アーカイブ 2015年8月

2015年 8月 30日

夏旅行2015 北海道(4)

カテゴリー 旅行


(20150722 続き)



曇り空の下、向かったのは神居古潭。

なんだかさびしい場所だった。
お天気だったら全く印象が違うんだろうけど。

201507R5259432


201507P1010529


201507R5259433


息子が異常に怖がっていたので、
また熊の出現に怯えているのかと思ってからかっていたが・・・・


旅行記を書くにあたって、神居古潭で検索したら、
観光地案内に交じって、
「見えてはいけないものが見えてしまいました」的な情報も
少なくなかった。


201507R5259437


201507R5259438


201507R5259439



トンネルで「帰ろう帰ろう」と騒いでいたのは、
子どもじゃないとわからないような得体のしれないものを
ヒシヒシと感じていたのかもしれない。


201507P1010535


オトナだったら、
「そんなもの、いるわけない」と
本当は感じているはずのものを
理性とか意思とかで打ち消すことができても、
子どもは、そういうことにはまだ慣れていないから、
原始的な恐怖をそのままストレートに
感知しているのかもしれないなぁ。



201507R5259441


201507R5259442


201507R5259440

201507R5259446

201507P1010542






次に向かった先は「北海道伝統美術工芸村」。

http://www.yukaraori.com/

存在さえ知らなかったけれど、
タイムズレンタカーがくれた観光リーフレットに
伝統美術工芸村にある<雪の美術館>が紹介されていた。
なんだか面白そうだったので、行ってみることに。


201507R5259449


201507R5259453


201507P1010549




氷の回廊はメンテナンス中。
201507R5259456



ノズルから2℃まで冷やした地下水をかけて氷を作る。

ガラスの向こうはマイナス15℃。
こちら側は10℃・・寒いっ
201507P1010551





雪の美術館では、結婚式も挙げられるということだったが、
そういう目で見ると、部屋の使途がなんとなくわかるような。


ここが結婚式場なんだろうなー

すごくロマンチック・・・
201507P1010552


201507P1010560

201507R5259465



親族控室という感じの部屋に、
バカラール・ヨージェフ(Bakallar, Jozsef)
という人の絵が飾ってあった。


ハンガリーの文化勲章受章者で
元・東海大学客員教授とのこと。

201507P1010559







少人数だったら、披露宴会場になりそうな
素敵なお部屋はカフェになっていた。
201507R5259459


201507R5259460

201507R5259463


食器は大倉陶園!
201507P1010556


ケーキのお皿は、メロン皿らしい。(16500円!)
(売店で売っていたものと、おそらく同じもの)


201507P1010554


大倉陶園ってなんで知ってるんだろう??

~大倉陶園は、親会社のノリタケカンパニーリミテドらとともに
森村グループの一員でもある~という文章をネットで見つけて、
ああ、そうかと思い当った。

2012年8月の名古屋旅行の際に訪れた、
「ノリタケの森」で購入した本に
大倉陶園のことが書いてあったはず。

本棚から「ノリタケ100 194-2004」を出して
目次を見たら、やっぱり大倉陶園の記述があった。

大倉陶園の創業者の大倉孫兵衛と息子の大倉和親は、
1902年にオーストリアの
ヴィクトリア製陶工場を見学する機会を得る。
この工場では、白色硬質磁器の製造を行っていた。
当時の日本では、白色硬質磁器はまだ作れなかったから、
製造技術が手に入れば、大きなビジネスチャンスに
繋げられる可能性があったはず。


見学は1週間の約束だったそうだが、
孫兵衛が病気になってしまったため、
「父の病気が治るまで」ということで期間を延長してもらい、
和親と技師の飛鳥井は、工場の手伝いをして
技術を身につけることができた。


明治時代というのは、破格の待遇で
お雇い外国人がやってきた一方で、
ものすごい熱意と明確な目的意識を持って
海外へ学びに出ていく日本人もいたんだなぁ。


201507P1010566



外に出ると、雨は上がって青空が出ていた。

201507R5259489





近くのイオンによって、お土産購入。
(旭山動物園のお菓子とか売ってた)


201507R5259490






宿泊は、遊遊比布。
201507R5259493


温泉施設らしい夕食だった。








20150723
最終日


6:00起床。
息子は何がやりたかったのか知らないが、
iPadを見ていた父親の近くで足を振り回して、
父親の手からiPadを蹴り落として、
こっぴどく叱られていた。

エネルギーが有り余っている小学生男子は挙動不審だ・・・

昨夜の夕食会場で、軽い朝食を食べて、8:23出発・・・
しようとしたが、車のカギがなぜか作動せず。

とにかくウンともスンともいわないので、
レンタカー屋に電話して、事情を説明して
対処方法を教えてもらった。


iPadを蹴り落とした際、息子はTVの回転台に手をついてしまったらしい。
その時に、勢い余って車のキーを叩き落としていたというが、
これもカギの不具合の一因かも?
(それにしても、コイツは一体何がやりたいんだ・・・)



田んぼアートを見学。
201507R5259506

201507R5259496

201507R5259497

201507R5259498


ネット上の写真しか見たことがなかったので、なかなか興味深かった。

201507P1010583

201507R5259503

201507R5259504

201507P1010588








その後、旭山動物園へ。
201507DSCF0173


201507P1010596


201507P1010603



飛行機の時間の関係で、2時間しかいられなかったけれど楽しかった。

201507DSCF0142


201507R5259532



関西弁と中国語が飛び交っていたような・・・・
(北海道の小学校はまだ夏休み前)

201507R5259538

201507R5259541



旭川空港でランチ。
201507P1010635



オトナは石狩丼、息子はエビ丼。
201507P1010634



JAL0554便は、東京からの飛行機の到着が遅れたため、
出発が13:05だったのが、13:30に変更になった。


たいていの場合、結構慎重な夫が珍しく飲み物をこぼした。

乗客が少なかったせいか、キャビンアテンダントが
あれやこれやと大変親切にお世話してくださった。


睡魔に負けそうになったところで「お連れ様ですか?」と
声をかけられた。

座席に余裕があるから、もしシートが濡れているようでしたら
席を変えることも可能ですとのこと。

夫に確認したら大丈夫とのことだったので、
移動しなかったが、親切にしてもらえたのはありがたかった。


15:15 羽田空港に着陸。

荷物を引き取って帰ろうとしたら、
羽田空港から、自宅最寄り駅までの直通バスがあるから
それに乗りたいと夫が言い出した。

そこそこ荷物があるので、階段の上り下りが免除になるのは
いいかも?と思って、直通バスに乗ることにしたが、
途中、渋滞したので、予想よりずいぶん時間がかかった。

ウトウトしていられたのはよかったけど。


楽しかった旅行はこれにて終了。

北海道⇔東京の飛行機代+レンタカー+ホテル一泊付としては、
破格の値段だったけれど、それ以外の費用がかかったので、
トータルでは、結構な<大名旅行>だったという結果に。


もっとも、家族旅行ができるのもあと数年だろうから、
これはこれでOKかな。

201507DSCF0150






コメントは受け付けていません。

2015年 8月 25日

夏旅行2015 北海道(3)

カテゴリー 旅行

20150722

午前5時。

窓に叩きつける雨音で目が覚めた。


8時朝食。

社長さんが給仕してくださった!!

夫が言うには6年前に泊まったときもそうだったらしい。
全然記憶にない。


雨がひどいので、当初の予定を変更して、
士別市立博物館へ行ってみることにした。



201507P1010499



いろいろなものが展示してあった。

201507R5259402


これが博物館展示品なんて・・・少々ショック。
201507R5259403



LPなんて、謎の物体なのかも。
でも見た目はCDよりカッコイイと今は思う。

201507R5259404


201507R5259405



夫と息子は普通にマガジンラックに入れてある古い雑誌に興味津津。


1960年代、1970年代の若者向けの雑誌があった。

筋肉をつける運動器具の通販の広告は、
<これをつかえば女性にモテる!>という内容だった。
こういう系統のものは、50年前でも同じような広告になるんだなぁ・・・


送料無料じゃなくて、「送料奉仕」と書いてあるのが新鮮だった。


また、文通希望として、個人情報(住所・氏名・年齢・職業)が
バンバン書いてあるのも、とっても新鮮だった。
地方新聞じゃなくて、全国で売られる雑誌なのに。
(文通コーナーだけじゃなくて、各ページの欄外とかにも・・・)



こんな古い雑誌もあった。
201507R5259406



松浦武四郎について書かれたパネルに興味を持った。


以下、パネルの文章を抜粋したメモ。


現在の三重県松阪市の出身で、松浦家の四男として生まれる。
出家して、僧「文桂」として早くから諸国をめぐる。
27歳で還俗し、1845年に第一回の蝦夷地調査を行う。

この調査の実績から、1855年に幕府より
「蝦夷地御用雇」として抜擢される。

1956,57,58の間に蝦夷地、天塩川、石狩川、樺太まで踏査。

明治に入ってから蝦夷地開拓御用掛、開拓判官などを命じられるが、
1870年に開拓使を批判して、官職を辞した。
武四郎の著作は発禁となった。


松浦武四郎に対しては、
ネットでざっと調べただけでも、さまざまな評価があるようだ。

激動の時代であればあるほど、
人物の評価もまた劇的に変化しやすいのかもしれない。


GWの旅行と同様、今回の旅行も「明治時代」が
あちらこちらに顔を出しているような気がする。



ある人のオススメで「人間の生き方・ものの考え方」(福田恆存著)を読んだ。
その中に、日本の歴史や伝統は、明治で分断され、
敗戦でもう一度分断されているというようなことが書いてあった。


「敗戦の分断」は祖母・母の世代。
当事者から話を聞くことができているので、
なんとなくの雰囲気はわかるような気がしている。


しかし、「明治の分断」は祖母が生まれる40年程前の話なので、
どんな状況だったのか、皆目見当がつかない。


この本の中に、

> やはり一つの時代の中には、大道具・小道具に至るまで、
> その時代独特の全体的秩序というものの中に
> それぞれの道を得ているわけです。

という文章があった。


明治の断片をいくつも見ていけば、
どこかでつながるかもしれないけれど、
カケラをガッチャンコしても、「明治時代」という、
時代の空気はわからない。

どこかでつながる期待が持てそうな断片は
少しずつ集まってきているけれど、
<ある程度のまとまり>をイメージするには
まだまだピースが足りない。



幕末~明治初頭には、
現代の日本からは想像できない変化がバンバン起こっていたのだろう。
明治・大正・戦前の昭和については、
ほとんど知識がない。
大きな出来事があったはずなのに、全然わかってない。
このあたりは自分でいろいろ調べたいと思う。


福田恆存先生の本も、この一冊しか読んでいない。


恋愛とか幸福についての著作もあるので、
読んでみたいと思う。
(この先生が語る恋愛はとってもマジメそうだけど・・・・)





「天塩川流域の農業」に関するパネルも興味深かった。
以下、パネルの文章を抜粋したメモ。


薄荷
1892(明治25)年、旭川の永山に屯田兵として入植した、
石山伝兵衛によるものとされる。
第二次世界大戦直前には、日本の薄荷は世界の7割を占めるほどだった。

1971(昭和46)年、輸入自由化で大きな打撃を受ける。
1983(昭和58)年、ホクレン北見薄荷工場閉鎖。
            薄荷産業は終わりを迎える。


北海道の薄荷の精油を買ったことがある。

「ラベンダー畑みたいに薄荷畑があるんだろうな、北海道広いし」
くらいにしか思っていなかったが、歴史があったんだなぁ。

農作物で世界シェアの7割ってなんだか信じられない。



除虫菊
1910(明治42)年、和寒町にて広島から移住してきた、小畑藤市が
故郷から持参して試験栽培したのが始まり。
1913(大正2年)、初めて収穫したものを売却。
1919(大正8年)、坂庄太郎が和寒除虫菊製粉㈱を設立。
第一次世界大戦~第二次世界大戦まで、日本の除虫菊が
世界市場で名を馳せた。
1960年代、化学薬品やケニア産の除虫菊の流通により衰退。
和寒町でも、1970(昭和45)年が最後の集荷となる。


除虫菊も世界的な輸出品だったんだなぁ。

明治~戦前の日本のイメージは本当にわからない。

2010年に亡くなった祖母は1911年生まれだった。
明治は1912年で終わっているから、
祖母の記憶は大正時代からなのだろうけど、
もっと話を聞いておけばよかった。



天塩川流域の農業については
このほかにもいろいろ説明があって、
とても興味深かったのだが、士別公会堂へ移動。


<外観>
201507R5259410


この建物は、オリジナルではなく1988(平成元年)年復元したもの。


201507R5259409


201507R5259408


大正天皇の即位御大典に伴う記念事業として建設。
1914(大正3年)着手。
設計:山畑弁次郎(士別技術員/東京工手学校卒/士別屯田兵)
施工:清光勝太郎


「工手学校」とは、工学院大学のことらしい。

wikipediaより
> 工学院大学
> 前身は工手学校である。工手学校が創設された当時、
> 国内では政府の富国強兵政策のもと産業の近代化が進められた。
> しかし高等学校や大学などの近代産業を育成するための
> 指導者を育てる高等教育機関は着々と整備されていたが、
> 近代化を達成するために必要な職工の不足が深刻だった。
> これを受けて、1887年(明治20年)に現場を支える職工を育成することを目的に、
> 渡辺洪基らを中心とする有志によって設立された職工学校が工手学校であり、
> 日本で最も古い私立の工業実業学校でもある。


「山畑弁次郎」で検索したら、<屯田兵ウィキペディア>という
サイトに情報があった。

> 山畑 弁次郎(明治32年7月入地 埼玉県出身 兵屋番号71番)

埼玉の人だから、東京の学校だったのか。


>  「屯田兵ウィキペディア=Tonden Wiki」にようこそ。
>  このウィキは、屯田兵研究を通して屯田兵とその家族らの業績を
>  顕彰することなどを目的に設立された北海道屯田倶楽部が管理運営しています。
>  屯田兵に関する研究をより深めるために、史実や史料、論文、研究報告などの
>  さまざまな情報の蓄積・整理・編集を共同作業で進めます。
>  最終目標は、「屯田兵アーカイブ・屯田兵データベース」の構築です。


個人のブログで見た情報だが、施工の清光勝太郎は広島の人で、
21歳で北海道に来たらしい。
木挽職人としてスタートし、時代の変化とともに土建請負業へ移行。
公会堂は大正天皇の即位記念としての建築で、おめだい仕事ではあったが、
実際には予算不足による赤字覚悟のスタートだった上、
第一次世界大戦による物価高騰に見舞われ、大変だったらしい。
清光勝太郎の会社は倒産したが、それでも完成にこぎつけたそうだ。



公会堂には士別ゆかりの人物にまつわる品物が展示されていた。
(輪島功一氏、和泉雅子氏)


「羊のまちづくり」という展示が面白かった。
以下、展示のメモより。


1874(明治7)年。北海道で初めて牧羊事業がおこなわれる。
開拓使が設置した東京の青山官園から、七重官園(現七飯町)に
サウスダウン種の牡35頭、牝13頭が贈られたことが始まり。


官園(Wikipediaより)
>  明治維新以降、さまざまな分野で海外の技術を導入することとなったが、
>  北海道の開拓もまた例外ではなかった。
>  開拓の拡大は農業がその先鋭となったが、
>  本州の平地とは異なる亜寒帯に属する北海道では用いる技術が異なることから、
>  アメリカやヨーロッパの技術が導入され、試験されることとなった。
>  この試験を実施する場所を、官園と通称した。


開拓使次官・黒田清隆が明治4年にアメリカの農業事情を視察した結果、
北海道の近代化には牧羊が必要と痛感したこと、
お雇い外国人として同年アメリカから招聘された、
ホーレス・ケプロンらの建策によるものとされる。

黒田清隆って、なんか聞いた名前・・・と思ったら、
すごい人だった。


黒田清隆(Wikipediaより)
>  薩摩藩士として、幕末に薩長同盟のため奔走し、
>  明治元年(1868年)から明治2年(1869年)の戊辰戦争に際しては
>  北越から庄内までの北陸戦線と、箱館戦争で新政府軍の参謀として指揮をとった。
>  開拓次官、後に開拓長官として明治3年(1870年)から明治5年(1872年)まで
>  北海道の開拓を指揮した。
>  開拓使のトップを兼任しつつ、政府首脳として東京にあり、
>  明治9年(1876年)に日朝修好条規を締結し、
>  同10年(1877年)の西南戦争では熊本城の解囲に功を立てた。


公益社団法人農林水産・食品産業技術振興協会のサイトに
七重官園のことが書いてあった。

https://www.jataff.jp/senjin4/2.html

>  当時の七重村の風景を、この地を旅したイギリス人女性旅行家イサベラ・バードは、
>  その著『日本奥地紀行』で、
> 「整然とした洋風の村がりっぱな農作物に囲まれている」と記している。
>  欧米農業導入に燃えていた官園の活気が伝わってくる思いがする。


イサベラ・バードの本を読みたいと思いつつ、そのままになっている。
図書館にあるから借りて読みたい・・・っていう本は、これで何冊目??



士別の牧羊の歴史に関するの展示のメモ。

士別で羊の飼育が本格的に始められたのは1918(大正7)年頃。
川西尋常小学校の校長として赴任した菊田左市先生が中心となって
川西緬羊組合が結成され、滝川種羊場から羊22頭を導入したのが始まり。


緬羊組合・養蚕組合の立ち上げ、道庁から技師を招いた紡績や機織り技術の
講習を行うなど、実践を重ねる。

1936(昭和11)年、川西飼育の羊が全道代表として天覧に供される。

天皇行幸の際には、川西緬羊組合で織られたホームスパン二反が
宮内庁に買い上げられるなど、川西の羊と手工業は全国的に
知られるようになる。


「ホームスパン」ってなんだろうと思ってネットで調べたら、
社名にこの言葉が入っている会社のサイトに説明があった。
  > 英国生まれの毛織物。家(home)で紡ぐ(spun)という言葉の通り、
  > 羊毛農家が羊の毛を自家用に紡ぎ、織ったのが始まりです。



「緬羊」も、ヒツジのことだとは思ったけれど、
なんで「羊」じゃないんだろうと思い調べたら、
  > 家畜の羊のこと。特に毛用のもの。
  > 野生のものと毛質が違い、一年中毛が伸びつづける。
という説明があった。


川西に羊を導入した菊田左市先生の理念は「全体教育」。
父母・地域・学校で子供たちを育てる。
それが地域を育てることにつながる。


・・・息子の小学校の保護者会で、校長先生が説明した
<学校のグランド・デザイン>は、菊田先生の理念と
重なる部分が多かったような印象がある。

両親のみならず、いろんな大人が子どもと接するべきだと思う。
無条件で可愛がってくれるオトナ、
一歩離れた場所から見守ってくれるオトナがいれば、
子どもの心はスクスク育っていくような気がする。



羊皮紙の話も興味深かった。

201507P1010515


ペルガモン王国が壮大な図書館を建設した。
当時はパピルス本の時代であったが、
アレクサンドリア図書館と競争になり、
エジプトはパピルスの輸出を停止。
ペルガモンはパピルスに代わるものとして羊皮紙を作ったそうだ。

201507R5259407


図書館の歴史や本の歴史については、
3年前に集中して詰め込んだ時期があった。
だいぶ忘れかけてきたけれど・・・・

中世では、読書とは基本的に音読だった。
図書館で本を閲覧する場合は、キャレルという区切り板で
仕切られたブースのようなところで、読んでいたらしい。

キャレルがあることで、隣の席の音読の声が
どれだけ静かになったかわからないが、
音そのものがなくなるわけではないので、
図書館はあまり静かな場所ではなかったのかも。


印刷技術が実用化されて普及するまでは、
図書館の蔵書というのは、
人間がひたすら書き写す写本がメインだった。


だから、本というのは非常に貴重で、
こっそり持ち出されないようにやたらと重厚な造りになっていて、
鎖で机に繋がれていた。
(セキュリティーワイヤーロックでノートPCと机を繋いでおくみたいだ)


そういえば「黙読がどうやって始まったか」という話も
なんだか謎めいていたなぁ。


非常に不思議な世界だった。
久々にあの世界に戻りたくなった。





羊皮紙を初めて知ったのは、『ガラスの仮面』で有名な、
美内すずえ先生の『魔女メディア』だったと思う。
姉が買ったマンガだった。


ここに羊皮紙が登場する。
このお話の根幹となる重要な契約が
羊皮紙に書かれていたのだった。
契約の有効期限は「この契約書がある限り」。

ならば、契約書を燃やしてしまえば・・・
(クライマックスのシーンへ続いていく)



もうあのマンガは手元にないし、
最後に読んでからン十年たっているけれど、
コマ割りとかセリフとか、たくさん覚えてるなぁ。


『魔女メディア』は1975年の作品だったのか。
美内先生は1951年生まれだから、
魔女メディアは24歳の時の作品ということになる。
やっぱりプロはすごい・・・


羊皮紙には歴史と伝統があるので、
ラム肉料理の消費が多い士別では、
羊皮紙を使って何かやっているのかと思っていたが、
ヒツジの皮は<産廃>として処分していたそうだ。

羊皮紙の展示コーナーには
「るんべる」という団体のリーフレットが置いてあった。
平成25年から羊皮紙を作る取り組みをしているという。

羊皮紙は印刷機によるプリントが可能で、
名刺や賞状作成なども行っているそうだ。

羊皮紙の名刺とか賞状とかいいなぁ。

加工の仕方とか、保管場所の状態にも依るだろうけど、
1000年以上も保存できるんだとか。




雨がやや弱くなったところで、「世界のめん羊館」へ。
ここには世界に羊が30種類飼育されている。

201507R5259415


201507R5259423

餌やりは100円。

6年前に黒い顔の羊(サフォーク種)を怖がっていた息子は、
相変わらず羊が怖いらしく(干支はひつじなのに・・・)、
手のひらから餌を食べさせることはできなかった。

201507R5259424





お昼は蕎麦にした。

政和三頭山へ。

201507P1010522


看板とか出まくってて、ちゃんとお店(?)なのだが、
建物は、昭和の色が濃厚な、普通のお宅っぽい。

いい味を出している年季の入った玄関も
<お店の入口>ではない。
呼び鈴を押してしばらく待つも反応がないので、
引き戸をガラガラとあけて中に入った。
・・・完全に普通の民家。


「こんにちはー」
と声をかけても、反応がない。
完全によその家に無断であがりこんでいる感じだ。
いたたまれなくなって外に出た。


看板の電話番号に電話してみた。


「はい、○○です」
元気のいい女性の声。


「? あの、お蕎麦屋さんではないですか?」


「あ、そうですよー もしかしてお客さん?」


「はい、お店の前にいるんですが・・・」


「あら、ごめんなさいね。すぐに行きます」


隣の今風の住宅からおじさんが出てきた。


我々は死角(?)に入ってしまったようで
気づかなかったらしい。


おじさんの後について、さっきの昭和の建物に入り、
廊下右手の部屋へ。

親戚の家に遊びに行ったみたいだ。
(沖縄方言の暖簾とか下げてあるし)


煙突のついたストーブと
ブラウン管の巨大なテレビ、大きなテーブルが目についた。


隣の部屋にも、ブラウン管の巨大テレビがあり、
さらにはレーザーカラオケセットが!

カラオケ用のお部屋のなのか、ソファーセットが3つくらいあったような。

待っているうちにお蕎麦が出てきた。

お蕎麦屋さん定番の、セイロとかスダレに載っているのではなく、
フツーのご家庭のお皿に入っていたが、
お蕎麦の味は素晴らしかった。

201507P1010521


とても美味しくて大満足。


ウチのお店が紹介されているということで、
幌加内のパンフレットをいただいた。


表紙は満月に照らされた幻想的なそば畑の写真。
「月明蕎麥花如雪。」の白抜きの文字。

表紙の下の方の説明文によると、
これは、白居易の詠んだ「村夜」という詩の一節とのこと。

月明かりの下で、蕎麦の白い花が一面雪のように咲いている様子を
詠ったものだという。




満月の明るい夜に、
白い花が敷き詰められた蕎麦畑に立ってみたいものだ。

201507P1010525





次に向かった先は神居古潭。


その(4)に続く。
http://www.m2-dream.net/?p=11438


コメントは受け付けていません。

2015年 8月 20日

夏旅行2015 北海道(2)

カテゴリー 旅行

2015/07/21


朝起きると息子は床に寝ていた。
ベッドから落ちたのは明らかなのだが、
いつ落ちたのか全然気がつかなかった。
本人も「なんで床に寝てるの?」と言っていたので、
どさっと落ちたのではなく、
ズルズルと滑りおりるような感じだったのかもしれない。



7時朝食。

201507R5259302


朝食付プランだったので、朝食券を持って
昨日の夕食をとったレストラン「ヴィーニュ」に行くと・・・


男性スタッフは満面の笑顔で
「One? Please come here.」
と私に言った。



朝食券を持った中国系の女と、
後から来た日本人父子のように見えたらしい・・・涙


夫は大笑い。


6年前の札幌プリンスでも、私は中国人と間違えられたのだった。
フロントに近づいたら、中国人スタッフがサササッと寄ってきて
名刺までくれて・・・このときも夫はゲラゲラ笑ってたな。




朝のレストランで、聞こえてくる会話は
ほとんどが北京語か広東語。
ココハ ホントニ ニホンデスカ??



昨日、お腹の皮が伸びるくらい食べまくったのに
消化力が強い男組は、またしてもワシワシと食べまくった。



8:40 チェックアウト。


このあと海沿いの道をドライブしてはまなす郷土資料館へ。
(明治期に建てられたニシン番屋を改修復元した資料館)


201507R5259320

201507R5259315


しかし、残念なことに休館日・・・
せっかくここまで来たのだからと建物の写真を撮っていたら、
一台の車が細い道を走ってきて、資料館の前で止まった。


何かを取りにきた職員の方だった。

ちょっとの間だけになるけど、もしよかったらどうぞ、ということで
建物に入れていただいた。



すごいラッキー。
ありがたい。



201507R5259331




この後また海沿いの道をずっと走って、
苫前ホワイトビーチの前のココ・カピウへ。


201507P1010419


このお店があったから入ったという感じなのだが、
後でネットで調べたら、ちょっと有名(??)なお店だったらしい。


カピウはアイヌ語で「カモメ」らしいが、ココはなんだろう??



夫はなんと、バフンウニ丼2500円!


201507P1010426

201507P1010421


息子も負けずにカニ丼2000円!

201507P1010424


私は、郷土資料館に敬意を表してニシン定食にした。
(こちらはぐっとリーズナブル)

201507R5259344


ニシンって、お正月の昆布巻の中に入っている
身欠きニシンくらいしか食べる機会がないような。



焼いたニシンは、脂ののったホッケに似た味わいで、
ものすごーくおいしかった。


201507P1010427



食事の後は、苫前郷土資料館。


こちらも休館・・・
定休は月曜日だが、月曜日が祝日の場合は、
火曜日が休みになるらしい。

201507R5259347


201507R5259355



趣きがある建物だなと思い、ネットで調べてみたら、
1928年(昭和3年)に苫前町役場として建てられたものだとか。
役場は、1984年に新庁舎が完成したので、
この建物は資料館になったそうだ。



この後、ヒグマ襲撃事件現場へ。

201507R5259357



ヒグマが人を襲うなんて、怖いなぁとは思っていたけれど、
「三毛別羆事件」は、あとでネットで調べてみて、
非常に恐ろしい事件だったことが判明。
(詳細な説明を読んでしまった・・・)


201507P1010428



夫は、事件現場の再現を面白がって
何枚も写真を撮っていたが、
この近くでヒグマが目撃されているから注意してくださいという
シャレにならない看板があったので、
息子は本気で怖がって、帰ろう帰ろうとうるさいうるさい。

201507P1010430



挙句の果てには
「命と観光とどっちが大事なの?!」
などと叫びだす始末。

まあ、こんな看板があったら、確かに怖いかもしれないけど。

201507R5259362

<看板の文字>
この付近でヒグマの目撃情報が
寄せられております。見学
される方は、十分注意される
ようお願いします。



あまりうるさいので、10分弱でクルマに戻り出発。



続いて剣淵町絵本の館へ。

http://ehon-yakata.com/

201507R5259366


前回来たときは小さかった息子は
たくさんの絵本を見て大喜びしていたが、
6年経っても、頭の中身はあまり変わっていないようで
同じように喜んでいた。



「木のお砂場(?)」も大喜びしていた。

201507R5259367



絵本の館の中には「喫茶らくがき」という飲食コーナーがある。
のどが渇いていたので、アイスを食べることにした。
夫は茶そば、私はキウイ、息子はソーダ。



おやつの後はそれぞれ読書タイム。

「あっちの棚にイサム・ノグチの本があるよ」
と夫が教えてくれたので行ってみると、
  『イサム・ノグチの世界 / 撮影・綿引幸造』
という本があった。


アトランタのPiedmont Parkには、モエレ沼公園と同じ遊具がある。

さっき見た遊具と同じ遊具の写真が載っていた。



絵本の館は17時閉館。


今夜の宿である、士別市の「ファームインλ(ラムダ)」へ。

http://www.shizuo-farm.com/lambda/

30分ほどで到着。

201507P1010466

201507R5259374


今回のお部屋。

201507P1010455


ロフト。(息子はここで寝た)
201507R5259377


2F共有スペースから見える1Fのレストランスペース。
201507R5259381




夕食は18時から。


マダムが散歩コースにアジサイを植えてあると教えてくれたので、
見に行くことにした。

201507P1010475



色づいているアジサイもあれば、
まだまだこれからというアジサイもあった。


201507R5259385



ぐるっと回ってそろそろ宿に戻ることにした。


この道を右に行けば宿に戻れるはずだというT字路で、
方向感覚のいい夫が珍しく
「こっちへ行けって看板が出ている」
などと言う。
しかもちょっと強い口調で。



カーナビの指示には、ことごとく逆らうのに
どういう風の吹き回しだろうと思いながらも、
彼の言うとおりに進んで行ったら・・・



畑の中に出てしまった!!


木立に隠れてしまったようで宿が見えない。
日が沈み始めたので、あたりは暗くなってきた。


道なき道を歩いて、なんとか戻れたからよかったけど、
あの時の夫には、何かが憑りついていたんだろうか・・・


201507R5259391







夕食はジンギスカン♪

201507P1010487

201507R5259395

201507P1010488



とってもとってもおいしかった。


この日の宿泊客は我々だけだったので、
お風呂は貸し切り状態。


ゆったりしたかったけれど、
睡魔には勝てず、10時前に就寝。


201507P1010497


続きはこちら。
http://www.m2-dream.net/?p=11409

コメントは受け付けていません。

2015年 8月 13日

夏旅行2015 北海道(1)

カテゴリー 旅行


2015/07/20



今年の夏の旅行の目的地は北海道。

201507DSCF0003


夫は、6年前と同様、カーフェリーを希望していたが、
時間がかかりすぎる。


なので、今回は飛行機+レンタカー。

羽田発07:30のJAL0530で新千歳へ。

空港内のタイムズレンタカーのカウンターで送迎バスを依頼した。

10分ほどで係員から名前を呼ばれ、
マイクロバスに乗ってタイムズカーレンタルへ。

 

用意されていたのは、マツダのAXELA。

ボタンを押すとエンジンがかかる。
なんか、すっごく抵抗がある。
(やっぱり鍵を差し込んで回さないと!)




10:28 安平町 鉄道資料館着。

201507R5259201

201507R5259199


資料館といっても、汽車と古い客車が停まっているだけで
普通の公園のようだ。

201507R5259202


201507R5259200


201507R5259207





何かのイベントのときしか開けないのかもしれない。


そのまま鹿公園へ。

201507R5259209

空気がひんやりしていて気持ちよかった。

201507R5259211



鹿はかわいいなぁ。

201507P1010340


201507R5259216





201507R5259224


「赤いひまわり」ということだが、ひまわりじゃなくて、
なんだか別の植物のようだ。

201507R5259225


201507R5259226



201507R5259228

11:00 鹿公園出発。





お昼は下調べしておいたお店。

11:40 「一軒茶屋」到着。

201507R5259233

201507R5259234

201507R5259236


なかなかいい雰囲気。


201507P1010352

高そうなオーディオセットあった。
201507P1010347



真空管は高いらしい。
201507R5259242


コレを使う時期はものすごく寒いんだろうなぁ。
201507R5259240


201507R5259241


夫は夏カレーのドリアを注文。
201507P1010351



息子と私は夏野菜の冷麺にした。
201507R5259245

トマト、ズッキーニ、キャベツ、大根、
カリフラワーのペースト、ベーコン、柚子胡椒


ズッキーニは「キュウリ?」と思うほどクセがなかった。

カリフラワーのペーストは作り方を教わりたいくらいおいしかった。

大根は、どういう味付けをしたら
こんな洋風な味になるのか知りたかった。



お皿を下げに来たマスターが、
息子がカラにしたお皿を見てびっくりしていた。
「大人でも食べきれない人がいるのに! すごい!」

息子は、もともと食が細いということは全くなかったけれど、
あっという間に大人と同じかそれ以上食べるようになった。



12:30 一軒茶屋出発。
201507P1010353





13:36 モエレ沼公園到着。


201507R5259256



前回は寒くて長居できなかった。

今回は暑い・・・北海道なのに!

201507R5259258



モエレ沼と言えば、イサム・ノグチ。

出発前にこの本を図書館で借りて読んだ。

「イサム・ノグチ(上)――宿命の越境者」 ドウス 昌代 著

イサム・ノグチが野口英世と言葉を交わす場面があった。

(アメリカの新聞では、イサムの父ヨネ・ノグチは、
 野口英世の親戚などという誤報があったとか)

201507R5259269



今年の5月の連休には、野口英世記念館に行っていたので、
なんだか不思議な感じがした。


イサム・ノグチ:1904/11/17 – 1988/12/30

野口英世:1876/11/09 – 1928/05/21


28歳差なのか。
本の中では二人の会話の一場面しか紹介されていなかったけれど
この二人が一緒にいるとき、どんな感じだったのか見てみたかった。


201507R5259275



太平洋戦争。
イサムにとっては、父の国と母の国との戦い。
日本人としては白すぎるものの、欧米人といえるほど白くないという
イサムの肌の色は、彼の立場を非常に難しくしたらしい。
多くの女性を惹きつける非常に魅力的な容姿だったそうだが。


イサムの異父妹アイリスも、父親は日本人だった。
しかし、彼女の場合は、アメリカ人として十分通用する容貌だった。
(イサムとアイリスの母であるレオニー・ギルモアは
 アイリスの父の名前を明かすことはなかった)



イサム・ノグチ(下)も読まなきゃ。



201507R5259281



201507R5259284



201507R5259295


15時過ぎにモエレ沼出発。



16時過ぎに初日の宿のシャトレーゼ ガトーキングダムへ。

(ホテルの外観の写真、撮ってなかった・・・)
201507P1010392



男組はすぐにプール。
私はマッサージを受けに行った。


マッサージの部屋は温泉施設内の休憩所の近くだったので
妙に暑くて、子どもの泣き声と叫び声が響き渡っていた。


19時近くになって、夕食。
レストラン「ヴィーニュ」 のビュッフェディナー。

201507R5259298


甲殻類好きの男組は、蟹・甘海老を堪能。
すごくおいしかったらしい。


ドリンクバー近くのテーブルでは、子ども向けのイベントをやっていた。
私たちが食べ始めた頃には、フレッシュバターの作業中だった。
ホテルスタッフを囲んで、子どもたちが容器をフリフリしているのが
面白かった。


201507R5259300

バター作り終了後、しばらく経ってカクテル作りのイベントをやっていた。
息子はちょっと興味を持ったようだったが、
食欲の方が、優先順位が高いらしく、結局は参加しなかった。



苦しいくらいの満腹状態で就寝。


201507R5259301


続きはこちら。
http://www.m2-dream.net/?p=11357







コメントは受け付けていません。