レシピ・ノート

 
 
目次

第1章

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第2章
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第3章 
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第4章 
 




 

レシピ・ノート 第1章 


当館をご利用になる方々がかなり増えてきましたので、
この度、喫茶室を改築することになりました。


 
と、言ってもこれまでの雰囲気を変える予定はなく、
同じような材料を調達し、違和感がないようにして、
スペースを広げる方針です。
 
 
 
喫茶室は、当初はテーブルとイスが置いてあるだけの休憩所でした。
 


お茶などの提供を始めたのは、
休憩所が作られてからしばらく経ってからですが、
ずっと同じ場所にありました。
 
 
 
今回、スペース広げるために、作り付けの棚を分解したところ、
棚の天板と天井の間のわずかな隙間から、
薄いノートが見つかりました。
紙は痛んでいないし、書かれている文字も鮮明でした。
見た目にはせいぜい5,6年前のものにしか見えません。


 
しかし、このノートに書かれた文字は、
当館からだいぶ離れた地域で、
数百年以上前に使われていたものでした。
 
 
  
この文字の研究は数年前に始まっていますので、
ノートの表紙に書かれている言葉が
 「料理の作り方」
を意味していることはすぐに解明できました。
 


しかし、ページごとの内容を解明するには、
時間がかかりそうでした。
料理の名前と材料、手順などが書かれているのでしょうが、
現時点では解明されていない言葉ばかりなのです。
 
 
  
食べ物の名前というのは特に難しく、お米を例にすると、
稲・稲穂・米・ご飯など、米がどういう状態かによって、
呼び方が変わることが多いのです。
 


身近な、いつも食べているようなものほど、
多種多様な表現が生まれるので、
   「現在の我々の言葉では、何に当たるか?」
を特定するのが難しくなるのです。
 
 
 
ノートの文字の解読作業と並行して、
いつ、誰が書いたのかを調査することになりました。
ノートのページのほとんどに、
まとまった書き込みが残されていましたが、
これら全てがレシピではない可能性もありました。 
というのは、記録が残っている範囲では、
喫茶室で提供してきたメニューの種類は、
あまり多くはないからです。
喫茶室で提供してきた料理のレシピだとしたら、
ほんの数ページで終わるはずです。
 
 
 
また、「このノートと喫茶室が全く無関係」
という可能性もゼロではありません。
当館では、時間や空間のゆがみやゆらぎが起こることも
珍しくないからです。
 


時間的にも空間的にも縁のない場所にあった物体が、
当館に流れ着いたことは、過去に何度かありました。
 


流れ着いたものは、細い隙間に落ちることが多く、
このノートが棚の天板と天井の間の
わずかな隙間に入っていたことから、
「漂流物」の可能性もありました。
 
 
 
このノートの調査は、
所蔵品調査チームに新たに加わったメンバーが
担当することになりました。
彼にとっては初仕事です。


 
寄贈品の場合は、寄贈者への報告を兼ねて、
期限を切って調査する必要があるのですが、
このノートに関しては、そういう締切はありません。
 「まったく手がかりのないところから調べる」
という経験を積むには良い材料と言えるでしょう。
 
 
 
まったく手がかりがない場合は、
当館で所蔵しているさまざまな測定機や、
検査器具を使うことになるので、
いろいろ覚えられるというメリットもあります。
 

 
調査チームの新メンバーは、研究ブースを与えられ、
このノートは特別な箱に入れて保管することになりました。
 
 
 
詳細な調査を行う前の所蔵品を管理している
当館の倉庫の扉には、他の場所とは違った素材が使われています。
見た目は、どっしりした、重厚な印象の木の扉にしか見えないので、
他の場所の扉と比べて外見上の大きな差はありませんが、
倉庫の扉は昔から「意志を持つ扉」と言われていました。
 
 
 
倉庫内には調査のためのたくさんの小部屋があり、
これらの部屋の入り口にも「意志を持つ扉」が
つけられています。
  
 
 
「意志を持つ扉」には鍵はありません。 
ドアノブもありません。
扉の前に誰かが立つと、その人を入れるべきかどうかを、
扉が判断します。
入れるべき人なら扉が開きます。
 

  
意志を持つ扉は、前に立った人の意図を読み取ると
言われています。
どういう意図で中に入ろうとしているのかが問われる、と。
 
 
 
明確な意図を持っている人ほど、扉はすぐに反応します。
中に入って自分がやろうとしていることを
はっきりと思い描ける時は、扉は驚くべき早さで開きます。
 

 
また、「やろうとしていること」の内容も、扉は把握しています。
それが、当館と来館者にとってプラスかマイナスかを
判断しています。
 
 
 
所蔵品の調査担当チームのメンバーであっても、
何か大きな心配事があったり、
体の調子が悪くて、気持ちが定まらないと、
扉が開かないこともあります。
 
 
 
当館での所蔵品の調査において、歴史上の大きな発見があったり、
謎とされてきた事柄を科学的に解明した等の、
数々の成果をあげてきたのは、意志を持つ扉によって、
ベストな状態の調査員にしか
調査をさせないようにしてきたからかもしれません。
 
 
 
 
ノート担当の調査員は、毎日朝早くから夜遅くまで
研究を続けていました。
ノートに書かれていた文字は、解読が進んでいるものなので、
当館所蔵の研究資料を使えば、ノートの内容は、
ある程度は理解できました。
 
 
  
ただし、レシピ・ノートだけあって、
おそらく調味料だろう、おそらく乳製品だろう、
という程度のことしかわからない単語もたくさんありました。
また、料理法を表す言葉ということはわかっても、
それが具体的にどういうことをするのかは、
さっぱり見当がつかないというものもありました。
 
 
 
 
ある朝、調査員がいつものように研究を始めようとして、
ノートを保管している木製の箱を開けようとしたところ、
蓋があかなくなっていました。
 
 
 
蓋に蝶番のついたカギのない箱なので、
ただ、パタンと蓋を閉じてあるだけの状態なのですが、
まるで接着剤で張り付けたかのように
蓋は動かなくなっていました。
しばらく格闘しましたが、どうしても開きません。
 
 
  
この箱もまた、意思を持つ扉と同じ材質で作られているので、
調査員なら開けられるはずなのですが、
どうやっても開きませんでした。 
 
 
  
調査員は、誰かに相談しようと考えて外に出ました。
 
 
 
庭をぶらぶら歩いてみましたが、朝早い時間なので、
誰もいません。
ずっと歩いて行くと、
掃除をしているおばあさんに会いました。
調査員が挨拶すると、おばあさんも笑って挨拶しました。
「困った顔してるねぇ」
おばあさんは面白そうに言いました。
 
「わかりますか?」
 
「あなたの顔にね、困ったなぁって書いてあるよ」
 
調査員は手の甲で顔をこすりました。
おばあさんは大笑いしました。
 
  
「年寄りが見ればわかるってことよ」
 
「はぁ・・・」
 
「あなたはここで働いているの?」
 
「はい。調査チームです」
 
「あらまあ! それはすごい!」
 
おばあさんは目をまん丸にしました。
 
表情がクルクル変わる人だなぁと調査員は思いました。
 
「あなた、朝ごはんは?」
 
「は?」
 
お掃除のおばあさんが
いきなり真面目な表情になって尋ねてきたので、
調査員はびっくりしました。
 
「朝ごはん、食べたの?」
 
「コーヒーくらいは」
 
「それは朝ごはんって言わないのよ。ちょっと来なさい」
 
おばあさんは箒を近くの木に立てかけると
スタスタと歩き出しました。
調査員はあわててついていきました。
 
 
 
おばあさんは調査員よりずっと小柄なのに、
歩くのがとても速くて、
小走りにならないとついていけないほどでした。
 
白樺の木が何本か植わっているところで、
おばあさんは左に曲がりました。
 
 
  
そこにはベンチとテーブルがあり、テーブルの上には
赤いギンガムチェックの布がかけられたバスケットが
置いてありました。
 
 
「ありがとうねー もう行っていいよー」
 
おばあさんはいきなり木の上の方を見上げて、声をかけました。
 
するとバサバサっという音があちこちから聞こえて
黒っぽい小さな鳥が一斉に木から飛び出して行きました。
 
「私の朝ごはんを見張っててもらったの」
 
「今飛んでいった鳥に?」
 
「そうよ。見張り番は鳥さんに頼むに限るわね」
 
「鳥と・・・いや、鳥さんと話ができるんですか?」
 
調査員はおばあさんのマネをして
「鳥さん」と言い直しました。
 
  
「あら、あなたはできないの?」
 
おばあさんは目を丸くしました。
 
そんなはずはないでしょう?と言いたそうな感じでした。
 
「できないんじゃなくて、忘れてるだけね。
 そのうち思い出すわよ」
 
おばあさんは、バスケットの上から
ギンガムチェックの布を取ると、
テーブルクロスのように広げました。
バスケットの中には、茶色い紙袋が入っていました。
布とお揃いの、赤いギンガムチェックの模様の水筒も
見えました。
 
 
 
おばあさんは、紙袋を調査員に渡しました。
 
「特製サンドイッチよ」
 
「はぁ・・・いいんですか?」
 
「いいから渡してるのよ。
 確認する前に言うことがあるでしょう?」
 
「あ、ありがとうございます」
 
「あなたみたいな人は、親切の押し売りは苦手かもねぇ」
 
「い、いえ、そんな…」
 
おばあさんは恐縮している調査員を見て笑いました。
 
「お座りなさいな」
 
調査員がベンチに腰を下ろすと、
おばあさんもベンチに座りました。
 
テーブルの上のバスケットを自分の横に置き、
中から水筒を取り出しました。
さらに、まっ白いカップとソーサーを出して、
テーブルの上に並べました。
 
「私はね、紅茶が大好きなのよ」
 
そう言っておばあさんは、水筒の中身をカップに注ぎました。
 
いい香りとともに湯気が立ち上りました。
 
「これは私の特製紅茶」
 
カップをソーサーに乗せると、調査員に渡しました。
 
「さあどうぞ。召し上がれ」
 
「ありがとうございます。いただきます」
 
調査員は深々と頭を下げて、紅茶を飲みました。
 
「これ・・・ とってもおいしいですねぇ」
 
それを聞いた、おばあさんのよく動く目が細くなり、
嬉しそうな笑顔になりました。
 
「やーっと声が出たねー」
 
そしてケラケラ笑いました。
 
「声が出た」と言われて、調査員はきょとんとしました。
 
さっきから会話しているのに。
 
こちらの言葉が届いているからこそ、
おばあさんはいろいろ言っているはずなのに。
 
「今まで会話してたのに、なんで?って顔してるわねー」
 
おばあさんはまたケラケラ笑いました。
 
「あなたは笑われるのは好きじゃないタイプね。
 だったら、自分がもっと笑わないとね」
 
おばあさんは大きな口を開けて
サンドイッチをパクパク食べました。
食事をするのが嬉しくてたまらないという様子は、
なんだか小さい子どものようでした。
 
「声が出たって言ったのはね」
 
おばあさんは紅茶を一口飲んでいいました。
 
「感情のこもった声がやっと出たってこと」
 
そういうとまたサンドイッチをパクパク食べました。
 
「あなたも召し上がりなさいな。すっごくおいしいから」
 
おばあさんはそれだけ言うと、
また嬉しそうにサンドイッチを食べ、紅茶を飲みました。
おばあさんの食べっぷりに圧倒されていた調査員も
やっとサンドイッチに口をつけました。
 
「おいしい・・・」
 
パンと素材の組み合わせ、塩加減、口当たり・・・
すべてが調和している感じでした。
 
なんだか嬉しくなるような、自然に笑顔になるような味でした。
 
「おいしいでしょー 私の特製ですからねぇ!」
 
おばあさんは調査員が一つ目を食べ終わらないうちに、
すべてのサンドイッチを平らげていました。
そして満足そうにおかわりの紅茶を飲みました。
 
「あなたにおいしいって言ってもらうと、嬉しいわ。
 本気でそう思ってるって感じがするから。
 今の言葉も感情がすごく入っていたわね。
 あなたは、もっと自分の感覚を大事にしてあげないとね」
 
 
 
調査員はおばあさんの言葉を心の中で繰り返しました。
 
「自分の感覚を大事にしてあげないとね」
 
自分の感覚?
 
「自分はどう感じているのか、もっと注意しなくちゃ」
 
おばあさんは調査員の心を読み取ったようかのように言いました。
 
「どう感じているかは、わかっているつもりなんですが」
 
おばあさんのまっすぐな視線に
居心地の悪さを感じながら調査員が言うと
 
「わかってるつもり、じゃだめよ。
 ちゃーんと感じ切らなくちゃ」
 
「感じ切る?」
 
「あなたはね」
 
おばあさんは言いかけてから、紅茶を一口飲みました。
 
「またまた私の悪い癖が出たわ。
 年寄りはね、若い人にいろいろ言いたくなっちゃうのよ。
 特にあなたみたいな眼をした人には、ね。
 
 老婆心とはよく言ったものだわ! 
 私のための言葉かもねぇ」
 
おばあさんはそう言って笑いました。
 
調査員はどう反応していいのか困ってしまい、
サンドイッチに手を伸ばしました。
 
「私はお掃除の続きをしてくるわ。
 あなたはゆっくり味わって食べてね。
 
 食べた後は、テーブルの上のものを全部バスケットに入れて、
 この布をかけておいてね」
 
おばあさんは立ち上がって伸びをすると、
ここまで来た時と同様、すごい速さで歩いていきました。
 
あっという間に遠ざかり、角を曲がったのか、
姿が見えなくなりました。
  
 
 
おばあさんの後ろ姿を見送った調査員は、
残りのサンドイッチを食べました。
 
特に目新しいものは入っていないのに
どうしてこんなにおいしいんだろう?
 
材料の一つ一つがおいしいのは確かだけど、
それ以上に何かがあるような気がする・・・
 
 
  
紅茶もおかわりして飲みました。
 
これまで飲んだ紅茶の中で、一番おいしいかもしれないな・・・
 
 
 
時間の流れがゆっくりになったような気がしました。
 
 
 
こんなにのんびり食事したのは久しぶり。
いつも考え事したり、書類を見ながら食べていたかも。
食べ物の味を感じながら食べることはなかったな・・・
 
 
 
熱い紅茶をゆっくりゆっくり味わって飲むと、
いつも頭の中に居座っていた
  「やらなきゃいけないこと」
  「食事が終わったらすぐやること」
が、どこかへいってしまったような感じです。
 
 
 
ぽっかり空いた空間に、気持ちよい風が吹き込んでくるようです。
こんなにのんびりした時間は本当に久しぶりです。
 
 
 
何も気にしないで、ただ食べることだけを楽しんだのは、
ここ数年全くなかった経験でした。
 
 
  
自分がここに確かにいて、ベンチに座って、
サンドイッチを食べながら紅茶を飲んでいる・・・
 
 
  
当たり前といえば当たり前のことですが、
自分の身体がどこにいて、何をしているのかを
きちんと意識したのも、すごく久しぶりのような感じがしました。
 
 
 
調査員は、これまでにないくらいゆっくりゆっくりサンドイッチを食べ
紅茶をじっくり味わって飲みました。
  
 
 
おいしかったなぁと思った時に自然と
 
「ごちそうさまー!」
 
と、自分でもびっくりするくらい大きな声が出ました。
 
 
急に恥ずかしくなり、周りを見回しましたが、
誰もいませんでした。
 
 
 
それから、おばあさんに言われたとおりに片付けをしました。
 
 
これでいいのかなぁ・・・
 
 
木の枝がバサッと揺れる音がしたので、
調査員は近くの木を見上げました。
 
 
 
カラスくらいの大きさの白い鳥が、
枝にとまって調査員を見下ろしていました。
 
 
  
鳥の真っ黒い光る目と視線が合ったとたん、
 
「これ、見ておいてくれませんか?
 そのうちおばあさんが戻ってくると思うので」
 
調査員は、人間に話しかけるのと全く同じ感じで、
普通に話しかけていました。
 
 
 
白い鳥が頷くように頭を動かしたように見えたのは、
気のせいだったのかもしれませんが、
自分の言葉は、ちゃんと伝わってるような気がしました。
 
 
  
それからおばあさんの姿が見えなくなった方へ
ゆっくり歩いていきました。
おばあさんにお礼が言いたかったし、
ちょっと失礼かもしれないけど、
何でいろいろわかるのか、聞いてみたい気がしたのです。
 
 
 
他にも自分が疑問に思っていることを質問したら、
きっと答えてくれるだろうと思えたのです。
 
 
 
このあたりで曲がったと思われる角で曲がり、
しばらく歩いていきましたが、誰にも会いませんでした。
 

 
道を引き返して、反対の角を曲がったりしながら、
おばあさんを探しましたが、
風に揺れる葉っぱのザワザワと鳥の声が聴こえるだけで、
誰にも会いませんでした。
 
 
  
調査員はしばらくうろうろしましたが、
どうしてもおばあさんを見つけられませんでした。
 
 
 
でたらめに歩き回っていたつもりでしたが、
角を曲がったら、倉庫の裏手に出ました。
 
  
「ここに出るとは・・・」
 
 
ノートをしまってある箱が
どうしても開けられないので、諦めて出てきたのは、
なんだかずいぶん前のような気がしました。
 
 
 
倉庫の入り口に立つと、扉はすっと開きました。
調査員は倉庫に入り、箱が置いてある部屋へ向かいました。
 
 
  
机の上は部屋を出た時のままでした。
 
調査員は椅子に座り、
ノートが入っている木製の箱をじっと見つめました。
 
 
 
蓋を開けるのが怖い。
また開かなかったらどうしよう・・・
 
  
そう思うと急に緊張してきました。
蓋に手をかけたくても、手が嫌がっているようで動きません。
 
 
  
調査員はため息をついて、気持ちを切り替えようとしました。
 
 
 
「やーっと声が出たねー」
 
不意に耳の奥で、おばあさんの声が聞こえました。
 
あのひとは、どこへ行ってしまったんだろう・・・
 
 
 
おばあさんの声を思い出したのがきっかけで、
美味しいサンドイッチや、
いい香りの紅茶のイメージが浮かんできました。
 
 
 
あれは本当においしかったなぁ・・・
もう一度食べたいなぁ・・・
 
 
 
調査員は「おいしいイメージ」をしばらく楽しんでいました。
 
 
 
食事がおいしいって久しぶりだったな。
 
 
 
それから、覚悟を決めて、蓋に手をかけました。
 
 
  
蓋は昨日と同じようにすんなり開きました。
今朝、どうしても開かなかったのが嘘のようです。
調査員は拍子抜けしてイスに座り込みました。
 
 
 
いったい何だったんだ?? 
こんなに簡単に開くのに・・・
今朝はどうやっても開かなかった。
接着剤でくっつけたみたいだったのに。
 
 
 
箱の中からノートを取り出し、ノートの背の部分を持って、
ページをパラパラさせると、ふっと紅茶の香りがしました。 
おばあさんと一緒に飲んだ紅茶の香りです。
 
 

調査員はびっくりしてノートに顔を近づけました。
しかし、ノートからはあまり香りが感じられません。
もう一度ページをパラパラさせてみました。
すると、あの香りが漂ってきました。
 
 
 
ページをめくると香りがするのに、
ノート自体には匂いがない。
不思議だなあと感じたものの、とにかくいい香りなので、
調査員はしばらくの間、ページをパラパラさせていました。
 
 
  
この香りはどこから来てるんだろう?
ノートに書かれていることも大事だけど、
このノートにしみこんでる時間とか、
「気」とかエネルギーみたいなものも、
調査する必要がありそうだなぁ。
 
先にそっちをやった方がいいのかな?
でも、その場合は文字を写しておかないといけないなぁ・・・
どうやって進めたらいいんだろう?
誰かに相談した方がいいのかな?
 
 
 
調査員はページをパラパラさせながら考え込みました。
誰かベテランの司書に相談しようと思い、
椅子から立ち上がりました。
 
 
  
ノートはこの建物から持ち出すには、
また箱に入れなければなりません。
 
 
  
開かなくなったらいやだなぁ・・・
 
 
 
しかし、席をはずす場合も、箱に入れなければなりません。
調査員は何度かページをパラパラさせて、
紅茶の香りを味わって、心を落ちつかせてから、
ノートを箱に入れ、蓋をしました。 
そして、一度深呼吸をしてから、蓋に手をかけました。
 
蓋はすんなり開きました。
 
 
大丈夫なのかな・・・
今朝はどうやっても開かなかったから、
蓋を閉めるのが怖くなってきた・・・
 
もう一度蓋をしめ、もう一度開けてみました。
 
問題なく開いたので、調査員はまた蓋をしめました。
 
 
いろいろ知っていそうなベテラン達の顔を思い浮かべながら、
誰に相談しようかと考えながら、外に出ました。
  
 
 
 
静かな庭を横切って、本館に入ると、
喫茶室に行ってみようという気になりました。
 
 
  
そういえば、このノートが喫茶室のどこから出てきたのかは、
自分の目では確かめてなかった・・・
 
 
  
調査員は廊下を歩き始めました。
 
 
 
ふと窓の外を見ると、さっきのおばあさんらしき人影が、
木々の向こうの遊歩道を歩いているのが見えました。
 
 
「あっ」
 
調査員はあわてて、外に飛び出しました。
そして、全速力で遊歩道まで走りましたが、
人影ははるかかなたを歩いていました。
 
 
  
あのおばあさんはめちゃくちゃ足が速かった・・・・
 
 
 
調査員は必死になって走りましたが、
おばあさんらしき人影は、あっという間に見えなくなりました。
 
 
  
あきらめきれず、またうろうろしていましたが、
やはり見つかりません。
 
 
  
走り疲れて、近くのベンチに腰を下ろすと、
ため息をつきました。
木の葉がザワッと音を立てて揺れました。
 
 
 
風が吹き抜けていきます。
 
 
 
空を見上げると、雲がゆっくり動いているのが見えました。
 
 
 
これから、喫茶室に行ってみよう・・・
 
 
 
立ち上がって歩き出してから、
何も持たずに出てきたことを思い出しました。
ノートもペンも持っていません。
 
  
一旦戻ったほうがいいかな・・・
 
 
その時、耳の奥で
 「たまには、自分の感覚に覚えさせてごらんよ」
と、おばあさんの声が聞こえたような気がしました。
 
 
じゃあ、このまま行ってみよう。
 
 
調査員はそのまま喫茶室に向かいました。
 
 
 
 
喫茶室の重厚な印象のテーブルに着くと、いい香りがしてきました。
 
 
 
調査員の席から少し離れたテーブルに座っている、
初老の男性が飲んでいる紅茶の香りのようです。
おばあさんの紅茶によく似た香りです。
 
  
でも、ちょっと違う感じがしました。
 
 
その男性は、とても美味しそうな
金色のアップルパイを食べていました。
 
 
喫茶室のスタッフが注文を取りに来ました。
 
「あの方と同じものを」
 
スタッフは、調査員の視線の先の男性の席をちらっと見てから
 
「かしこまりました」
 
と言って一礼して立ち去りました。
 
 
 
注文した紅茶と金色のアップルパイが運ばれてきました。
紅茶の香りは、やはりおばあさんの紅茶に似ていました。
飲んでみると、味もよく似ています。
 
 
でも、どこか違う・・・
 
 
具体的にここが違うとは言えないけれど、
違うということだけは、確かでした。
 
 
  
アップルパイを食べようとした時、
こんなに金色だったかなぁ?と感じました。
 
  
ここでアップルパイを食べたのはいつだっけ?
でも、こんな色じゃなかったような気がする。
もっと落ち着いた茶色じゃなかったかな?
紅茶も、違う種類だったんじゃないかな・・・
 
 
 
記憶をたどろうとしましたが、
ふわふわしていて、輪郭が定まらない夢のカケラから、
夢全体を思い出そうとしているような感じでした。
 
 
  
アップルパイも紅茶も、
言葉から連想できる範囲のイメージしか浮かんできません。
  
 
 
窓の外に視線を向けた時、前回ここに来たのは、
肌寒い雨の日だったんだと思い出しました。
 
 
  
寒かったから、あったかいものとか、
甘いものが食べたかったんだ・・・
あれは何月だったんだろう?
 
 
 
いつの間にか初老の男性は席を立っていて、
スタッフがお皿を下げに来ていました。
  
「あの・・・」
 
調査員はスタッフに声をかけました。
 
「あの、紅茶の種類とかアップルパイの焼き方を変えましたか?」
 
「ええ。気がつかれましたか? 
 それほど大きくは変えてないんですけどね。
 紅茶は淹れ方をちょっと変えただけです。
 茶葉は同じものですよ。
 
 アップルパイも、材料はそのままで、
 焼き方を少し変えました」
 
「どうしてですか?」
 
質問した直後に、非難がましい感じがしたかな・・・と
思った調査員はすぐに、
 
「あの、とってもおいしいので、嬉しいんですけど・・・
 どうしてかなと思ったものですから。
 何かきっかけがあったんですか?」
 
と、付け加えました。
 
 
  
スタッフは笑いながら言いました。
 
「面白いお客さんがお越しになりましてね。
 その方から紅茶の淹れ方とアップルパイの焼き方について、
 ご提案があったんですよ。
 
 こうすればおいしくなる、という言い方ではなく、
 こうやると味が変わる、
 でも、それが好きかどうかは好みの問題
 と、おっしゃっていました」
 
「それで試してみたんですね」
 
「ええ。スタッフ全員で試食しました。
 ここで昔から働いている司書にも協力してもらいました。
 全員一致で、やり方を変えた方がいいという結果になりました。
 
 こちらによくいらっしゃる方々にも試食していただきました。
 非常に評判がよかったので、変えることにしました」
 
「お客さんってどういう人だったんですか?」
 
「とても元気のいい女性です」
 
それを聞いた調査員は、
あのおばあさんかもしれないと感じました。
 
「お年を召した方ですか?」
 
「そうですね。
 でも、若いスタッフより、はるかに元気な感じですね」
 
 
 
やっぱり・・・!
 
 
 
「その方は、こちらに何度もいらっしゃってますか?」
 
「変えた直後に何度か続けていらっしゃいましたが、
 最近はお見えになっていないですね」
 
「そうですか・・・」
 
調査員はちょっとがっかりしました。
 
 
 
「最後にいらした時は・・・
 その後、お見えにならなくなるとは思わなかったんですが、
 とてもおいしそうに召し上がっていました。
 またいらして下さるといいんですけど」
 
キッチンの方で鈴の音が鳴りました。
 
「失礼します」
 
スタッフは一礼してキッチンの方へ戻って行きました。
  
 
 
調査員は、ゆっくり紅茶を飲み、アップルパイを食べました。
 
 
 
あのおばあさんに何とか会えないかなぁ・・・
会ったら会ったで、会話になるかどうかわからないけど。
また一方的に言われちゃうかもしれないなぁ・・・
 
 
 
食べ終わると調査員は図書館の庭を歩き回りました。
ノートのことはちょっと忘れたい気分でした。
 
 
  
昨日まで、最大の関心事だったのに。
食事もそこそこに朝から晩までかかりっきりだったのに。
何だか気が抜けちゃったな・・・
これからどうやろうかなぁ・・・
 
 
 
ぶらぶら歩いていくと、歩道の真ん中にリスがいました。
 
「あ!」
 
自分でもびっくりするくらいの声が出ました。
 
 
  
木の枝を渡っていくリスを見たことは何度かありましたが、
地面にいるリスを見たのは初めてでした。
リスはじーっと調査員を見ていました。
 
あれ?・・・逃げない?
 
調査員はゆっくりゆっくりリスに近づいていきました。
 
かなり近づいても、リスは全く動かないので、
調査員は戸惑いました。
 
 
 
自分は何をしようとしてるんだろう?と思いました。
 
 
 
別にリスを捕まえたいわけでもないし、
触ってみたいわけでもない。
 
 
  
何で近づこうとしてるんだ??
 
 
 
調査員が足を止めると、リスはパッと走り出しました。
 
 
 
そして調査員からちょっと離れた場所でまた止まって、
黒い目で調査員をじーっと見ました。
 
 
 
なんなんだ???
 
 
 
調査員が動かないのを見ると、リスは後ろ脚で立ちあがりました。
そして、小さな前脚を「おいでおいで」というように動かしました。
 
 
 
「???」
 
 
 
調査員が近づくと、リスはまたパッと走り出しました。
 
 
 
調査員は、リスが「おいでおいで」をしたのは、
たまたまそういう動きになっただけで、
別に手招きしていたわけじゃないと思いましたが、
どうもそうではなさそうでした。
   
 
 
リスは、調査員が追ってこないのを見ると、
ピタッと止まって立ち上がり、「おいでおいで」をするのです。
  
 
 
何度かそれを繰り返すと、
リスは、調査員の顔をちらっと見て、
 
「もうやーめた!」
 
とでも言うように、近くの木にささっと登ると、
枝から枝へ飛び移ってどこかへ行ってしまいました。
 
 
  
だいぶ建物から離れちゃったな・・・
 
 
 
周りを見回すと、白樺の木が目に入りました。
 
 
 
もしかして、この近くのベンチで、
おばあさんと一緒にサンドイッチを食べた・・・?
 
 
  
白樺の木は敷地内のところどころにまとまって植わっているので、
目印にはならないのですが、なんとなくそんな気がしました。
 
 
 
白樺の近くにはベンチがありました。
しかし、似たようなベンチは至る所にあるし、
ここと同じような雰囲気で、木が欝蒼と茂っている場所も
いくらでもあります。
  
なので、ここが今朝おばあさんと一緒に
朝食を食べた場所かどうかはわかりませんでした。
 
 
  
調査員はベンチに座って空を見上げました。
 
 
 
どうしようかなぁ・・・
 
 
 
頭の中でノートが占めていた場所に
ぽっかり穴があいたようでした。
 
 
 
どうでもいいというわけではないのですが、
ノートの研究よりも、もっと何か大事なことが
あるような気がしてきたのです。
 
 
  
でも、その「もっと何か大事なこと」が何なのかは
すぐに思いつきませんでした。
   
 
 
こうやってふらふらしてたら、
ノートを入れてある箱が開かなくなるかもしれないなぁ・・・
 
 
そんな考えがふと頭をよぎると、
 
「そろそろ戻らなきゃ!」
 
という声が自分の中で聞こえてきました。
 
 
 
それを聞くと、今、戻るのは嫌だなぁという気持ちになりました。
 
 
 
「おばあさんに会えないかなぁ」
 
独り言のようにつぶやくと、
 
「私に何の御用?」
 
いつの間にかテーブルをはさんで反対側に
あのおばあさんが座っていました。
 
 
  
調査員はびっくりして飛び上がりました。
本当にいきなり現れたという感じでした。
 
 
 
「え! あ!・・いつの間に・・・」
 
「いつの間にって、すぐ近くにいたのよ」
 
と、おばあさんは言ったものの、
人の気配は全く感じられませんでした。
 
 
  
「そりゃそうよ、隠れようと思えば隠れられるもの」
 
おばあさんはまた調査員の心を読み取ったように言いました。
 
「ここの森はそういう森」
 
「そういう森って?」
 
「そうねぇ・・・どう説明したらわかってもらえるかしら。
 つまりね、この森は私の古い友達で、私を守ってくれるのよ」
 
「・・・・」
 
「全く理解できないって感じねぇ」
 
おばあさんはそう言って笑いました。
 
「はあ、あの・・・」
 
「抽斗図書館の方の中では珍しいタイプね」
 
「は?」
 
「森が友達だったり、鳥と会話したりって別に普通でしょ?」
 
「・・・」
 
「鍵のない箱があかなくなることもあるし」
 
「!!」
 
「驚くことないでしょ」
 
おばあさんはケラケラ笑いました。
 
「木は繋がってるのよ」
 
「どういうことですか?」
 
「どういうことって、私が言った通りよ。
 繋がってるから、情報が行き来する」
 
調査員が口を開こうとした時、
 
おばあさんの肩の辺りから、リスがひょこっと顔を出しました。
 
そして、おばあさんの肩に乗ると、内緒話をするように、
おばあさんの耳に顔を近づけました。
 
本当に何か言ったらしく、おばあさんは
 
「あらそう。じゃあ行くわ」
 
とリスに返事をしました。
 
リスはおばあさんの肩から飛び降りて、
近くの木に登ると、枝から枝へ飛び移っていきました。
 
「呼び出されたから、戻るわね」
 
「戻るって、どこへ戻るんですか?」
 
「私の居場所。
 近々また会えるから、質問タイムはこれでおしまい」
 
おばあさんは、そう言って立ち上がると、
さっさと歩き出しました。
 
 
  
調査員はあわてて追いかけました。
 
おばあさんは、太い欅の木の横を右折したので、
調査員も同じように右折しましたが、
もうおばあさんはいなくなっていました。
 
 
  
本当に一瞬でした。
まるで消えたようです。
辺りを見回しましたが、誰もいません。
 
 
 
「友達は大事よ」
 
そんな言葉が聞こえたような気がしました。
 
 
  

第2章
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