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2013年 9月 30日

瑠璃杯

カテゴリー 読書



 
 
図書館で借りた『修業論』、結局、<密林>でぽちっとしてしまった・・・
あっという間に届いたのに、まだ読み返せていない~
 
 
一緒に買った『現代霊性論』を先に読み始めてしまったのだが、
これがとても面白い。(まだ全部は読み終わってないけど)
 
  
これまでに、あちらこちらでかじり散らかして
「もわもわ状態」になっていたものが
文字になっているような感じがする。
人によっては面白くないかもしれないし、
「こんなの当たり前じゃない!」と感じるかもしれないけれど。
 
 
『現代霊性論』は、『修業論』の著者の内田樹氏と
浄土真宗本願寺派如来寺住職の釈徹宗氏が
2005年に神戸女学院大学で行った対談形式の授業の記録。
 
 
 
学生たちにたった一つだけわかってほしいことがあるとしたら・・
ということで、以下の文章があった。

>「人はさまざまのものを信じ、さまざまな神に祈るけれど、
> 他人が信じているもの、祈っている神に対しては、
>(あの、それ、鰯の頭なんですけど・・・」と内心思っても)
> しかるべき敬意を払いましょう」ということに
> 尽くされると僕は思っています。
> なによりもまず宗教的寛容。
> ある宗教について、そのクオリティや意義を論じるのは
> 次の段階の話だと僕は思っています。
 
これは、とても大切なことだと思う。

普段の生活の中でも、相手が大事にしているものを尊重する姿勢は
重要だと思うし。
 
 
ただ、宗教に関しては、
一神教の世界と多神教の世界では、全然違うと思うので、
それぞれの世界においての<宗教的寛容>という言葉のイメージは、
かなり異なるかもしれない。

しかし、そうではあっても、人によって価値観は実にさまざまで、
信じる神様も、信じる世界も、いろいろだということを
受け入れていた方が、心は穏やかになれるんじゃないかなぁ??
「コレ以外は絶対ダメ」ってやってしまうと、自分が苦しくなるだろうし・・・

 
 
 
 
 
 
昨年、ざーーーっと(ホントにサワリのサワリくらい)
コミュニケーションの変遷についての話を聞いたせいか、
最近、歴史に興味を持つようになってきた。
1980年代前半に出版された日本の歴史・芸術に関する全集を、
ぽちぽち集めている。
第1巻を図書館で借りたら、俄然欲しくなってしまったのだった・・・
普通「全集」というのは、図書館だったらセット購入しそうなものだけど、
市内の図書館(分館も含めて)には、なぜか数冊しかない。
 
約30年前の本なので、書店では入手できない。
結局、中古本として探すしかないのだが、元値よりだいぶ高い。
巻によっては、クラクラするくらい高いものもあるので、揃えられるかどうか・・・
 
 
そういえば、昨年も80年代に出版された本を買ってたなぁ。
元値が3000円ちょっとだったけど、約2倍以上の値段がついていた。
   
 
 
 
 
歴史に興味を持ったのは、いいことなんだけど、
自分のあまりの無知さ加減に愕然。
ほぼ<まっさら>かも・・・汗
 
  
高校時代の歴史の授業は、日本史か世界史の選択だった。
世界史を選択したが、「習った順に古い」みたいな
非っ常に恐ろしい感覚を持っていたような気がする。
 
 
エジプトの古代史に一時期熱中した他は、
全く興味を持てなかったけれど、今は、いろいろ知りたいなぁと思う。
先月、号泣しながら読んだ『遙かな町へ』には、
中学生に戻った主人公が、学ぶ喜びを感じるシーンがあった。 
なんだかわかる気がするなぁ。
  
 
自分が全く知らなかった世界を垣間見るとか、
ああそういうことなのかーって納得するとか、
そういうことに嬉しさを感じたりするんだけど、
高校時代は、ただただ「ったりー」だったかも・・・
(カッタリーなんて、今の高校生は言わないのかな)
 
     
香港人に聞いた話だと、
香港では、一昔前までは、高校を出たら就職して、
それから大学に行く人が結構いたそうだ。
(現在は、大学進学率はだいぶ高いようだけど) 
その話をしてくれた人も、高卒で就職して、
メーカーの購買の仕事を数年やって、
結婚して子どもが生まれてから大学に通っていた。
  
 
 
社会に出て、「こういうことについては全く無知な自分」とか、
「この分野の知識がないのはマズイ!」というのを
痛感してから(恥をかいてから)勉強する方が、
いいような気がするけれど、専門性の高い情報に囲まれるという経験も
大事なことらしい。
 
 
> 自分に必要な情報だけじゃなく、
> 役に立ちそうもない専門性の高い情報が
> バラバラに身の回りに並列している状態の場として
> 一番身近にあるのが大学だと思います。
> そこに身を置いていると、全然関係ないような要素が
> バッとつながる快感を体験するときがある。
> そういう体験は「考える手順」を鍛えるんじゃないかなと思うんですよ。
(中略)
> 知識と知性をごっちゃにして自分の歯で噛まずにいると、
> いつの間にか与えられた情報が
> そのまま自分の意見になっていることって少なくありませんからね。
> 「他人から与えられた情報が自分の意見」ということは、
> 操作可能な人になってしまっているということです。
 
 
大学時代には、「バッとつながる快感」を体験できてないっぽい・・・
でも、最近、実生活に関係ない断片をチラチラ覗き見(?)しているうちに、
「アレってコレのことじゃないか」とか
「コレコレとシカジカは関係ないようでいてすごく関係ある」とか
ほんのちょっとだけわかることがある。
快感とまではいかないけれど。
こういうことも前述した<学ぶ喜び>につながっているんだろうなぁ。
 
 
知識と知性をごっちゃにして・・・以降のくだりは、
ちょっと耳が痛い。
Googleなどで検索すれば、たいていのモノゴトについては、
何かしら情報が出てくるし、
wikipediaにも、非常に詳しい説明が載っていることがある。
これにざっと目を通して、わかった気になってしまうのだが、
この状態では、自分の歯で全然噛んでいないことになるよなー
自分の歯を使わずにいたら、<操作可能な人>になってしまう。
リンゴや御煎餅をふつうに食べられる今のうちに、歯を使っておかなければ。


 

ぼちぼち集めている全集のうちの一冊は、天平文化を扱ったものだった。 
正倉院の瑠璃杯の紹介には、高校時代の漢文の授業で習った涼州詩が
引用されていた。
冒頭の「葡萄美酒夜光杯」の部分。
この最初の1行は、実に鮮明に覚えていたのだけど、
上から下にそのまま読めるからだったのかな?
 
 
作者の王翰がどの時代の人なのかを教わったはずだが、
何も覚えていないところを見ると、興味ゼロだったに違いない。
(唐代の詩人/687年?-726年?)
 

涼州詩の夜光杯は、ペルシャで作られたものらしい。(異説もあるようだが)
王翰の時代、長安は国際都市で、西の文化を東へ運ぶ
役割を果たしていたそうだ。
 
正倉院の瑠璃杯もペルシャで作られたとのこと。
涼州詩の夜光杯と同じイメージだと思うから、実物を見てみたい。
 
 
  涼州詩  王翰
  葡萄美酒夜光杯
  欲飲琵琶馬上催
  酔臥沙上君莫笑
  古来征戦幾人回


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2013年 9月 24日

五重塔とスカイツリー

カテゴリー 生活一般


 
 
お彼岸のお墓参りで本門寺へ行った。
 
 
お寺の最寄り駅の改札前でも、お寺に向かう道沿いでも
お供え用のお花が売られていた。
 
 
それにしても暑い・・・夏みたい。
 
 
201309R5258134 
 
 
 
お墓のお掃除をしてお花を供えて、お線香をあげた。
中学生の姪っ子がよく働くのはともかく、
甥っ子も、何やら自分なりのルール(?)で働いて(動いて?)いた。
 

 
本門寺の五重塔。
201309R5258136


高さ31.8メートルとのことだが、周囲に比較するものがないと、
なんだかよくわからない。
30メートルの高さというのは、
オフィスビルだと7~8階建て、マンションだと10階建てくらいだそうだが、
やっぱり実感がわかない・・・
 
201309R5258138
 
 
 
 
五重塔に関しては、ネット上にはいろいろ情報があった。
個人のブログの情報によると、
現在、日本には、江戸時代以前に造られた五重塔は23基、
三重塔は、105基あるそうだ。

 
 
 
本門寺の五重塔は、
慶長12年(1607)正心院日幸尼(将軍秀忠乳母)の発願で建立。
作られてから、400年以上経っているんだなぁ。 
 
 
 
建立から7年後の慶長十九年(1614)の大地震で塔が傾き、
屋根を瓦葺から木瓦葺に葺き替えられた。
 
 
元禄16年(1702)徳川綱吉の命で、祖師堂前から現在地に移築されたというが、
いったいどうやって移したんだろう???
移築には1年くらいかかったようだが。
 
 
宝暦3年(1753)、文政元年(1818)、嘉永7年(1854)に修理。
嘉永7年の修理では、屋根の葺き替えも行った。
 
 
明治19年(1886)にも屋根を葺き替えた。
昔からマメに修理してるから、今もちゃんとした姿で残っているんだなぁ。
 
 
大正12年(1923)には、関東大震災で塔が傾いたそうだ。
倒壊しないというのがすごい!
しっかり作ってあったというのもあるのだろうけど、
やはりメンテナンスをちゃんとやっていたというのもポイントかも。
 
 
 
昭和33年(1957) 屋根葺替、避雷針設置。
 
 
平成9年(1997)~平成13年(2001) 全解体修理
(日蓮聖人立教開宗七百五十年慶讃記念事業の一つ)
 
 
 
 
関東地方には、幕末以前の五重塔が四基あるが、
本門寺の五重塔は、その中で一番古いそうだ。
 
 
そのほかの三つ(すべて重要文化財)
  ○法華経寺(千葉県) 1622年建立
  ○旧寛永寺(上野)
    1639年に焼失したが、同じ年に再建されたそうだ。
  ○日光東照宮 1818年建立

 
三つとも、自分の目で見たことがあるんだけど、
ありがたみがわかっていなかったせいか、イマイチ印象が薄い・・・
 
 
来月、上野に行くから、五重塔をしっかり見てこよう。





お墓参りのあと、なぜかスカイツリーへ。
まあ、五重塔の構造を参考にしてスカイツリーが作られたそうだから、
全く無縁というわけではないけれど。
 
201309R5258139
 
 
<ほぼ日>に、スカイツリーの「心柱制振」について、解説があった。
http://www.1101.com/skytree/2011-02-22.html
 
 
ほぼ日の解説によると、五重塔は、これまでに倒壊した記録がないのだとか。
人が住むわけではないし、五階建てというわけでもないから、
モトモト倒れにくいっちゃ倒れにくいのかもしれないけど、
634メートルのスカイツリーの構造に応用できるような技術を使っているのは、
本当にすごいと思う。 
 
 
201309R5258152
 
 
現時点でのスカイツリーは、「ふらっと行って登れる場所」ではないので、
ソラマチをうろうろ。

 
じっくり見てみたいお店がたくさんあったけど、
とにかく人が多い・・・!!!
 
 
平日でも、それなりに人がいるんだろうなぁ。
 
 
 
テラス席でお茶した。
プラスチックのカップのデザインが気に入ったので、
何枚か写真を撮ったけど、
キレイに撮れているのに限って、
誰かの手や指が写っているのでガッカリ・・・
 
201309R5258149
 

 
 
帰りは都バスで鶯谷に出て、JRで帰った。



スカイツリーが、「ふらっと行って登れる場所」になるのは、
何年後かなぁ???
 
 
201309R5258154 
 
 
 
 
 
 

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2013年 9月 17日

憧れ

カテゴリー かんがえごと


 
ある外国人が日本語で書いているブログを熱心に読んでいる。
 
 
驚くほど日本語が上手で、
日本人が書いたといってもおかしくない感じ。
 
 
 
頭脳明晰で、機転が利いて、博識で、
ユーモアがある人なんだろうなと思う。

 
 
面白い話(笑っちゃう&興味深い)が多かったけれど、
過去のエントリーを読んで、この人の熱血な面を知った。
 
 
 
熱血というと、プラスのイメージも、もちろんあるけれど、
「はぁ?」と思うこともある<昭和のスポ根マンガ>とか、
<やたら熱くてちょびっと迷惑なヒト>というイメージもある。
 
 
この人の場合は、基本的に冷静で、
(どう見ても理路整然と考えるタイプ)
飄々としていて、多少のことなら笑い飛ばすタイプだと思っていた。
 
 
 
でも、この人は、「これだけは絶対に譲れない」という、
確固たるものを持っていた。
 
  
<この人の逆鱗に触れる事件>という表現は、
少々おかしいかもしれないけれど、
そういうことが起こったときのエントリーは、
それまでに読んだものとは全く違っていた。
 
 
その文章は、
自分はどうなってもかまわないけれど、
これだけは絶対に譲れない、絶対に許さないという、
心の底からの絶叫だった。
 
 
PCの画面に並んでいる文字から、
これが伝わってくるのだから、
本当にすごい。
 
 
しかも、この人にとっては、<日本語=外国語>なのに。 

 
日本語を日常的に使う環境ではないはず。
仕事にも全く関係ないはず。 
それでも、ここまで伝えられる・・・伝わってくるって・・・ 
 
 
 
この人のレベルを、語学学習のゴールに据えたら、
私だったら、現世だけでは到底終わらないくらい、
大変なことになりそう・・・
  
 
でも、自分の思いを本当に理解してもらって、
相手の心を動かして、深い共感を生むためには、
このくらいまでいかないと、難しいんだろうな。

 
それ以前に、「このことを伝えたい!」という、
強い思いみたいなものがないとダメなんだろう。
 
 
 
夏休みに訪れた、“青山剛昌ふるさと館”では、
青山先生へのインタビュー映像が流れていたが、
その中に、漫画家にとって大切なことは、
「いろんなことを知っていること」
「自分なりの発想を持つこと」
というお話があった。
「大事なのは、お話をどう作るか」で、
「絵は描いていればうまくなる」とのことだった。

 
これって、語学というか、コミュニケーション能力全般に
とっても関係することだよなぁ。
こうやってブログを書くことに関しても。
 

文章とか外国語は、絵と同じく、
書いたり、使っているうちにうまくなるだろうけど、
文章とか外国語で、何を表現するか・何を伝えるかが大問題。
 
 
中身がなかったら、
誰も喜ばないような内容だったら、
どんなに言葉を駆使しても、
「上手だけど、なんだかなぁ」
「意味はわかるけど、つまんない」になってしまう。
 
 

中身で勝負ってなると、やっぱり人間性が問題だなぁ・・・・汗
 
 
 
 

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2013年 9月 12日

眠れない夜

カテゴリー 生活一般

 
 
 
 
社員食堂で一緒にお昼を食べている人は、
「眠れない夜」が結構あるという。 
 
その日のうちにベッドに入るようにしているそうだが、
横になった後も、目が冴えているので
なかなか眠れないらしい。
 
 
眠りたいのに眠れない状態のまま
朝になってしまうこともあるそうだ。
 
 
眠れない夜というのは、最近はないなぁ。
 
 
その昔、<ぐっすり眠るためのCD>みたいなのを
買った記憶があるので、その時は眠れなかったのだろう。
そのうち眠れるようになったので、そのCDは、
「最近、眠りが浅くて・・・」
と言っていた母にあげたような気がする。
 
 
最近は、本当にぐっすり眠ってしまう。
さあ寝るか・・・と、布団に入って、枕に頭をのせると
フッと眠ってしまい、気がつくと朝。
 
 
これだけ早いと寝た気がしない。
「ああ、よく寝た!」
という感覚が薄い睡眠は、眠りの質がよくないとかって
どっかに書いてあったような。
 
寝たと思ったら、とにかく一瞬で朝が来る。
 
 
普段の生活では、<一瞬睡眠>だけど、
旅行に行くとまた違う眠りになる。
 
 
枕が違うとか、室内の明るさが違うとか、
大鼾の夫と同じタイミングで寝なければならないとか、
寝るときの環境が違っているので、
眠りに落ちるまでは、いつもより多少時間がかかるが、
眠ってしまうと、ものすごく深く眠っているらしい。
 
 
朝、目を覚まして、しばらくは、
「ここはどこ???」
という状態になる。
さすがに、「私は誰?」というのはないけれど、
どこにいるのかわからない状態なので、
旅行に来ていることさえ覚えていないようだ。
 
 
普段と違う環境にいると刺激が多くて、
心身ともに 疲れるせいなのか、
眠りは本当に深くなるらしく、
朝、目が覚めると
「あー よく寝た!」
というスッキリ感が味わえる。
 
 
 
 
一緒にお昼を食べている人は、一日がとても長いそうだ。
一週間も長く感じているようで、
「まだ水曜日・・・」
という感覚らしい。
 
 
私は、一日がホントに短く感じる。
一週間もあっという間で「もう水曜日?!」という感覚。
一か月も一年も、ホントにホントにあっという間。
 
 
一緒にお昼を食べている人は 
早く時間が経ってほしいそうだ。
私は、もっとゆっくりにしてほしい。
 
 
年齢ばっかり増えていて、
それ相応の知識も経験も全然ない感じがするから。
 
 
たまに、自分の年齢を書かなければいけない場面に
遭遇すると、愕然とする。
健康診断などの書類に、
自分の年齢が印刷されているのを見ると、ギョッとする。
 
見た目は、名実ともにおばちゃんなので、
年相応なんだろうけど、中身がなぁ・・・お粗末すぎる。
 
 
もう少しナントカならないものか・・・
 
 
 
 
 
 
 

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2013年 9月 10日

7年後

カテゴリー 生活一般

 
 
 
オリンピック日本開催が決まった日。
息子を連れて実家へ。
 
 
JRから私鉄に乗り換え。
我々の前の席に座ったのは、
お友達の結婚式に向かう、美しいお嬢さん方。
 
 
・・・全員が、すっごく似てる・・・
 
仮に、彼女たちのことを、 
こちらが田中さん、お隣が山田さん、
その向こうが鈴木さん・・・って紹介してもらっても、
誰が誰なのかわからなくなるのは必至。
 
 
個別におしゃべりして、看護師さんなのが田中さん、
美容師さんが山田さんとか教えてもらっても、
まだ混乱するかも。
 
 
昔、紅白だったか、何か特別な歌番組を家族で見ていて、
ステージに若い歌手たちゾロゾロと出てくると、両親が、
「みんな同じに見える」
と言っていたことを思い出した。


「ぜんぜん違うのになんで???」
と、当時はものすごく不思議だったけど、ああ・・・このことなのね。
ホント、そっくりに見える~
 
  
彼女たちの同世代だったら、
「全然違うじゃない。どこが似てるの?」
ってことになるんだろうなー
 
 
 
下り電車なので車内は結構空いていた。
お嬢さん方は、プレゼントとして渡すアルバムをチェックしたり、
新婦に渡すと思われる、赤い法被に寄せ書きをしたり。
 
ひらがなで書かれた新婦のお名前は、姪っ子と同じだった。
(漢字で書いたら違うと思うけど)
 
  
 
 
姪っ子は今年4月に中学生になった。
オリンピックが開催される2020年には20歳!
 
あの子が結婚する時は、
私の結婚式の際、伯母たちが感無量の表情で言った
「○○ちゃんが、お嫁に行ってしまうなんて!!」
という感嘆詞付の台詞を、私が言うことになるんだろうな。
 
 
 
2020年、息子は17歳の高校生!
自分の高校時代の記憶は、結構鮮明なんだけど、
昭和で20世紀の「High school Jail」と、
平成32年で21世紀の「High school days」は
ぜんぜん違うんだろうなー
 
 
高校がJailだと感じていたわけではないけれど、
なんとなく浜省の「独立記念日」を思い出したので。
(この歌が収録されている『愛の世代の前に』が発売された時には
 まだ高校生じゃなかったけれど)
 
 
 ♪夕食の テレビニュース
  俺によく似た少年兵
  ライフルを肩に砂漠を汗まみれ歩いてる
  守るべきものは何?
  戦う相手は誰?
  誰に聞いても答えられない ♪
 
 
テンポのいい曲なので、
歌詞の意味を深く考えることはなかったけど・・・
この質問は、難しいなぁ。 
 
 
7年後、高校生になった息子に聞かれたら、
答えられるかなぁ?? 

今だって答えがないわけじゃないけれど、
こっ恥ずかしくて言葉(文字)にはできない。
 
 
だいたい、私の答えに息子が納得するかどうか疑問だし。
 
「ひとりひとり違うんだから、自分で答えを見つけな」
って言っても、たぶん納得しないだろうな。
 
「自分の答え」を、納得がいくまで探してくれればいいけど、
それ以前に、高校生の息子は私と会話するだろうか??? 
 
 
 
 
『愛の世代の前に』の次のアルバムの
『PROMISED LAND 〜約束の地』は、
三姉妹でお小遣いを出し合って買った。
 
もちろんLP!
 

オーディオセットの前で
三人そろって正座して聞いてたのを思い出す。
  
 
 
世の中はバブルへGO!
 
シャボン玉が膨らみ続けていた頃だったかも。
(はじけてみないと、バブルだったかどうかは
 わからないのかもしれないが)
 
  
 
それにしても、2020年までに、1980年代みたいな
「世の中全体がウキウキしてるみたいな状態」
になるんだろうか??
 
 
それとも、ああいう時代は最初で最後なのかな?

 
オリンピック開催が決まった瞬間、
若い人たちが大喜びしている映像が
ニュースで何度も流れた。 
 
  
こういった大喜びの瞬間が、2020年の間に
何度もあるといいんだけど。
 
 
コンピュータの操作一つで、巨額のお金が動いてしまう時代。
誰かが発信したちょっとした情報が、何度も再生されて
恐ろしい大きさまで膨れ上がってしまう時代。
 
 
コンピュータの操作も、情報発信も、
人間がやっているのだから、
ある程度は、「世の中の空気」の影響を受けると思う。
 
 
数値で表される指標が、イマイチであっても、
世の中全体に、
<今後は何となく明るくなるっぽい>
という雰囲気があれば、
いろいろなものが上向いてくるような気がする。
 
 
 
 ♪俺たちに明日はあるの?
  もしあるとしたらどんな明日?♪
 
 
キラキラとか、バラ色とかじゃなくてもいいから、
遊んだり、勉強したり、仕事をしたりして、
自分以外の誰かのために役立つような
ささやかなこともやって、
おいしいごはんをワシワシ食べて、
ゆっくりお風呂に浸かって、
気持ちいいお布団に入って
「今日も面白かったなー」
といって、ぐっすり眠った後にくるような<明日>がいいなぁ。

 
 
 
 

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2013年 9月 06日

修業

カテゴリー 読書

 
 
どういうきっかけで知ったのか、
つい最近のことなのに、全く思い出せないけれど、
とても読みたくなって読んだのが、『修業論 /内田 樹著』。
 
  
この本は図書館で借りた。
 
 
Amazonでぽちっとやって、
届いた本をパラパラ読んで、「今の自分とは別世界」ということが
何度かあったので、最近はちょっと慎重。
 
 
 
自分が修業するわけじゃないし、
夏休みの忍者屋敷訪問に感化されたわけでもないんだけど。
 
 
す ご く 面 白 か っ た 。

って9文字で終わらせてしまったら、感想文にならないなぁ(苦笑)
 
 
夏休みに読書感想文で苦戦する子が多いせいか、 
息子がやっている「チャレンジ」での、
読書感想文サポートはかなり手厚かったような・・・
 
 
幸い、息子は読書感想文は大大大大大キライではあるが、
本を読むのは大大大 大大スキ。
  
最近は「はやみねかおる先生」ばかりだけど。 
 
 都会のトム&ソーヤシリーズ → 怪盗クイーンシリーズ
どちらも図書館のお世話になっている。
 
 
小学校高学年以上を対象にした本も読むせいか、
漢字は、結構読めるけれど、書くのはからっきしダメ。
「便理(便利)」とか「方注(方法)」とか、平気で書く。
 
 
 
お遊びレベルから抜けない英語学習(自宅で教材活用)では、
発音の練習は、元気よくやっていても、その場限り。
教材のゲームは好きみたいだけど、
単語なんて、ちーっとも覚えていない。
 
 
<映画は英語で何と言うか?>という話になった時に、
「知ってる、知ってる!  映画は<しまね>でしょ!」
Cinemaと島根って、
日本人にとっては、近い言葉なんだろうか??

・・・あの子、前世では一体、どこの国のヒトだったんだろう???
 
 
 
話が逸れた。
 
 
チャレンジには、夏休み用の附録として、
読書記録というか、読書メモが書ける小冊子がついていた。
 
 
記入するのはコレだけ。
 
1)読んだ日
2)題名
3)書いた人
4)この本は「○○だった」!
5)「○○だった」ところはどこ?
6)「○○だった」理由は?
  
「コレだけ」と書いたけど、4)~6)は、簡単には書けないなぁ。
この本は「目から鱗だった」とした場合、
それがどこなのか、具体的にしなければならない。

記入欄は狭いから、選択&要約&圧縮しないと書けない。
 
「目から鱗だった」理由も、簡潔に書く必要がある。
 
 
ま、息子だったら、私の予想の斜め上を行く内容を、
汚ったない巨大な字でガシガシ書いて、
あっさり終わりにしちゃうんだろうけど。
 
 
意味のあることを短く簡潔にわかりやすく書くのって
結構難しい。
 
 
意味のない内容を稀釈してだらだらと引き伸ばすほうが
ずっと簡単かもしれない。
 
 
 
 
 
 
  
「修業論」は、目から鱗だった。 
もともと<修業>に対しては、辛いこと、苦しいことを、
放り出したくなったり、怠けたくなるようなことを
ひたすらやるというイメージを持っていた。
 
本書のまえがきによると、
修業とは、「ゴールのわからない未知のトラックを走る」ようなものであり、
修業する人は、
「<自分がなにをしているのか>を「しおえた後>になってしか言葉にできない」そうだ。
 
 
> 修業は、商取引とは違います。 
> 「努力」を代価として差し出すと、
> 使用価値の明示された「商品」が手渡されるという
> シンプルなプロセスではありません。
 
・・・まえがきの段階で鱗が落ちていたかも。
 
 
 
 
鱗の箇所はたくさんあるんだけど、
「身体と瞑想」に書かれていた、<自我の着脱>については、
とても新鮮というか、面白いというか、
こういう視点で考えたことがなかったなぁと思った。
 
 
これまでの人生のほとんどが、<平時>にいて、
本当の意味での絶体絶命というか、
生きるか死ぬかの瀬戸際まで
追い詰められたことがないからだろうな。
 
 
 
本当の危機的状態になったときには、
自我を脱ぎ捨てる必要があるらしい。
この辺りは、なんとなくしかわかっていないけれど、
自分だけは何としてでも助かりたいと、
大勢の人が非常口に殺到したらどうなるかを考えれば、
<自我>(「私が!」「自分が!」)を、
状況に応じて取り外せるようにすることは重要だと思う。
 
 
 
「私が!」を取り外すのが、瞑想だそうだ。
本文には
 > 瞑想とは、「今・ここ・私」という定点への居着きから
 > 自己解放することである
とあった。
 
 
いろいろな説明があってのこの文章なんだけど、
数年前から、「今・ここ」を重視していた私にとっては、
ちょっと衝撃だった。
 
 
(この本で、「今・ここ」を軽視しているわけではない。
 「今・ここ」を認識しているのは、誰かというと、
 ほかならぬ「私」であって、この「私」というのは、
 <平時>では有用であるけれど、
 非常時には外す必要があるという話)
 


昔、どこかで読んだか聞いたかした話で、
その人が今いる場所によって、
やるべきこと・必要なことは変わってくるというのがあった。
 
 
ある目的地に向かっているとして、
現時点で、川を渡ろうとしている人は、
船に乗らなければならないし、
船に乗って向う岸についた人は、
船から降りなければならない。
 
同じ目的に向かって行動していても、
やるべきことが正反対になることもあるという内容だったような。
 
 
自我の着脱と言っても、
自我が「着」の状態がわかっていないと、
「脱」もできないんじゃないかな?と思った。
 
 
あたしがあたしが!!っていう状態は「自我装着」だろうけど
四六時中そうかというと、そうでもない。
 
 
ネットサーフィンなんかやってると、
雑多な情報というか、文章がわーーっと入ってくると
自分で考えることなしに、
「あーそうなんだー」みたいになってしまう。
 
 
3・11の後、さまざまな情報が錯綜した時も、
立ち止まって、これはどういうことなのか?を
整理することなく
「○○なんだって!! わーたいへんだー」
みたいになってたし。
 
 
私の場合は、まず平時に「今・ここ・私」という定点にとどまって、
情報の洪水とか、雑念の海の中で翻弄される浮遊物になるのを
避けることからスタートだなー
装着している状態がちゃんとわかっていないと、
それを外すこともできなさそうだから。

 
 


ブリコラージュのこととか、司馬遼太郎の話も興味深かったけれど、
まだ、消化しきれてない。
うーん・・・図書館への返却期限になっちゃうなー
 
あとがきには、
> なかなか歯ごたえのある書物だったのではないかと思います。
> 噛めば噛むほど味の出る「するめ」みたいな書物であることを
> 願っておりますので、この先もお手元に置いていただいて、
> たまに「あれってこれのことかな」と思うことがあったら、
> 読み返してみてください。
とある。

「あれってこれのことかな」が、すでにいくつもあるので、
すっごく手元に置きたくなってきた・・・

ああ・・・Amazonのページを開いてぽちっとやってしまいそうだ。
 
 


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