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2016年 12月 30日

2016夏 台湾旅行 その3

カテゴリー 旅行


20160724

朝イチで寿山公園へ。
ここは昭和天皇が皇太子の時代に訪れた場所。
寿山という名前になっているが、高さは360mで、山というよりは丘。
といっても、高雄港や町の景色が一望できる。
若者のデートスポットだそうで、マックのテイクアウトのゴミとか、
プラスチックの飲み物の容器が放置されていた。


おそろいの青いTシャツを着た学生のグループが階段を上ってきた。
そして、おしゃべりしたり、笑ったりしながら、
リラックスした雰囲気で、せっせとゴミを集め始めた。
肩肘張ったところはなく、ごくごく自然な動作だったので、
ここの掃除は、日課というか、日常的な作業になっている感じだった。


Tシャツの背中には、日本語で
「努力はうそをつかない
 負けて泣くより勝って泣け」
と書いてあった。


青いTシャツは部活のユニフォームなのかな?
バスケ部とかバレー部という感じではなかった。
卓球部かな?


ツアーの参加者たちも彼らのゴミ拾いを見ていて、
作業が終わる頃に拍手していた。
学生たちは「ええっ??」と戸惑っていたようだったが、
<言葉の通じないおじさん・おばさんが
 自分たちのゴミ拾いに感心している>
というのはわかったようで、ちょっと照れくさそうにしていた。



続いて日月潭湖畔へ。
もともとは日潭と月潭という二つの潭があったそうだ。
日本統治時代にくっつけて、日月潭にしたとのこと。
水力発電に適した場所なんだとか。
日月潭の深さは平均30メートル。

1999年9月21日に台湾中部の南投県集集鎮付近を震源とする、
M7を超える地震の際、湖畔の文武廟も日月潭のリゾートホテルも
大きな被害を受けた。

台湾の西側は地震は少ないそうだが、地震が起こった場合は、
規模の大きな地震になるそうだ。


なお、南投県は台湾唯一の「海ナシ県」。
平地には主に漢民族が住み、山地には少数民族が住んでいるという
説明があった。


日月潭の少数民族がもっとも人数が少なく283名だけ。
人数が多いのが花蓮のアミ族。
29万人いて、16ある少数民族の半数以上がアミ族らしい。


ガイドさんの話によると、少数民族は、歌やスポーツの分野では
秀でた人が多いそうだ。

台湾のプロ野球の選手のうち、漢民族と高砂族の比率は半々。
少数民族は文字通り「少数」なのだから、
野球という分野だけでも、スポーツが得意というのは納得できる。

日本のプロ野球で活躍した郭 源治、郭 泰源、日ハムの陽 岱鋼は
少数民族らしい。

特に高砂族は歌が上手なんだとか。
ガイドさんは「生まれつき上手い」と言っていた。



文武廟へ。
門の入り口の数によってランクが決まるそうだ。
5つ:社長クラス、3つ:部長クラス、1つ:係長クラス。

龍の指の数もランクと関係している。
皇帝の御物の龍は、指が5本ある。
神様関係の龍は4本、王様レベルだと3本。
皇帝の方が神様より偉いのか・・・!!


道教の廟では、お供え物はお参りの後に持ち帰る。
神様のパワーがつくらしい。


おみくじは横浜中華街の関帝廟と同じ。
http://www.m2-dream.net/?p=2129


「神筈」(しんばえ:三日月型の神具)を投げて、
質問してもいいかどうかを神様にお尋ねすることからスタートする。
質問してもOKとなれば、くじを引く。


日本の場合、神社でおみくじを引くと、
結果が書かれた紙を境内の木に結び付けて置いてきてしまうが、
道教のおみくじは、その内容に沿って行動する必要があるため、
結果の紙は、必ず持ち帰る。



この後、バスで台北へ移動。
最終日の食事は、オプショナルツアーの位置づけ。
ガイドさんと一緒におススメのレストランに行ってもいいし、
自分たちでいろいろ歩き回って、よさそうなお店に入ってもいい。

我々はオプショナルツアーには参加せず、
街歩きをすることにした。

三創生活というショッピングセンターに入ると、
なんと!


東離剣遊記/サンダーボルトファンタジーの展示をやっていた!
霹靂社の人形劇には固定ファンがいるせいなのかもしれないが、
結構大勢の若者が来て、特設ショップで買い物したり、
人形の展示の写真を撮ったりしていた。
夫もなんだかやたら熱心に写真撮影していた。


夕食はちょっとひなびた感じの小さいフードコート。
超プチプライス・・・おいしかったけど。




20160725

ついに最終日。

まずは、龍山寺。
こちらに祭られているのは本尊は観世音菩薩。
しかし、道教の神様も祭られている


台湾では、仏教と道教が習合しているらしい。
日清戦争での清の敗北により、台湾は1895年に日本に割譲された。
日本統治下では仏教はOKだったが、
中国の教えとされる道教はNGだったそうだ。
しかし、長い間の信仰が簡単に消えるわけがなく、
仏教を隠れ蓑にしたのか、習合していったとのこと。
かなり融合が進んでいるので、
多くの台湾が仏教の教えと思っているものが
実は道教の教えだったりするらしい。


ここに祭られている関羽将軍は経営の神様。
軍隊の経営(運営?)が上手だから、という理由。


文昌帝君は学問の神様。
昔は受験シーズンには実に大勢の学生がお参りに来ていたそうだ。
受験票を置いて祈願するんだとか。
でも、「神頼み」じゃだめ。
自力で頑張って勉強して、いい点数を取らないといけない。
「もし、同じ点数のライバルがいたら私を合格させてください」
というお願いなら聞いてもらえるらしい。


息子にお守りをねだられたが、
中国の神様は厳しいんだ、努力しないヤツを助けたりしない!
お守り買ったらOKなんて気持ちじゃ、ご利益はないぞ!
と強く言ったら、あっさり引き下がった。

ガイドさんの話、全く聞いてなかったのか・・・


日本と台湾のお寺の違いとして説明されたのは、
台湾のお寺には若い人が大勢来るということ。

台湾人は小さい頃から、お寺に連れて行かれるという。
両親や祖父母など身近な大人が連れて行くのだろう。
小さい子どもはお寺の壁の絵にまつわるお話などを
大人に教えてもらう。
そういうこともあって、自分の家の近所のお寺に
なついているそうだ。

困ったことがあれば、親よりも神様に相談するんだとか。
お年頃になれば、親には言えない相談事も当然出てくるだろう。
言えないというか、言いたくないんだろうけど。
そういうときに、神様にご相談できるというのはいいなぁ。

自力で大きくなったようなナマイキな年頃の若者が、
自分から神様に聞いてみようという気持ちになるとは、すばらしい。



<台湾の文明時代>(と、ガイドさん言っていた)の建物は
オランダ統治時代(1662年 – 1683年)のものから始まる。
龍山寺は創建から300年くらい。

どの時代の建物も大切だから保存する。
「ここが韓国と違うところです。
 あのひとたちは<なかったことにしたい>と考えてるみたいなので」
という、ガイドさんのコメントが印象的だった。


日本の統治下では、内地人(日本人)、本島人(台湾の漢民族)などの
差別はあったそうだが、統治者が清や国民党のままだったら、
近代化はムリだったと考える人が多いそうで、
そのせいか、基本的に親日の人が多いとのこと。




忠烈祠で衛兵交代を見た。
こちらは屋外なので、移動距離が長く、炎天下では大変そう。

ガイドさんのお話によると
初日に見た中世紀念堂で衛兵交代をやっていたのが空軍。
こちらは建物の中なので所要時間は10分。

忠烈祠は海軍。
入り口の門からスタートして長い広場を横切って奥の建物まで行って
戻ってくるので、所要時間は20分。

炎天下のパフォーマンスも、
交代の時間になるまで微動だにせず人形のように立っているのも、
軍隊でやることの中では「ラク」だとのこと。
いったい何をやってるんだろう・・・??


衛兵交代の担当者はルックスで選ばれるとのことで、
基本的にイケメン揃いだという。
イケメンというより、涼やかな目元の好青年って感じ。
・・・というのはオバサンの感想。


1911年は中華民国元年。
なので、2016年は中華民国年暦では105年。
この105年という表記が正式・公式。
台湾の人はすぐに換算できるんだろうなぁ。
昭和までは、西暦換算がすぐにできたけど、
平成になってからは、基本は西暦で、
必要があれば平成に直してしている感じ。





続いて九イ分観光。


九イ分という名前の由来は、
この地には9家族しか住んでいなかったから。
生活に必要なものは、基隆まで代表者(?)が買いに行っていた。
地名がないと不便だということで「九イ分」になったとのこと。

清の時代に九イ分で金脈がみつかったため、
ゴールドラッシュが起こった。

台北よりもにぎやかだった時期もあったという。
台湾の北部の最初の映画館は九イ分に作られたそうだ。


九イ分観光を楽しみに強いたけれど、
観光名所なだけあって、人人人人・・・・
狭い階段いっぱいに人人人人人・・・・

昼食を取ったレストランは眺めがよくてすばらしかった。
お料理は田舎の親戚に遊びに行ったときに出される料理
という感じだった。


人ごみの中を歩くのが疲れたので、脇道に逸れて、
日本とは違う雰囲気の住宅地を歩き回った。

暑くて疲れてきたのでバスへ引き返すことにした。
階段を降りきって少し歩いたところにある小さな売店で
棒アイスを買った。
カッチンカッチンに凍っていて、
アイスというよりは氷みたいだった・・・
味はよかったけど、なかなか溶けないので食べるのが
ちょっと大変だった。


楽しかった観光もコレでおしまい。
バスは空港へ向かった。


CI222で羽田へ。
外は真っ暗。
クルマで帰宅。


長いようで短い旅だった。





・・・と、思う。
旅の記録は感動や記憶が鮮明なうちに文字にしないと
すぐに忘れてしまう。

旅行中に書いたメモは残っているけれど、
どういう気持ちで書いたのかは、
あっさり忘れてしまう。


楽しかった、また行きたいという気持ちだけ残れば
いいのかもしれないけれど。

    
    
    
    
    

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2016年 11月 28日

2016夏 台湾旅行 その2

カテゴリー 旅行

20160723
8時出発。



太魯閣渓谷観光。

以下、ガイドさんのお話。

台湾はかなりの地震国。
震度4~5は普通にあるので、
震度5以下は「地球のひっくり返し」と言ってるらしい。
地球の中には牛かいて、大地を支えているが、
たまに背中が痒くなると、
ひっくり返って背中を地面にあてて痒みを解消する。
その時に地震が起きるという話による。


太魯閣は少数民族の名前。
台湾の東は少数民族が多い。

台湾は東西で全然違う。
面積は九州より小さいが、人口は2300万人で、九州の倍以上。
国土の約半分が山。
東部はほとんどが山。
3000メートルを超える山が268ある。


少数民族は16族あり、55万人。
国民全体の約2%。
日月潭の近くの少数民族は一番数が少ない。


太魯閣は、昔は、観光地ではなかった。
国民党と共産党との内戦で負けたので、蒋介石は台湾に来たが、
長くいるつもりはなく、3年以内に戻るつもりだった。

しかし、なかなか帰れない。

台湾に連れてきた軍隊も歳をとっていく。
当時は総人口800万人。
そこに50万人の軍隊。
ずっと戦闘をしていたため、他の技術を持っていない。
だから、一般社会に入れるのは難しい。
ムリに社会に溶け込ませようとすると混乱する可能性がある。

そこで蒋介石の息子の蒋経国は、
東西横貫道路の工事を軍隊にやらせることにした。
(この道は現在はほとんど使われていない)


太魯閣渓谷は東西横貫道路の入り口。
この工事では212名の犠牲者が出た。
ガイドさんの説明もJTBのサイトでもこの数だが、
現地に設置してある説明板の数字は225だった。
中国語の説明がちゃんと理解できたわけではないので、
255は違う意味の数字なのかもしれない。

軍隊は中国から連れてきているので、家族は台湾にいない。
工事でなくなった方々は、国が祀る必要があり、長春祠が作られた。



太魯閣渓谷では大理石が産出する。
台湾の大理石は世界第二位。
大理石はセメントの材料になる。
大きなセメント工場が花蓮の北には何カ所かある。


台湾の建物の上には、たいてい貯水タンクがある。
春と夏には雨季があるが、冬はほとんど雨が降らない。

昔はダムが少なかったので、水不足になりやすかった。
清の時代から貯水の習慣がある。

タンクの水は、2,3日は持つ。
計画停水のようなものがあるので、建物の貯水タンクは必須とのこと。

水道水は、飲めると言われているし、
政治家も水道水を飲むパフォーマンスをしてみせるが、
台湾人は、基本的に水道水は沸かして飲む。



台湾の文化は、もともとは漢民族ではない。
文化はオランダ人から始まる。
東の少数民族には、キリスト教徒が多い。
だから、「西のお寺・東の教会」という表現があるらしい。


少数民族では、オトナになった印として顔に刺青を入れる。
オトナになったとするのは、年齢ではなく、能力で判断される。
男性は山の中で、自力で何か食料を手に入れられること。
女性は布を自力で織り上げられること。

いつ発生したのかよくわからなかったが、
落石事故があったそうで、
長春祠までは行けなかった。




ちょうどこの旅行時に、台湾ではバスの火災事故があった。
ガイドさんは、
「商売の為、安く作ったからかもしれない。一瞬で燃えたから」
と話していた。


太魯閣の近くには日本時代のダムがあり、
このダムを作るための道が既にできていた。
この道を伸ばして東西横貫道路は作られた。


「パッテンライ~八田來了」というアニメをバスのテレビで見た。
八田與一技師の台湾での活動を描いた物語。
日本では、八田技師の名前はあまり知られていない気がするが、
台湾では小学校で彼のことを教わるらしい。

高雄から北へ1時間で台南。
嘉義は最大の平地だったが、水がなかったため、
農作物はできなかった。
八田技師は、台南と嘉義の平地がもったいないと考えて、
ダムの建設を当時の総統府に提案した。

ダムが完成すると、台湾バナナやマンゴーなどが収穫できるようになった。
台湾バナナは浜田さんという日本人が品種改良したもの。
それまでの台湾バナナは、フィリピンバナナと変わらなかった。

こういうことがあったので、
東北大地震の際には台湾は多額の支援をした。
日本時代の恩返しの気持ちがあったとガイドさんは言っていた。





続いて、本日の予定の説明。

昼食は駅弁。
本日高雄へ向かう列車は、鈍行なので、沢山の駅に停まるとのこと。

台湾は週休二日制。
会社員の中には、金曜日を半休にして小旅行する人も多い。
土曜は出かける人がさらに多くなるので、
指定席は取ってあるが、電車が混むのでは?というお話だった。


ガイドさんが台湾のヒトだからかもしれないが、
中華料理の説明もなかなか興味深かった。

中華料理について、世界では、香港を一番という人が多いが、
日本人に限っては、台湾の味の方がいいという人が多いんだとか。

日本時代の影響で、日本人が好む味の中華になっているのかもしれない、と
いうのは、ガイドさんのお考え。


ガイドさんは、台湾のコンビニの話もしてくれた。
一万店近くあるらしい。
一番多いのが、セブンイレブンで、次がファミマ、
その次が、ローカルコンビニ。





バスを降りて大理石工場見学。
おそらくそれなりの役職をお持ちなのではと思われる雰囲気の
スーツ姿の男性が、ハンドマイクを持って日本語で案内してくださった。

この工場は、1963年創業だという。
工場の敷地の広さは80ヘクタール。
何もないところにどーんと建てたか、
最初は細々やってて、成功してどんどん大きくなっていったかどっちかだろう。


工場併設のお土産ショップがすごかった
大勢の店員さんが待ち構えていてくれたけど、
買えそうなものはほとんどなく・・・

息子は友達のお土産にしたいと、
ヒスイのついたキーホルダーみたいなものを欲しがった。
お手ごろ価格だったのでご希望通り二つ買ってあげたが、
そのうちひとつは女子へのプレゼント。
かなり渋いデザインだけど、喜んでもらえるといいねぇ。




一通り観光が終わったところでバスを降り、
ガイドさんを先頭に駅に向かってぞろぞろ歩く。
高雄まで約5時間32分の列車の旅。


指定席はいちばん後方の車両だった。
通路に立つヒトも、通路を横切るヒトもいなかった。

乗車してすぐにガイドさんが手配したお弁当が配られた。
見た目は素朴だったけど、味はとてもよかった。


夫は・・・なんと、駅弁を二個食べた!
配られたお弁当をぺろりと平らげた後、

池上という駅の次の駅で「関山弁當」を買って
こちらもぺろりと平らげた。

関山弁當は、今回の旅行の食事の中でも、
トップレベルの美味しさだったらしい。





長い長い電車の旅を終えると、
高雄市内観光。
台湾の四大港町は東西南北にあり、高雄はその一つ。
(花蓮、高雄、台中、基隆)


用意されたバスに乗り込んで、「蓮池潭」へ。

潭とは「池より大きく、湖より小さいもの」という説明があった。

蓮池潭は、名前の通り、昔は蓮の花がたくさん咲いていた。
2009年にスポーツイベントが開催され、その際、街全体をキレイにすることになり、
蓮池潭の池の水も全部出して掃除した。
その結果、昔のようには蓮の花が咲かなくなってしまったという。
最近になって少しずつまた咲くようになってきたそうだ。


蓮池潭には中国らしいハデハデの建物(?)がある。
虎っぽいのと龍っぽいのがセットになってたっている。

その手前にはくねくねした橋のような道が続いている。
このクネクネの角で悪いものが落ちるんだとか。
(悪魔とか魔物とか? まっすぐしか進めないらしい)

二つの塔のうち、龍の口から入って、虎の口から出てくるのがお約束。
悪霊を取ってくれるんだとか。

などという説明を受けて期待が高まっていたのだが、なんと!
既に入り口は閉ざされていた・・・ガッカリ!




移動中、檳榔の木に興味を持った人がいたので、
ガイドさんが少しだけ説明してくれた。

台湾の冬の寒さは3週間程度なので、
基本的には暖房器具は入れずに我慢するのが普通らしい。

しかし、台湾は湿度が高いため、
寒さは骨身にしみるものになる。
こういうときに檳榔をかじると暖かく感じられるという。
(兵役のときに檳榔の効果を知る人が多いとか)


檳榔の長期摂取は癌のモトになるといわれていて、
政府は摂取をやめるように伝えているが、
檳榔の栽培は立派な産業になっており、利権が絡んでいるため
なくなることはなさそう、とのことだった。



この日の宿泊は、國賓大飯店。
1995年か96年に出張で泊まったホテルなのだが、
到着したときが夜だったせいか、真っ暗という印象しか残っていない。

このホテルの売店でクマのハンガーフックを買ってきてくださいと
部長に頼まれたんだっけ。
(部長が出張で言ったときに、お嬢さんへのお土産に一つだけ買ったらしいが、
 もう一つ欲しいといわれたらしい・・・笑)



ホテルの横には「愛河」という河が流れている。
ここは一昔前は悪臭を放つドブ川だった。
周囲は匂いがキツいので、人が住む環境ではないといわれていた。
よほど困窮した人でない限り、誰も住間ない場所だった。

高雄市の市長は長年国民党の人だったが、
選挙で民進党が勝ち、市長が変わった。
その後6年間で川も変わった。
水をきれいにし、川岸を公園のように整備した。
その結果、愛河の周辺は高級住宅地になっていったそうだ。
    
    
つづきはこちら
http://www.m2-dream.net/?p=12047
    
    
    
    
    
    








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2016年 9月 19日

2016夏 台湾旅行

カテゴリー 旅行

20160722

午前2時40分起床。

身仕度、乾燥機の洗濯物畳み、ゴミ捨て。
3時半クルマで出発。
4時半過ぎに羽田空港到着。
今回は久々の団体旅行なので、
やたらと早く空港に行かなければならない。

係員の説明を受けて、チェックイン手続きして、
出国しても、搭乗時間まで1時間以上ある。

免税店には、縁がないし。


201608P1020369

CI223 羽田空港→台湾 松山空港


何だか一瞬で着いた。
団体旅行なので、現地係員が待機していて、バスまでご案内。


ガイドさんが台湾の地図を正面のモニターに張って日程を説明。

今回の旅行は台湾一周するので、
温帯・亜熱帯・熱帯という、三つの気候を体験できるとのこと。


まずは市内観光。
といっても、総統府は車窓から眺めただけだったが。
201608P1020378


総統府に向かって右側の建物が台湾銀行本部。
日本統治時代は、日本帝国銀行だった。
「華麗なる一族」のロケで使われたとか。



続いて中正紀念堂。
こちらはバスを降りて中に入った。
「中正」というのは蒋介石の本名。

201608R5260501


1980年完成。
高さは76メートルあるが、4階建。
この高さなら普通は20階建くらいになるらしい。


衛兵交代式を見学することになっていた。
台の上に立っている人は完全にお人形状態で、
交代の時間になって、動き出す前は、
生きている感じがなかった。

201608R5260507


交代の一連の儀式は五人でやっていたが、
本当に「一糸乱れず」という感じ。
動き自体、かなり不自然であるし、
片足に大きな負荷がかかることも多かった。

身体の軸がぶれることなくこなすのだから、
日頃の鍛錬は相当厳しいものに違いない。
交代の人が台に上がると、黒っぽい服の人が近づいて来て、
制服や銀色の帽子を整えていた。
台の上の人は全く動かない。
交代前の人と同じように生きている感じがないので、
マネキンの服を整えているみたいだった。
1時間で交代するそうだが、
生きている感じを完全に消し去る静止状態は、
一種の修行みたいなものなのかもしれない。


蒋介石は、中国大陸に帰りたがっていたそうで、
台湾にはお墓を作っていない。

ガイドさんの説明によると、
巨大な蒋介石の像が見つめているのは、
総統府ではなく、海を隔てた中国大陸で、
中正紀念堂の扉が朝9時に開くと、
望郷の念が溢れ出してくるとのこと。
本当だろうか??


201608R5260506

「この建物の白いところは大理石、黒いところは蒋介石」
というガイドさんのとっておきのギャグは
関西の人にはウケるが、
関東の人はなかなか笑ってくれないという。


大理石には「白」のイメージがあるが、
白い大理石は古くないらしい。
古い大理石は色が濃いそうだ。



中正紀念堂の大理石は太魯閣渓谷から運んだそうだ。
翌日、太魯閣渓谷へ向う途中でも、大理石の話が出た。
1980年代に中正紀念堂が完成すると、
台湾では大理石ブームが起こった。
家の内装に大理石が使われた。
しかし、冬が終わると、大理石の使用をやめる人が多かった。
理由は寒すぎるから。


台湾はかなり湿度が高く、平均80%。
このため、夏の体感温度は、実際にはプラス5℃。
冬場の気温は10°C前後だが、湿度のせいで、
体感温度は、温度計が示す数字のマイナス5℃。
冬場でも除湿が必要になる。
湿度が高くて気温が低い時の寒さは骨身にしみるそうだ。
なので、大理石の内装の家は、寒すぎて住めないらしい。




4階から降りる外階段の段数が蒋介石の年齢だという説明があった。
ホール(なのかな?)を出たところに短い階段があったので、
これも段数に含めるのかどうか、
息子はいつの間にやらガイドさんに質問していた。
ガイドさんにとっては、この反応が新鮮だったらしく、
バスに全員が戻ってきたところで、
この一件をツアー参加者に報告していた。
若い人はさすが!という感じで。
(息子以外の参加者は30代半ばから70代後半くらい)


蒋介石は89歳で亡くなった。
階段は90段あるそうだ。





中正紀念堂を出発してすぐに立法院があった。
台湾の国会議員は、喧嘩が強くて、激しい喧嘩はお約束。
昨日もやっていたそうだ。



ランチは金品茶樓。
ここのオーナーシェフは、テイタイフォンのメインシェフだった人。
テイタイフォンで小籠包の襞の数は17~19であればOKだが、
金品茶樓では、18に統一しているそうだ。


お店に入ると、蒸篭が次々に運ばれて来た。
野菜炒めや炒飯も出てきた。
最後に宋美齢さんが好きだという小豆のパンケーキが出てきた。
パンケーキというよりは、粘度のあるマーラーカオっぽい感じだった。
料理は美味しくて、あっという間に食べ終わった。



続いて故宮博物院。
201608P1020400
「自由にご覧下さい」かと思ったが、ガイドさんの説明付きだった。


まず「玉」について。
最高級は翡翠だか、玉=翡翠ではないとのこと。


ガイドさんがツアー参加者を案内したのは、
古代の宗教行事のような‭儀式を行った際に
使われた道具らしきものの展示。

天を表すものは丸くて、地を表すものは四角。
天への捧げ物、天を祀るものは丸い。

宗教という具体的な形ができる前は、
人間にとっては、「天」が一番恐ろしかったという。




続いて、実際に触れる玉が置いてあるコーナーへ。

玉は育てるものだという。
玉不琢不成器という文字が説明文の見出し(?)になっていたが、
ネットで調べてみたら、 「玉不琢不成器,人不磨不成道」が
完成形らしい。
「玉は磨かなければ器にならず、人は鍛えなければ道を成せない」
という意味だとのこと。


玉は磨いて使って綺麗になる。
磨き込まれ、使い込まれて、
滑らかになったつるつるの玉は、日本人好み。
あまり使われていなくて、ざらざらの玉は、中華圏の人に好まれる。
値段が安いし、自分が使って磨いていけば、高くなる。


光沢のあるつややかな翡翠の腕輪は、
代々姑から嫁へと譲られてきたもの。
姑から譲られたところで、
「何々家の嫁」として、認められたことになるという。



楊貴妃の像は、後ろから鑑賞。
重要なのは、お尻。
大勢の子どもが産めるかどうか。
自分たちの子孫を残したいし、
家を継がせるには男子が絶対に必要だった。


日本人に人気の白菜は本当は大したことないという。
(ホントかなぁ??)
多産の象徴のコオロギがのっているので、
その縁起の良さが重要らしい。



故宮の所蔵品には、日本と関係のあるものもある。
たとえば翡翠の屏風と花瓶。

蒋介石のライバル 汪兆銘が
昭和天皇に屏風と花瓶を贈った。

屏風の「屏」と花瓶の「瓶」と
平安の「平」が同じ音なので、

  天皇様が長生き
  皇后様も長生き
  私も平安

みたいな意味を込めているんだとか。



「オロンスム文書データベース」の文章より
> 一番著名な「接収文物」は、
> 汪兆銘から昭和天皇へ贈呈された、
> 玉を嵌め込んだ屏風であり、
> 現在は台北の国立故宮博物院に所蔵されている。
> 「接収」といっても、学術調査資料の場合、
> すべてを押収した訳ではなく、
> おなじものが複数以上あるときは、
> 1点は研究参考資料として、被「接収」機関のもとへ残され、
> あまりに片々とした遺物も除外された、
> と関係者から聞いている。

http://www.eurasia.city.yokohama.jp/olonsume/excavation.html

屏風も花瓶も戦後、返還された。

> 中國歷代玉器 汪精衛贈日天皇 《碧玉屏風》在故宮
(Yahoo台湾 2011.2.9の見出し)
> 二次大戰間,汪精衛在南京成立臨時政權,
> 一九四一年汪精衛訪日時,
> 曾將這座大屏風獻贈給日本天皇,
> 另還贈送日本皇后一對《翡翠雕花鳥瓶》。



続いて唐三彩の説明。
唐三彩は、その昔、中国へ短期留学した時に
小さな置物をお土産に買ってきたので
多少はなじみがあったが、
「色は鮮やかだが、コントロールができない」
「このため、人の顔や手などの肌の部分には彩色しない」
という説明は初耳だった。


帰国してから故宮博物院の本を図書館で借りたり、
自分で買って読んだりしたが、
写真が掲載されている所蔵品は、
超技巧みたいな言葉がぴったりなものばかりだった。


ガイドさんの言葉:
「故宮博物院の所蔵品は皇帝への捧げ物です。
 だから、龍の指は基本的に5本あります」
(5本指は最高ランクの龍の印)





その後、特急列車で花蓮へ。

201608P1020406

宿泊は煙波大飯店。

夕食は広東料理。
お高い食材は使われていないようだったが、
日本人の好みに合わせてあるそうで、
食べやすくて、おいしかった。


テレビ小僧と化した息子をおいて、
近所のセブンイレブンへ
ビールの買い出し。


その後、夫は「少数民族のお祭り」を見に行くと
言ってでかけてしまった。

すごくにぎやかで、こういう感じだったらしい。
201608P1020464


テレビのチャンネルを適当に変えていたら、
霹靂チャンネルに遭遇。
『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』のCMをやっていた。


台湾ではどのくらい話題になってるのかなぁ~??
(その後、まさにこのイベントに出くわすのだが、
 この時点では、そんなことは全く想像していなかった)
    
     
    
    
つづきはこちら
http://www.m2-dream.net/?p=12034

        
    
    
    
        
    











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2016年 6月 25日

日光と秘境系カフェ

カテゴリー 旅行






2016年5月10日  旅行最終日



5時過ぎに目が覚めたが、布団が気持よかったので二度寝した。

6時起床。
支度して朝の散歩に行こうとしたが、雨。
残念だったが、部屋に戻ってのんびりした。


7時朝食。
昨日の夕食と同じ場所。
旅館らしいメニューだった。
(ごはん、味噌汁、鮭、納豆、海苔、漬物)

朝食後、雨が上がっていたので少し散歩した。

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8時半頃出発。


夫は、日光経由で帰るという。


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湯西川温泉駅で休憩。
道の駅だとばっかり思っていたが、
野岩鉄道会津鬼怒川線という鉄道の駅だった。
夫は列車が通るのを見たらしい。



11時 日光臨時駐車場
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11:08シャトルバス発車

東照宮見学
平成の大修理のため、無料エリアのみ・・・
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それでも人が多い!


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12:00すぎに駐車場に戻る



1時半に清流園でランチ。
まさに秘境系カフェ。

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一日10食限定のゆば丼。

空腹MAXだった息子は超高速でゆば丼を平らげていた。


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なぜここにこれが?という雰囲気が満載だったので、
帰ってきて検索したら、このお店のオーナーも、
再訪を繰り返しているお客様方もなかなか個性的&魅力的な方々だった。


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そのまままっすぐ帰ると思いきや、
ずーっと運転していた夫は疲れたのか、
古峯神社へ寄って行くという。


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個人のブログには
「見開きで天狗の絵付き御朱印を頂ける御朱印巡り界の大御所神社」
との紹介があった。


「永久保存版 御朱印アートブック」という本の帯(?)の画像は
古峯神社の御朱印になっている。




5時20分。
イオン佐野新都心店のサンマルクで休憩。



一休みして加須から東北道に乗ったが渋滞は解消していたようで、
19時半頃には自宅に着いた。


免許証を持って行ったが、結局一度も運転しなかった。
毎晩、夫が高鼾で寝ていたから、運転手は疲れるんだろうけど。


それにしても、旅行って楽しいなぁ。
また行きたい!







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2016年 6月 20日

疎水と地熱とからむしと

カテゴリー 旅行


2016年5月4日 旅行二日目


6時前に起床。
あいにくの雨模様。
朝風呂に行ったところ、3人くらいしかいなくてラッキー!
ただし、お湯の温度はめちゃくちゃ高かった・・・


かき混ぜ棒が壁面に立てかけてあるのに気がついたので、
せっせとかき混ぜていたら、
「ああ、それでかき混ぜればよかったのねぇ」
と先輩マダムに話しかけられた。



7時に朝食。
会場は昨日と同じ場所。
ビジネスホテルの朝食バイキングみたいな内容。
ただし、すべて「プレートにセット済み」。
御味噌汁とごはんは食べ放題だった。


8時半頃ホテルを出発して福島県立博物館へ。
開館が9時半だったので、20分くらい外で待った。
寒いので温かい飲み物が欲しかったが、
入口付近の自販機で売っていたのは「冷た~い」だけだった。


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博物館は面白かった。

撮影禁止の掲示がある場所以外は写真撮影OKなのだが、
博物館でのカメラはNGという刷り込みがあるので、
最初はちょっと躊躇した。


個人的には明治以降の展示が面白いと思った。

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「安積疏水」についての展示発見!(あるのが当然だけど)
オランダ人技師ファン・ドールン氏のお写真!

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この展示の傍にクイズみたいな問題が・・・
   (安積疏水について) なぜ、すぐ近くを流れる阿武隈川から引かず、
   猪苗代湖から水を引いたのでしょうか?


正解は、学芸員の方に聞いてみてくださいということになっていたが、
近くにはそれらしい人がいない。


なんでなんで??と思いながら帰ってきてネットで検索。


東北農政局のサイトに「大いなる遺産 安積疏水」という記事があり、
下記の文章が答えではないかと思った。
   > 明治のはじめ郡山周辺は、水に恵まれず奥州街道のさびしい寒村でした。
   > 年間雨量は1,200mmあまり、阿武隈川支流の各河川は流域が小さく、
   > しかも低地を流れているため用水として利用するにはあまりにも小さく、
   >毎年のように干害をうけていました。


博物館を堪能してから、近くにある鶴ヶ城へ移動。
雨天にも関わらず、入場券を買う人の長い行列が。
並ぶ気にはなれなかったので、写真だけ撮ってクルマに戻った。

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wikiの鶴ヶ城の記事を見たところ、
関連項目に「荒城の月」があったのでなんでかな?と思って
荒城の月の記事を見たら、以下の文章があった。
  > 土井晩翠が詞を構想したとされる宮城県仙台市の青葉城址、
  > 同じく福島県会津若松市の鶴ヶ城址、
  > また、当時、リンゴ狩りに訪れた際に立ち寄った岩手県二戸市の九戸城址、
  > そして瀧廉太郎が曲を構想したとされる大分県竹田市の岡城址、
  > 同じく富山県富山市富山城西側にそれぞれ歌碑が設置されている。
歌碑はどこにあったんだろう?



ランチは『Café & marché Hattando』
夫が事前に探しておいた店なのだが、
UFOふれあい館の再訪を熱烈に希望する脳味噌と
このお店を選択する脳味噌が同じっていうのが不思議だ。



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あとでネットで調べたら、
「会津美里町・新鶴地区ぶどう畑を見下ろす丘の上のカフェ」
という紹介の文章が・・・・ぶどう畑だったっけ??
人間の記憶って本当にアテにならないなぁ。



個人のブログの記事によると、Hattandoというのは、
漢字で書くと「八反道」だそうで、
<会津盆地の西部山麓を南北に縦走するとても古い道の名前>なのだとか。

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ロコモコ丼はとってもおいしかった。




満腹になったところで、お次は「柳津西山地熱発電所」。

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地熱発電の仕組みはとっても壮大だった。
地下の対流はどうやって見つけるんだろう??

タービンを回して発電するのは、
原子力も水力も火力も風力も地熱も同じなんだよな・・・

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白洲次郎氏が!
東北電力の会長だったとは知らなかった・・・


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加古里子先生の絵本「だるまちゃんとかみなりちゃん」に出てくる、
雲の上の「カミナリ・シティ(?)」みたいに
雷の電力を活用できればいいのになぁ。


かみなりちゃんちのテレビは薄型テレビだった。
1968年の本なのに・・・加古先生はスゴイ!


発電所の建物って、カッコいいなぁ。

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1時半過ぎに地熱発電所を出発。
次に向かったのは「からむし工芸博物館」。

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織物の博物館だと聞いていたので、
からむしというのは蚕の別称みたいなものかな?と
勝手に思い込んでいた。


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からむし工芸博物館がある昭和村のサイトによると・・・
> からむしは、イラクサ科の多年草で、苧麻(ちょま)とも言われます。
> 繊維を青苧(あおそ)と呼んでいます。
> からむしを原料とする上布の生産地では、
> 越後(越後上布・小千谷縮布)や宮古(宮古上布)、
> 石垣(八重山上布)などがあり、
> 昭和村は本州における唯一、上布原料の産地となっています。


このページで紹介されている内容をビデオで見た。

http://www.vill.showa.fukushima.jp/making.stm

からむしの畑を垣で囲い、人も獣も入れない状態にして
ひっそりと(?)生育させるというのが、意外だった。
手間暇かけて育てるんじゃないかと思っていたので。

その代わり、収穫後の作業にはものすごく手間がかかっている。



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からむし工芸博物館の向かいにある織姫交流館では
からむし織のシャツが売っていた。
もう少しリーズナブルで女性用Sサイズがあったら
試してみたかったけど・・・
(天然素材の中で一番涼しいんだとか)





宿に行くまでにお茶していこうということになり、
からむし工芸博物館と同じ昭和村内の「大芦家」へ。

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ご主人は早期退職してカフェを始めたそうだ。
コーヒーとチーズケーキをいただいた。

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3時半くらいに出発。
途中の小さな駐車場にクルマを止めて
伊南川という河原で写真撮影。

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駐車場から河原へ下りる階段の近くに
小さな池(?)のようなものがあった。

真黒なオタマジャクシがわらわらと水底の石の上に漂っていた。
全部カエルになるとしたら、気が遠くなりそうだ。





本日の宿は「民宿 北の家」。

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元気のいい大女将と、若女将だと思っていたら、
大女将いわく、自分は引退した身なんだとか。
そういう感じには見えなかったけど。
二人でうまく仕事を分担しあって頑張っている雰囲気だった。


宿にもお風呂があるが、せっかくなので温泉に行くことにした。
「弘法の湯」というのが、シャワーがあって混浴ではないからオススメとの
お話だったので、そこに行くことにした。


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入口は広く、男女に分かれていて、シンプルな脱衣所があり、
シンプルなお風呂があった。

余計なものが見事になくて、
お風呂屋さんの原点みたいだった。



夕食は、道路に面した離れのお座敷。

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部屋毎に座卓が用意してあり、
我々の席は囲炉裏の近くだった。

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山菜料理も囲炉裏で焼いた岩魚も
山菜天ぷらもとってもおいしかった。


宿で打っている十割蕎麦もものすごくおいしくて
おかわりをいただいた。


夕食後は部屋でのんびり。
息子は階段横の本棚から『Dr.コトー診療所』を借りてきて
むさぼるように読んでいた。
旅行に来てまでマンガとは・・・


8時半近くに外へ出たら、強い輝きの星がたくさん見えた。
<満天の星空>とはだいぶ違うが、
星の輝きは関東よりもずっと強かった。


夫は、クルマの屋根を三脚代わりにして
結構長い時間をかけて星空を撮影していた。


撮った写真を拡大してみると、
肉眼では見えない星まで映っていたので
かなり興奮していた。



10時前に部屋の電気を消したとたん、すぐに眠ってしまった。





(最終日に続く)
http://www.m2-dream.net/?p=11872

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2016年 6月 12日

UFOと重要文化財

カテゴリー 旅行

人事異動があって、仕事が変わり、
突然忙しくなってしまった。

毎日が飛ぶように過ぎていく・・・



連休の旅行記もずっと温めたままになっていたが、
やっと初日分が完成。


_________________________



今年のゴールデンウィークも去年と同じく
北へ向かう二泊三日の家族旅行。


2016年5月3日
6時出発

8時途中のサービスエリアで軽い朝食。
大人はサンドイッチ。
息子はジャンボ焼きそばパンとおにぎり。
・・・炭水化物の塊だが、成長期には必要??



外のベンチで食事をしていたら、
精悍な顔つきの大きな犬を連れた男性が来た。
続いて、彼の家族らしい団体さんが。



犬を連れた男性の母親らしき女性は、饒舌な肝っ玉母さん。
この犬は大人になったばかりだとか、この子の母親は9匹産んだとか、
周囲に聞こえるような大きい声で説明してくれた。




10時ちょっと前に、船引三春で常磐道を降りた。

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11時15分に夫が再訪を熱望していた「UFOふれあい館」に到着。
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昨年は時間がなくて、じっくり見られなかったので、
絶対に来たいと思っていたらしい。


UFOが飛来するとかいう、千貫森を登った。(標高462.3メートル)
登山道というか、遊歩道には「UFO道」という名前が付いている。

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そして、道のカーブごとに宇宙人らしき石像が置かれているのだが、
これは一体いくらぐらいなんだろう?
モトはとれているんだろうか??





頂上にあるのは、展望台だと思っていたが、
UFOとのコンタクトスポットらしい。
(3Dの紹介ビデオを見るまで知らなかった・・石像の後ろの建造物)

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コンタクトって・・・何をどうすればいいんだろう?


コンタクトスポットからの眺め。
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「ワレワレハウチュウジンダ」とか言われるのを待つのか、
こちらから申告するのか??


UFOふれあい館の中に、コンタクトスポットの全体写真があった。
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これも単なる金属のオブジェじゃなくて、
何か信号みたいなものを送受信(?)できるらしい。

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磁力線パワーで健康が増進されるらしい。
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夫が事前に調べていたカレー屋さんは長期休業中だったので、
UFO物産館の飛び魚ラーメンを食べた。
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千貫森の宇宙人石像一覧。
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メニューの中にはちょっとお高い「ピンカラ石ラーメン」というのがある。
ピンカラ石でできた器に入って出てくるラーメン・・・
と言ってしまえばそれまでなのだが、ピンカラ石というのは、
<適当につけた感>がそこはかとなく漂うネーミングとは裏腹に
何やらすごい効果を秘めた石なのだとか。


我々の後から来た御仁が
「ああ、せっかくだから、それにしようか」
と言って注文しているのを見て、太っ腹!と思ってしまった。



そのあと、UFOふれあい館の二度目の見学。
なんとも言えない手作り感がこの施設の魅力だろう。

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宇宙人石像一覧のカラーバージョン。
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過去の目撃談。
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図書コーナー。ちょっと気になる本も。
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噂の「UFO畳縁」も拝見したし。
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ピンカラ石お一人様1個プレゼントもゲット。
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13時半に出発。


続いて向かったのは 空カフェ。

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移築した古い民家を店舗にしている素敵なカフェ。

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1歳半くらいの、真っ赤なほっぺたの男の子が
優しい雰囲気のママと一緒に来ていた。


息子もこんな感じだったのになぁ。
どこであんなにヒネクレてしまったんだか。
爆睡しているときの無防備すぎる表情は
小さい頃と全然変わらないんだけど。

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漆器のお得市をやっていた。
旅館などで使うのかなぁと思われるお椀やお盆が
格安で売っていた。
祖母譲りの漆器があるので、ここでは3人分のお箸を購入。



うさぎのついたお箸がとってもかわいくて、
息子に(ささやかな嫌がらせとして)買ってやろうかと思ったが、
難しいお年頃なのでやめておいた。



3時ちょっと前にカフェを出発。

次の目的地は天鏡閣。
(旧名称:有栖川宮翁島別邸・高松宮翁島別邸 /重要文化財)

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昨年は、この建物のすぐ近くの宿に泊まった。
早朝散歩で天鏡閣まで来たのだが、閉館中だったので
外から写真を撮っただけだった。

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思ったとおり、素敵な建物だった。
明治時代の洋風建築ってどうしてこんなに惹かれるんだろう。
写真を撮りまくってしまった。


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売店で、資料を購入。
薄いものであれば、たいてい500円以下だが
興味深い内容が書かれていることが多い。
由緒ある建物や神社仏閣に行った時に
売っていれば買うようにしている。


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去年はUFOふれあい館とJAXAという「異端-正統」の組み合わせだったが、
今年はUFOふれあい館と天鏡閣(旧皇族別邸)という「異端-正統」の組み合わせ。






そろそろ日が傾いてきた。
すぐ近くの南ヶ丘牧場へ。
持ってきた上着を着ても肌寒いくらいなのに、
男組はアイスを食べていた。

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羊や馬がいた。

有料のふれあいコーナーでは小さい動物と遊べる(?)ようになっていて
幼稚園くらいの子が大喜びで子羊を追いかけていた。


ほんの数年前までは、息子もあの場所ではしゃいでいたんだけど、
今、中に入って行ったら、「なんでこんな大きい子が?」という目で
見られてしまうかもしれない。


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南ヶ丘牧場を出て、宿へ向かう。

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これは・・・!!



去年の旅行で行った開成館の「安積疏水」じゃありませんか!

郡山市開成館のサイト

https://www.city.koriyama.fukushima.jp/161030/bunka/kaisekan/

去年の旅行記事。
http://www.m2-dream.net/?p=11167




<去年の記事のファン・ドールンさんの部分の抜粋>—————–

「安積開拓ゆかりの人々」の紹介の中に
ファン・ドールンという外国人がいた。
(Cornelis Johannes van Doorn、1837年2月9日 – 1906年2月24日)

明治初期のオランダは、水利土木分野が最も進んだ国だった。
この分野の技術者であったドールンは明治5年2月に日本政府の要請で来日した。

明治11年に郡山へ赴き、猪苗代湖を視察し、疏水経営が決定したそうだ。

————————————————————



こういう方だったらしい。
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初代の安積疏水土地改良区の理事長 渡辺信任氏。
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ファン・ドールンさんの銅像にまつわる渡辺信任氏のお話。
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内閣総理大臣 大平正芳・・ということは、
1978年12月~1980年7月の間に建てられたということか。
バブル前だなぁ・・・
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本日の宿泊地はナリ会津カントリークラブ。

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手続きを済ませてお部屋へ。

窓からの眺め。
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6時半からラウンジのような広い場所で夕食。
サービスの地酒はとってもおいしかった。

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食後、一休みして大浴場へ。
こちらは天然温泉。
泉質は塩化物泉とのことだったが、お湯の色はなんだか褐色っぽかった。
塩化物泉は湯冷めしにくいんだとか。
そのため、冷え性とか疲労回復に効果があるといわれるらしい。


体がホカホカしているうちにベッドに入ったら
一瞬で深い眠りに落ちてしまった。





(二日目に続く)
http://www.m2-dream.net/?p=11839

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2016年 4月 08日

小学校卒業旅行

カテゴリー 旅行





家族ぐるみのお付き合いをしているMちゃん一家と
<小学校卒業旅行>へ。




2016年03月25日(金)
午後、休みを取って、
東京15:50発のぞみで新大阪へ。


用意のいいMちゃんは、アルコールとおつまみも
バッチリ準備。

座席を向かい合わせにして宴会モードのまま
一瞬で新大阪着。


大阪に移動して、第一ホテルにチェックイン。

フロントには、なんと、「パロちゃん」が!!
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か~わいいいいっ!!
Boysはなぜこんな可愛い存在を手荒に扱うんだろう。


お部屋の様子。
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荷物を部屋に置いて、阪神百貨店へ。




8Fの阪神タイガースショップは、なんとも興味深い場所だった。
義父以外、阪神ファンは身近にいないし、
タイガースグッズは見る機会もない。


OL風のきれいな二人のお姉さんが、
鏡の前で応援ユニフォームを<真剣に>試着していた。


これもまた私にとっては新鮮な光景だった。


二人の会話も当然のことながら大阪弁なのだが、
あのイントネーションは普段は全く耳にしないので、
不思議な感じだった。


トラキチの義父のために、タイガースのロゴ(?)が入った
海苔を買った。
選んだのは夫だが、なぜ海苔???

旅行から帰って、息子がこのお土産を義父に渡したところ
「もったいなくて食べられないよ」と笑っていたそうだ。



夕食は10Fの<創作料理「わくわくぱれ」>。
店内は広くて、金曜の夜だというのに、あまりお客さんはいなかった。
石焼中華丼を注文した。
なかなか食べ応えがあり、満腹。
子どもたちは石焼オムライスを食べていた。


一足先に車で大阪入りしていたMちゃん夫が登場。

みんなで地下へ移動して、宴会用の食材を購入。
大阪人のMちゃん夫のオススメで「いか焼き」も買った。
いか焼きを食べたのは初めてだったが、とってもおいしかった!


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Mちゃん一家のお部屋で小宴会。
明日の朝早く出発するので、日付が変わる前にお開きにした。







2016年03月26日(土)
6:30起床。

最近はどこでも爆睡してしまうので、
枕が変わっても全く関係なかったが、
ふかふか枕に横向きに寝て熟睡してしまったせいで
顔には枕カバーのしわがくっきり・・・汗


息子の場合、顔にシーツのしわがついてても
朝食を食べ終わる頃には「うっすら」になっているのだが、
オバサンの場合、そうはいかない。


やや熱いお湯をかけたタオルを緩く絞って顔に当てて、
冷めたらもう一度お湯をかけて緩く絞ってまた顔に当ててを
繰り返すこと15分。
やっととれた~ やれやれ。


7:30 ホテル出発。
誰もおなかがすいてない・・・笑


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淡路サービスエリアの ミスドで軽い朝食。
・・・のつもりだったが、
スイーツ男子である小学生BOYSたちは、
ドーナツをがっつり食べていた。
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香川県に入ると、夫は「行きたいうどん屋がある」という。
助手席に座っている夫はMちゃん夫に道を教えて、
(ネットで見たお店の地図だけでわかるらしい)
家がまばらに建っている細い道を進んでいくと・・・


「三島製麺所」に到着。
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UDONとかいう映画のロケに使われたらしい。
後でネットで調べたところ、賛否両論のお店だった。


我々一行は、安くておいしくて大満足したけど。


お店の建物は結構大きい。
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裏手に川が流れていた。
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2時過ぎに、今回の目的地「レオマワールド」に到着。

http://www.newreomaworld.com/

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クロークに荷物を預けて、オリエンタルトリップへ。
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日本一長いエスカレーター「マジックストロー」
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全長96M
階段部分238段
乗車時間3分14秒





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(修正箇所が3つあるが、もともとは何て書かれてたんだろう??)



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「ここのなんとも言えないシュール感を
 どうしても誰かと共有したかった」
というのが、Mちゃんの長年の願いだったそうだ。
確かに、これは実際に来て、この場所に立ってみないとわからない。


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25年前にオープンしたらしいが、
いくらバブルだったとはいえ、
こういう、渋い物件で人が呼べると本気で思ったのだろうか?


ホンモノを見たことがないから、
何とでも言えるとは思うんだけど、
完成度はかなり高いんじゃないかと。





謎のパワースポット。
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条件付きだが、御利益付き。
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条件クリア!
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富士山は人気者!
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続いてブータン。
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「ヒマラヤの城」の前に立って見下ろせば、かなりシュールな光景。
なぜ、ここにプラサット・ヒン・アルンが??
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「ヒマラヤの城」の建っている山から下りてきて、お城を見上げると、こんな感じ。
こっちは結構馴染んでるかも。
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確かにオリアエンタルなトリップだった。
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徒歩より遅い船に乗って遊園地へ。



Mちゃん一家が4年ほど前に来たときは
閑散としていて、係員も年配の方が多く、
さびしい感じがあったそうだが、
大江戸温泉が力を入れているのか
元気な若いスタッフが大勢いた。



遊園地の乗り物を異常に怖がる息子のために
まずはウォーミングアップ。

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Mちゃん一家と夫は「全部乗るぞ!」のイキオイで
遊園地を巡っていた。

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私もジェットコースターの類や回転系は苦手なので、
息子をダシにして、穏やかな乗り物に乗っていた。



観覧車はみんなで乗った。
いい眺めだった。
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寒くて死にそうになりながら、鑑賞したパレード。
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遊園地エリアのライトアップはとってもキレイ。

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コテージ付近。
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ホテルと徒歩より遅い船。
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夜の「マジックストロー」
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オリエンタルトリップでのプロジェクションマッピング。
<3Dプロジェクションマッピング「レジェンドパレス」>
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実物を見るのは初めて。
写真で撮るとイマイチだけど、とてもきれいだった。








遊園地でのプロジェクションマッピング。
<3Dプロジェクションマッピング「マジカルナイト」>

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スタートのナレーションがちょっとホラーっぽくて、
映し出される映像も、おどろおどろしい要素があったせいか
小さい女の子が
「もう、みたくない!」
と泣きそうになりながら、お母さんにしがみついていた。
(お母さんはその子を抱っこして別の場所へ移動していった)



プロジェクションマッピングを堪能してから夕食。
バイキング形式だったが、
安い食材ズラリではなく、お寿司や蟹、焼いた海老・ホタテ、
結構ちゃんとした和洋中の料理など、かなり充実していた。




この時期は混むんだろうなぁ。
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夕食後、私とMちゃんは予約していたマッサージへ。
Mちゃん担当の男性は饒舌で、いろいろな話をしてくれた。



平日に、中国・韓国から岡山空港へくる飛行機があり、
この二カ国の団体さんが100人近い規模で
レオマに来るのだとか。
きっと、中国語と韓国語が飛び交い、
異国情緒MAXになるのだろう。


この団体さんは、中国・四国地方をいろいろ観光して、
関西空港経由で帰国するとのこと。



マッサージ終了後は温泉へ。
ちょうどピークが終わっていてゆったり入れた。
露天風呂も気持ち良かった。


12時頃就寝。











2016年03月27日(日)


6時半起床。
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昨日たらふく食べたにもかかわらず、
朝食バイキングでもまたたらふく食べた。


朝食も、「お漬物セレクション」ではなく、
和食のおかずも、洋食のおかずも充実していた。



チェックアウトして、日本初の世界文化遺産「姫路城」を目指す。
(大天守保存修理が終わって間もない<真っ白な姫路城>を
 どうしても見たいと夫が言うので・・・)




瀬戸大橋。

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いつか夕陽を見に来たいものだ。
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橋の近くの海は思ったよりずっとキレイだった。
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姫路城到着は11時過ぎ。
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既にお城の前の広場(?)は、人・ヒト・ひと。
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駐車場入口も渋滞。


やむなく「車窓観光」ということに。
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その後、新大阪へ移動。


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駅弁を買って、予定通り15:03発ののぞみに乗車。
Mちゃんが、大阪の人はあまり買わないという、
ちょっとお高いたこ焼きを買ってきてくれた。
とってもおいしかった。


夫は缶ビールを調達。


かなり遅いランチ&プチ宴会を楽しんでいるうちに
あっという間に東京着。


息子はMちゃん一家と離れがたくて
夕ごはんを一緒に食べたがったが、
全くお腹がすいていないので、
また今度遊ぶ約束をして、お別れ。



翌日は普通に会社なので、即洗濯開始。



それにしても、中身の濃い二泊三日の旅だった。
Mちゃん一家とは、ぜひまた旅行に行きたい。



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2015年 8月 30日

夏旅行2015 北海道(4)

カテゴリー 旅行


(20150722 続き)



曇り空の下、向かったのは神居古潭。

なんだかさびしい場所だった。
お天気だったら全く印象が違うんだろうけど。

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息子が異常に怖がっていたので、
また熊の出現に怯えているのかと思ってからかっていたが・・・・


旅行記を書くにあたって、神居古潭で検索したら、
観光地案内に交じって、
「見えてはいけないものが見えてしまいました」的な情報も
少なくなかった。


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トンネルで「帰ろう帰ろう」と騒いでいたのは、
子どもじゃないとわからないような得体のしれないものを
ヒシヒシと感じていたのかもしれない。


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オトナだったら、
「そんなもの、いるわけない」と
本当は感じているはずのものを
理性とか意思とかで打ち消すことができても、
子どもは、そういうことにはまだ慣れていないから、
原始的な恐怖をそのままストレートに
感知しているのかもしれないなぁ。



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次に向かった先は「北海道伝統美術工芸村」。

http://www.yukaraori.com/

存在さえ知らなかったけれど、
タイムズレンタカーがくれた観光リーフレットに
伝統美術工芸村にある<雪の美術館>が紹介されていた。
なんだか面白そうだったので、行ってみることに。


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氷の回廊はメンテナンス中。
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ノズルから2℃まで冷やした地下水をかけて氷を作る。

ガラスの向こうはマイナス15℃。
こちら側は10℃・・寒いっ
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雪の美術館では、結婚式も挙げられるということだったが、
そういう目で見ると、部屋の使途がなんとなくわかるような。


ここが結婚式場なんだろうなー

すごくロマンチック・・・
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親族控室という感じの部屋に、
バカラール・ヨージェフ(Bakallar, Jozsef)
という人の絵が飾ってあった。


ハンガリーの文化勲章受章者で
元・東海大学客員教授とのこと。

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少人数だったら、披露宴会場になりそうな
素敵なお部屋はカフェになっていた。
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食器は大倉陶園!
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ケーキのお皿は、メロン皿らしい。(16500円!)
(売店で売っていたものと、おそらく同じもの)


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大倉陶園ってなんで知ってるんだろう??

~大倉陶園は、親会社のノリタケカンパニーリミテドらとともに
森村グループの一員でもある~という文章をネットで見つけて、
ああ、そうかと思い当った。

2012年8月の名古屋旅行の際に訪れた、
「ノリタケの森」で購入した本に
大倉陶園のことが書いてあったはず。

本棚から「ノリタケ100 194-2004」を出して
目次を見たら、やっぱり大倉陶園の記述があった。

大倉陶園の創業者の大倉孫兵衛と息子の大倉和親は、
1902年にオーストリアの
ヴィクトリア製陶工場を見学する機会を得る。
この工場では、白色硬質磁器の製造を行っていた。
当時の日本では、白色硬質磁器はまだ作れなかったから、
製造技術が手に入れば、大きなビジネスチャンスに
繋げられる可能性があったはず。


見学は1週間の約束だったそうだが、
孫兵衛が病気になってしまったため、
「父の病気が治るまで」ということで期間を延長してもらい、
和親と技師の飛鳥井は、工場の手伝いをして
技術を身につけることができた。


明治時代というのは、破格の待遇で
お雇い外国人がやってきた一方で、
ものすごい熱意と明確な目的意識を持って
海外へ学びに出ていく日本人もいたんだなぁ。


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外に出ると、雨は上がって青空が出ていた。

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近くのイオンによって、お土産購入。
(旭山動物園のお菓子とか売ってた)


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宿泊は、遊遊比布。
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温泉施設らしい夕食だった。








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最終日


6:00起床。
息子は何がやりたかったのか知らないが、
iPadを見ていた父親の近くで足を振り回して、
父親の手からiPadを蹴り落として、
こっぴどく叱られていた。

エネルギーが有り余っている小学生男子は挙動不審だ・・・

昨夜の夕食会場で、軽い朝食を食べて、8:23出発・・・
しようとしたが、車のカギがなぜか作動せず。

とにかくウンともスンともいわないので、
レンタカー屋に電話して、事情を説明して
対処方法を教えてもらった。


iPadを蹴り落とした際、息子はTVの回転台に手をついてしまったらしい。
その時に、勢い余って車のキーを叩き落としていたというが、
これもカギの不具合の一因かも?
(それにしても、コイツは一体何がやりたいんだ・・・)



田んぼアートを見学。
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ネット上の写真しか見たことがなかったので、なかなか興味深かった。

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その後、旭山動物園へ。
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飛行機の時間の関係で、2時間しかいられなかったけれど楽しかった。

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関西弁と中国語が飛び交っていたような・・・・
(北海道の小学校はまだ夏休み前)

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旭川空港でランチ。
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オトナは石狩丼、息子はエビ丼。
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JAL0554便は、東京からの飛行機の到着が遅れたため、
出発が13:05だったのが、13:30に変更になった。


たいていの場合、結構慎重な夫が珍しく飲み物をこぼした。

乗客が少なかったせいか、キャビンアテンダントが
あれやこれやと大変親切にお世話してくださった。


睡魔に負けそうになったところで「お連れ様ですか?」と
声をかけられた。

座席に余裕があるから、もしシートが濡れているようでしたら
席を変えることも可能ですとのこと。

夫に確認したら大丈夫とのことだったので、
移動しなかったが、親切にしてもらえたのはありがたかった。


15:15 羽田空港に着陸。

荷物を引き取って帰ろうとしたら、
羽田空港から、自宅最寄り駅までの直通バスがあるから
それに乗りたいと夫が言い出した。

そこそこ荷物があるので、階段の上り下りが免除になるのは
いいかも?と思って、直通バスに乗ることにしたが、
途中、渋滞したので、予想よりずいぶん時間がかかった。

ウトウトしていられたのはよかったけど。


楽しかった旅行はこれにて終了。

北海道⇔東京の飛行機代+レンタカー+ホテル一泊付としては、
破格の値段だったけれど、それ以外の費用がかかったので、
トータルでは、結構な<大名旅行>だったという結果に。


もっとも、家族旅行ができるのもあと数年だろうから、
これはこれでOKかな。

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2015年 8月 25日

夏旅行2015 北海道(3)

カテゴリー 旅行

20150722

午前5時。

窓に叩きつける雨音で目が覚めた。


8時朝食。

社長さんが給仕してくださった!!

夫が言うには6年前に泊まったときもそうだったらしい。
全然記憶にない。


雨がひどいので、当初の予定を変更して、
士別市立博物館へ行ってみることにした。



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いろいろなものが展示してあった。

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これが博物館展示品なんて・・・少々ショック。
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LPなんて、謎の物体なのかも。
でも見た目はCDよりカッコイイと今は思う。

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夫と息子は普通にマガジンラックに入れてある古い雑誌に興味津津。


1960年代、1970年代の若者向けの雑誌があった。

筋肉をつける運動器具の通販の広告は、
<これをつかえば女性にモテる!>という内容だった。
こういう系統のものは、50年前でも同じような広告になるんだなぁ・・・


送料無料じゃなくて、「送料奉仕」と書いてあるのが新鮮だった。


また、文通希望として、個人情報(住所・氏名・年齢・職業)が
バンバン書いてあるのも、とっても新鮮だった。
地方新聞じゃなくて、全国で売られる雑誌なのに。
(文通コーナーだけじゃなくて、各ページの欄外とかにも・・・)



こんな古い雑誌もあった。
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松浦武四郎について書かれたパネルに興味を持った。


以下、パネルの文章を抜粋したメモ。


現在の三重県松阪市の出身で、松浦家の四男として生まれる。
出家して、僧「文桂」として早くから諸国をめぐる。
27歳で還俗し、1845年に第一回の蝦夷地調査を行う。

この調査の実績から、1855年に幕府より
「蝦夷地御用雇」として抜擢される。

1956,57,58の間に蝦夷地、天塩川、石狩川、樺太まで踏査。

明治に入ってから蝦夷地開拓御用掛、開拓判官などを命じられるが、
1870年に開拓使を批判して、官職を辞した。
武四郎の著作は発禁となった。


松浦武四郎に対しては、
ネットでざっと調べただけでも、さまざまな評価があるようだ。

激動の時代であればあるほど、
人物の評価もまた劇的に変化しやすいのかもしれない。


GWの旅行と同様、今回の旅行も「明治時代」が
あちらこちらに顔を出しているような気がする。



ある人のオススメで「人間の生き方・ものの考え方」(福田恆存著)を読んだ。
その中に、日本の歴史や伝統は、明治で分断され、
敗戦でもう一度分断されているというようなことが書いてあった。


「敗戦の分断」は祖母・母の世代。
当事者から話を聞くことができているので、
なんとなくの雰囲気はわかるような気がしている。


しかし、「明治の分断」は祖母が生まれる40年程前の話なので、
どんな状況だったのか、皆目見当がつかない。


この本の中に、

> やはり一つの時代の中には、大道具・小道具に至るまで、
> その時代独特の全体的秩序というものの中に
> それぞれの道を得ているわけです。

という文章があった。


明治の断片をいくつも見ていけば、
どこかでつながるかもしれないけれど、
カケラをガッチャンコしても、「明治時代」という、
時代の空気はわからない。

どこかでつながる期待が持てそうな断片は
少しずつ集まってきているけれど、
<ある程度のまとまり>をイメージするには
まだまだピースが足りない。



幕末~明治初頭には、
現代の日本からは想像できない変化がバンバン起こっていたのだろう。
明治・大正・戦前の昭和については、
ほとんど知識がない。
大きな出来事があったはずなのに、全然わかってない。
このあたりは自分でいろいろ調べたいと思う。


福田恆存先生の本も、この一冊しか読んでいない。


恋愛とか幸福についての著作もあるので、
読んでみたいと思う。
(この先生が語る恋愛はとってもマジメそうだけど・・・・)





「天塩川流域の農業」に関するパネルも興味深かった。
以下、パネルの文章を抜粋したメモ。


薄荷
1892(明治25)年、旭川の永山に屯田兵として入植した、
石山伝兵衛によるものとされる。
第二次世界大戦直前には、日本の薄荷は世界の7割を占めるほどだった。

1971(昭和46)年、輸入自由化で大きな打撃を受ける。
1983(昭和58)年、ホクレン北見薄荷工場閉鎖。
            薄荷産業は終わりを迎える。


北海道の薄荷の精油を買ったことがある。

「ラベンダー畑みたいに薄荷畑があるんだろうな、北海道広いし」
くらいにしか思っていなかったが、歴史があったんだなぁ。

農作物で世界シェアの7割ってなんだか信じられない。



除虫菊
1910(明治42)年、和寒町にて広島から移住してきた、小畑藤市が
故郷から持参して試験栽培したのが始まり。
1913(大正2年)、初めて収穫したものを売却。
1919(大正8年)、坂庄太郎が和寒除虫菊製粉㈱を設立。
第一次世界大戦~第二次世界大戦まで、日本の除虫菊が
世界市場で名を馳せた。
1960年代、化学薬品やケニア産の除虫菊の流通により衰退。
和寒町でも、1970(昭和45)年が最後の集荷となる。


除虫菊も世界的な輸出品だったんだなぁ。

明治~戦前の日本のイメージは本当にわからない。

2010年に亡くなった祖母は1911年生まれだった。
明治は1912年で終わっているから、
祖母の記憶は大正時代からなのだろうけど、
もっと話を聞いておけばよかった。



天塩川流域の農業については
このほかにもいろいろ説明があって、
とても興味深かったのだが、士別公会堂へ移動。


<外観>
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この建物は、オリジナルではなく1988(平成元年)年復元したもの。


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大正天皇の即位御大典に伴う記念事業として建設。
1914(大正3年)着手。
設計:山畑弁次郎(士別技術員/東京工手学校卒/士別屯田兵)
施工:清光勝太郎


「工手学校」とは、工学院大学のことらしい。

wikipediaより
> 工学院大学
> 前身は工手学校である。工手学校が創設された当時、
> 国内では政府の富国強兵政策のもと産業の近代化が進められた。
> しかし高等学校や大学などの近代産業を育成するための
> 指導者を育てる高等教育機関は着々と整備されていたが、
> 近代化を達成するために必要な職工の不足が深刻だった。
> これを受けて、1887年(明治20年)に現場を支える職工を育成することを目的に、
> 渡辺洪基らを中心とする有志によって設立された職工学校が工手学校であり、
> 日本で最も古い私立の工業実業学校でもある。


「山畑弁次郎」で検索したら、<屯田兵ウィキペディア>という
サイトに情報があった。

> 山畑 弁次郎(明治32年7月入地 埼玉県出身 兵屋番号71番)

埼玉の人だから、東京の学校だったのか。


>  「屯田兵ウィキペディア=Tonden Wiki」にようこそ。
>  このウィキは、屯田兵研究を通して屯田兵とその家族らの業績を
>  顕彰することなどを目的に設立された北海道屯田倶楽部が管理運営しています。
>  屯田兵に関する研究をより深めるために、史実や史料、論文、研究報告などの
>  さまざまな情報の蓄積・整理・編集を共同作業で進めます。
>  最終目標は、「屯田兵アーカイブ・屯田兵データベース」の構築です。


個人のブログで見た情報だが、施工の清光勝太郎は広島の人で、
21歳で北海道に来たらしい。
木挽職人としてスタートし、時代の変化とともに土建請負業へ移行。
公会堂は大正天皇の即位記念としての建築で、おめだい仕事ではあったが、
実際には予算不足による赤字覚悟のスタートだった上、
第一次世界大戦による物価高騰に見舞われ、大変だったらしい。
清光勝太郎の会社は倒産したが、それでも完成にこぎつけたそうだ。



公会堂には士別ゆかりの人物にまつわる品物が展示されていた。
(輪島功一氏、和泉雅子氏)


「羊のまちづくり」という展示が面白かった。
以下、展示のメモより。


1874(明治7)年。北海道で初めて牧羊事業がおこなわれる。
開拓使が設置した東京の青山官園から、七重官園(現七飯町)に
サウスダウン種の牡35頭、牝13頭が贈られたことが始まり。


官園(Wikipediaより)
>  明治維新以降、さまざまな分野で海外の技術を導入することとなったが、
>  北海道の開拓もまた例外ではなかった。
>  開拓の拡大は農業がその先鋭となったが、
>  本州の平地とは異なる亜寒帯に属する北海道では用いる技術が異なることから、
>  アメリカやヨーロッパの技術が導入され、試験されることとなった。
>  この試験を実施する場所を、官園と通称した。


開拓使次官・黒田清隆が明治4年にアメリカの農業事情を視察した結果、
北海道の近代化には牧羊が必要と痛感したこと、
お雇い外国人として同年アメリカから招聘された、
ホーレス・ケプロンらの建策によるものとされる。

黒田清隆って、なんか聞いた名前・・・と思ったら、
すごい人だった。


黒田清隆(Wikipediaより)
>  薩摩藩士として、幕末に薩長同盟のため奔走し、
>  明治元年(1868年)から明治2年(1869年)の戊辰戦争に際しては
>  北越から庄内までの北陸戦線と、箱館戦争で新政府軍の参謀として指揮をとった。
>  開拓次官、後に開拓長官として明治3年(1870年)から明治5年(1872年)まで
>  北海道の開拓を指揮した。
>  開拓使のトップを兼任しつつ、政府首脳として東京にあり、
>  明治9年(1876年)に日朝修好条規を締結し、
>  同10年(1877年)の西南戦争では熊本城の解囲に功を立てた。


公益社団法人農林水産・食品産業技術振興協会のサイトに
七重官園のことが書いてあった。

https://www.jataff.jp/senjin4/2.html

>  当時の七重村の風景を、この地を旅したイギリス人女性旅行家イサベラ・バードは、
>  その著『日本奥地紀行』で、
> 「整然とした洋風の村がりっぱな農作物に囲まれている」と記している。
>  欧米農業導入に燃えていた官園の活気が伝わってくる思いがする。


イサベラ・バードの本を読みたいと思いつつ、そのままになっている。
図書館にあるから借りて読みたい・・・っていう本は、これで何冊目??



士別の牧羊の歴史に関するの展示のメモ。

士別で羊の飼育が本格的に始められたのは1918(大正7)年頃。
川西尋常小学校の校長として赴任した菊田左市先生が中心となって
川西緬羊組合が結成され、滝川種羊場から羊22頭を導入したのが始まり。


緬羊組合・養蚕組合の立ち上げ、道庁から技師を招いた紡績や機織り技術の
講習を行うなど、実践を重ねる。

1936(昭和11)年、川西飼育の羊が全道代表として天覧に供される。

天皇行幸の際には、川西緬羊組合で織られたホームスパン二反が
宮内庁に買い上げられるなど、川西の羊と手工業は全国的に
知られるようになる。


「ホームスパン」ってなんだろうと思ってネットで調べたら、
社名にこの言葉が入っている会社のサイトに説明があった。
  > 英国生まれの毛織物。家(home)で紡ぐ(spun)という言葉の通り、
  > 羊毛農家が羊の毛を自家用に紡ぎ、織ったのが始まりです。



「緬羊」も、ヒツジのことだとは思ったけれど、
なんで「羊」じゃないんだろうと思い調べたら、
  > 家畜の羊のこと。特に毛用のもの。
  > 野生のものと毛質が違い、一年中毛が伸びつづける。
という説明があった。


川西に羊を導入した菊田左市先生の理念は「全体教育」。
父母・地域・学校で子供たちを育てる。
それが地域を育てることにつながる。


・・・息子の小学校の保護者会で、校長先生が説明した
<学校のグランド・デザイン>は、菊田先生の理念と
重なる部分が多かったような印象がある。

両親のみならず、いろんな大人が子どもと接するべきだと思う。
無条件で可愛がってくれるオトナ、
一歩離れた場所から見守ってくれるオトナがいれば、
子どもの心はスクスク育っていくような気がする。



羊皮紙の話も興味深かった。

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ペルガモン王国が壮大な図書館を建設した。
当時はパピルス本の時代であったが、
アレクサンドリア図書館と競争になり、
エジプトはパピルスの輸出を停止。
ペルガモンはパピルスに代わるものとして羊皮紙を作ったそうだ。

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図書館の歴史や本の歴史については、
3年前に集中して詰め込んだ時期があった。
だいぶ忘れかけてきたけれど・・・・

中世では、読書とは基本的に音読だった。
図書館で本を閲覧する場合は、キャレルという区切り板で
仕切られたブースのようなところで、読んでいたらしい。

キャレルがあることで、隣の席の音読の声が
どれだけ静かになったかわからないが、
音そのものがなくなるわけではないので、
図書館はあまり静かな場所ではなかったのかも。


印刷技術が実用化されて普及するまでは、
図書館の蔵書というのは、
人間がひたすら書き写す写本がメインだった。


だから、本というのは非常に貴重で、
こっそり持ち出されないようにやたらと重厚な造りになっていて、
鎖で机に繋がれていた。
(セキュリティーワイヤーロックでノートPCと机を繋いでおくみたいだ)


そういえば「黙読がどうやって始まったか」という話も
なんだか謎めいていたなぁ。


非常に不思議な世界だった。
久々にあの世界に戻りたくなった。





羊皮紙を初めて知ったのは、『ガラスの仮面』で有名な、
美内すずえ先生の『魔女メディア』だったと思う。
姉が買ったマンガだった。


ここに羊皮紙が登場する。
このお話の根幹となる重要な契約が
羊皮紙に書かれていたのだった。
契約の有効期限は「この契約書がある限り」。

ならば、契約書を燃やしてしまえば・・・
(クライマックスのシーンへ続いていく)



もうあのマンガは手元にないし、
最後に読んでからン十年たっているけれど、
コマ割りとかセリフとか、たくさん覚えてるなぁ。


『魔女メディア』は1975年の作品だったのか。
美内先生は1951年生まれだから、
魔女メディアは24歳の時の作品ということになる。
やっぱりプロはすごい・・・


羊皮紙には歴史と伝統があるので、
ラム肉料理の消費が多い士別では、
羊皮紙を使って何かやっているのかと思っていたが、
ヒツジの皮は<産廃>として処分していたそうだ。

羊皮紙の展示コーナーには
「るんべる」という団体のリーフレットが置いてあった。
平成25年から羊皮紙を作る取り組みをしているという。

羊皮紙は印刷機によるプリントが可能で、
名刺や賞状作成なども行っているそうだ。

羊皮紙の名刺とか賞状とかいいなぁ。

加工の仕方とか、保管場所の状態にも依るだろうけど、
1000年以上も保存できるんだとか。




雨がやや弱くなったところで、「世界のめん羊館」へ。
ここには世界に羊が30種類飼育されている。

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餌やりは100円。

6年前に黒い顔の羊(サフォーク種)を怖がっていた息子は、
相変わらず羊が怖いらしく(干支はひつじなのに・・・)、
手のひらから餌を食べさせることはできなかった。

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お昼は蕎麦にした。

政和三頭山へ。

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看板とか出まくってて、ちゃんとお店(?)なのだが、
建物は、昭和の色が濃厚な、普通のお宅っぽい。

いい味を出している年季の入った玄関も
<お店の入口>ではない。
呼び鈴を押してしばらく待つも反応がないので、
引き戸をガラガラとあけて中に入った。
・・・完全に普通の民家。


「こんにちはー」
と声をかけても、反応がない。
完全によその家に無断であがりこんでいる感じだ。
いたたまれなくなって外に出た。


看板の電話番号に電話してみた。


「はい、○○です」
元気のいい女性の声。


「? あの、お蕎麦屋さんではないですか?」


「あ、そうですよー もしかしてお客さん?」


「はい、お店の前にいるんですが・・・」


「あら、ごめんなさいね。すぐに行きます」


隣の今風の住宅からおじさんが出てきた。


我々は死角(?)に入ってしまったようで
気づかなかったらしい。


おじさんの後について、さっきの昭和の建物に入り、
廊下右手の部屋へ。

親戚の家に遊びに行ったみたいだ。
(沖縄方言の暖簾とか下げてあるし)


煙突のついたストーブと
ブラウン管の巨大なテレビ、大きなテーブルが目についた。


隣の部屋にも、ブラウン管の巨大テレビがあり、
さらにはレーザーカラオケセットが!

カラオケ用のお部屋のなのか、ソファーセットが3つくらいあったような。

待っているうちにお蕎麦が出てきた。

お蕎麦屋さん定番の、セイロとかスダレに載っているのではなく、
フツーのご家庭のお皿に入っていたが、
お蕎麦の味は素晴らしかった。

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とても美味しくて大満足。


ウチのお店が紹介されているということで、
幌加内のパンフレットをいただいた。


表紙は満月に照らされた幻想的なそば畑の写真。
「月明蕎麥花如雪。」の白抜きの文字。

表紙の下の方の説明文によると、
これは、白居易の詠んだ「村夜」という詩の一節とのこと。

月明かりの下で、蕎麦の白い花が一面雪のように咲いている様子を
詠ったものだという。




満月の明るい夜に、
白い花が敷き詰められた蕎麦畑に立ってみたいものだ。

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次に向かった先は神居古潭。


その(4)に続く。
http://www.m2-dream.net/?p=11438


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2015年 8月 20日

夏旅行2015 北海道(2)

カテゴリー 旅行

2015/07/21


朝起きると息子は床に寝ていた。
ベッドから落ちたのは明らかなのだが、
いつ落ちたのか全然気がつかなかった。
本人も「なんで床に寝てるの?」と言っていたので、
どさっと落ちたのではなく、
ズルズルと滑りおりるような感じだったのかもしれない。



7時朝食。

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朝食付プランだったので、朝食券を持って
昨日の夕食をとったレストラン「ヴィーニュ」に行くと・・・


男性スタッフは満面の笑顔で
「One? Please come here.」
と私に言った。



朝食券を持った中国系の女と、
後から来た日本人父子のように見えたらしい・・・涙


夫は大笑い。


6年前の札幌プリンスでも、私は中国人と間違えられたのだった。
フロントに近づいたら、中国人スタッフがサササッと寄ってきて
名刺までくれて・・・このときも夫はゲラゲラ笑ってたな。




朝のレストランで、聞こえてくる会話は
ほとんどが北京語か広東語。
ココハ ホントニ ニホンデスカ??



昨日、お腹の皮が伸びるくらい食べまくったのに
消化力が強い男組は、またしてもワシワシと食べまくった。



8:40 チェックアウト。


このあと海沿いの道をドライブしてはまなす郷土資料館へ。
(明治期に建てられたニシン番屋を改修復元した資料館)


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しかし、残念なことに休館日・・・
せっかくここまで来たのだからと建物の写真を撮っていたら、
一台の車が細い道を走ってきて、資料館の前で止まった。


何かを取りにきた職員の方だった。

ちょっとの間だけになるけど、もしよかったらどうぞ、ということで
建物に入れていただいた。



すごいラッキー。
ありがたい。



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この後また海沿いの道をずっと走って、
苫前ホワイトビーチの前のココ・カピウへ。


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このお店があったから入ったという感じなのだが、
後でネットで調べたら、ちょっと有名(??)なお店だったらしい。


カピウはアイヌ語で「カモメ」らしいが、ココはなんだろう??



夫はなんと、バフンウニ丼2500円!


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息子も負けずにカニ丼2000円!

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私は、郷土資料館に敬意を表してニシン定食にした。
(こちらはぐっとリーズナブル)

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ニシンって、お正月の昆布巻の中に入っている
身欠きニシンくらいしか食べる機会がないような。



焼いたニシンは、脂ののったホッケに似た味わいで、
ものすごーくおいしかった。


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食事の後は、苫前郷土資料館。


こちらも休館・・・
定休は月曜日だが、月曜日が祝日の場合は、
火曜日が休みになるらしい。

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趣きがある建物だなと思い、ネットで調べてみたら、
1928年(昭和3年)に苫前町役場として建てられたものだとか。
役場は、1984年に新庁舎が完成したので、
この建物は資料館になったそうだ。



この後、ヒグマ襲撃事件現場へ。

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ヒグマが人を襲うなんて、怖いなぁとは思っていたけれど、
「三毛別羆事件」は、あとでネットで調べてみて、
非常に恐ろしい事件だったことが判明。
(詳細な説明を読んでしまった・・・)


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夫は、事件現場の再現を面白がって
何枚も写真を撮っていたが、
この近くでヒグマが目撃されているから注意してくださいという
シャレにならない看板があったので、
息子は本気で怖がって、帰ろう帰ろうとうるさいうるさい。

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挙句の果てには
「命と観光とどっちが大事なの?!」
などと叫びだす始末。

まあ、こんな看板があったら、確かに怖いかもしれないけど。

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<看板の文字>
この付近でヒグマの目撃情報が
寄せられております。見学
される方は、十分注意される
ようお願いします。



あまりうるさいので、10分弱でクルマに戻り出発。



続いて剣淵町絵本の館へ。

http://ehon-yakata.com/

201507R5259366


前回来たときは小さかった息子は
たくさんの絵本を見て大喜びしていたが、
6年経っても、頭の中身はあまり変わっていないようで
同じように喜んでいた。



「木のお砂場(?)」も大喜びしていた。

201507R5259367



絵本の館の中には「喫茶らくがき」という飲食コーナーがある。
のどが渇いていたので、アイスを食べることにした。
夫は茶そば、私はキウイ、息子はソーダ。



おやつの後はそれぞれ読書タイム。

「あっちの棚にイサム・ノグチの本があるよ」
と夫が教えてくれたので行ってみると、
  『イサム・ノグチの世界 / 撮影・綿引幸造』
という本があった。


アトランタのPiedmont Parkには、モエレ沼公園と同じ遊具がある。

さっき見た遊具と同じ遊具の写真が載っていた。



絵本の館は17時閉館。


今夜の宿である、士別市の「ファームインλ(ラムダ)」へ。

http://www.shizuo-farm.com/lambda/

30分ほどで到着。

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今回のお部屋。

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ロフト。(息子はここで寝た)
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2F共有スペースから見える1Fのレストランスペース。
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夕食は18時から。


マダムが散歩コースにアジサイを植えてあると教えてくれたので、
見に行くことにした。

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色づいているアジサイもあれば、
まだまだこれからというアジサイもあった。


201507R5259385



ぐるっと回ってそろそろ宿に戻ることにした。


この道を右に行けば宿に戻れるはずだというT字路で、
方向感覚のいい夫が珍しく
「こっちへ行けって看板が出ている」
などと言う。
しかもちょっと強い口調で。



カーナビの指示には、ことごとく逆らうのに
どういう風の吹き回しだろうと思いながらも、
彼の言うとおりに進んで行ったら・・・



畑の中に出てしまった!!


木立に隠れてしまったようで宿が見えない。
日が沈み始めたので、あたりは暗くなってきた。


道なき道を歩いて、なんとか戻れたからよかったけど、
あの時の夫には、何かが憑りついていたんだろうか・・・


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夕食はジンギスカン♪

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とってもとってもおいしかった。


この日の宿泊客は我々だけだったので、
お風呂は貸し切り状態。


ゆったりしたかったけれど、
睡魔には勝てず、10時前に就寝。


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続きはこちら。
http://www.m2-dream.net/?p=11409

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