アーカイブ 「生活一般」

2021年 1月 17日

結婚式は仏滅だった

カテゴリー 生活一般

結婚式は乗り気ではなかったので、お金をかけたくなかった。
親にお金を出してもらうつもりもなかったので、
低予算でなんとかしたかった。

友達は帝国ホテルや椿山荘で披露宴をやっていた。
公共の施設での結婚式は、ホテルよりずっと安い。
我々は虎ノ門パストラル(旧東京農林年金会館)を予約した。

挙式の日にちおいては、六曜が重要だ。
仏滅の結婚式はよくないといわれるので、
仏滅に式を挙げるとかなり安くなる。
ほとんどの結婚式は大安だが、離婚する夫婦もいるので、
仏滅でも問題ないだろうと我々は考えた。

披露宴の料理は、普通はフランス料理だが、中華料理にした。
サンプルを確認したところ、同じ値段だったら、
フランス料理より豪華に見えたからだ。
披露宴の中華料理は珍しいし、とてもおいしかったらしい。
しかし、私はあまりに緊張していたので、一口も食べられなかった。



本来我不想举行婚礼,也不想花钱。
并且我也没打算让父母给我钱。
我想用低预算举行婚礼。

朋友们是在帝国酒店或者椿山庄举行的婚宴。
而公共设施比酒店的便宜得多,
所以我们预约了“虎之门Pastoral”(旧名:東京農林年金会館)。

在日本举行婚礼的日子“六曜”很重要。
人们说“佛灭的婚礼不太好”,所以佛灭的婚礼比大安的便宜得多。
大部分的婚礼是“大安”举行的,可是也有离婚的夫妇。
所以我们想“佛灭”的婚礼也应该也没问题。

一般婚宴时提供法国菜,我们选择了中国菜。
确认了样品后,发现同样价格的话,比起法国菜来,中国菜看起来好多了。
听说我们婚宴的菜又希罕又好吃,但是我太紧张了,一口也吃不下去了。

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2021年 1月 10日

竹の子族/竹笋族

カテゴリー 生活一般

祖母は好奇心旺盛な人だった。
1911年の生まれで、二人の子ども、三人の孫、三人のひ孫がいた。
新しいニュースを聞くのが好きで、
ひ孫たちとちょくちょくおしゃべりしていた。

1980年代の原宿には「竹の子族」という若者たちがいた。
彼らは、独特なデザインの衣装を身に着けて、
大音量で音楽をかけ、歩行者天国で踊っていた。
大多数の大人は「竹の子族」が好きではなかった。

原宿の駅の近くに「南国酒家」という中華料理店ある。
ある日、祖母と私の家族でここで食事をした。
帰り道、祖母は初めて「竹の子族」を見た。
彼女はとても熱心に観察していた。
「みんなとても楽しそう。
 隣の奥さんも人の悪口ばかり言っていないで
 ここに来て一緒に踊ればいいのに」
私はとても驚いた。
祖母も「竹の子族」のことはきっと嫌いだと思っていたから。

彼女は晩年は老人ホームにいた。
若いスタッフと仲良くしていた。
時々、女性スタッフが彼女にお化粧をしていた。
祖母は嬉しそうにしていた。
彼女は2010年に逝去した。
もしスマホをプレゼントしたら、
毎日Lineを送ってくれたかもしれない。


我姥姥是个好奇心旺盛的人。
她是1911年出生的,有两个孩子,三个孙子,三个曾孙。
因为她喜欢听新的消息,所以经常跟曾孙们聊天。

1980年代,在原宿有一群被叫做“竹笋族”的年轻人。
他们在步行街,穿着设计独特的衣服,用大音量放音乐,一起跳舞。
大部分的成年人们不太喜欢他们。

原宿车站附近有一家叫“南国酒家”的中国菜餐厅。
有一天我姥姥和我家人在那里一起吃饭。
在回家的路上,她第一次看过“竹笋族”。
她很热心地观察他们并说:
“他们看起来真开心!我邻家的太太每天都说别人的坏话。
她也一起跳舞就好了。”
我吓了一跳,因为我以为她一定不太喜欢“竹笋族”。

她晚年住进养老院。
她跟那里年轻的工作人员相处得很好。
有时候女工作人员给她化妆,她看起来非常高兴。
她2010年去世了。
如果我送给她手机的话,她也许每天都会给我发Line。

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2020年 12月 27日

年の瀬に

カテゴリー 生活一般

2020年がもうすぐ終わる。

予定されていたオリンピックはもちろん、
高校野球や地域のお祭り、学園祭など恒例行事はすべて中止。
人が集まるイベントってこんなにたくさんあったのかと
しみじみ感じた。

会社からは、出社日を半分にするようにという通達があり、
毎月約20日の営業日のうち、10日はテレワークとなった。
「出社しないとできないこと」が、それなりにあるので、
出社した日はものすごく忙しくなる。

毎年仕事納めは12月28日前後だったが、今年は25日。
クリスマスが仕事納めなんて、長い会社人生の中でも初めてだ。
当然納会はなく、いつもより少し早めに帰るというだけの最終日だった。

感染が収まる気配がないので、年末年始は家で過ごすことになりそうだ。

来年も引き続き海外旅行は無理そうだ。
日本人が台湾/中国を旅行できるようになるのは、
だいぶ先になるかもしれない。

いつかは行けるようになるだろうけど、
それがいつになるかわからない。
還暦を過ぎてしまうかもしれない。
元気な状態で旅行ができるよう、
足腰を鍛えて、中国語学習を頑張ろう。

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2020年 12月 20日

学习外语

カテゴリー 生活一般

大人になってから外国語を学ぶ場合、
母国語の知識がない分野を学ぶのは難しい。

母国語で表現できないことは、おそらく外国語で表現できないだろう。
無口な人が外国語をマスターしても、いきなり饒舌にはならない。
私はあまりお喋りではないし、話すより書く方がずっと好きだ。

しかし、中国を旅行したいという夢があるので、
中国語を話せるようになりたい。
今のところ、相手の言わんとすることが聞き取れたとしても、
それに対して話ができないという状態である。
とにかく語彙を増やして、正しい発音ができるように努力するしかない。


成人后学习外语的话,没有母语知识的领域很难学好。
不能用母语表达的事情、也无法用外语表达。
沉默寡言的人即使掌握了外语,也不会突然变得饶舌。
我不怎么爱说话,比起说话更喜欢写文章。
但是,因为想去中国旅行,所以喜欢能熟练地说中文。
現在即使能听懂对方的意思,我也说不出来。
总之只能努力增加词汇量,练习正确发音。

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2020年 12月 06日

セブンブリッジ

カテゴリー 生活一般

姉妹というのは面白い。
同じ親から生まれたのに、性格がかなり違う。
人間の性格というのはもって生まれたものなのかもしれない。

私が小学生の頃から、我が家では、「セブンブリッジ」という
トランプゲームをやっていた。
年末年始は、20回戦をやっていた。

姉は、すごいチャレンジャー。大勝利か惨敗。
ダントツでトップか、大差をつけられての最下位のどちらか。
妹は成り行き任せで、勝率が安定しなかった。
1位にならない代わりに、最下位にもならなかった。
私は、慎重派で、だいたい3位以内。

セブンブリッジの戦い方の傾向は、
その後の人生にも表れている気がする。

姉は、自由な生活を謳歌している。
私は、かなり安定志向だ。
妹は、やや成り行き任せ的な日々を過ごしている。

この後の人生で何が起こるかわからないが、
三人で旅行を楽しめるような老後を迎えたい。


姐妹很有趣。
虽然一个父母出生,但是性格并不一样。
至于人们的性格也许是天生的。

从我上小学开始,我家常常打桥牌。
年末岁首总是进行第二十次比赛。

我姐姐很有挑战精神,结果要么大胜要么惨败。
她是遥遥领先的第一名,或者差距很大的最后一名。
我妹妹随大流,胜率不稳定。
她虽然没能成为第一名,但也没有成为最后一名。
我是慎重派,大概在前三名。

我觉得赛桥牌的战术倾向在之后的人生中也表现出来了。

我姐姐享受着自由的生活。
我追求稳定性。
我妹妹过着有点儿随波逐流的生活。

虽然不知道之后的人生会发生什么,
但我希望能迎来三个人一起享受旅行的晚年。


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2020年 11月 29日

ガラスケースの向こう側

カテゴリー 生活一般

「これはどうやって開けるの?」
姪は、オレンジジュースの瓶の王冠を見て
不思議そうに言った。
当時、彼女は高校に入学したばかりだった。
王冠も栓抜きも見たことがないなんて!
私は衝撃を受けた。


息子が小学生の頃、家族旅行で
山形県の古い温泉旅館に泊まった。
客室の内線電話ばダイヤル式だった。
「これはどうやって使うの?」
息子は、電話機のダイヤルに触りながら、
不思議そうに言った。


数年前に行った博物館で、ガラスケースの中に
ダイヤル式の黒電話が展示してあるのを見た。
あの電話機は既に歴史的存在なのかもしれない。


数年前に行った江戸東京博物館では、
「昭和の家屋」の展示があった。
友達のおばあちゃんちにそっくりだった。
博物館に、自分がよく知っているものが
展示されているのは奇妙な感覚だった。


中学生の頃、母親と二人で科学技術館に行った。
洋服ダンスのような大きさのコンピュータが展示されていた。
母は嬉しそうに言った。
「あら、懐かしい。これ、使っていたのよ」
当時の私はまだ十代だったので、本当にびっくりした。
博物館の展示品に懐かしさを感じるなんて!


光陰矢の如し。
私は、博物館のガラスケースの向こう側に
懐かしさを感じる年齢になっていた。



“这个怎么打开?”
我外甥女看着橘子汽水的瓶盖儿,疑惑地说。
当时她上高中一年级。
她没有见过瓶盖和起子!
我感到震惊。

我儿子上小学的时候,我们一家去旅行,
住在山形县的旧温泉旅馆。
客房的内线电话是拨号式的。
“这个怎么用?”
他摸着拨号盘,疑惑地说。

以前去博物馆时,看到过玻璃柜里展示着拨号式电话机。
那个可能已经是历史性的存在了。

几年前去过的江户东京博物馆有一个展览,
叫“昭和的房屋”。
那个跟我朋友的奶奶的家很像。
博物馆里展示了自己熟悉的生活用品,感觉很奇妙。

我上初中的时候,和母亲两个人去过科学技术馆。
展品中有衣柜大小的电脑。
她高兴地说。“啊,好怀念啊。这个我用过。”
当时我才十几岁,真的很吃惊。
居然对博物馆的展品感到怀念!

光阴似箭,岁月如梭。
我到了对在玻璃柜里的博物馆展品感到怀念的年龄了。

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2020年 11月 22日

光阴似箭,岁月如梭

カテゴリー 生活一般

最近、時間の経過をとても速く感じる。
人間は老いるにつれて、
時間の経過を速く感じるようになるという。
いろいろな要因が考えられるが、
生活の中で刺激を受けることが少ないことも一因だろう。

同僚は、
「テレワークで家にいると、時間と曜日の感覚がなくなる」
と話していた。
彼女は、できるだけ家から出ないようにしていて、
現在の楽しみは、ネットでお菓子を買うことらしい。
「一日中家にいると一瞬で夜になる」と言っていた。

息子のお弁当を作っているせいか、
曜日の感覚がなくなることはない。
しかし、朝パソコンの電源を入れて、
夜パソコンの電源を切るまでは、一瞬だ。
そのあと夕食の準備をして、夕食を食べ、皿洗いをして、
入浴して、洗濯物を畳んだりしていると、
すぐに11時になってしまう。

今年は新型コロナウィルスのせいで、
一度も旅行に行けなかった。
緊急事態宣言が出てから
あっという間に11月になったような気がする。
毎年恒例の5月と8月の旅行が、
とても重要なイベントだったいうことが、
行けなくなってみて初めてわかった。

旅行は、「非日常」だ。
行ったことのない場所に行き、
見たことないものを見る。
嗅いだことのない匂いをかぎ、
食べたことのない料理を味わい、
いつもと違うベッドで眠る。
これらは時間の感覚を変化させる。
多くの新鮮な刺激を受けるせいか、
夜になると心地よい疲れが出る。
朝起きた時に、自分がどこにいるのか思い出せないほど、
深く眠れる。

現時点では、一日当たりの感染者数が
刻々と増えている状態である。
来年は、どこか旅行に行きたい。
首都圏は感染者が多いので、
地方へ行ったら歓迎されないかもしれない。
できるだけ早い時期に、
安心して旅行できるようになってほしい。




最近感觉时间过得很快。
听说人随着年龄增长,会感觉时间过得很快。
关于这件事,可以考虑的原因各种各样,
不过,在生活中新鲜事儿很少也是理由之一。

我的同事说:“在家上班,就没有几点和星期几的感觉了。”
她尽量不出门,现在的乐趣是在网上买甜点。
她还说:“一整天呆在家里,一瞬间就到了晚上。”

也许是我要做儿子的便当,星期的感觉没有消失。
但是,从早上打开电脑电源,
到晚上切断电脑电源为止,好像只是一瞬间。
然后准备晚饭,吃晚饭,洗盘子,洗澡,
叠好洗好的衣服一会儿就到十一点了。

今年因为新冠病毒,一次也没能去旅行。
我觉得紧急事态宣言发表后,转眼间就到了十一月。
每年惯例的五月和八月的旅行,
对我来说是非常重要的活动,
今年旅行去不了了才体会到。

旅行是“非日常”。
去没去过的地方,看没看过的东西,
闻没闻的气味,尝没尝过的味道,
睡在和往常不一样的床上。
这些会改变时间的感觉。
也许是因为受到了很多新鲜的刺激,
一到晚上就会产生惬意的疲劳。
因此睡眠会变沉。
所以早上起床的时候,想不起自己在哪里。

现在新冠病毒感染人数每天都在不断增加。
明年我想去旅行。
但是因为首都圈感染者很多,
所以如果去地方的话可能不受欢迎。
希望尽快回到人们可以安心旅行的日常生活。

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2020年 11月 15日

匂いの記憶

カテゴリー 生活一般



匂いの記憶というのは、長期間残るものらしい。
言語化されないので、意識することはほとんどないが、
同じ香りに出会ったときに、すっかり忘れていたことを思い出す。


海の匂いは、子供の頃の海水浴の思い出につながる。
ちょっとだけ生臭いような潮の香りは、
遠い夏の記憶を呼び起こす。


雨の匂いは、最近感じることが少なくなった。
数年前、地下鉄を降りたときに雨の匂いを感じて
「雨が降ってるかもしれない」
と夫に言ったら笑われたが、地上に出たら雨が降っていた。


雪の匂いも、感じなくなった。
子供の頃の冬の朝、布団の中で、
冷たくて尖った匂いを感じた日は雪が積もっていた。


「カエルの匂い」も子供の頃の記憶だ。
これは、父の実家の周辺にある水田の匂いのことだが、
そこにはカエルがたくさんいたので、
「カエルの匂い」と呼んでいた。


香港に行くと「香港の匂い」がする。
八角の香りが混ざった少し油っぽい匂いを感じると、
香港にいることを実感する。


韓国の扶余の古いバスターミナルの待合室は、
とても不思議な匂いがした。
それは、化学薬品のような、植物のような、
何とも言えない匂いだった。


花火のにおいは夏の定番だ。
毎年、8月下旬に実家の庭で花火大会をやっていた。
しめくくりはいつも線香花火だ。
金色の火花と火薬のにおいが夏の終わりの象徴だった。
今年の花火大会はできなかったが、
来年は夏の終わりの匂いをしっかり味わいたい。




气味的记忆似乎会长期残留。
一般不会被语言化,所以几乎没有意识到,
但是在遇到同样的气味的时候,
会想起完全忘记了的事情。

大海的气味能让我想起小时候的海水浴。
稍微有点儿腥味的海水气味,
唤起了遥远夏的天的记忆。

最近很少感觉到雨的气味了。
几年前下地铁的时候,我感觉到了雨的气味。
我对我老公说“现在可能在下雨。”
他听了后笑了,但是一出车站外面就在下雨。

雪的气味也感觉不到了。
小时候冬天的早上,
在被子里感受到又冷又冲鼻子的气味的日子,
院子里总是积着雪。

“青蛙的气味”也是小时候的记忆。
这是我父亲老家附近的水田的气味。
那里有很多青蛙,所以我叫它“青蛙的气味”。

香港有“香港的气味”。
一闻到混合了八角香和油腻的气味,
我就感觉到我正在香港。

韩国扶余的旧巴士候车室里有一股不可思议的气味。
那是像化学药品一样,像植物一样,无法形容的气味。

烟花的气味是夏天的必备品。
每年八月下旬都会在老家的庭院里放烟花。
烟花总是昙花一现。
金色的火花和火药的气味是夏天结束的象征。
今年没能放烟花。
我希望闻到明年夏天结束的气味。


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2020年 10月 25日

カテゴリー 生活一般

子供の頃、庭に柿の木があった。
柿と言っても渋柿である。
その実は筆の先のような形で、
「筆柿」という種類に似ていたが、
「筆柿」よりはるかに巨大だった。
自重に耐えられず、色づく前に落ちてしまうことも多かった。

柿の実がオレンジ色になると、
父は柿の木に梯子をかけてのぼり、実をとった。
取った柿の実は渋抜きする。
まず、乾いた布で拭いて汚れを落とす。
次に柿と焼酎を厚手のビニール袋に入れる。
それをプラスチックの容器に入れる。
その容器を2週間ほど物置に置いておく。
渋みが抜けて甘くなり、柿は柔らかいゼリー状になる。

鮮やかなオレンジ色の甘い柿を
スプーンですくって食べるのが好きだった。
一度だけ、渋味が抜け切っていなかったことがあった。
口に入れた途端、口内が砂で一杯になったような感じがした。

長野県に住んでいた伯父もこの柔らかい柿が好きだった。
彼は毎年野菜や味噌を父に送ってくれるので、
父はお礼として、この柿を送っていた。

12年前に実家を建て替えた時、柿の木は切ってしまった。
伯父は他界してしまった。

柿の季節になると、スプーンですくって食べた、
あの柿の味が恋しくなる。




小时候,院子里有两棵柿子树。
说是柿子,其实是涩柿子。
  ※日本的柿子大多是甜柿子。
形状跟笔尖一样的,和“笔柿”的种类相似,
可是比“笔柿”大得多。

无法承受自重,往往会在上色前就掉下去。
当柿子的果实变成橙色的时候,
我父亲把梯子搭在柿子树上,摘下果实。

摘下的柿子要去涩。
最初用干布擦去污垢。 
然后把柿子和烧酒放进一个厚塑料袋里。
再把那个放进一个塑料容器里。
那个容器放在小仓库里两周左右。
涩味就消失了,变得很甜,柿子变成柔软的果冻状。
我喜欢用勺子舀着鲜橙色的甜柿子吃。
只有一次,涩味没完全去掉。
刚一放进嘴里,就觉得嘴里好像满是沙子。

住在长野县的大伯也喜欢那种软柿子。
因为他每年都会给我父亲寄蔬菜和大酱,
所以我父亲为了答谢他,每次都回赠那种柿子。

12年前老家重新盖房子的时候,两棵柿子树被砍掉了。
大伯也去世了。
一到柿子的季节,就怀念用勺子舀着吃的那种柿子的味道。

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2020年 10月 18日

10年日記

カテゴリー 生活一般

私は『10年日記』をつけている。
10年分の日記が書ける日記帳だ。
この日記帳は、1ページに10年分の記入欄がある。
例えば、10月18日なら、1枚のページに10年分の10月18日の日記を書く。

社会人になって3年目。
通信販売のカタログで『10年日記』を見つけた。
5000円くらいだった。
10年間書き続けられるかどうか不安だったので、
当時、編集の仕事をしていた父を誘った。
2冊注文した。
最後まで続けた人が勝ち。
負けた人は、豪華なをランチを提供するという約束をした。

1992年からスタートして、2001年まで二人とも日記を書き続けた。
父は「日記をつけるのがとても楽しかった」と言った。
そして、彼は日本料理店を予約して
「好きなものを食べなさい」と言った。
私は次の『10年日記』をプレゼントした。

2002年開始の『10年日記』には「記録は後々必ずお役に立ちます」と
書かれたカードが入っていた。
2冊目を書き終わる頃には、確かに昔の記録を見返す機会が増えた。
2011年の年末に、父はまた食事をご馳走してくれた。
私は3冊目の『10年日記』をプレゼントした。

3冊目は2021年で終わる。
今年85歳になった父は、もう『10年日記』はいらないと言っているが、
来年の年末、私は4冊目の『10年日記』をプレゼントするつもりだ。




我几乎每天记《10年日记》。
《10年日记》是能写十年记录的日记本。
比如说,10月18号的话,在同一页上写上十年份的10月18号的日记。

工作的第三年、在邮购目录中发现了《10年日记》。
价格是5000日元左右。
我担心能不能坚持十年,
所以邀请了当时做编辑工作的父亲同时写日记。
我订了两本《10年日记》。
我们约定“坚持到最后的人为胜者,
输了的人提供豪华的午餐”。

从1992年开始,到2001年为止,两个人都坚持记了日记。
我父亲说“写日记非常开心”。
他预约了一家日本料理店。
他说“你想吃什么就吃什么。”。
我又送了他一本《10年日记》作为下一个十年的礼物。

2002年开始的《10年日记》里有一张卡。
那上面写着“这些记录以后一定会有用的”。
在写完第二本日记本的时候,重温以前记录的机会确实增加了。
2011年末,我父亲又请我吃饭了。
我把第三本《10年日记》作为礼物送给了他。

第三本将在2021年结束。
今年八十五岁的父亲说“我已经不需要《10年日记》了。“
可是明年年底,我打算买第四本《10年日记》,作为礼物送给他。

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