったことがあれば、親よりも神様に相談するんだとか。
お年頃になれば、親には言えない相談事も当然出てくるだろう。
言えないというか、言いたくないんだろうけど。
そういうときに、神様にご相談できるというのはいいなぁ。

自力で大きくなったようなナマイキな年頃の若者が、
自分から神様に聞いてみようという気持ちになるとは、すばらしい。



<台湾の文明時代>(と、ガイドさん言っていた)の建物は
オランダ統治時代(1662年 – 1683年)のものから始まる。
龍山寺は創建から300年くらい。

どの時代の建物も大切だから保存する。
「ここが韓国と違うところです。
 あのひとたちは<なかったことにしたい>と考えてるみたいなので」
という、ガイドさんのコメントが印象的だった。


日本の統治下では、内地人(日本人)、本島人(台湾の漢民族)などの
差別はあったそうだが、統治者が清や国民党のままだったら、
近代化はムリだったと考える人が多いそうで、
そのせいか、基本的に親日の人が多いとのこと。




忠烈祠で衛兵交代を見た。
こちらは屋外なので、移動距離が長く、炎天下では大変そう。

ガイドさんのお話によると
初日に見た中世紀念堂で衛兵交代をやっていたのが空軍。
こちらは建物の中なので所要時間は10分。

忠烈祠は海軍。
入り口の門からスタートして長い広場を横切って奥の建物まで行って
戻ってくるので、所要時間は20分。

炎天下のパフォーマンスも、
交代の時間になるまで微動だにせず人形のように立っているのも、
軍隊でやることの中では「ラク」だとのこと。
いったい何をやってるんだろう・・・??


衛兵交代の担当者はルックスで選ばれるとのことで、
基本的にイケメン揃いだという。
イケメンというより、涼やかな目元の好青年って感じ。
・・・というのはオバサンの感想。


1911年は中華民国元年。
なので、2016年は中華民国年暦では105年。
この105年という表記が正式・公式。
台湾の人はすぐに換算できるんだろうなぁ。
昭和までは、西暦換算がすぐにできたけど、
平成になってからは、基本は西暦で、
必要があれば平成に直してしている感じ。





続いて九イ分観光。


九イ分という名前の由来は、
この地には9家族しか住んでいなかったから。
生活に必要なものは、基隆まで代表者(?)が買いに行っていた。
地名がないと不便だということで「九イ分」になったとのこと。

清の時代に九イ分で金脈がみつかったため、
ゴールドラッシュが起こった。

台北よりもにぎやかだった時期もあったという。
台湾の北部の最初の映画館は九イ分に作られたそうだ。


九イ分観光を楽しみに強いたけれど、
観光名所なだけあって、人人人人・・・・
狭い階段いっぱいに人人人人人・・・・

昼食を取ったレストランは眺めがよくてすばらしかった。
お料理は田舎の親戚に遊びに行ったときに出される料理
という感じだった。


人ごみの中を歩くのが疲れたので、脇道に逸れて、
日本とは違う雰囲気の住宅地を歩き回った。

暑くて疲れてきたのでバスへ引き返すことにした。
階段を降りきって少し歩いたところにある小さな売店で
棒アイスを買った。
カッチンカッチンに凍っていて、
アイスというよりは氷みたいだった・・・
味はよかったけど、なかなか溶けないので食べるのが
ちょっと大変だった。


楽しかった観光もコレでおしまい。
バスは空港へ向かった。


CI222で羽田へ。
外は真っ暗。
クルマで帰宅。


長いようで短い旅だった。





・・・と、思う。
旅の記録は感動や記憶が鮮明なうちに文字にしないと
すぐに忘れてしまう。

旅行中に書いたメモは残っているけれど、
どういう気持ちで書いたのかは、
あっさり忘れてしまう。


楽しかった、また行きたいという気持ちだけ残れば
いいのかもしれないけれど。

    
    
    
    
    

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