2014年
11月
06日

ある方のブログを見ていたら、
“オーダーしたお香が届いた”という文章があった。
お香をオーダーできるのか・・・と思って、
ブログの文中のリンクをたどると、
お香のお店のサイトが出てきた。
メニューの中に「対面お誂え」の文字が。
<お誂え>の3文字に、ものすごく惹かれてしまった。
誂える:自分の思いどおりに作らせる。注文して作らせる。
5年くらい前に、「世界に一つだけのコート」を手に入れたときの
楽しい記憶がよみがえってきて、ぜひやってみたい!と思った。
予約した日はあいにくの雨降り。
お店の場所は、メールでわかりやすい説明をいただいていたので
迷わずに行くことができた。
店主は「香司」の肩書を持つ、とても素敵な女性。
13歳のハローワーク 公式サイトによると・・・
> 香司(こうし)とは、香料選びから調合、仕上げまで、
> お香の制作に関する一切の責任を負う人。
> 天然香料についての専門知識と研ぎ澄まされた感性を持ち、
> 伝統の製法に基づく奥深い香りを生み出すスペシャリストである。
対面で作っていただくのは、塗香(ずこう)というもの。
実は、これまで塗香がなんたるかも知らなかったし、
「塗香入れ」なる道具が存在することさえ知らなかった。
「塗香」は、お清め(浄化)のための粉末のお香。
ごく少量を掌にとって、両手をこすり合わせるようにして塗り付ける。
「塗香入れ」は、塗香の少量の取り出しがしやすくなっている容器。
お値段はピンキリ。
塗香は、さまざまな浄化の場面で使えるもので、
写経の前に使うのもよいとのこと。
一昨年から、なんちゃっての写経を地味にやっているが
(でも、文字はキレイにならない・・涙)
来年からは、ほんのちょっと本気度があがるので、ちょうどよかった。
塗香づくりに使うのは天然香料。
半透明の白い容器に入った白檀、龍脳、丁子、桂皮などが
丸いテーブルに並べてあり、ひとつずつ匂いを嗅がせていただいた。
いかにもの仏教系から、漢方薬系・カレースパイス系と実に様々な匂いだった。
本当に個性的な香り。
これを混ぜたら、一体どうなるんだろう??と興味津津。
まず、これから作る塗香の名前を考えてくださいと言われた。
え?
名前??
つけた名前に向かって香りが作られていくとの説明にビックリ。
<光>という文字が頭に浮かんだので、
これを入れようと思った。
写経の前だから、いろいろ整えてからやりたいと考えた。
そこで<光整>になったのだが、
これをどう読むのか、自分でもわからない。
(しいていえば、コーセーになるんだろうけど、
読み方はあまり気にしなくてもいいみたいだった)
調製の途中で、香りを確認させていただいたが、
なんとなくだけど、<収束していく感じ>が
わかるような気がして面白かった。
あんなに個性的で、
自己主張の激しい香りが含まれているにもかかわらず、
調合すると、ひとつのまとまった香りになるのも不思議だった。
塗香を作っていく間のおしゃべりも楽しかった。
店主が作るお香は「細長い香り」と言われることがあるそうだ。
一緒に学んだ仲間の中には「丸い香り」を作る人がいて、
本当にそんな感じの香りでしたと笑っていた。
香りは目に見えないし、形なんてないはずなのに
細長い香り、丸い香りといった図形メタファーが
すんありあてはまるのが面白い。
「ふわりと広がる」とか「すっと立ちのぼる」といったイメージが浮かぶ。
丸みを帯びた優しい雰囲気とか、スパイシーでシャープな感じとか。
<光整>も、確かに細長い感じがする。
名前の文字もカクカクしているので(?)、
何かを区切っていくとか、
まっすぐに並べなおすとか、
直線的なイメージがあると思った。
辞書の説明だと、
名とは、他と区別するために・何かを表すためにつけた言葉・呼び名であり、
その呼び名によってある概念があらわせる言葉、となっている。
<光整>と名付けることで、ほかの塗香とは区別された存在になり、
その香りは、<光整>という言葉であらわされる、ということになるのだろう。
常用字解(白川静)には、「名」という漢字については、
以下のように書かれていた。
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会意。夕と口をとを組み合わせた形。夕は肉の食略系。
口はサイ(これを表わす記号はテキストでは表示できない)で、
神への祈りの文である祝詞を入れる器の形。
子どもが生まれて一定期間すぎると、祖先を祭る廟(みたまや)に
祭肉を供え、祝詞をあげて子どもの成長を告げる名という儀礼を行う。
そのとき、名をつけたので、「な、なづける」の意味となる。
また名声(よい評判・ほまれ)・名望(名声と人望)のように
「ほまれ」の意味にも用いる。
子が生まれて一定の日数が過ぎて、養育の見込みが立つと、
廟に出生を報告する儀礼を行い、幼名をつける。
それを小字・字(あざな)といい、さらに一定期間がすぎると
廟に成長を告げ、命名の儀礼を行うのである。
まだ実名を呼ぶことを避けるために、名と何らかの関係のある
文字が選ばれて字がつけられ、通名として使用した。
___________________________
子どもの成長に従って、次の名前をつけるたびに
儀礼が行われていたということは、
「名」というものには、何か“特別な力”が備わっていると
考えられていたのかもしれない。
『空海の夢』という本にはこんな記述があった。
> 古代言語観念の世界においては、「お前は誰か」と問われて
> 自身の名を言ってしまうことが
> そのまま服従を意味していたという事情があった。
名前には、昔からパワーがあると考えられていたんだろうなぁ。
「名前」を重要なアイテムとして扱う物語は
いろいろあったように思う。
エジプト神話に登場するイシスの物語にも
太陽神ラーの秘密の名前を手に入れるくだりがあったし、
「千と千尋の神隠し」にも、名前が持つ力を象徴するシーンがあった。
「つけた名前に向かって香りが作られていく」
子どもの名前を付けた時のことを思い出した。
名前を付けることによって、
方向性のようなものが定まるのかもしれないな。
名前の持つ力が感じられた経験だった。
2011年
1月
28日
『記憶のカタチ(2006.03.22)』よりさらに前の記録が見つかった。
2002年に書いた文章だ。
記憶のカタチ
http://www.m2-dream.net/?p=4908
読み返してみて、やっぱり私は、
視覚的な記憶よりも、匂いや手触り等、
身体で感じた感触を重視していたことがよくわかった。
「していた」と、過去形なのは、
何がきっかけだったのかわからないが、
身体感覚がものすごく鈍くなっていたからだ。
それに気付いたのは去年の11月。
ロルフィングというボディワークを受けた。
ロルファー(ロルフィングの技術を持つ人)の女性から
「まっすぐ立って下さい」
「では、歩いて下さい」
と、言われたとおりに動いた後、
「今、どういう感じですか?」
と訊かれて完全に言葉に詰まった。
どういう感じなのかわからなかった。
手も足も感覚があるし、
それが動いているのはわかるけれど、
「どういう感じ」で動いているのか、よくわからなかった。
結構ショックだった・・・
身体の中に骨があって、関節があって、筋肉があって
それらが動いているはずなのに、
その動きが全く感じられない。
自分の身体は、泥とか粘土の人形みたいだと思った。
ロルフィングのセッションを受けているうちに
徐々に感覚が戻ってきたが、
それでもまだ意識できない部分もあるし、
ヘンな癖がついているせいで、
固まってしまっているところもある。
肉体を持って地球に存在しているのは、
五感で感じるため、
重さや痛みや気持ちよさを感じるため
というような話を聞いたような気がするが、
今日の社会は、視覚だけで済んでしまうことが
かなり多いような気がする。
もうちょっと他の感覚も使わないとなぁ・・・
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匂いの記憶
2002年3月15日
朝から雨。
昼過ぎにはすっかり上がってしまい、
朝の雨の気配はすっかり消えてしまったが。
久しぶりの雨だったので、すごく「雨の匂い」がした。
雨の匂いは昔から好き。
雨の匂いはすぐわかる。
地下鉄を降りた時に雨の匂いを感じたことがあった。
一緒にいた夫に
「雨の匂いがするから、今、雨降ってるよ」
と、言っても彼は全然信じてなかった。
…外に出たらやっぱり雨が降っていた。
(「野生のカン?」と言われてしまった…)
匂いの記憶は長く残るというけれど、
「この匂い」「あの匂い」と明確に分けて
記憶しているわけではないと思う。
記憶に残っている匂いをもう一度感じた時に、
「これはあの時の...」
と思い出すのだろう。
もちろん、これは人によって違うのだろうけど。
香りを言葉で表すなんてとてもできない。
でも、調香師だったら香りを説明できるんだろうな。
ソムリエもワインの知識と繊細な味覚だけではなく
豊富な語彙が必要らしい。
味を言葉で説明するのもかなり難しいと思う。
調香師は香水を調合するだけかと思っていたが、
パフューマとフレーバリストの二つの分野があるらしい。
パフューマは香水・化粧品関連、フレーバリストは
食品関連に使われる香料を調合するそうだ。
香水はあまりつけない。
香水売り場の匂いは苦手だ。
でも、数年前に突然「自分の香り」が欲しくなって
デパートの香水売り場に行ったことがあった。
店員さんはヒマを持て余していたのか、いろいろな
香水の説明をしてくれた。
ついでに、棚に飾ってある巨大な香水瓶の中身は
「お酢」だということも教えてくれた。
(これはホントに本当なのだろうか???)
そして、私から受ける印象を元に彼女の「イチオシ」
を選んでくれた。
それがエルメスの「カレーシュ」だった。
香りが穏やかで、抵抗なくつけられそうだったので、
薦められるまま、トワレを買った。
インターネットで見つけた香水屋さん(アグレール)
の説明によると…
********引用ここから*************
1961年にエルメスから発表された、エレガントで
知的なフレグランス。薔薇、イリス、オークモス
オレンジブロッサムなどをブレンドした香りは
時間とともに優しさが増し、特に香りが消える
直前のラストには深みがある。
石鹸のような清潔で優しいフェミニンな
イブニングフレグランスです。
********引用ここまで*************
確かに石鹸のような優しい感じのする香りだ。
強い個性はないから、誰にでも合うような気がする。
だからこそ、店員さんはこれをすすめたのだろう。
(香水によってはつける人を選ぶからなぁ…)
「色」として好きな色と「服の色」として好きな色は違う。
「香り」も、匂い自体が好きなものと、香水など
身につけることが前提になるものでは違う。
白檀(Sandal wood)の香りは大好きだけど
これを身につけたいとは思わない。
自分の外側で感じたい香りだ。
仕事が辛くて精神的に参っていた時期に
アーユルヴェーダの先生のところへ行った。
一通り診察した後、
先生は小さな瓶が沢山入った箱を出してきた。
そのうちの一つを取り出して、蓋を開け、
私に匂いを嗅ぐように言った。
ワインビネガーと漢方薬を混ぜたような匂い。
とても耐えられなかった。
「この匂いは…ちょっと駄目です」
「じゃ、こっちは?」
別の瓶を渡された。
その瓶からは柑橘系の香りがした。
「この匂いは好きです」
「自分に必要な匂いが心地よく感じるんですよ。
あなたが、駄目だと言った匂いが
すごく好きだと言う人もいますし、
あなたが好きな匂いを
耐えられないと言う人もいます。
体調や気持ちの変化によって
好きな匂いは変わるものですよ」
最近は特に悩んでいることもないし、
(図太くなって開き直りやすくなっただけか?)
平穏無事な生活だ。
精神的に辛かった時期に、
耐えられなかった匂い、
好きだと感じた匂いは
今、嗅いだらどう感じるのかな?
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カレーシュのミニチュアボトル。
数年前オークションにて購入
ルームフレグランスっぽい使い方をしていた。
・・・・もう残り少ない)
アーユルヴェーダの先生のところへ行っていた時期は、
「なんちゃって海外営業」だった。
海外赴任になった先輩が担当していた得意先を引き継いで、
円形脱毛と鼻血に悩まされていた。
得意先と通関業者と工場の生産管理&品質管理の間で
サッカーボールのように蹴りまわされていたような・・・
ものすごく悲観主義で、
なんだかめちゃくちゃ暗かったような(苦笑)
この日記を書いていた時期は、
田舎の職員室のような職場に異動になっていて、
廊下を自転車が走っていても
なんとも思わなくなっていた。
当時、日記を書いていたのは「DiaryNote」
「友達だけに公開できるひみつ日記」 という機能があり、
そこに書かれていた文章には、
『記憶のカタチ』でも取り上げた、母のひきだしについての
記述があった。
2006年から更に4年遡るせいか、情報量が多い(笑)
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(2002年3月作成)
かなたさんの日記の
「秘密な香り」
「子供の頃から追い求めてる香水」
の言葉から思い出したことがあった。
母の香水のことだ。
母から香水の匂いを感じたことはなかったが、
彼女は一つだけ香水を持っていた。
北側の和室に母の箪笥があった。
めったにない「イイお洋服でのお出かけ」の時、
母は一番上の引き出しから、
ネックレスや指輪を出して身に付けていた。
一番上の引き出しには、
いいモノが入っているに違いないと確信していたので、
中が見たくて仕方なかった。
でも、「見せて」と素直に言えなかった。
母の留守を見計らって椅子を持ってきて開けてみた。
深紅や紺色の天鵞絨貼りの箱がいくつもあった。
中には真珠の首飾りや薔薇の形のイヤリングやら
キレイなものが入っていた。
(今考えるとミニチュアボトルだったのかもしれないが)
小さな香水の瓶があった。
四角くて平べったい形で金色の蓋がついていた。
蓋は固くて開けられなかったが、
鼻を近付けると、いい匂いがした。
香水のラベルには漢字が一文字。
それは「宴」という字だったと思うのだが、
当時はこの漢字を知らない筈なので、
後から創り出した記憶なのかもしれない。
Yahooで検索すると
「宴」という香水があるようなのだが、
該当するサイトをクリックすると
Not foundになってしまう。
しかし、あの香水が本当に「宴」という名前で、
今でも入手可能であったとしても、
私の記憶の匂いとは一致しないかもしれない。
母は香水をつけない人だったから、
私が嗅いだのは、
「宴」が経時変化した香りだったかもしれない。
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そうだった・・・
母が足踏みミシンを使う時に座っていた、木製の丸イスを、
タンスの前まで運んでいって、その上に立って
引き出しの中をのぞきこんでいたんだ。
指輪やブローチなども入っていたような気がする。
4年くらい前に実家は改築したけど、
あのタンスはどうしたのかな?
私が子どもの頃からあったから、
相当古いと思うんだけど。
週末に実家に行くから、確認してこよう。
別のブログに書いた記事をこちらのブログに持ってきました。
ちいさいおうち
http://www.m2-dream.net/?page_id=4928
これも大好きでたまらなかった絵本です。
この記事を書いて5年経過し、この本は更に古びてしまいましたが、
大事にとっておきたいです。
2011年
1月
25日
ブログの引っ越し作業をせっせと(?)やっている。
バシッとブログ全体を削除してしまってもいいのかもしれないが、
せっかく積み上げた砂のお城を足で踏み潰すみたいで、
なんだかイヤだ(笑)
時間はかかるけど、残したいと思える記事は
地道に運んでこようと思っている。
2006年の文章を読み返したら、
考えてることはあまり変わっていないような気がした。
去年書いた文章の中にも、
なんだか似たようなことを書いた記憶があるし・・・
メルマガにも同じようなことを書いたような気がする。
もしかしたら、メルマガの文章に加筆したのかもしれないけど。
私の頭の中は、日々新しい情報が追加され、
保管期限が過ぎた記憶が次々と消されていくだけで、
『常駐している思考』はあまり変わっていないのかもしれないなぁ。

記憶のカタチ
(2006.03.22作成)
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先日、姉と会った時に海の思い出話になった。
小さい頃、よく海へ連れて行ってもらった。
阿字ヶ浦へ行くことが多かった。
父が単身赴任で仙台に行った年の夏は
桂島という小さな島で過ごした。
姉の海の記憶は
夏の日ざしを浴びて、白っぽく光る道路の向こうに
青い海が広がっている
というもの。
もっと他にもあるのだろうが、彼女にとっては
大きな風景画のようなものらしい。
私にとって海の記憶というと、
足の裏に感じた熱い砂やとがった貝殻の感触
波打ち際に立っているときの、波の感触
足の上を波が通っていき、
引いていくときに、踵がうまっていく時の、
自分が後ろに下がっていくような目眩に似た感覚
昼間、ずっと海に入って遊んでいた日の夜、
布団に入っても、まだ身体が波に浮かんでいるようなゆれる感覚
日焼けした肩のひりひりした痛み
内側から発熱しているようなじんじんする熱さ
カーマインローションの匂い
緑がかった薄茶色に濁った海水の中を流れていく
たくさんの砂の粒…
私は、海そのものより、自分の身体で感じたものを
海の記憶としているらしい。
「海」という歌がある。<天野蝶>
♪うみだ うみだ ひろいな
そらと どっちが ひろいだろ
ざんぶりこ ちゃぷ ちゃぷ ちゃぷ
ざんぶりこ ちゃぷ ちゃぷ ちゃぷ
♪うみだ うみだ きれいだな
なみが いったり かえったり
ざんぶりこ ちゃぷ ちゃぷ ちゃぷ
ざんぶりこ ちゃぷ ちゃぷ ちゃぷ
この歌も話題になったのだが、
私はこの歌の1番と2番を逆に覚えていた。
と、いうより、姉が歌うまでは、1番を完全に忘れていた。
姉が歌ったときにやっと思い出したが、
「それ2番じゃないの?」
と言ったくらいだった。
確かに、私の海の記憶から考えると
♪なみが いったり かえったり
の方が
♪そらと どっちがひろいだろ
よりもずっと印象が強い。
考えて見ると、海の記憶だけでなく、私の記憶は、
ものごく細かく分解された部品の断片の集まりのような気がする。
小さい頃ずっと使っていた毛布のラベルの匂いや感触。
浴衣の帯の感触。
姉の帯はツルツル。
私の帯はふわふわ。
母のタンスのひきだしから見つけた香水の小瓶の香り。
金色の蓋がついていて、少し汚れたラベルには『宴』と
いう文字がついていた。
おもちゃのコンパクト。
キレイな蓋の模様がどうなっているのか知りたくて
分解して出てきたのは、虹色の紙とぎざぎざのついた
プラスチックの板。
「そんなこと、覚えてるの?」
昔話をすると、よく言われる言葉。
仙台土産に父が買ってきた『九重』という飲み物も
姉には全く記憶がないそうだが
私ははっきり覚えている。
コップに<ねじねじスプーン>で九重を入れて
お湯を注ぐと、あられのようなものが
浮かび上がってくる。
それがとても不思議なものに思えて
ずーっと見ていた。
レコードの演奏が終わり
針が中心に向かって
すーっと吸い込まれるように移動していって
ふわっと持ち上がり、
ゆっくりもとの場所に戻っていく動きも
飽かずに眺めていた。
こどもの頃は、こうやって一つの対象を
じーっと好きなだけ見ていられた。
今だってそれは、不可能ではないとは思うけれど、
一つの対象を見つめていても
心はふらふらとさまよいだす。
こどもの頃のように、その対象に
惹きつけられて動けなくなることはない。
どうしてだろう?
やることがいっぱいあるから?
他に考えなきゃならないことが山ほどあるから?
コレはこういうものって決めつけているから?
コレはどうしてこういう色なんだろうなんて考えないから?
自分の目の前のものに対して
最大限の注意と敬意を払うことができるのは
オトナじゃなくて、こどもなのだろう。
息子が石を見つめて動かない時、
目をまん丸にして花に見入っている時、
彼の世界を邪魔しないようにしよう。
きっと疑問符でいっぱいになって
動けなくなっているのだから。
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『九重』の写真が見られるページ(お土産の販売サイトのページ)
http://www.sendaimiyage.com/item/A57-013.html
『宴』という香水の瓶は、本当に深く記憶に刻まれているようで
大学時代に所属していた文芸部の部誌にも、この香水のことを
書いた記憶がある。
香水が入っていたひきだしには、
白い手袋と白いバラのモチーフのイヤリングも入っていた。
この文章を打っていてふっと閃いたのだが、
これらの品々は、もしかしたら、
結婚式関連の何かの機会に使ったものだったのかもしれない。
白い手袋は、私が結婚式で使ったものとはだいぶ趣が違うけれど
白いバラの刺繍が施された、装飾的な印象の強いものだったし、
バラのイヤリングも、高価なものではないだろうけど
普段使いという雰囲気ではなかった。
母は香水をつけない人だし、
イヤリングをつけているところも見たことがない。
香水と手袋とイヤリング以外に、あのひきだしの中には、
他に何が入っていたのか思い出せないけれど、
母にとっては「特別なひきだし」、
「幸せな記憶につながるひきだし」だったと思う。
2006年3月と言えば、『抽斗図書館』というメルマガとブログを
始めた時期だ。
母のひきだしのイメージから
『抽斗図書館』が生まれたのかもしれない。
・・・全く記憶に残っていないだけで、
既に、どこかで書いているのかもしれないけど。
別のブログに書いた記事をこちらのブログに持ってきました。
だるまちゃんとかみなりちゃん
http://www.m2-dream.net/?page_id=4892
かみなりちゃんの未来都市は、
「1970年代における21世紀のイメージ」
だったかもしれないなぁと思いました。
だるまちゃんとうさぎちゃん
http://www.m2-dream.net/?page_id=4898
おやつの場面は、本当に楽しい♪
これだけのお菓子が一堂に会しているところを
一度は見てみたいものです。
2011年
1月
13日
2006年からほそぼそとメルマガを続けている。
読者数は学級新聞レベル(笑)。
やめようと思ったこともあったが、解除せずに読んでくださる方々の
存在は、非常にありがたくて、嬉しくて、なんとか続けている。
年内最後のメルマガの記事は、本人的には、結構頑張って書いたつ
もりだったけれど、読み返すとかなりのアラが!!(滝汗)
配信されてしまったら、修正も訂正もできないんだけど・・・涙
この文章を書いたのは、約3週間前。
たいして時間は経っていないのだが、体調や気持ちによって、
ずいぶん感じ方が違うんだなぁと思う。
今の気持ちをベースにして加筆修正してみることにした。

_____________________________
とても素敵な文章をお書きになる、美しい方がいます。強い意志を
感じさせる理知的な瞳で世界を眺めているから、こんな文章が書け
るのかなぁ?と彼女の文章を読むたびに感じています。
彼女は、整然とした美しい世界だけではなく、安藤裕子さんの詞と
どこか重なるような、心の奥に封じ込めていた諦めや後悔、悲しい
記憶を呼び覚ます文章も書きます。読んでいて涙目になってしまう
ということは、私の思い入れが強すぎるという点もあるでしょうが、
おそらく彼女の実体験も含まれているのでしょう。
凛とした印象が強い彼女でも、痛みや怒りで心がいっぱいになって
しまったり、悔しさや歯がゆさ、もどかしい思いで眠れない夜を過
ごしたり、自分の至らなさに歯ぎしりしたりということもあったの
かもしれません。もっとも、思いっきり共感したからと言って、私
と同じ経験をしているとは限らないし、彼女は、非常に責任の重い
仕事をしている関係上、怒りや悔しさや後悔の気持ちは、私の想像
の域をはるかに越えているような気がします。
先日、「受容」についての彼女の考えを読む機会がありました。
カウンセリングなどでも「受容」は、重要視されているようで、ネ
ットで少し調べてみたところ、「相手を一切否定せず、まるごと・
ありのまま受け入れる」という説明がありました。
「受容」とは、相手に対する『敬意』だと、彼女は考えているそう
です。敬意とは尊敬する気持ちのことですが、こういう気持ちは、
持とうと思って持てるものではありません。
尊敬される人は「私を尊敬しなさい」などとは絶対言いません。
「尊敬の気持ち」というものが、心の底から自然に湧きあがってく
るものだとわかっているからなのでしょう。逆に「尊敬しなさい」
などと言う人は、自分が尊敬されないことにどこかで気づいている
のかもしれません。
「尊敬」の辞書的な意味は、「その人の人格を尊いものと認めて敬
うこと。その人の行為・業績などをすぐれたものと認めて、その人
を敬うこと」です。・・・やろうと思ってできることではないなぁ
と感じました。でも、真に相手を受容しようとしたら、相手の人格
を尊いものと心から認めて、本気で敬う気持ちを持たなければなり
ません。そうでないと、相手は自分が受容されていると実感するこ
とはないでしょう。
表面上・形式上の言葉とか、「本当は言いたくないけど、言った方
がいいって本に書いてあったから言ったんだよ」的な言葉を使って
「受容の気持ち」を表現してみたところで、発した側の「どういう
気持ち・どういう意図があったのか」は、ハッキリ伝わってしまい
ます。
こんな言葉を言われたら、それを聞いた人は「受容」を感じるどこ
ろか、「口でなら何とでも言えるよ」「どうせ本心じゃないでしょ」
「私をおだてて、何をさせようとしてるんだろう?」などという気
持ちになりかねません。コミュニケーションは、言葉のみで成り立
っているわけではないし、たいていの人は、言葉以外のものからも
情報を受け取ることができるからです。そう考えると、「受容」は
ものすごく大変なことのように思えます。私のように器の小さい人
間にとっては、神技のようにさえ感じられます。
とはいえ、尊敬の念が絶対に持てないのかというと、そういうわけ
でもなく、逆に相手を徹底的に否定することの方が、本当は難しい
はずなのですが・・・
ある人の考え方・価値観・行動様式というのは、それまでに生きて
きた時間、受けてきた教育、暮らしてきた環境など、さまざまな経
験からできあがっています。息子を見ていると、親なんかよりも、
周囲の方々から、たくさんの素晴らしいものをいただいて育ってい
るなぁと感じます。
一人の人間が存在している背景には、実に大勢の人たちが関わって
います。相手を否定するという行為は、その人が過ごしてきた時間
や関わってきた人たちをも否定することになってしまいます。
そういうことにちょっとでも想いを馳せることができれば、そう簡
単に相手を全面否定なんかできないはずなのですが、「ちょっとで
も想いを馳せる」というのができそうでできない・・・
できないからやらなくてもいいという意味ではありませんが・・・
「相手を受け入れること、興味を持つことが大切」と彼女は書いて
いました。「嫌だ・かかわりたくない」と思った瞬間、興味は失せ
てしまいますが、本当に受容しようと思ったら、ここも乗り越えて
いかなければなりません。
ある人が「<コレ>は自分にはできないと思う時は、<コレ>とは
別のことをやろうとしている」とおっしゃっていましたが、「あん
な奴に絶対に興味なんか持てない」と思っている時は、相手を遠ざ
けるという「別のこと」をやっているから、当然興味など持てない
のでしょう。
今まで「即効・お手軽路線」に惹かれる傾向が強かったのですが、
「受容」に関しては、即効・お手軽の対極にあると感じました。
前述したとおり、相手に対する尊敬の念というのは、即効・お手
軽に手に入れられるものではないし、仮にそれを手に入れたと思
えたとしても、相手が尊敬されていると感じるかどうかは別問題
です。「受容」は、苦手な人にとっては、非常に大きな課題にな
るそうです。
「私はあの人を受容している」というのは、思い込みなのかもし
れません。相手が「受容されている」と感じなければ、「なんち
ゃって受容」の域を出ないからです。「真の受容」のためには、
本当に地道で真摯な努力が必要だと思いました。
_____________________________

自分で書いた文章だから、言わんとすることはわかるんだけど、
第三者が読んだら、意味不明だろうなという箇所がいくつかあって
結構ショックだった・・・時間が限られているとは言え、何度か読
み返さないと、ダメなんだなぁ、やっぱり。
メルマガの原稿を書くのは、前々日と前日。もう少し余裕を持っ
て書かないと、読んでくださる方に大変失礼だと痛感・・・
自分だけが読む文章ならともかく、ブログやメルマガは、「読ん
でくださる方」がいらっしゃるのだから、何度か読み返して、わか
りにくいところはちゃんと直すようにしたい。
2010年
12月
14日
12/5に安藤裕子さんのライブに行ってきた。
会場は国際フォーラム「ホールA」。
ここは客席が5012席あるそうだが、ほぼ満席。
これだけの人数がいるのに、演奏中は実に静か。
演奏が終わるとホール全体に整然とした拍手が響き渡るので、
なんだかクラッシックコンサートのようだった。
ほぼ日手帳2011の9/3のページには、こんな言葉がある。
>ほんとうの意味で俳優と呼べる人は
>とくべつに優れた何かを持っている人です。
>何かを諦めながら、猛烈な努力をして、
>自分という井戸を掘り続けた人たちっていうのが、
>ぼくが抱いている「かっこいい俳優」のイメージです。
>—田口トモロヲさんが『あのひとの本棚。』の中で
安藤裕子さんは女優を目指していたそうだ。
(とってもってもキレイだし!)
でもあまり日の目を見る機会はなく、歌の道へ来た。
2年くらい前のツアーの様子を収録したDVDだったと思うが
「歌だったら誰かが見つけてくれると思った」
というようなことを話していた。
田口トモロヲさんがお書きになっている、
>何かを諦めながら、猛烈な努力をして、
>自分という井戸を掘り続けた人たち
の中に安藤さんもいるかもしれないなぁ・・・
彼女の曲で「隣人に光が差すとき」というのがある。
おそらく彼女の実体験に基づくものなのだろう。
それだけに、似たような気持を持ったことがある場合、
とても感情移入しやすく、共鳴(?)してしまうと結構大変。
この曲のことを「聴くのに勇気がいる」と思う人は少なくないらしい。
私も「えいっ」と少しだけ気合いを入れて聴くことが多い。
初めて聴いた時、号泣した。
その後も、しばらくは聴くたびに泣いていた。
今でも、自分のコンディションによっては、涙目になる。
>アナタニナリタイ コレジャタリナイ
>アナタニナリタイ コレジャタリナイ
私には具体的な「アナタ」はいないけれど、このフレーズを聴くと、
自分以外の誰かになりたくてなりたくて仕方なかった十代の頃の
感情が溢れ出してきてどうしようもなくなる。
完全に忘れていたはずなのに。
ここ十数年、こんな風に感じたことなど一度もなかったのに。
思い出さないだけで、記憶の中から消えることはないのかもしれない。
もっとも安藤さんの詞はこういう「痛みに刺さる系」は
それほど多くはないと思う。
それよりも、彼女独特の不思議な言葉の世界に浸りきって
迷い込みたくなる誘惑の方がずっと強い。
だから、静かにじっくり、全身で聴きたくなるんだろうな。
約5000の客席が埋まっているホールが
水を打ったように静まり返っても不思議じゃないと思った。
12/5のライブの4番目は「New World」だった。
>風吹けばいつも絡まって 名を問えば「我は迷子なり」
>名乗って手を取りたいよ 君の
>出会いはいつも 定めか悪戯
>みるみるうちに膨らむ 似た者同士がKey word
>何故だかわかるの そういうの
>出会いは定めさ
>出会いは定めなんだ
どこからこんな詞が降ってくるんだろう???
それとも彼女が掘り続けた井戸から湧き上がってくるのだろうか?
曲と曲の間のおしゃべりも楽しい。
「リハーサルで楽器に頭ぶつけて割れましたー
見えますかー?」
明和電機の社長ブログによると、この楽器というのは、
「オタマトーンジャンボ」のことらしい。
同じ会場に社長さんもいらしてたんだー!!
オタマトーンジャンボがステージに登場した時は、
「参観日に子どもを見に来た親の気分」だったそうだ。
なんか、とっても、よーくわかるわ・・・(苦笑)

「置いてきぼりにしてきた気持ちを歌った曲」という
紹介があって始まった9曲目は「court」。
>あなたに似合う 薄いガラスのグラス
>街で見つけて 部屋に飾るんだよ
>猫脚椅子に丸いテーブル並べ
>明日もきっと 続けられるまで
>坂を見上げれば 季節も終わり告げて
>「さよなら」
>なのにまだ 追いつけないまま
>走ったら 胸に過ぎる痛み
>透き通ってゆける気がしてたのに
薄いガラスのグラスが似合いそうなひとも、
猫脚椅子も、私の人生には登場していないけれど、
「どうしようもなく手が届かない」と感じて
諦めてきたこと、心の中から消し去ろうとしてきたことが
なんとなく浮かんでくる。
人生のどこかで「置いてきぼり」にしてきたことって、
思い出さない(思い出せない)だけで、実はたくさん
あるんだろうなぁ。
「生きているといろいろある
置いてきぼりにしていくことや気持ち
生きていたとしても一生逢えない人
戻れない時間
悲しいけど、その続きも楽しみにしていきたい」
こんな感じのお話の後で始まった10曲目は「忘れ物の森」
>未来がもしもの呪縛に囚われ
>足を 止めていた
>でも生きていたいの
>誰かに伝えていたいの
このフレーズは、私にとっては少々重い。
失敗を恐れずに思い切ってやってみることが苦手なので、
これはちょっとだけ「痛みに刺さる系」だと思う。
思い切ってやってみることを避けると「可能性」を保留できる。
実際にはやらないことで
「もし、やったとしたら、うまくいくかもしれない」
を永遠に残せる。(苦笑)
これが、私にとっての「もしもの呪縛」。
結局は、可能性の保留なんかじゃなくて、
同じ場所に滞留しているだけなんだけど・・・
16曲目の「歩く」の前のお話はなんだか心にしみた。
「頑張っても頑張ってもできなくて
くやしいことばっかり
そうやっているうちに
逢いたい人にも逢えなくなって・・・
家族がいるなら電話して
声を聞いてから眠りについてください
憎たらしく思えても
声を覚えていてほしい」
「歩く」
>心が きっと幼いんでしょう
>あなたのこと知ろうともせず 見誤っていた
>傷を付けることにだけ長けて
>牙をむけば 安らぐように
(中略)
>あなたの残したものを見つけ 胸に抱く
>今日はこれに名を付け 抱いて眠ろうと
>そして上る朝日に そっとキスを送り
>いつも通りの笑顔で きっと始めようと
>あなたが私に教えてくれた多くのこと
>今になって甦ってくる
>顔が少し似始めたようで
>鏡を見て 笑ってみせる
(中略)
>決して
>あなたを忘れないと 強く胸に刻み
>あなたの名を想っては 明日を迎えよう
>やがて空は動いて そっと星を降らす
>終わる今日を流して 夜は走り去る
これも彼女の実体験と彼女が掘り続けた井戸から
生まれた歌なんだろうなと思う。
深い想い。
切ない気持ち。
それを表現できる言葉。
使いこなすだけの技量が必要だけど、
改めて日本語ってスゴイと感じた。
アンコールの最初の曲は「青い空」
この曲の前のお話も印象的だった。
「10代の女の子からのもらった手紙がきっかけで
生まれた歌
手紙には『助けてほしい』と書いてあった
でも、どうしようもない
私には何もできない
だから、特に何もすることはなかった
もう道が見えないような人がいたとしても
私は『絶対明日はいいことあるよ』とは言えない
人が生きていく中で
一生辛いことばかりの人もいる
私はラッキーだった
辛いこともあったけれど
たくさんの人に会えて、運がよかった
自分の先が見えない時、屋上から空を見ていた
これだけきれいな空を独り占めできるなら
明日もくるんじゃないかって
きれいな空が見えたらいい
きれいな空を見上げてほしい
思いとどまって前に進んでほしい」

>私は『絶対明日はいいことあるよ』とは言えない
これを聞いて、彼女はやっぱり、
「何かを諦めながら、猛烈な努力をして
自分という井戸を掘り続けた」んじゃないかなぁと思った。
最後の「問うてる」も、とてもいい歌。
「問うこと」って大事だと思う。
何かについて問われると、
そのことについて、自分がどれだけ知っているか、
どれだけ知らないか、とてもよくわかる。
わかった気になっていたことに気付かされた時、
鋭い痛みを感じる時もある。
恥ずかしくなることもある。
自分という井戸を掘る方法はたくさんあると思うけれど、
自分に対してたくさんの問いを発することも、とても大切なんだろう。
「自分」というのは、いつもそこにあるし、
いつも一緒にいる存在なんだけど、
改めて「自分に対して問う」ことでしか、わからないことって
たくさんあると思うから。