アーカイブ 2013年10月

2013年 10月 27日

ちょこっと息抜き


エア登山の準備でなんだか胃が痛くなってきた。
あと1週間しかない・・・
なんだか悪あがきっぽいことをしているような気がしないでもない。
 
 
土曜日の夕食を、息子のお誕生日会っぽくした。

デパ地下でおいしそうなものを買って、
ケーキやワインを買ってくるという、
主婦に優しいディナー・・・(笑)


夫がスーパーで買ってきたワインが
とてもおいしかった。
2013010wine
 
 
お手頃価格なので、違う種類も飲みたいなぁ。
近所のスーパーにはコレしかなかったらしいが。
 
 
新しくできたケーキ屋さんのケーキを買ってみた。
(息子はお皿に載せたら、即かじりついてしまったので、
 彼のケーキの写真は撮れなかった)
 
2013010cake
 
 
こちらのお店のケーキもとってもおいしかった!
ケーキ屋さんの選択肢が増えて嬉しい~
この場所に引っ越してきた当初は、
パン屋とケーキ屋については、完全に不毛な地だった。
(そういえば、コンビニすらなかったんだった)
  
 
 
 
パン屋と言えば・・・
「天然生活」などの、素朴でナチュラル系なライフスタイルを扱った雑誌に
いかにも紹介されていそうなパン屋さんがいつの間にかできていた。
 
 
外から覗いてみて、並んでいるパンがおいしそうに見えたので
(夕方だったから、だいぶ少なくなっていたけれど)
家族3人でお店に入って、パンを選んでいたら、
急にお客さんがどどどっと入って来たので、びっくり。
 
 
「きっと、招き猫が憑いてるんだよ」 
と、平然と言う夫。
誰に憑いているんだ??(主語を省いたらわからん)
もしかして自分に憑いてると思ってる?
 
 
息子に話しかけられたので、
聞き返せなかった・・・というのをこの文章を打っていて思い出した。
 
 
我が家感覚では、ちょっとお高いパンだったけど、
とっても美味しかった。
<ご褒美パン>は、あのお店で買うことにしよう。
 
 
 
 





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2013年 10月 21日

エア登山(?) 事前準備?? その2

カテゴリー 生活一般

 
 
 
準備は続く・・・やってもやっても不安ばっかり。
 
先達は大丈夫だと言ってくださるけど。

前回の記憶がフラッシュバックしてくると、
全然大丈夫じゃない気がしてくる。
 
怖いなぁ・・・
 
 
週末は、かねてからの予定通り、
家族で(というか、一族で?!)一泊二日の旅行に行ってきた。
 
気持ちいい山道を歩いて、
吊り橋を渡って、
広い海を見て(天気が悪かったのが残念)、
御馳走食べて、
カラオケやって、
温泉に入って、
夜は、いつもよりずっと早い時間に寝た。
 
 
翌日は、朝から豪華な朝ご飯をたっぷり食べ、
ちょっと泳いで、
お土産を買って、
キッズたちとおしゃべりしながら帰った。
 
 
楽しかったなぁ。

 
カラオケでは、姉・妹と一緒に
「ガラスのジェネレーション」を熱唱した。
(中学生の姪っ子は目がテン状態・・・)
 
 
♪つまらない大人には なりたくない
の歌詞が痛かった。
 
 
姉妹で、
「つまらない大人になっちゃったよねー
 元春さんは、つまらない大人にはならなかったよねー」
って話したけど、ホントにいつの間にか、
あっという間に恐ろしい年齢になっているのだった。
 
 
それにしても、家族が仲良しで、両親も仲良しで、
一族で旅行に行けるんなんて、ホントにありがたいことだ。
 
 
親が元気で、姪っ子が「親戚行事」に付き合ってくれる期間は
あまり長くない。
 
近場でいいから、みんなでまた出かけたいな。
 
 

 
 

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2013年 10月 16日

エア登山(?) 事前準備??

カテゴリー 生活一般


 
 
11月から、高い山に登るというか、挑戦というか冒険というか、
17週間の双六みたいな時間が始まる。
 
 
二年前に経験して、ズタボロになったが、いろいろいろいろあって
心臓バクバクのスタートラインに再び立つことに・・・

前回の記憶が香ばしくないだけに、とても怖い。

今年前半に、コレとは全然違うけれど、
18週間に及ぶイライラとの我慢比べみたいなことをやった。

このときは、amebloにちょこちょこ書いて、
かなり精神的に安定した・・・ような気がした。
「現在、○週目、残り△週」というように、
<現在地>が確認できたのがよかったのかも。

どうにかこうにか乗り越えたという満足感はあったものの、
amebloとの二本立てはやっぱり無理があった(18週間後削除)。
今回はこっちに書こうと思う。
 
 
ちゃんと書けるかなぁ・・・

今日からベースキャンプみたいな場所へ移動。(想像上の世界の話)
 
 
ベースキャンプでもアタックに必要な品々を調達できるので、
できるだけ調達したい・・・といっても、山は生き物なので、
どんな準備したって、天気次第では、全然足りなかったり、
多すぎて邪魔になったりする。
 
 
 
とりあえず、体調を崩さないようにしないと。
 
仲間がいるのは心強いけど、
ベースキャンプから出たら孤独になっちゃうかも。

集中力も必要だー



 
 

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2013年 10月 09日

お江戸へGO!(その2)

カテゴリー 旅行,生活一般


その1の続き。



6階に降りると・・・大きな橋がドーンとあった。
これが「日本橋」
橋を渡ると、江戸ゾーン。



寛永の大名屋敷の模型。これは撮影OK。
2013010R5258157
 
2013010R5258160
 

江戸東京博物館のサイトの説明によると、
> 江戸城本丸大手門の前に建てられた越前福井藩主・
> 松平伊予守忠昌(まつだいらいよのかみただまさ)(1597~1645)の上屋敷


模型の向こうには、徳川家のさまざまな情報が。
若いカップルが立ち止まって熱心に見ていた。


身分の高い人が乗りそうな感じの籠(前後に人が立って担ぐ)が
展示してあった。
展示というよりは「中に入って写真を撮りましょう」なんだけど。
(担ぐことはできない)


中国語で楽しそうに会話している御一行様(一族郎党?)が
嬉々として写真を撮っていた。
珍しくて不思議で、面白いと思ったのかな?
 
 
 
江戸ゾーンをもっと見たかったけれど、
夫と息子の姿が見えない。
もしかして??と5Fを見下ろすと(5Fと6Fは吹き抜け)、
「中村屋」の前の最 前列の椅子に父子で並んで座っていた。
 
2013010R5258167
 
 
2013010R5258169
 
 
ここでは、いろいいろな芸を見せてくれるらしい。
この日は、相撲漫談と落語だった。
(相撲漫談:一矢 / 落語:柳家蝠丸)
 
 
相撲はあまり興味がないので、
力士の名前を言われても全然ピンと来なかったが、
現在、力のある外国人力士の人数がとても多いことはよくわかった。
 
 
ライブで落語を聞いたのは今回が初めて。
すごく面白かった。
最後の最後で、初期設定(?)の意味がわかったが、
どうやったら、あんな話が思いつくんだろう???
 
 
息子は少々退屈しているようだったが、
だんだん話に引き込まれて、最後には大笑いしていた。
座って話しているだけで、20分近く大勢の人の 注意をひきつけ、
最後に爆笑させるなんて、本当にスゴイ!!
「それが仕事だから、プロだから」と言ってしまえばそれまでだけど、
人間のコミュニケーション能力を高いレベルでフル活用しないと
できないことだよなぁ・・・
 

2013010R5258172


漫談と落語の後は、舞台の後ろ側の『江戸ゾーン』へ。
ここは人が大勢いた。
 
 
体験しよう!ということで、
纏(まとい)、千両箱、肥桶が置いてあり、
それぞれ持つことができるようになっていた。
・・・待っている人が多くて断念。
 
 
順番にじっくり見たかったが、
夫と息子が『東京ゾーン』のほうへ
行ってしまったので、やむなく移動。
 
 
『東京ゾーン』の前の体験しよう!は、
人力車とダルマ自転車だっ た。
こちらも、人気があり、写真撮影をする人が多かった。
  
  

朝野新聞社。
銀座4丁目の和光が建っている場所にあったらしい。
 
2013010R5258173
 
2013010R5258174


こちらのサイトによると・・・
http://www.kodokei.com/ch_013_6.html

朝野新聞は明治9年に銀座に進出。
当時の銀座は近辺に官庁街が有ったので、新聞各社が銀座に押し寄せ、
ジャーナリズムの街となったそうだ。
明治27年、伊藤為吉が、朝野新聞社屋を買って設計改築して、
服部時計店が完成した。





 
凌雲閣 
2013010R5258176
wikiによると・・・

明治期から大正末期まで東京・浅草にあった、高さ52メートルの12階建ての塔。
開館開所は、1890年11月11日。
名称は「雲を凌ぐほど高い」ことを意味する。
12階建てだったので「浅草十二階」とも呼ばれた。
関東大震災で半壊し(1923年9月1日)、解体された(同年9月23日)。


 


実物の1/5サイズの風船爆弾もあった。
第二次世界大戦中、もっとも遠くまで飛んだ兵器ということで、
名前だけは知っていた。

wikiによると・・・
> 風船爆弾(ふうせんばくだん)とは、太平洋戦争(大東亜戦争)において
> 日本陸軍が秘密裡に開発した気球に爆弾を搭載した兵器である。
> 陸軍少佐であった近藤至誠が、デパートのアドバルーンを見て「風船爆弾」での
> 空挺作戦への利用を思いつき、軍に提案をしたが採用されなかったので、
> 軍籍を離れ、自ら研究を進めた。
> その後、近藤は病死するが研究は進められ、神奈川県の陸軍登戸研究所で
> 開発されている。
> 「ふ号兵器」という秘匿名称で呼ばれていた。
> 戦果こそ僅少であったものの、ほぼ無誘導で、
> 第二次世界大戦で用いられた兵器の到達距離としては最長であり、
> 史上初めて大陸間を跨いで使用された兵器となった。
> なお、「風船爆弾」は主に戦後の用語で、当時の本来の呼称は「気球爆弾」であった。


風船爆弾の製造についても、パネルの展示があった。
wikiにも説明があった。

> 日本劇場(現存しない。跡地は有楽町マリオンになっている)でも
> 製作されたという話はよく知られている。
> これは気球を天井から吊り下げて行う満球テスト(水素ガスを注入して漏洩を検査する)のために
> 天井が高い建物が必要とされたためで、日劇の他、東京では東京宝塚劇場、有楽座、
> 浅草国際劇場、両国国技館で、名古屋でも東海中学校・高等学校の講堂で作られた。

感動したり、楽しんだりするための場所で、兵器を作るなんて・・・
製造中の事故で亡くなった方もいる。
 
こんなふうに日常生活が蝕まれていった事実を聞くと、
祖母からもっと戦争中の話を聞いておくべきだったと思う。
話したくなかったかもしれないけれど。



 
『東京ゾーン』もじっくり見たかった・・・
今度は一人で平日に来たいなぁ。
 
 
体験コーナーには、昔の日本家屋が移設されていた。
中に入ったら、私がよく知っている「おばあちゃんち」そっくりだった。
イマドキの人には目新しいのだろうか???
なんだか複雑。


だいぶ前だけど、
夫と東北地方へ旅行したとき、リカちゃんキャッスルに立ち寄った。
なぜ行く気になったのかは不明。(息子はまだ存在しない時代)

  
リカちゃんミュージアムに
お馴染みの「黒電話」が展示されていたので、
とても不思議な感じがした。
 
 
 
続いて第2企画展示室へ。
 2020オリンピック開催都市決定記念
 特集展示「オリンピックがやってくる 1964-2020」



1945年の、信じられない状態の都心の写真から展示は始まっていた。

「オリンピックをもう一度」というコーナーがあった。
先ほど見た、東京ゾーンにも、いくつか資料が展示してあったが、
東京は「第12回オリンピック競技大会(1940年夏のオリンピック)」の
誘致に成功していた。(1936年7月のIOC総会で開催決定)



このオリンピックは紀元二千六百年記念行事として準備が進められていた。
『東京ゾーン』にも2600年という数字が書かれた展示物があり、
年号にしては多すぎるし、何なんだろうと思っていたが・・・
これは、日本紀元のことで、神武天皇即位の年を元年とするもの。
(皇紀元年は西暦紀元前660年)
今年は皇紀2673年。


神武天皇が即位した日が2月11日なので、この日が建国記念日。
・・・って知らなかった・・・



しかし、戦争の影響などから日本政府が開催権を返上したため(1938年)、
東京オリンピックは、「幻のオリンピック」となった。


東京と開催地を争ったヘルシンキで開催することが決まったものの、
1939年(昭和14年)にヨーロッパで第二次世界大戦が勃発し、
ヘルシンキオリンピックも「幻のオリンピック」になった。

 
 
1964年の東京オリンピックのポスターは全然古臭い感じがしない。
なんだかカッコいい。
 
 
亀倉雄策氏のデザイン。
この方のお名前をどこかで見たと思ったら、
今年の5月の旅行中にメモしていた。

やっぱりコピペじゃなくて、手書きや自力の入力だと
記憶に残るんだなぁ・・・



2013年 5月 07日の記事より
( GW旅行2013 ~ パールピアスのポスター ~
———————————————-
 
展示の説明パネルによると、
ポスターを対象にした展覧会の嚆矢は、
1966年の
「第一回 ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ」だった。
この時、永井一正氏が金賞を受賞。
 
その後・・・
亀倉雄策氏、福田繁雄氏、横尾忠則氏
中村誠氏、 勝井三雄氏、松永誠氏などの方々が続々と受賞。
このため、海外からは、
どうして日本のデザイナーが
大勢受賞しているのに、日本で開催しないのか?
という苦情(?)を聞くことが多かったそうだ。

———————————————-
 
 
 
 
 
オリンピック記念グッズとして、
マッチ、紙袋、ステッカー、路線図スカーフ、
東京地図のビニール風呂敷、ライター、貯金箱(銀行のおまけ)、扇子などが
展示してあった。
 
 
56年後の2020年のオリンピックでは、
どんな記念グッズが用意されるんだろう??




iPhoneを二まわりくらい大きくしたサイズの
東芝製のトランジスタラジオが展示してあった。
(6石トランジスタラジオ MODEL 6P-64)
この当時の社名は、東京芝浦電気株式会社だった。
本体は白くて、真ん中のスピーカー部分が赤い丸という、
「日の丸デザイン」になっていて、面白い。






江戸と東京をすっかり堪能して、長い長いエスカレータで3階へ。
ここは江戸東京ひろばというオープンスペース。

風が通り抜けてとても気持ちがいいけど、人が全然いない・・・

こんな展示があった。
お寺の屋根は下から見上げるしかないから、
実際のサイズを考えたことなどなかったけど、大きいんだなぁ・・・
 
2013010R5258177
 
2013010R5258178


ひろばから、スカイツリーが見えた。


それにしても、面白い場所だった。
今後も、興味深い展示の予定があるようなので、ぜひまた行きたい。
(次回は単身で乗り込みたいなぁ・・・)
 
 
2013010R5258179 
 
 
 
 




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2013年 10月 07日

お江戸へGO!(その1)

カテゴリー 旅行,生活一般

 
 
 
ソラマチに行った時に、墨田区のパンフレットをいろいろもらってきた。
その時に江戸東京博物館の資料があった。


江戸東京博物館 開館20周年記念特別展
明治のこころ -モースが見た庶民のくらし-
平成25年9月14日~12月8日
http://www.asahi.com/event/morse2013//

これがとっても面白そうだったので、夫に
「12月8日までに行きたい」と話したところ、
あっさり、「今週末に行こう」ということになった。
 
 
別に許可をもらう必要はないんだけど、
一人で行くとしたら、その間、息子をどうするかという問題があるし、
息子と私と二人で行くのは、とっても気が進まないし(苦笑)、
家族で行って、男女別行動というのが一番ラク・・・私にとっては。
 
 
 
10月6日。
10時過ぎに家を出て、江戸東京博物館へ。
思ったより建物は大きかった。
コレが建つ前に、ココには、いったい何があったんだろう??
ネットで検索したけど、これといって情報はなかった。
開館は1993年3月28日。
バブル期に建てられたので、
膨大な建築費と膨大な管理費がかかっているというコメントがあった。
 
まあ、お金がかかってるのはそうだろうなぁ・・・


2013010R5258155

 
 
まず、お目当ての『開館20周年記念特別展』へGO!
 
 
建物の横に、乗客のいない観光バスが何台か停まっていたので、
混んでいるかと思ったけれど、そうでもなくかった。


こまごまとした面白いものがたくさん!
こういう展示は、上野の美術展みたいな、
前にいる人たちの頭の間から見る、みたいなのはムリなので、
会場内の人数が多くなくてよかった。
 
 
上品な雰囲気の初老のご婦人(外国人)は、
モースさんのメモを熱心に読んでいた。

英語圏の若い人たちは、筆記体を使うことがほとんどなく、
あまり読めなくなっているという話をネットで見かけたけれど、
このご婦人は、走り書きみたいな筆記体でも大丈夫なんだろうな。
 
 
私は、五線譜みたいなノートに筆記体を練習させられた世代だけど、
英語の授業で筆記体を習うなんて「昔の話」なんだろうなぁ。





それにしても、モースさんはスゴイ。
小さい茶碗や下駄くらいならともかく、
大きな看板や、巡り地蔵なんていうオオモノまで
コレクションしている。
  ※巡り地蔵
    厨子の中に子どもの無事や成長を祈願する子安地蔵が安置されている。
    かなり大きいものだけれど、このお地蔵さんを厨子ごと背負って、
    家々を訪ねまわる人がいたそうだ。
 
 
 
 
櫛や簪、大工道具などの中で、使った痕跡が見られるものは、
その場で譲り受けたものも含まれているらしい。
 
 
 
モースさんは大森貝塚の発見で有名。
縄文土器の名前が彼から来ているとは知らなかった。



大森貝塚の土器には網目模様がついていた。
モースさんはこれを「cord marked pottery」と呼んだ。
索紋土器という意味だが、日本の学者が【縄文】と訳したそうだ。 



縄文土器にも最近興味がでてきた。
火焔型土器のカタチは、ホントにすごい。
実物を自分の目で見てみたい。


こういうところにも行ってみたいなぁ。

http://www.najomon.com/page_najomon/yagai.html
農と縄文の体験実習館「なじょもん」
新潟県中魚沼郡津南町



それにしても、日本のコマゴマしたものって
やっぱり見てて楽しいなぁ。
お茶道具のミニチュアとか、商店の店舗模型とか、
本物そっくりに丁寧に作ってあって、とてもよかった。

 
 
会場の出口近くには「生き人形」というのが展示してあった。
人間に見えるかというと、ちょっと違うけど、
ほぼ等身大なので、迫力がある。
コレもお船に積んで持ち帰ったのかー

 
 
展示会場の外側では、いろいろなものを売っていた。 
布製品やら、掃除道具やら、日用雑貨やら、
『古き良きニッポン』のイメージを感じさせるものばかり。
ああいう展示を見たあとでは、欲しくなるものばかり(笑)。



この展示会の図録も販売していた。
ものすごく欲しかったけど、
Amazonでも買えるのがわかっていたので、
とりあえず我慢。


冷静になってから、購入するかどうかを決めよう。



モースさんの本は、地元の図書館でかなり所蔵していることがわかった。
今回の展示の中には、著作から引用していると思われる文章が
いくつも掲示してあった。
彼の本が読みたくなるような文章ばかりだった。
 
 



12時近くになっていたので、
混雑する前に7Fのレストラン「桜茶寮」へ。


窓際の席だとかなり見晴らしがよさそうだったが、
残念ながら奥側の席だった。
息子はオトナと同じものを注文し(ざるそば+松茸ごはんのセット)
わざびとしば漬け以外はキレイにペロリと平らげた。



食後は併設の図書館へ(レストランと同じく7F)。
息子は早速マンガを見つけて、読みふけっていた。



私と夫は映像資料のコーナーへ。
テツの夫は地下鉄開通の際の白黒映像を見ていた。
私は田園調布に建てられた住宅の移築についての映像を見た。
  田園調布→江戸東京たてもの園
        http://tatemonoen.jp/
        文化的価値の高い歴史的建造物を移築し、
        復元・保存・展示する野外博物館



田園調布というのは昔から知っていたけれど、
これを開発した「田園都市株式会社」なんて、ちっとも知らなかった。



wikiによると・・・
______________________________

田園都市株式会社は理想的な住宅地「田園都市」開発を目的に
1918年(大正7年) に実業家渋沢栄一らによって立ち上げられた会社で、
現在の東京急行電鉄・東急不動産の始祖に当たる。

1922年に目黒区、品川区にまたがる洗足田園都市、
翌年大田区の多摩川台地区(現在の田園調布)の分譲を開始し、
またその地の足の便の確保のため鉄道事業を営んだ。

1928年、子会社であった目黒蒲田電鉄に吸収合併された。
その開発手法は後に東京急行電鉄による多摩田園都市開発に
応用されることになる。

______________________________


映像資料にあった、田園調布から移築された住宅は、このページのW7。
http://tatemonoen.jp/area/west.html

『田園調布の家(大川邸)』 1925年(大正14)



映像資料が作成されたのは20年くらい前だったので、
大川邸の奥様のインタビューも収録されていた。


とてもおしゃれなお宅なのに、水道はなくて、
井戸を掘るところからスタート。
20メートルほど掘って、やっと水が出て、万歳したそうだ。
トイレは水洗だったので、奥様と女中さん(!)とで、
トイレ用の水をくみ上げて、タンクに入れていたとのこと。
 
 
電気代は恐ろしく高くて、とても払えなくて、
暖房には木炭など代替のものを使っていたそうだ。
 
 

このお宅の大きな特徴は、和室がないこと、
家の中心となる一番いい場所には、
家族のためのリビングがあること。
(これまでは、一番いい場所は応接間だった)
 
 

家の組み立てには、アメリカの技術を取り入れているそうで、
木材を接続するのにボルトをガンガン使用。
さびないのかなぁ・・・??
日本の技術の場合、木と木を継ぐときには、
端っこを複雑な形に切って、
互いに組み込み合うようにして、釘は使わないらしい。


昔、日本にたくさんの木が生えていた時代には、
建物を建てる時には、
一つの山から必要な木材をすべて調達していたそうだ。


建物の西側には、山の西側に生えていた木を使うなどして、
もともとその木があった場所と似た環境のところに
置くようにしていたらしい。
木の癖(?)まで考慮して使っていたと
言えるんじゃないのかな。





息子を放っておくといつまでもマンガを
読み続けそうだったので、
6Fの常設展示へ移動することにした。


その2へ続く
http://www.m2-dream.net/?p=9813

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