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2011年 1月 31日

クイーン・エメラルダス

カテゴリー 読書



1月24日に「あたごおる」という文章を書いた。

http://www.m2-dream.net/?p=4868


この中で、宮沢賢治の「イーハトーブ」に触発されて生まれた、
ますむらひろし氏の「アタゴオル」や「ヨネザアド」のことを書いた。


若い頃、宮沢賢治を熱心に読んだますむら氏は、
「銀河鉄道の夜」をマンガで描いている。
そこにいたる経緯と、物語をマンガにしていくプロセスは、
イーハトーブ乱入記に書かれていてとても興味深い。


特に感動というかビックリしたのは、『討議 『銀河鉄道の夜』とは何か』*を
「値段の高さにフルフルしながらも」買い求めて読んだという部分。
(*校本『宮沢賢治全集』の編集を行った入沢康夫氏と天沢退二郎氏の対談集)


>しかし、僕が一番驚いたのは、天沢さんが描いてきたという
>「ジョバンニの町の地図」と「銀河鉄道の列車内の座席図」だった。
>僕はその図のページを開いた瞬間、驚くというより呆れたのだ。
>「ああ、大の大人が二人して、町の地図まで描いて調べるなんて・・・
> いくら真剣に討議するったって、相手は”童話”なんだよ。
> そんな地図や座席図なんか持ち出したら、
> どこかに間違いや矛盾が出るにきまってるじゃん。
> もう、詩人って、大人げないねぇ」

>いくら『銀河鉄道の夜』が魅惑的だといっても、
>僕の心のどこかには「たかが、童話じゃないか」という気持ちがあった。
>そして、大人が二人がかりで地図まで描いて調べれば、
>あちこちにボロが出たり、映像的な矛盾が必ず出てくると思っていた。

>しかし、出てこない。
>幻想的風景でありながら、賢治は位置や風景のミスや矛盾を起こしていない。
>そして天沢さんの視覚調査もミスしていない。
>(この点は、僕がのちに二度もネチネチと漫画に描いて、痛感することとなる)

こういうのを読むと、宮沢賢治は、実際に銀河鉄道に乗ったのではないかという
気持ちになってくる。
不思議な人だったらしいから(変わり者でもあったようだが)、
そういうことができたとしても、おかしくないかも。

また、「桔梗いろの空」とか、「三角標」等の言葉に
隠されていた意味も、とても面白かった。




しかし、私にとって銀河鉄道と言えば、やっぱり「銀河鉄道999」だ。
(「銀河鉄道の夜」があったからこそ、999が生まれたんだけど)


銀河鉄道999
http://www.youtube.com/watch?v=-KIboDS4w8M
(再生回数が非常に多く、映像の編集も素晴らしい!)


映画館で初めて見た映画がコレだった。
若い人が見れば、昔っぽい感じがするのかもしれないが、
私の中ではあの頃のまま、全く色褪せていない気がする。


999には、キャプテンハーロックやクイーンエメラルダスが登場する。
私はハーロックもエメラルダスも大好きだった。


しかし、ハーロックは超寡黙な男性なので、1分以上同席するのは
ムリだと思う・・・


(と言うより、安全圏に居座ったまま怠惰な生活を送っている私は、
 この二人からは相手にされないんじゃないかと・・・汗)

エメラルダスのことを、以前、文章に書いたような気がしたので、
探したら出てきた。


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せんろはつづく

竹下 文子 (著), 鈴木 まもる (絵)

(2005.12.17作成 / 2011.01.31修正)


この絵本は新しい本。
初版発行が2003年10月で、2005年7月には第13刷発行なので、
人気があるのだろう。
姉がクリスマスプレゼントとして息子にくれた本だ。


これ、なーんだ?
せんろだよ


お話はこんなやりとりから始まる。
黄色いシャツを着て、色とりどりのズボンを穿いて、
ズボンの色に合わせたヘルメットをかぶったこどもたちが
枕木を敷き、レールを載せていく。
こどもたちは線路をどんどんつないで長くしていく。


やまが あった どうする?
あなを ほろう トンネルだ
かわが あった どうする?
はしを かけよう てっきょうだ



こどもたちは障害を、特に障害と思うこともなく、クリアしていく。
自由にトンネルを掘り、橋をかけ、踏切をつくり・・・
昔、読んだ「冒険ダン吉」を思い出した。


財団法人大阪国際児童文学館 日本の子どもの本100選
http://www.iiclo.or.jp/100books/1868/htm/frame072.htm


上記サイトより抜粋
>「冒険ダン吉」は、もともと『少年倶楽部』に1933年6月より
>39年7月まで連載された島田啓三(1900-1973)による絵物語である。
>夢の中で南洋の島に漂流した少年が、現地人の王様として君臨する
>物語が描かれる。


「せんろはつづく」を読むまで、冒険ダン吉のことなど
すっかり忘れ去っていた。


父の本棚の上の方に、ベージュの箱に入った「少年倶楽部」の本があった。
確か3冊あり、どれも厚さが5センチくらいあった。


当時発行されたものを編集して解説を加えたものだったのだろう。
そのうちの1冊は確か「ボクラ小国民」というサブタイトルがついて
いたような気がする。


『のらくろ』も『冒険ダン吉』も収録されていたが、その分厚い本の中に
マンガが入っているのをどうして知っていたのか?

父が見せてくれたのだろうか?

上記サイトでは、冒険ダン吉は「絵物語」だと書かれていて、
写真も掲載されているが、私が見たのは、「マンガ」だった。


冒険ダン吉を初めて読んだ時、とてもわくわくした。
ダン吉の活躍に心から感心した。
列車を走らせる話が好きだった。

南洋の島の人々には「列車」などという概念はなかったのだが、
ダン吉は、大人と対等に話して、大人の協力を取り付けて、
みんなを指揮して、木製の線路を敷設していく。
すごいなぁと思った。


ダン吉の列車の動力は「象」。
象に汽車の形の木製のハリボテみたいなものをかぶせて、
客車を連結するというもの。
最後に何かオチがついたのかもしれないが、
とにかく自分の力で列車を走らせるという、
「せんろはつづく」のような設定に引きこまれたのだと思う。


その当時、列車を走らせることが、どれほど大変なことか、
全く意識していなかっただろう。


「せんろはつづく」のように、
  山があった→トンネルを掘る
  川があった→橋をかける
と、まるで画用紙に好きなように絵を描くような感覚で
「こうだったら、こうする」を考えていたのだろう。


いつ頃からモノゴトを難しく考えるようになるのだろう?

いつ頃からこういうことをするには、
これだけのことをしなければならないから
「難しい」「大変だ」と思うのだろう?

何かを決めるときに、即座に「それは大変だからできない」と
反応するようになるのは、いつ頃からなんだろう・・・?




もう一つ思い出した話がある。
「クイーンエメラルダス」(松本零士)に出てくるエピソードだ。
(以下、セリフの部分はマンガの吹きだしより引用)



主人公の海野広がボロボロの宇宙船に乗って
「ガニメデ」へやってくる。


この宇宙船は、彼が働きながら部品を買って
組み立てたものだった。


地球から火星へ飛び、そしてガニメデへ、
半ば墜落のようなカタチで、着陸したのだった。


彼がガニメデの保安官に呼び出されている間に
重科学大学の空中機械工学部に10年在籍している、
ラメールという男が、海野の宇宙船に入り込んでいた。


海野は、最初はラメールをとがめるが、
彼が専門家だとわかると、自分の宇宙船を見てどう思うかをたずねた。


ラメールは、基本的な設計に大きなミスがあるとか、
エンジンは回路が不安定で、出力をコントロールできないとか、
組み立てが雑で、完成品とは言えないなどと批判する。


とにかく飛び出すことが第一だと主張する海野に対し、
ラメールは、
「完全な設計と完全な工作によって完成されたものでないと、
 宇宙は飛べない。
 じっくり腰をすえてかかるのはムダじゃないんだ」
と諭し、海野を自分の研究室に案内する。


彼の研究室には、自動分析器や相関双比例式創造設計機、
完璧を誇る修正用コンピュータセンサなどが揃っていた。


海野はラメールに尋ねる。
「ここで何をしているんだ?」
ラメールは「研究さ」と答える。

「なんの?」

「なんの?
 なんでおまえはそんなくだらない質問をするんだ?
 より完全なものを求めてさ!
 宇宙を旅するには、より完全な設計による完全な宇宙船が必要だ。
 ぼくはそれを作るつもりだ」

「いつ?」

「そんなことはわからないよ!!
 研究には長い時間がいるんだ!!
 ・・・いろいろなものをたくさん作ってみたよ。
 どれをとっても、君が乗ってきたあのできそこないの宇宙船よりは
 ずっと完全なすばらしい宇宙船ばかりだ」


ラメールは天井のスクリーンに自分が作った宇宙船の映像を映した。
「実物はどうした?」

「みんな破壊したよ!!
 こんなもの残したら、ぼくの設計者としての名声に傷がつくからね」


そしてラメールは正面のスクリーンに、彼が今手がけている宇宙船の設計図を表示した。
「これが完成すれば、より安全な宇宙旅行ができる」

「いつできる?いつあんたは宇宙へ出るんだい?」

「そんなことはわからないよっ
 こういうものを作るのには時間がかかるんだ!
 最大のコンピュータを使っても1年以上かかる計算だってあるんだぞ!!
 宇宙船の設計ってのはそれくらい大変なんだ!!」

「俺の船だって飛んだ。ここまで飛んできた。
 コンピュータなんか使わなかったけど、ここまできた。
 あんたみたいなことを言ってたら、
 家の中でウロウロしているだけで
 年をとって死んでしまう。何もできないよ。
 俺はそんなのはごめんだ。
 穴があいた船でもいい。エンジンがガタピシでもいい。
 この体が若くて、少しくらいの傷なら耐えられるうちに
 宇宙をかけまわりたい。
 それで死ぬなら本望だよ」

「本気か?」

「本気さ!! 
 俺には未来がある。残された時間がまだいっぱいある。
 残された時間といっても、
 家の中や研究室でウロウロしている時間じゃないよ。
 宇宙の海をかけまわる時間さ!!
 こんな大研究室なんて、俺にはオモチャにしか見えないよ。
 設計図だけの宇宙船なんてただの絵だ。
 こんなもんじゃ宇宙は飛べない。
 宇宙の海は本物だ。あそこに本当にあるんだぞ。
 絵にかいた船では飛ぶことはできないよ。
 だが、俺の船は宇宙を飛べるぞ。
 違うかラメール?」


海野の言葉にラメールは激昂し、
「帰れっ!!
 あのボロ船でどこへでも飛び出して死んじまえっ」
と叫び、海野を追いかえす。


海野がいなくなると、
「くそーっくそーっ」と床にうずくまって悔しがる。
「くそーっくそーっ」と叫びながら、
今、設計している船が映し出されているディスプレイに
イスを投げつけてしまう。


一方、船に戻った海野は、船の動力部を見ながら途方に暮れている。
「しかし、あいつが言った通り、
 このエンジンは見込みがないなぁ・・・」

そこへラメールがやってくる。
手にはカプセルのような形の装置を持っている。
「燃料制御バルブだ。
 人間の頭脳300人分に匹敵する能力を組み込んである。
 これは絵じゃないよ。実物だよ。
 これをお前の船につけろ。
 船体のほかの部分はムチャクチャな船だが、
 少なくともエンジンは完全になる。」

「くれるのか?」

「うん。ぼくだって理屈ぬきで宇宙を飛びたいんだよ。
 この頃、そう思うようになったんだよ。

 テストテストで追いまくられ・・・
 全部合格して、大研究室ももらった・・・
 でも、じっと部屋の中で考えて暮らしてきたぼくの体は
 おまえのようなムチャクチャな旅ができないんだ・・・

 完全な宇宙船は作れても、
 お前のように宇宙の海をひとりで旅するのは
 夢のまた夢なんだよ・・・

 お前は自分の夢を追って、自分で宇宙へ出かけられる・・・
 俺の夢は・・・研究室のパネルやスクリーンの上にしかないんだ・・・

 わかってくれるよな海野・・・
 そういう男もいっぱい世の中にはいるんだ。
 行きたくても行けない男が・・・」


読み返してみて、「マンガ」として片づけてしまうには
もったいないくらい重要なメッセージ含んでいるセリフだと思った。


確か、小学校高学年で読んだはずだ。


完璧を目指しすぎた結果を理解したのだろうか?
ラメールの言葉にこめられた感情をどれだけわかっていたのだろうか?


息子には海野のような生き方をして欲しい。
もちろん、息子が決めることではあるけれど。
スクリーンの上にある夢ではなく、現実の夢を生きてほしい。


それにしても、こんな気持ちでクイーンエメラルダスを
読み返すことになるとはね・・・






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何か熱いものを感じて、しまいこんだ「クイーンエメラルダス」を
引っぱり出して、セリフの部分を抜き書きした覚えがある。

5年前に感じた熱いものって何だったんだろう??




銀河鉄道999に関連する曲では、こちらも大好きだった。
今でも聴くと元気になれる気がする。
Taking Off! Over The Galaxy
http://www.youtube.com/watch?v=kFDNIUaIZn4&feature=related
(こちらの映像編集も素晴らしい)


一番の歌詞の
>老いた大地を思いきり蹴って
>星たちの彼方へ さあ 飛び立て
この部分が、未来へ向かって飛び立つという感じがして
大好きだった。
当時は10代だったし、ユーミンの歌にあるように
「まだ 未来は霧の中」だった。


二番の歌詞のこの部分。
>I’m Leaving, I’m Flying
>I’m Taking off to the Unknown
>見慣れた昨日は ふり向くな
>Taking off! Taking off!
>誰も行かない未来へ

「見慣れた昨日」は、当時はピンと来なかったかもしれない。
あの頃は、毎日が新鮮だったし、一日が長かったはず。
判で捺したような日々なんてなかったはずだから、
「見慣れた昨日」という言葉の、本当の意味は
わかっていなかったかもしれない。

ただ、「誰も行かない未来」は、
<とてつもなく素晴らしいもの>のような気がして
本当にワクワクした。


日本が右肩上がりに成長していた時代だったからだろうか?
子どもながらに、社会の活気を感じていたのだろうか?


この先、当時と同じ状況が再現されるとは思えないが、
大勢の子どもたちが、
未来の自分に期待できるような、
大人になる日を待ち焦がれるような、
そんな社会になってほしいと思う。


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2011年 1月 28日

匂いの記憶

カテゴリー かんがえごと





『記憶のカタチ(2006.03.22)』よりさらに前の記録が見つかった。
2002年に書いた文章だ。


記憶のカタチ
http://www.m2-dream.net/?p=4908



読み返してみて、やっぱり私は、
視覚的な記憶よりも、匂いや手触り等、
身体で感じた感触を重視していたことがよくわかった。


「していた」と、過去形なのは、
何がきっかけだったのかわからないが、
身体感覚がものすごく鈍くなっていたからだ。





それに気付いたのは去年の11月。


ロルフィングというボディワークを受けた。


ロルファー(ロルフィングの技術を持つ人)の女性から
「まっすぐ立って下さい」
「では、歩いて下さい」
と、言われたとおりに動いた後、
「今、どういう感じですか?」
と訊かれて完全に言葉に詰まった。



どういう感じなのかわからなかった。



手も足も感覚があるし、
それが動いているのはわかるけれど、
「どういう感じ」で動いているのか、よくわからなかった。



結構ショックだった・・・



身体の中に骨があって、関節があって、筋肉があって
それらが動いているはずなのに、
その動きが全く感じられない。
自分の身体は、泥とか粘土の人形みたいだと思った。


ロルフィングのセッションを受けているうちに
徐々に感覚が戻ってきたが、
それでもまだ意識できない部分もあるし、
ヘンな癖がついているせいで、
固まってしまっているところもある。



肉体を持って地球に存在しているのは、
五感で感じるため、
重さや痛みや気持ちよさを感じるため
というような話を聞いたような気がするが、
今日の社会は、視覚だけで済んでしまうことが
かなり多いような気がする。



もうちょっと他の感覚も使わないとなぁ・・・



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匂いの記憶
2002年3月15日



朝から雨。
昼過ぎにはすっかり上がってしまい、
朝の雨の気配はすっかり消えてしまったが。


久しぶりの雨だったので、すごく「雨の匂い」がした。
雨の匂いは昔から好き。


雨の匂いはすぐわかる。


地下鉄を降りた時に雨の匂いを感じたことがあった。
一緒にいた夫に
「雨の匂いがするから、今、雨降ってるよ」
と、言っても彼は全然信じてなかった。
…外に出たらやっぱり雨が降っていた。
(「野生のカン?」と言われてしまった…)



匂いの記憶は長く残るというけれど、
「この匂い」「あの匂い」と明確に分けて
記憶しているわけではないと思う。



記憶に残っている匂いをもう一度感じた時に、
「これはあの時の...」
と思い出すのだろう。
もちろん、これは人によって違うのだろうけど。



香りを言葉で表すなんてとてもできない。
でも、調香師だったら香りを説明できるんだろうな。
ソムリエもワインの知識と繊細な味覚だけではなく
豊富な語彙が必要らしい。
味を言葉で説明するのもかなり難しいと思う。



調香師は香水を調合するだけかと思っていたが、
パフューマとフレーバリストの二つの分野があるらしい。
パフューマは香水・化粧品関連、フレーバリストは
食品関連に使われる香料を調合するそうだ。



香水はあまりつけない。
香水売り場の匂いは苦手だ。


でも、数年前に突然「自分の香り」が欲しくなって
デパートの香水売り場に行ったことがあった。
店員さんはヒマを持て余していたのか、いろいろな
香水の説明をしてくれた。
ついでに、棚に飾ってある巨大な香水瓶の中身は
「お酢」だということも教えてくれた。
(これはホントに本当なのだろうか???)



そして、私から受ける印象を元に彼女の「イチオシ」
を選んでくれた。



それがエルメスの「カレーシュ」だった。
香りが穏やかで、抵抗なくつけられそうだったので、
薦められるまま、トワレを買った。



インターネットで見つけた香水屋さん(アグレール)
の説明によると…


********引用ここから*************


1961年にエルメスから発表された、エレガントで
知的なフレグランス。薔薇、イリス、オークモス
オレンジブロッサムなどをブレンドした香りは
時間とともに優しさが増し、特に香りが消える
直前のラストには深みがある。
石鹸のような清潔で優しいフェミニンな
イブニングフレグランスです。   


********引用ここまで*************





確かに石鹸のような優しい感じのする香りだ。
強い個性はないから、誰にでも合うような気がする。
だからこそ、店員さんはこれをすすめたのだろう。
(香水によってはつける人を選ぶからなぁ…)



「色」として好きな色と「服の色」として好きな色は違う。
「香り」も、匂い自体が好きなものと、香水など
身につけることが前提になるものでは違う。


白檀(Sandal wood)の香りは大好きだけど
これを身につけたいとは思わない。
自分の外側で感じたい香りだ。



仕事が辛くて精神的に参っていた時期に
アーユルヴェーダの先生のところへ行った。


一通り診察した後、
先生は小さな瓶が沢山入った箱を出してきた。
そのうちの一つを取り出して、蓋を開け、
私に匂いを嗅ぐように言った。


ワインビネガーと漢方薬を混ぜたような匂い。
とても耐えられなかった。
「この匂いは…ちょっと駄目です」
「じゃ、こっちは?」
別の瓶を渡された。


その瓶からは柑橘系の香りがした。
「この匂いは好きです」
「自分に必要な匂いが心地よく感じるんですよ。
あなたが、駄目だと言った匂いが
 すごく好きだと言う人もいますし、
 
 あなたが好きな匂いを
 耐えられないと言う人もいます。

 体調や気持ちの変化によって
 好きな匂いは変わるものですよ」


最近は特に悩んでいることもないし、
(図太くなって開き直りやすくなっただけか?)
平穏無事な生活だ。



精神的に辛かった時期に、
耐えられなかった匂い、
好きだと感じた匂いは
今、嗅いだらどう感じるのかな?




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カレーシュのミニチュアボトル。


数年前オークションにて購入
 ルームフレグランスっぽい使い方をしていた。
 ・・・・もう残り少ない)



アーユルヴェーダの先生のところへ行っていた時期は、
「なんちゃって海外営業」だった。
海外赴任になった先輩が担当していた得意先を引き継いで、
円形脱毛と鼻血に悩まされていた。


得意先と通関業者と工場の生産管理&品質管理の間で
サッカーボールのように蹴りまわされていたような・・・


ものすごく悲観主義で、
なんだかめちゃくちゃ暗かったような(苦笑)




この日記を書いていた時期は、
田舎の職員室のような職場に異動になっていて、
廊下を自転車が走っていても
なんとも思わなくなっていた。



当時、日記を書いていたのは「DiaryNote」

「友達だけに公開できるひみつ日記」 という機能があり、
そこに書かれていた文章には、
『記憶のカタチ』でも取り上げた、母のひきだしについての
記述があった。


2006年から更に4年遡るせいか、情報量が多い(笑)


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(2002年3月作成)



かなたさんの日記の
「秘密な香り」
「子供の頃から追い求めてる香水」
の言葉から思い出したことがあった。


母の香水のことだ。


母から香水の匂いを感じたことはなかったが、
彼女は一つだけ香水を持っていた。


北側の和室に母の箪笥があった。
めったにない「イイお洋服でのお出かけ」の時、
母は一番上の引き出しから、
ネックレスや指輪を出して身に付けていた。



一番上の引き出しには、
いいモノが入っているに違いないと確信していたので、
中が見たくて仕方なかった。
でも、「見せて」と素直に言えなかった。



母の留守を見計らって椅子を持ってきて開けてみた。
深紅や紺色の天鵞絨貼りの箱がいくつもあった。
中には真珠の首飾りや薔薇の形のイヤリングやら
キレイなものが入っていた。



(今考えるとミニチュアボトルだったのかもしれないが)
小さな香水の瓶があった。



四角くて平べったい形で金色の蓋がついていた。
蓋は固くて開けられなかったが、
鼻を近付けると、いい匂いがした。



香水のラベルには漢字が一文字。
それは「宴」という字だったと思うのだが、
当時はこの漢字を知らない筈なので、
後から創り出した記憶なのかもしれない。


Yahooで検索すると
「宴」という香水があるようなのだが、
該当するサイトをクリックすると
Not foundになってしまう。


しかし、あの香水が本当に「宴」という名前で、
今でも入手可能であったとしても、
私の記憶の匂いとは一致しないかもしれない。



母は香水をつけない人だったから、
私が嗅いだのは、
「宴」が経時変化した香りだったかもしれない。


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そうだった・・・


母が足踏みミシンを使う時に座っていた、木製の丸イスを、
タンスの前まで運んでいって、その上に立って
引き出しの中をのぞきこんでいたんだ。


指輪やブローチなども入っていたような気がする。


4年くらい前に実家は改築したけど、
あのタンスはどうしたのかな?
私が子どもの頃からあったから、
相当古いと思うんだけど。


週末に実家に行くから、確認してこよう。



別のブログに書いた記事をこちらのブログに持ってきました。


ちいさいおうち
http://www.m2-dream.net/?page_id=4928

これも大好きでたまらなかった絵本です。
この記事を書いて5年経過し、この本は更に古びてしまいましたが、
大事にとっておきたいです。



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2011年 1月 27日

2002年の展覧会

カテゴリー 生活一般




2002年と言うと、もう10年近く前なんだなぁ。


この頃の私は、自転車通勤の日々だった。
最終的には片道20分程度まで短縮できたが、
自転車通勤を始めた直後は、40分近くかかり、
こんな状態で、毎日会社に行けるんだろうかと心配になった。

会社についた段階ですでに一仕事終えたような気分だったし(笑)


大きな川にかかる橋の上で、いきなり雨に降られて
びしょびしょになったこともあった。

冬場は、川面から吹きあがってくる風が恐ろしく冷たくて、
橋を渡り終わる頃には、こめかみがキリキリ痛むくらいだった。


パンクの経験も2,3度あった。
パンクすると、車輪が恐ろしい音を立てるので、
乗れる状態であっても、押して歩かざるを得ない。


汗だくになって自転車を押して長い坂を上って行ったのも
今ではいい思い出だ。



今日の夕焼け。




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カンディンスキー展(2002年5月18日作成)


カンディンスキー展へ。(4/30に行ったら休館日だった…)
竹橋までは思ったよりずっと早く着いてしまったので、毎日新聞社の
マックでコーヒーを飲んで時間をつぶした。
(スターバックスは10時にならないと開店しない…)


比較的空いていて、ゆっくり見られた。
(朝、雨が降っていたからかな)
初期の頃の写実的な絵もいいけど、やっぱり、コンポジションVI、
コンポジションVIIの圧倒的な色の乱舞のような絵がいいと思った。
写真で見る限り、彼はとても知的な感じがするし、実際に理論的な
ひとだったらしい。


–引用ここから—

他の前衛派の画家は自らの芸術上の発見を立証する形で声明を出した
のに対して、カンディンスキーは理論を問う論文を著した。
1911年、有名な「芸術における精神的なもの」が出版された。
カンディンスキーは1900年代を通じてこれを書き、出版の前年に
完成させたのであった。出版直後から、形態の成立に関する手引と
してのみならず、哲学の論文としても広く受け入れられていた。

–引用ここまで—     カンディンスキー展 2002より



コンポジションVI、VIIは、一見色の乱舞に見えるけれど周到な準備と
緻密な計算の上にできている絵らしい。


–引用ここから—

フォルムが自ずと彼の中で現れてきてくれることを長いあいだ
待っていたのである。それは彼が創り出した形ではなく、「見えた」
ものなのであった。
そして次なる段階は、それらのフォルムを完成させることであった。
熱心に主要な線を考え、空間内の位置関係を「測り」、観る者が
地上からではなく、一段高いところから空間を眺め、それぞれの
形態が向こうへ飛んでいくか、こちらに向かって飛び込んでくるか
のように感じられる空間を構築していった。

–引用ここまで—     カンディンスキー展 2002より



夫は展覧会に一緒に行くと、さっさと見て回るか、
こちらがイライラするくらい動かないかのどちらかだが、
今回は、さっさと流す絵もあれば、
じーーーーっと立ち尽くす絵もあって、
見終わる時間は私とほぼ同じくらいだった。
(同じ絵を仲良く眺めるカップルがちょっと羨ましい)


会場を出ると、雨はすっかり上がっていた。
夫は「ファイヤーハウス」でお昼にしたいという。
お堀に沿ってぶらぶら歩いて大手町の駅へ。
やわらかく垂れ下がる柳がとてもきれいだった。
お堀端の風景もなかなかいい感じで、カメラ持ってくればよかったと
思うくらいだった。


大手町から都営三田線で春日へ。
春日からファイヤーハウス(本郷三丁目の交差点から5分くらい)までは
夫の体内磁石(?)に従って歩く。
彼は道を知っているのか、野生のカンが働くのか、地図を見なくても
適当に歩いてちゃんと目的地に着ける。
(車の場合でも太陽が出ていれば、迷うことはないらしい)


ファイヤーハウスのハンバーガーは800円くらいするが、
ハンバーグはものすごく存在感があるし、
野菜も食べやすい程度にたっぷり入っている。
何と言ってもとても美味しい!!
付け合わせのポテトも
「じゃがいもをざくざく切って揚げました!」
という、正直な感じが好ましい。


揚げ方も適度な塩味も、とてもいい!
それにまるまる太ったピクルスがごろんと一つつくのも、
ピクルス好きには、嬉しい!(嫌いな人には災難かも…)


幸せなひとときを過ごした後、本郷三丁目の駅へ向かう。
途中で古本屋の看板を見つけたので、寄ることにした。
BOOKOFFに慣れた人間にとっては探しにくいことこの上ないのだが、
さすが東大に近い古本屋!
けっこう掘り出し物があった。
(稀少価値があるという意味ではなく、私にとっては、という意味)



展覧会の画集だけでも重たいのに、文庫3冊ハードカバー3冊購入。
(お店の人が紙袋を二重にしてくれた!)


夜、母に電話した。
彼女はもうカンディンスキー展を見てきたという。

「あたしは、最初の頃の絵の方が好きだね。抽象的な絵はよく
 わからないし、色がすごくてくらくらしちゃう」

「展覧会の後、SANYOのバーゲンに行ったのよ、そしたらね、
 こんな派手な服、誰が着るんだろうって思う服が毎年あるけど、
 今年はなかったねぇ」
カンディンスキー展のチケットは私がプレゼントしたのだが、
楽しんでもらえたようである。






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The Day(2002年6月8日作成)


The Day -マグナムが撮ったNY 9/11-(東京都写真美術館)を見に行った。

先に見てきた友人が
「今ある<普通の生活>に感謝しなくては、と思った」
という感想をメールで送ってくれたが、本当にそう思った。

写真展の最初は貿易センタービルの写真。
印象的な写真ばかり。


それから9/11の衝撃的な写真が並び、
ビル崩壊後の人々の様子や街の様子を撮った写真が続く。


行方不明者の写真を持ってたつひと、

犠牲者のために灯されたたくさんのキャンドルの横に座っている少女、

車に降り積もった灰の上に書かれたI survivedの文字、

Why they hate usと大きく書かれた新聞を読む男性…


胸が熱くなって涙腺がゆるんでしまった。
同じ写真を見ていた二十代の女性は泣いていた。


日頃ちいさな不満はいっぱい感じるけれど、
それだって安全な生活があるからこそ感じられるもの。


普通の生活、当たり前と思っている活動を続けられること自体に
感謝しなくちゃいけないんだよな…





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ファイヤーハウスは、今でも健在の模様。

久しぶりにここの「お高いハンバーガー」が食べたいわ・・・

サイトの文章より
  多くのAMERICA人が本国にも無いくらい「うまい」と言う
  そしてNIPPONの皆様に多大な支持をいただいている
  そのハンバーガーは1996年1月16日TOKYOで誕生しました。
  「今の町」から少し離れた文京区本郷に拠点を構え
  お客様の来店をお待ちしております。


http://www.firehouse.co.jp/the_burger.html






別のブログに書いた記事をこちらのブログに持ってきました。


まほうの本(「千びきのうさぎと牧童」より)
http://www.m2-dream.net/?page_id=4915


この話は昔から本当に大好きでした。
学級新聞メルマガ「抽斗図書館」でも、
このお話からヒントをもらうことが多いです。

子どもの頃に出会えて、よかったなぁと思える本です。





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2011年 1月 25日

記憶のカタチ

カテゴリー かんがえごと


ブログの引っ越し作業をせっせと(?)やっている。


バシッとブログ全体を削除してしまってもいいのかもしれないが、
せっかく積み上げた砂のお城を足で踏み潰すみたいで、
なんだかイヤだ(笑)


時間はかかるけど、残したいと思える記事は
地道に運んでこようと思っている。



2006年の文章を読み返したら、
考えてることはあまり変わっていないような気がした。


去年書いた文章の中にも、
なんだか似たようなことを書いた記憶があるし・・・


メルマガにも同じようなことを書いたような気がする。
もしかしたら、メルマガの文章に加筆したのかもしれないけど。



私の頭の中は、日々新しい情報が追加され、
保管期限が過ぎた記憶が次々と消されていくだけで、
『常駐している思考』はあまり変わっていないのかもしれないなぁ。






記憶のカタチ
(2006.03.22作成)
___________________________________________________


先日、姉と会った時に海の思い出話になった。


小さい頃、よく海へ連れて行ってもらった。
阿字ヶ浦へ行くことが多かった。


父が単身赴任で仙台に行った年の夏は
桂島という小さな島で過ごした。


姉の海の記憶は
  夏の日ざしを浴びて、白っぽく光る道路の向こうに
  青い海が広がっている
というもの。


もっと他にもあるのだろうが、彼女にとっては
大きな風景画のようなものらしい。



私にとって海の記憶というと、
  足の裏に感じた熱い砂やとがった貝殻の感触

  波打ち際に立っているときの、波の感触

  足の上を波が通っていき、
  引いていくときに、踵がうまっていく時の、
  自分が後ろに下がっていくような目眩に似た感覚

  昼間、ずっと海に入って遊んでいた日の夜、
  布団に入っても、まだ身体が波に浮かんでいるようなゆれる感覚

  日焼けした肩のひりひりした痛み

  内側から発熱しているようなじんじんする熱さ

  カーマインローションの匂い

  緑がかった薄茶色に濁った海水の中を流れていく
  たくさんの砂の粒…


私は、海そのものより、自分の身体で感じたものを
海の記憶としているらしい。



「海」という歌がある。<天野蝶>
 ♪うみだ うみだ ひろいな
  そらと どっちが ひろいだろ
  ざんぶりこ ちゃぷ ちゃぷ ちゃぷ
  ざんぶりこ ちゃぷ ちゃぷ ちゃぷ


 ♪うみだ うみだ きれいだな
  なみが いったり かえったり
  ざんぶりこ ちゃぷ ちゃぷ ちゃぷ
  ざんぶりこ ちゃぷ ちゃぷ ちゃぷ




この歌も話題になったのだが、
私はこの歌の1番と2番を逆に覚えていた。
と、いうより、姉が歌うまでは、1番を完全に忘れていた。


姉が歌ったときにやっと思い出したが、
「それ2番じゃないの?」
と言ったくらいだった。


確かに、私の海の記憶から考えると
 ♪なみが いったり かえったり
の方が
 ♪そらと どっちがひろいだろ
よりもずっと印象が強い。


考えて見ると、海の記憶だけでなく、私の記憶は、
ものごく細かく分解された部品の断片の集まりのような気がする。



小さい頃ずっと使っていた毛布のラベルの匂いや感触。


浴衣の帯の感触。
姉の帯はツルツル。
私の帯はふわふわ。


母のタンスのひきだしから見つけた香水の小瓶の香り。
金色の蓋がついていて、少し汚れたラベルには『宴』と
いう文字がついていた。


おもちゃのコンパクト。
キレイな蓋の模様がどうなっているのか知りたくて
分解して出てきたのは、虹色の紙とぎざぎざのついた
プラスチックの板。



「そんなこと、覚えてるの?」
昔話をすると、よく言われる言葉。



仙台土産に父が買ってきた『九重』という飲み物も
姉には全く記憶がないそうだが
私ははっきり覚えている。


コップに<ねじねじスプーン>で九重を入れて
お湯を注ぐと、あられのようなものが
浮かび上がってくる。
それがとても不思議なものに思えて
ずーっと見ていた。


レコードの演奏が終わり
針が中心に向かって
すーっと吸い込まれるように移動していって
ふわっと持ち上がり、
ゆっくりもとの場所に戻っていく動きも
飽かずに眺めていた。



こどもの頃は、こうやって一つの対象を
じーっと好きなだけ見ていられた。


今だってそれは、不可能ではないとは思うけれど、
一つの対象を見つめていても
心はふらふらとさまよいだす。
こどもの頃のように、その対象に
惹きつけられて動けなくなることはない。


どうしてだろう?
やることがいっぱいあるから?
他に考えなきゃならないことが山ほどあるから?
コレはこういうものって決めつけているから?
コレはどうしてこういう色なんだろうなんて考えないから?



自分の目の前のものに対して
最大限の注意と敬意を払うことができるのは
オトナじゃなくて、こどもなのだろう。


息子が石を見つめて動かない時、
目をまん丸にして花に見入っている時、
彼の世界を邪魔しないようにしよう。
きっと疑問符でいっぱいになって
動けなくなっているのだから。


___________________________________________________




『九重』の写真が見られるページ(お土産の販売サイトのページ)
http://www.sendaimiyage.com/item/A57-013.html



『宴』という香水の瓶は、本当に深く記憶に刻まれているようで
大学時代に所属していた文芸部の部誌にも、この香水のことを
書いた記憶がある。


香水が入っていたひきだしには、
白い手袋と白いバラのモチーフのイヤリングも入っていた。


この文章を打っていてふっと閃いたのだが、
これらの品々は、もしかしたら、
結婚式関連の何かの機会に使ったものだったのかもしれない。


白い手袋は、私が結婚式で使ったものとはだいぶ趣が違うけれど
白いバラの刺繍が施された、装飾的な印象の強いものだったし、
バラのイヤリングも、高価なものではないだろうけど
普段使いという雰囲気ではなかった。


母は香水をつけない人だし、
イヤリングをつけているところも見たことがない。


香水と手袋とイヤリング以外に、あのひきだしの中には、
他に何が入っていたのか思い出せないけれど、
母にとっては「特別なひきだし」、
「幸せな記憶につながるひきだし」だったと思う。


2006年3月と言えば、『抽斗図書館』というメルマガとブログを
始めた時期だ。


母のひきだしのイメージから
『抽斗図書館』が生まれたのかもしれない。
・・・全く記憶に残っていないだけで、
既に、どこかで書いているのかもしれないけど。




別のブログに書いた記事をこちらのブログに持ってきました。


だるまちゃんとかみなりちゃん
http://www.m2-dream.net/?page_id=4892

かみなりちゃんの未来都市は、
「1970年代における21世紀のイメージ」
だったかもしれないなぁと思いました。



だるまちゃんとうさぎちゃん
http://www.m2-dream.net/?page_id=4898

おやつの場面は、本当に楽しい♪
これだけのお菓子が一堂に会しているところを
一度は見てみたいものです。



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2011年 1月 24日

あたごおる

カテゴリー 読書




別のブログから持ってきた記事。


お気に入りの絵として、写真が添付してあったが、
なんだかなぁの写真だった。


いまでも同じ場所に飾ってある。




それにしても、2007年もあっという間に過去になっていくなぁ。

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あたごおる 2007-10-08 18:29:40


最近、息子がお気に入りの絵。
(視界に入ってきたらしい)


「らしくん(あざらしのこと)、何してるの?」
絵を見るたびに、こう聞かれるので、
「何してると思う?」
と聞き返すと、毎回違った答えをしてくる。
奇想天外な、オトナじゃ絶対思いつかない答えなので
すごいなーと感心する。


↑こういうの、記録しておかないともったいないな。
その場で感心しまくって、おわりになっちゃう。


これは鎌倉の『あたごおる』
という名前の喫茶店で買ったもの。
ずいぶん前だな。
7年か8年くらい前。


雪ノ下という地名の場所だった。
マンションの1Fの一角が喫茶店になっていて、
ますむらひろし氏の漫画がいっぱいあった。


お店の雰囲気はとても落ち着いていて、
ホントに『あたごおる』には
こんな場所があるかもしれないと思った。


学生時代にますむらひろし氏の漫画をたくさん読んだ。
でも、卒業してからはすっかりご無沙汰。


この喫茶店に初めて行ったのは
会社員になってから5年目くらいだったかな。


帰ってから再びますむらひろし氏の漫画を買い集めたり
新書を買ったりしたっけ。


鎌倉には続けて行っていたんだけど
1,2年ほど足が遠のいてた。


その間に『あたごおる』はなくなっていた。
ここにあったはずなのにってマンションの前で
立ち尽くしていたのがついこの間のような気がする。



ますむら氏のあの独特な世界が私は大好き。



こどもが生まれてから、漫画本は本棚の奥にしまいっぱなし。


いろいろ教えられることがたくさんあったんだよな。
また読み返そう。



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鎌倉に通っていたのは、確か前世紀のはず。
横浜から引っ越す直前か引っ越した直後だったと思うけど、違ったかな?


ライトパンクチャーという施術を受けに行っていたのだった。
(今は「カラーパンクチャー」という方が一般的??)



ライトパンクチャーの先生経由で、
いろいろと風変りな情報を仕入れていた。


ほとんどの情報が、はしかのように一過性で過ぎていって
自分の中に根付くことはなかったけれど、
当時の私には必要なものだったのだろう、きっと。



1995~2000年頃は、今、思い返してみても
頭も心もかなりおかしかったような気がする。


異常というのではないけれど、
今の自分から見たら「かなりヘン」だし、
当時の自分が今の私を見たら
自分の延長線上の存在とは思えないかもしれない。



 * * * * * * * * * * * *



ますむら氏のマンガは、読みだすと結構考えてしまうので、
中学高校で培った「立ち読み速読技術」は役に立たない。


つい先日、「ギルドマ」を読み返したが、
ヒデヨシに「植物ババア」と揶揄される、女王ピレアの存在が
自分の一部を反映しているような気がしてゾッとした。




 * * * * * * * * * * * *



「アタゴオル」は、ますむら氏の代表的な作品のタイトル。
千葉県野田市にある東武線の「愛宕駅」が名前の由来。
(港区にも愛宕という地名がある)


アタゴオルが生まれたいきさつについては、
「イーハトーブ乱入記」(ますむら・ひろし著 ちくま新書 1998)
で紹介されている。




宮沢賢治の「注文の多い料理店」。
ますむら氏の本によると、角川文庫では、本の中の扉には、

   <イーハトヴ>童話 「注文の多い料理店」

と、書かれているそうだ。


本を読み終わって、後ろの方のページの
  「付録 『注文の多い料理店』新刊案内」
を読んだ時、ますむら氏は衝撃の事実に出会う。


  イーハトヴは一つの地名である。しいて、その地点を求むるならばそれは、
  大小クラウスたちの耕していた、野原や、少女アリスがたどった鏡の国と
  同じ世界の中、テパーンタール砂漠のはるかな北東、イヴン王国の遠い東と
  考えられる。




ますむら氏は、メルヘンやファンタジーの世界を思い浮かべるのだが


  じつにこれは著者の心象中に、このような状景をもって<実在したドリームランド>としての
  日本岩手県である。



>「岩手県!岩手が、ドリームランドだと!」
>斜め手前の山形県でそだった僕は驚いた。


(「イーハトーブ乱入記」は、とても面白い本なので読み出すと
 つい読みふけってしまう)


>地方人宮沢賢治だから、気づいた声。
>「あらゆる地方の土地こそが、東京よりすばらしい土地になるのだ。」
>それはまるで、僕には、
>「君のイーハトーブは、どんなのだい?」と聞かれているような気分だった。


これがきっかけとなって、ますむら氏の中には「ヨネザアド」が生まれた。


>僕には、米沢とヨネザアドという二つの磁場ができた。
>日本の首都が東京であるように、
>僕の心の都は米沢という街と、
>得体の知れない願いと幻のヨネザアドとなった。




そして、「ヨネザアド物語」(1975年) 、
「アタゴオル物語」(1976年~1981年)が生まれる。



米沢は、遠い遠い昔、一度だけ雪深い季節に行ったことがある。



今年の旅行の計画はまだ全然決まってないけど、
約20年ぶりに米沢に行ってみたいな。




 * * * * * * * * * * * *




別のブログに書いた記事をこちらのブログに持ってきました。


とき(月間予約・科学絵本「かがくのとも」通巻51号)
http://www.m2-dream.net/?page_id=4866

今、読み返してもなかなか味わい深いです。
さすが、谷川俊太郎先生。
(当時の彼は、今の私より若かったりして・・・・汗)



みち(月間予約・科学絵本「かがくのとも」通巻50号)
http://www.m2-dream.net/?page_id=4871

こちらは五味太郎先生の楽しい本。
なんだか散歩に行きたくなる・・・今はちょっと寒いですが・・・(笑)



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2011年 1月 19日

28年前のプレゼント

カテゴリー 生活一般

年末から細々と不用品の処分を続けている。


月2回の粗大ゴミ回収を利用して、
出番のない大物も減らしている。


家の中の共有物って、最高権力者(笑)が処分決定しないと
何年でもそのままなんだよなー


今年は、大物を処分して、空いたスペースを有効活用する予定。


ずっと同じ場所に住んでいると、出し入れに便利な場所に
何年間も使っていないものを入れておいても平気になってしまうので、
たまには模様替えをする等、何か変化を起こさないといけないなぁと思った。


いずれにしても、モノは捨てない限り存在する。
何年も使ってなくて、存在すら忘れていても、
捨てない限りは家の中にある。


でも、楽しい記憶を呼び起こしてくれるモノは、
「使わないから」という理由で捨てなくてもいいんじゃないかと思う。


少なくとも1983年から存在しているカンペンケース。


裏側に書かれている文字
Copr ©1983 FREE WILL CO.LTD
480 246-192 MADE IN JAPAN

四角で囲まれてる。480円って意味だったんじゃないかな。



このカンペンケースの中に入っているのは、1977年か78年の学研の「学習」の付録。



色鉛筆を使って、このテンプレートの形をなぞったのをすっごくよく覚えてるんだけど、
前世紀&昭和の時代のお話なんだなぁ・・・


それにしても、後生大事に取っておけば、消滅しないんだなー



カンペンケースは小学校5年生頃から大学2年まで文通していた相手から
プレゼントされたもの。
当時は、東京都日野市に住んでいたけど、今はどこに住んでいるのかな??
会おうと思えば会える距離だったけど、結局一度も会わなかったし、
写真の交換もしなかった。

28年前に贈ったプレゼントのことなんて、忘れてるだろうなー(笑)





別のブログに書いた記事をこちらのブログに持ってきました。

ざっそう
http://www.m2-dream.net/?page_id=4842

原っぱで遊びまわったことを思い出しました。

幸い、息子は虫よりも乗り物が好きなので、
今のところ、恐ろしい目には遭っていませんが、
いつ、どこで虫に目覚めるかわからないです・・・・汗


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2011年 1月 16日

新春の日本橋


明美さんと、お友達の「日本橋めぐり」に
私も参加させていただいた。


前回、明美さんに日本橋を案内していただいたのは
2009年6月1日。

日差しが強い場所では、日傘をさして歩いていた。

日本橋七福神ツアー
http://www.m2-dream.net/?p=604




本日は、松島神社からスタート。
こちらで、Cさんから教えていただいた「良夢」のお守りを購入。


明美さんからいただいたパンフレットによると、
松島神社の「御由緒」は、
  >昔この辺りが入り海であった頃、松樹繁る小島に祠があり、
  >毎夜掲げる燈火を目標に、公開の安全を得たと伝えられる
と書かれていたが、入り海だったなんて信じられないくらい普通の街中にあって、
ビルの入り口のすぐ横の鳥居がなんだか不思議。



日本橋を知り尽くしている明美さんについていくと、建物の間から、
ひょっこり神社の鳥居が現れる・・・という感じが、面白い。



続いて茶ノ木神社。
こちらは布袋尊。
福徳円満の神様。



それにしても「ニッポンの真冬の寒さ」が
だんだんしみてくる・・・



こちらのお店でホッカホカのあったかいすき焼きまんや
肉まん、胡麻まんなどを食べて、燃料補給。




天気はいいんだけど、風は冷たくて、日陰は寒い。




「甘酒横丁」だけど、お茶のいい香りが漂っていた。




レトロなポスト。
(もしかしてオブジェ? 使われてないのかも・・・)




なんだかよさそうな雰囲気と思って写真を撮ったら、京樽の系列のお店だった。
(有名なお店なんだろうけど、全然知らなかった・・・汗)


京樽のサイトより。
  >関山は、「関所の山々」転じて「ふるさと」の意味を持ち、
  >手作りの味わい豊かなお鮨をお届けする、
  >当社の最高級上方鮨ブランドです。




続いて末廣神社。こちらは毘沙門天。

パンフレットによると、
  >勝運を授け、災難をよける神様として、400年以上前から
  >信仰されてきました。この地にあった葭原(吉原)の守り神さまでした。
  >延宝3年(1675)に社殿を修復した時に縁起の良い中啓(末廣扇)
  >見つかったことから、これに因んで「末廣神社」と名づけられました。
とのこと。末廣扇はその後、どうなったんだろう?
神社で保管しているのかしら??




お次は笠間稲荷神社。
寿老人。長寿・幸運・お導きの神様。

とってもイマドキな感じの
若い男女がお参りしていたのが印象的だった。

笠間稲荷は日本三大稲荷の一つ。
日本橋にあるのは、東京別社。



交差点の近くにあった、柑橘系の木。
コレは何だろう?

交通量が多い場所に植えてあるから、
食べられるのかどうかわからないけど、
なんだかもったいない・・・




建物の壁に観音とか何か表示があって、
(赤い札みたいなものだったと思うが、
 イマイチ記憶が定かではない)
明美さんが細い道に入っていった。


そこにあったのがこれ。
鉄造菩薩頭(大観音寺)
http://www.viva-edo.com/kinenhi/ningyou_tyou/tetuzou.html

なんだか不思議な場所だった。








そろそろ給油のタイミングになっていきたので(笑)
こちらであったかい甘いものをいただくことに。






心も身体もあったまったところで、小網神社へ。



神社の近くで不思議な眼をした猫に遭遇。
左右で瞳の色が違う。(金と銀)

後で明美さんが「オッド・アイ」だと教えてくださった。
幸運の印だそうだ。
幸先がいい感じ~



小網神社は福禄寿と辨財天。


福禄寿は、福徳金運長寿の神さま、
辨財天は、金運学芸の神さま。

小網神社は、東京銭洗い辨天としても有名だそうだ。




こちらでまゆだまのおみくじを引いたら、「大吉」!!



わーいっ!


詳細を見ていったら、最もラッキーだったのは、

 『恋愛 思い通り 大吉』

うーん・・・(苦笑)

もちろん、他の項目もいいんだけど、
条件ナシなのは、恋愛だけ。
(学問も「安心して勉学せよ」だから、条件はないんだけど)



大吉の運勢をモノにするためには
「こころをすなおにすること」がカギらしい。

明美さんからもアドバイスをいただいた。(嬉)





とってもとっても楽しく充実した素晴らしい一日だった。

明美さん、素晴らしいご案内をありがとうございました!

ご一緒させていただいた皆様、とっても楽しい時間を
ありがとうございました!



今回ご同行された、マジカルカーペットのスタッフかっこさんによる
今回の”日本橋界隈パワースポットめぐり”の記事です。
kemi先生の描写が、実に的確でとっても楽しい文章です♪
http://www.magical-carpet.com/?p=1461





別のブログに書いた記事をこちらのブログに持ってきました。


おひめさまシリーズ(笑)の最後は、
ちょうど5年前の2006.01.16に作成した
「九月姫とウグイス」
http://www.m2-dream.net/?page_id=4804


この文章の中に出てくる「ぬりえ大学(笑)のお兄さん」は、
母の従兄弟の息子でした。


去年9月の祖母の四十九日の時に、母が彼に声をかけて、
しばらく話した後、私と姉を呼びました。
「阿字ヶ浦で遊んでもらったお兄さんよ。
 一緒にぬり絵して遊んだでしょ」
と言ったときには本当にビックリしました。


もちろん、先方も度肝を抜かれたでしょう。

自分も同じだけ年齢を重ねているとは言え、
「小学校低学年の女の子」という記憶しかないのに、
再会したら、いきなり「オバサン」になっていたのですから(苦笑)


時間は、本当にあっという間に過ぎていきますねぇ・・・




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2011年 1月 15日

ペン子さん

カテゴリー 生活一般

先日、夫は、ムラウチドットコムでOLYMPUS PENを注文した。


そんなことは全然知らなかったので、
宅配便BOXにMURAUCHIと書かれたダンボール箱が
入っているのを見たとき、一体何が入ってるんだろうと
とっても疑問だった。


しかも、夫は、LENSBABYも購入。
本人的にはこのレンズが気に入っているようだ。


おまけのバック。(OLYMPUSオーナー撮影・・・笑)
本体と交換レンズが2本入る。


ムラウチのサイトを見たら、「色は選べません」と書いてあったが、
この色だと、男性が持つのはちょっとヘンだ・・・
「ペン子さん専用」のようだなあ(笑)



お借りして撮影してみたが、なかなか難しい。
だいたいSONYのαちゃんだって
全然使いこなせてないのだ。

















息子とお茶しにいったカフェにて。



息子は学校や学童ではアンパンマンのことは
一言たりとも口にしない。


アンパンマンが好きなんて、恥ずかしいからだ。


「もう、アンパンマンはあんまり好きじゃない」
とか言うので、


「じゃあ、うちにあるアンパンマンは、
 かわいそうだからゆーくん(1歳半の甥っ子)にあげよう」
と、言ったところ、


「ダメダメ! 絶対ダメ!! あれはこーちゃんの!!!」



なんだかんだ言っても、
やっぱりアンパンマンは『心の友』なんだねぇ・・・(笑)
 



別のブログに書いた記事(2005年8月)を
こちらのブログに持ってきました。


今回は「おひめさまシリーズ(笑)」

みにくいおひめさま 1
http://www.m2-dream.net/?page_id=4769

みにくいおひめさま 2
http://www.m2-dream.net/?page_id=4774


私もかわいくなりたくて、何度も読み返した気がする。
最終的には、「グッドイット夫人」がいないとダメなんだという
結論に達したような記憶がある・・・(苦笑)





コメント(3)

2011年 1月 14日

幻の絵本

カテゴリー 読書




「今年こそ、ブログを整理しよう!」
と、1月なら何とでも言える(笑)



「引っ越しします」という最後の投稿をした後、
放りっぱなしのブログが二つと、遠い昔のブログがひとつ。
これを年内に整理しようと思う。



無料のブログは、本当に手軽に始められるので、
つい、そのときのノリだけでいくつも作ってしまう。



記事にできそうなネタの量や、使える時間を考えれば、
複数のブログを頻繁に更新できるわけないのに・・・



久々にアクセスして記事を読んでみると、
なんだかタイムカプセルを開けているよう。



ここ数年は、社会情勢も、自分の人間関係も、興味を持つ対象も
短期間で激変するからだろう。



根っこの部分ではたいして変わっていないのかもしれないけど。



「成長」というモノサシを当てたら、
ほとんど変化がないかもしれないなぁ・・・(汗)




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幻の絵本(2005.8)



表紙がどんな風だったか、どんな大きさだったのか、
全く記憶にない絵本。
ページはかなり厚手だったような気がする。



今思うと、可愛い雰囲気のちょっと昔風の絵だったと思う。
文字は全然なくて、せりふのない4コママンガのように、
何かつながりがありそうな絵が縦に並んでいた。



うさぎがシャボン玉を吹いていたり、
何種類かの動物が一緒に遊んでいたり。



この絵本は、描かれている絵をモトにして
「お話を作ること」を求める絵本だった。



絵本自体のはっきりした記憶がないにしても、
私はこの絵本が大好きだった。
毎回違うお話が聞けたから。
自分のためにお話を作ってくれているということを
感じ取っていたのかもしれない。



両親は最初はがんばって(?!)お話を作っていたが、
やはり限界に達したのか絵本を隠してしまった。



後年、この絵本のことが話題になった時
「うまく隠してもね、見つけてきちゃうんだよね」
と、笑っていた。



子ども達がこの絵本が大好きだということがわかっていたから、
本気で隠したりはしなかったのだろう。



子どもの手が届かない場所、
例えば、押入れの天袋に入れてしまうことだってできたと思うし、
よその家にあげてしまうとか、捨ててしまうとか、
絶対に見つけられないようにすることだって可能だったはずだから。



今、こんな本があったらどうだろう?
私はどのくらいお話が作れるだろうか?



子どもが話せるようになったら、
お話を作ってもらってもいいかもしれない。
きっとオトナが思いつかないような意外な話や
奇想天外な設定を考えつくに違いない。



_________________________________________________






2005年8月というと、息子がもうすぐ2歳になる頃だ。
この頃はまだ話せなかったのねー
今は、口から生まれたみたいに「超饒舌」だけど・・・



この当時の私は、ゼロからお話を作ろうと思ってたのかもしれない。
今だったら、動物に息子の名前やお友達の名前をつけて、
実際にあった出来事をモトに、ちょっと脚色すれば、
簡単にお話が作れるような気がする。



しかし、「着地点」や「オチ」を考えるのは難しいだろうな。
『そして二人は末永く幸せにくらしましたとさ。めでたしめでたし』
という結末がいいかどうかは別にして、こんな感じで、
なんとか終わりっぽくしなければならない。



この絵本があったら、とってもいい「脳トレ」ができそうだ。




同じ時期(2005年8月)に別のブログに書いた記事を
こちらのブログに持ってきました。
今回は「おばあさんシリーズ(笑)」

◇あたまをつかった小さなおばあさん◇
http://www.m2-dream.net/?page_id=4734

◇しあわせばあさん ものしりばあさん◇
http://www.m2-dream.net/?page_id=4741


『あたまをつかった小さなおばあさん』は、昔から大好きで今でも好き。
こういうおばあさんになりたいけど、かなり精進しなければムリそう・・・

『しあわせばあさん ものしりばあさん』は、すごく読み返したくなった。
それにしても、この文章を書いた当時の私は、なんだかエラそうだ・・・汗



コメントは受け付けていません。

2011年 1月 13日

受容

カテゴリー かんがえごと





2006年からほそぼそとメルマガを続けている。



読者数は学級新聞レベル(笑)。
やめようと思ったこともあったが、解除せずに読んでくださる方々の
存在は、非常にありがたくて、嬉しくて、なんとか続けている。


年内最後のメルマガの記事は、本人的には、結構頑張って書いたつ
もりだったけれど、読み返すとかなりのアラが!!(滝汗)



配信されてしまったら、修正も訂正もできないんだけど・・・涙


この文章を書いたのは、約3週間前。
たいして時間は経っていないのだが、体調や気持ちによって、
ずいぶん感じ方が違うんだなぁと思う。



今の気持ちをベースにして加筆修正してみることにした。



_____________________________



とても素敵な文章をお書きになる、美しい方がいます。強い意志を
感じさせる理知的な瞳で世界を眺めているから、こんな文章が書け
るのかなぁ?と彼女の文章を読むたびに感じています。



彼女は、整然とした美しい世界だけではなく、安藤裕子さんの詞と
どこか重なるような、心の奥に封じ込めていた諦めや後悔、悲しい
記憶を呼び覚ます文章も書きます。読んでいて涙目になってしまう
ということは、私の思い入れが強すぎるという点もあるでしょうが、
おそらく彼女の実体験も含まれているのでしょう。



凛とした印象が強い彼女でも、痛みや怒りで心がいっぱいになって
しまったり、悔しさや歯がゆさ、もどかしい思いで眠れない夜を過
ごしたり、自分の至らなさに歯ぎしりしたりということもあったの
かもしれません。もっとも、思いっきり共感したからと言って、私
と同じ経験をしているとは限らないし、彼女は、非常に責任の重い
仕事をしている関係上、怒りや悔しさや後悔の気持ちは、私の想像
の域をはるかに越えているような気がします。






先日、「受容」についての彼女の考えを読む機会がありました。
カウンセリングなどでも「受容」は、重要視されているようで、ネ
ットで少し調べてみたところ、「相手を一切否定せず、まるごと・
ありのまま受け入れる」という説明がありました。



「受容」とは、相手に対する『敬意』だと、彼女は考えているそう
です。敬意とは尊敬する気持ちのことですが、こういう気持ちは、
持とうと思って持てるものではありません。



尊敬される人は「私を尊敬しなさい」などとは絶対言いません。
「尊敬の気持ち」というものが、心の底から自然に湧きあがってく
るものだとわかっているからなのでしょう。逆に「尊敬しなさい」
などと言う人は、自分が尊敬されないことにどこかで気づいている
のかもしれません。



「尊敬」の辞書的な意味は、「その人の人格を尊いものと認めて敬
うこと。その人の行為・業績などをすぐれたものと認めて、その人
を敬うこと」です。・・・やろうと思ってできることではないなぁ
と感じました。でも、真に相手を受容しようとしたら、相手の人格
を尊いものと心から認めて、本気で敬う気持ちを持たなければなり
ません。そうでないと、相手は自分が受容されていると実感するこ
とはないでしょう。



表面上・形式上の言葉とか、「本当は言いたくないけど、言った方
がいいって本に書いてあったから言ったんだよ」的な言葉を使って
「受容の気持ち」を表現してみたところで、発した側の「どういう
気持ち・どういう意図があったのか」は、ハッキリ伝わってしまい
ます。



こんな言葉を言われたら、それを聞いた人は「受容」を感じるどこ
ろか、「口でなら何とでも言えるよ」「どうせ本心じゃないでしょ」
「私をおだてて、何をさせようとしてるんだろう?」などという気
持ちになりかねません。コミュニケーションは、言葉のみで成り立
っているわけではないし、たいていの人は、言葉以外のものからも
情報を受け取ることができるからです。そう考えると、「受容」は
ものすごく大変なことのように思えます。私のように器の小さい人
間にとっては、神技のようにさえ感じられます。



とはいえ、尊敬の念が絶対に持てないのかというと、そういうわけ
でもなく、逆に相手を徹底的に否定することの方が、本当は難しい
はずなのですが・・・



ある人の考え方・価値観・行動様式というのは、それまでに生きて
きた時間、受けてきた教育、暮らしてきた環境など、さまざまな経
験からできあがっています。息子を見ていると、親なんかよりも、
周囲の方々から、たくさんの素晴らしいものをいただいて育ってい
るなぁと感じます。



一人の人間が存在している背景には、実に大勢の人たちが関わって
います。相手を否定するという行為は、その人が過ごしてきた時間
や関わってきた人たちをも否定することになってしまいます。


そういうことにちょっとでも想いを馳せることができれば、そう簡
単に相手を全面否定なんかできないはずなのですが、「ちょっとで
も想いを馳せる」というのができそうでできない・・・
できないからやらなくてもいいという意味ではありませんが・・・



「相手を受け入れること、興味を持つことが大切」と彼女は書いて
いました。「嫌だ・かかわりたくない」と思った瞬間、興味は失せ
てしまいますが、本当に受容しようと思ったら、ここも乗り越えて
いかなければなりません。



ある人が「<コレ>は自分にはできないと思う時は、<コレ>とは
別のことをやろうとしている」とおっしゃっていましたが、「あん
な奴に絶対に興味なんか持てない」と思っている時は、相手を遠ざ
けるという「別のこと」をやっているから、当然興味など持てない
のでしょう。



今まで「即効・お手軽路線」に惹かれる傾向が強かったのですが、
「受容」に関しては、即効・お手軽の対極にあると感じました。
前述したとおり、相手に対する尊敬の念というのは、即効・お手
軽に手に入れられるものではないし、仮にそれを手に入れたと思
えたとしても、相手が尊敬されていると感じるかどうかは別問題
です。「受容」は、苦手な人にとっては、非常に大きな課題にな
るそうです。



「私はあの人を受容している」というのは、思い込みなのかもし
れません。相手が「受容されている」と感じなければ、「なんち
ゃって受容」の域を出ないからです。「真の受容」のためには、
本当に地道で真摯な努力が必要だと思いました。




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 自分で書いた文章だから、言わんとすることはわかるんだけど、
第三者が読んだら、意味不明だろうなという箇所がいくつかあって
結構ショックだった・・・時間が限られているとは言え、何度か読
み返さないと、ダメなんだなぁ、やっぱり。



 メルマガの原稿を書くのは、前々日と前日。もう少し余裕を持っ
て書かないと、読んでくださる方に大変失礼だと痛感・・・



 自分だけが読む文章ならともかく、ブログやメルマガは、「読ん
でくださる方」がいらっしゃるのだから、何度か読み返して、わか
りにくいところはちゃんと直すようにしたい。



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